まるで頃合を見計らっていたかのようだった。あるいは本当に見計らっていたのかもしれないが。エリナードが我慢しがたいと言うよう、話を戻します、と大きな声で宣言をしていた。 「だからね、エリィ。あなたは――」 「師匠が俺を巻き込みたくないんだってのは、理解してますよ。でも俺ももう子供じゃない。ホーンウィッツ伯爵家って名前に聞き覚えがあるんですよ、俺は」 フェリクスに最後まで言わせずエリナードは言い放つ。そのとおりだな、とカロルが小さく笑っていた。 「あの事故のことだな?」 「はい、カロル師。つまり俺は、あれの裏側に何があったのかももう知ってますよってことです」 「馬鹿弟子。諦めな。テメェの弟子はガキじゃねェよ」 ひらりと手を振るカロルにフェリクスが思い切り嫌な顔をしていた。騎士たちはあまりにも剣呑な表情にここで騒動が起こるのではないかと疑ったほど。だがフェリクスはそれから長い溜息をついてエリナードに座るよう示しただけだった。 「まず確かめさせてください。誰がどこまで何を知ってるんですか、師匠」 「この二人がまだ隠し事をしてるんじゃなかったら全員知るべきことは全部知ってるよ」 「つまり――」 エリナードはワイルドを見つめる。じっと藍色の目に見つめられて居心地の悪そうなワイルドをロレンスがちらりと見やっては唇を噛む。そんな姿にエリナードは内心で肩をすくめた。 「俺の、身の上話なら、ロレンスも知ってる」 言いつつエリナードはすでに知っていたのだとワイルドは気づいた。そしていままで知らないふりをし続けてくれていた。口の堅さは折り紙付きらしい。思わず浮かんだ笑みにエリナードは何気なく了解し、二人の師がにやにやと笑った。 「じゃあ、とりあえず伯爵家のことからにしますか。お二人にはなんのことだか、わからないでしょ?」 何事もなかったかのようエリナードが笑いかけてくる。呆気にとられているのだろう、ロレンスがこくりとうなずいていた。 「あぁ……そうだ。ロレンス、こちらは――」 「いや、知ってる。何度か宮廷でお目にかかったことがあるから」 そうか、うなずきつつワイルドは隣に座しているはずのロレンスとの間に溝を見た気分だった。公爵家の嫡子であるロレンス。宮廷の式典に列席することも多々あるのだろう。ワイルドは一度か二度だ。それも国王の尊顔など拝めようほどもない、遠くから。きっとロレンスは王の側近くで列席していたのだろう。 「……それほど宮廷と言うのもよいところではないぞ」 ぼそりとしたロレンスの声。何を言われているかわからなかったワイルドは目を瞬く。そしてそれほど羨ましげだったかと苦笑した。そんなものではなかったのだけれど。 「いいですか? じゃあ……あの事故のことから話すのが、早いかな……。いいですよね、師匠?」 いいよ。呟くフェリクスの不機嫌そうな顔。ロレンスはそちらを見ていた。師として弟子をこんなことに巻き込みたくはない、そう体中で叫んでいる彼が羨ましい気すらして。自分は公爵家の嫡子として大事にされてはいるけれど、ならばアルバート本人としてならどうなのだろう。いまになってそんなことを思う。けれどちらりと横を見やればワイルドがいる。大事な友がそこにいる。思わず浮かんだ笑みにワイルドが訝しげに、それでもかすかに笑い返してくれた。 「――二十年くらい前かな。この子と、もう一人の弟子が事故に合わされてね。中庭で実験中だったんだけど。そこに意図的に事故を起こさせるよう仕組んだ騎士がいたんだ」 いまでも腹立たしい。フェリクスは隠さずそう言う。二人にもそれがホーンウィッツ伯爵のしたことだと理解できるように。 「もちろん、伯爵個人がどうのじゃない。当時の彼は王子の一番の寵臣で、後援者だったからね。そちらの意志と思って間違いない。あちらは魔法が嫌いで、死ねばいいのにって起こされた事故だったから」 つい、とフェリクスが手を伸ばし、エリナードの手を取った。