彼の人の下

「色々と動いているようだな」
 演習場で訓練を眺めつつ、さりげなく言ってきたのはエンデ団長だった。ワイルドは背筋にぴりりとした痺れを感じる。
「そんな顔をするな。咎めているんじゃない。私が動くと目立ちすぎるからありがたいくらいだ」
 からからと笑うエンデにワイルドは息をつく。そんな彼をベイコンが肩をすくめて見ていた。それもまた、ありがたいことだとワイルドは思っている。ロレンスもだろう。なんとも言いがたげな顔をして軽く視線を伏せていた。
「ロレンス。お前はいまは私の部下だがな。万が一、あなたを暗殺でもされようものならこの首が飛ぶ。わかるか?」
 にやりとエンデが笑った。それでいて目は真っ直ぐと騎士たちを見ている。爪牙両部隊をそれぞれ半数に分け、紅白戦をしていた。中々の熱戦で見ごたえがある。
「お前は、私の部下だがな。あなたは、公爵家の嫡子ですからな」
 だめ押しをして豪快に笑うエンデにロレンスが力なく笑い返した。そういうやり方で自分を認めてくれている。そんな気がしなくもない。居心地のいい騎士団で、やりがいもある。だからこそ、失いたくなど断じてない。
 星花宮の魔術師との密談で、少し動きがあった。今のところホーンウィッツ伯爵が黒幕だろうというのは情報をつき合わせた結果の類推でしかない。偶然に辻褄が合っているだけ、と言う可能性がないわけではなかった。その確認作業をカロルが請け負う、と言ってくれた。フェリクスは宮廷工作が苦手だ、と言っていたのはそう言う意味かとワイルドは納得する。ロレンスは更に、黒衣の魔導師の名声をもってすればある程度の情報操作も可能だろうと感じている。
 そしてもう一つ、動きがあった。エンデがいま演習を眺めている理由。騎士たちに加わっているのはエリナードでもミスティでもなかった。れっきとした星花宮の魔導師が二人、参加している。
「そう言えば、卒業試験と言っていたかな。ミスティは。ロレンスは知っているのか?」
「えぇ。星花宮の魔導師を名乗るために必要な試練を俗に卒業試験、と言うそうです」
「なるほど。ならばエリナードも、なのか。それは豪勢だな」
 二人とも星花宮に戻っていた。試練が終了次第、竜騎士団に復帰することになっている。カロルは言った。
「ミスティは俺の直弟子でな。偶々、偶然、ちょうど一人前にしてもいい時期だ」
 だから竜騎士団がどうのではなく試練を課す、獰猛な悪魔の笑みで彼は言っていた。フェリクスが横で詭弁だと呟き、エリナードが天井を仰ぐ。が、弟子であった者が正式に名を受けて復帰するだけのことだ。竜騎士団にとって良いも悪いもない。平常のことでしかない。
 だが星花宮の魔導師と名乗るだけの魔術師がここにいる。それは不逞魔術師を利用する側にとっては打撃になりかねない。不逞魔術師は決して星花宮の魔導師に太刀打ちできないと知っている。わざわざ命を失うために来る愚か者はいない。少なくとも牽制にはなる。それがカロルの判断だった。
「いや、エリナードは違うらしいですよ」
 ロレンスは言ったワイルドを見上げた。聞いていない、と言いたげな紫の目にワイルドは肩をすくめる。彼は言っていた。聞いていなかったのは自分の責任ではないとばかりに。
「なんだ、相変わらず仲いいな。お前が星花宮の魔術師に手ぇ出すんじゃないかってマケインははらはらしてるがな」
「まぁ、出してもいいかなぁと思うくらいにゃ美形だがな。――あれが俺より年上だって聞いた瞬間萎えたわ」
 ぐえ、と騎士団で聞くとは思えない突拍子もない声を上げたベイコンをエンデが笑う。団長は知っていたのだろう。教えてくれればよかったのに、と今更ながら恨めしいワイルドだ。
「お前はだいたい夜遊びが過ぎる。自重しろ」
 ロレンスにまで言われた。が、言われたかった台詞であっただけにどこか皮肉な痛みと喜びを覚えるだけだった。
「で、エリナードがなんだって?」
 どうやらエリナードは牙部隊でも受けがいいらしい。あの屈託のない明るさが若い騎士たちには気持ちのいい男として映るのだろう。
「ミスティが受ける試練だがな。本人が終わったあとは、誰が挑戦してもいいんだそうだ」
「ほう」
「それにエリナードは挑みに行ったらしいぞ」
 演習場でひときわ派手な火花が散った。エンデは笑うが、ワイルドは顔を顰めている。ベイコンなど小声で罵っていた。
「……後始末が大変だな」
「ロレーンス。そう言う問題か? うちの連中に怪我させるのはやめてくれって言った……」
「していない、らしいな。幻覚だったのかもしれないぞ、ベイコン」
 そうらしい、とベイコンが肩を落とした。あれほどの火花と炎であったと言うのに見る限り騎士たちの外衣には焦げ一つない。驚いた馬の制御の方にこそ彼らは忙しい。
「問題は馬だよな」
 実際、あの手の魔法を使われても人間は慣れる。が、動物はそう簡単には慣れてくれない。目下それが問題だった。
「しかし、あれが魔導師とはな。星花宮とはわからんものだな」
 エンデの言うことももっともだった。いま炎を操っている魔術師はフラメティスと言う。どこからどう見ても魔術師の体格ではなく、エンデなど新しい騎士が入ったのかと錯覚したほど。
「もう一人はいかにも魔術師、なんですがね」
 フラメティスがミスティの代理であるのならば、エリナードの代理はセリスと言う。前者が火の魔術師同士で交代したのに、後者は水と風の入れ替わりだった。が、なにも特殊な戦場を想定しているわけではなく、魔法戦をやるつもりなどさらさらない。結果として魔術師の属性がどうであれ影響は皆無と言うわけだった。
 そんな騎士たちの視線に気づいたのかどうか。フラメティスが彼らを見やってはにやりと口許を歪める。
「構えろ!」
 咄嗟にワイルドは叫ぶ。卑怯だぞ、言いながらそのときにはもうベイコンも同じことをしていた。ロレンスはそんな二人に眩しげな目を向ける。二人には何か感じることがあったのだろう。自分には少しもわからなかった何かが。
 その瞬間だった。紅白戦をしていた両側から、炎と風が渦巻く。フラメティスと、それに対抗したセリスの魔法。だが今度は幻覚ではなかったらしい。騎士たちの中でもまだ若い者があっと悲鳴を上げ。
 そしてぽかんと口を開けたまま硬直する。演習場のただ中に転移してきたもう一人の魔術師。中央で彼は魔法を紡ぐ。おそらく、紡いだのだろう。騎士たちには火の粉ひとつかからなかった。
「お二人とも。やり過ぎですって。怪我はさせないでくださいねってお願いしたじゃないですか、もう」
 ぼやくのはエリナード。あれほどのものを受け止め散らしておいて汗ひとつかいていない。それを認めたのだろう、魔導師たちがにやりと笑う。
「貴様が転移してくるのを感知したからやったのだ」
「受け止めるだろうからね。どこまでできるかお手並み拝見ってところだね、エリナード」
「まぁ、中々だった、と言っておく」
 不満そうなフラメティスにエリナードは笑って頭を下げていた。その頃になってやっとワイルドは息をつく。どうやらベイコンも同じだったらしい。長い吐息が重なって聞こえた。
「ただいま戻りました」
 あれで演習は終了だったのだろう。二人の魔術師共々エリナードが隊長たちの元にやってくる。向こうで指揮を取っていた副官二人が感想戦をはじめていた。
「ミスティは?」
 ベイコンの問いにエリナードは楽しそうに笑う。一応の所属部隊こそ爪隊なのだが、彼は持ち前の明るさでベイコンともすっかり親しくなっている。
「まだですよ。あいつは結果待ちなんで、もう少し時間かかるでしょう」
「エリナードよ。お前はどうだったんだ」
「そうだ、そうだ。聞かせろよ」
 代理を務めていた魔導師たちはエリナードの先輩格に当たるのだろう。遠慮もなにもあったものではない。ここは騎士団で報告が先だ、そう思っても言えないのだろうエリナードにエンデが小さく微笑む。気にするなと。それに頭を下げて彼は誇らしげに魔導師を振り返る。
「突破してきましたよ。当然じゃないですか」
「背負ってるねぇ」
「だって俺は師匠の弟子ですからね」
 胸を張るエリナードにロレンスは思わず微笑んでいた。どうやらワイルドは彼が年上だと聞いてずいぶんと衝撃的だったらしい――実際、彼はどうあっても年下にしか見えない――がロレンスは意外と気にならなかった。ワイルドも気楽に接していいという点だけは気にしていないらしいのだが、ならば何が気にかかっているのだろうとロレンスは不思議だ。あるいは先ほどベイコンに言っていた戯言は、本心だったのか。そんなことをちらりと思った。
「もう何度かお前は試練を突破しているだろう。ならばフェリクス師に嘆願すればよかろうに」
 フラメティスが重々しく言う。ワイルドは何度か、と聞いて驚く。それほどの実力の持ち主だったのかと。同時にフェリクスの思いを受け取った気分でもあった。有能な弟子、我が子と呼ぶエリナードを竜騎士団に寄越してくれた彼の気持ち。「親友の孫」の一言で見守られていた自分。知らずぎゅっと拳を握っていた。
「なんですか、一人前にしてくれって? そんなことできませんよ」
「なんでだよ? 我が儘言えばいいだろうにさ。フェリクス師はお前には甘いだろう」
「セリス師もフラン師も。よく考えてくださいよ。俺がそんな我が儘言ったら、師匠はどうすると思います?」
「……非常に気色悪い想像だが」
「ものすごくお喜びになる気が、するな。私も」
「でしょう? 俺はそこまで親孝行じゃないんですよ」
 苦笑するエリナードが照れて髪をかき上げる。鮮やかな金髪がそれでも風になびき、煩わしそうに首を振るたびきらきらと輝く。
「なんだ?」
 不意にロレンスに問われ、ワイルドは目を瞬く。訝しそうな、けれど少しばかり照れたようなロレンスの目。エリナードと同じよう、金髪が風に揺れていた。
「いや……。何がだ?」
「見られた気がしたが。金髪は珍しくはないだろう?」
「そりゃあんたが宮廷に近いところにいるからだ。上つ方々には多いがな。俺ら階級だとそうでもないぜ」
 肩をすくめるワイルドにベイコンが同調していた。エンデまで苦笑している。彼らとの間に溝があるのだと改めてロレンスは痛みを感じる。寂しいのかもしれなかった。その痛みに囚われて、ワイルドがなぜ自分を見ていたのかを彼は失念した。




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