苦笑しつつされるままな弟子。悔いているのだろう、あのフェリクスが。弟子を守り切れなかったと。二人の騎士にして、それは微笑ましいような情景だった。 「危ないところでね、助かったけど。この子も、もう一人も。あとちょっとで死ぬところだった。助けられたのは、本当にただの偶然でしかなかったんだ」 「……なに?」 「そう言う事故を僕の手の届くところで画策するような男なんだよ、あれは。こっちも黙ってられないからね。反撃はした。宮廷で笑いものにして、叩き潰した。結果――」 「王子からは馬鹿にされて使えねェ野郎と見做されてホーンウィッツは今に至る。権力もなんもかも剥ぎ取られてな」 それでか、とロレンスはうなずく思いでいた。確かにホーンウィッツ伯爵が陰謀の影にいると言われてもロレンスは納得しがたく思っていた。それだけホーンウィッツが持つ影響力は少ない、むしろないに等しい。 「あれで権威を失ったせいだろうね、あなたが伯爵家で従騎士になれたのは。ちょっと家柄的に無理があるけど、当時の彼だったら受け入れたかもしれない。従騎士になったのはいつ?」 「十七年前、ですかね。俺が十四歳だったから」 「ちょうど時間も合うね。なら、それで正解だ」 王子の寵を失った伯爵だから、受け入れた。そう言われてもワイルドは少しも驚かなかった。かえってすっきりと納得したほど。いくら父が奔走したとはいえ、伯爵家に下級騎士の子が入るのはいくらなんでも無理があると思っていた。あちらの事情、とあれば納得もできる。 「幸いだったな、ワイルド。伯爵がどうであれ、君を受け入れてくれたからこそ、私たちは出会うことができた。そうだろう?」 「まぁ、そうとも言うかねぇ」 「何が不満なんだ、君は!」 はぐらかしたワイルドをちらりとフェリクスが笑い、思わせぶりにエリナードを見やる。彼は相手にしないとの表明か、完全に違うほうを向いていた。それにロレンスは瞬く。突如として沸きあがってきた羞恥心。こんなことを言っている場合ではなかったと咳払いをして話を戻した。 「二十年ほど前に失脚か……。ならば私が知らないのも無理はない、かな。いや、待て。エリナード。君はいったい幾つから星花宮にいるんだ。ずいぶん幼すぎないか」 はたと気づいたロレンスだった。それにワイルドもあっと息を飲む。星花宮の魔導師の弟子ともなればそう言うものなのかもしれないが、それにしても幼すぎる。当時の彼はまだ五歳にもなっていなかったのではないだろうかと。 「実際には二十年ちょっと前ですね。俺が十二歳でしたから。まぁ、確かに弟子としては若いほうでしたよ」 「あの世代だと随一に若かったよね。まだほんとにちっちゃくて可愛かったのに。こんなに大きくなって」 「まだ師匠より背も低かったですしね」 長閑に言葉を交わす師弟にカロルが低く笑う。どうやらフェリクスは殊の外浮世離れしているらしい。カロルのほうがまだ物慣れているのだろう。 「魔術師ってなァこういうもんだぜ。エリナード、テメェいま幾つだ」 「三十四ですよ」 「まだまだ小僧だよなァ」 「師匠がたに比べればね」 肩をすくめたエリナードをロレンスとワイルド、二人してまじまじと見つめる。その視線に気づいたのだろう彼が不思議そうに小首をかしげた。 「いや……君が、年上だとは思わなかった、だけだ」 「所詮は弟子の身ですから。カロル師も仰ってましたけど、魔術師としてはまだまだ――」 「毛の生えかけた小僧だよな」 「……って、カロル師! それはいくらなんでも品がないですよ」 「そうだよね。ちゃんと生え――」 言いかけたフェリクスの喉に腕をまわし、口許を反対の手で押さえると言う弟子の暴挙。わかっていたのだろうフェリクスはされるままになって笑っていた。 「なので年齢どうのは気にしないでください。気にしてもらうべきなら最初に言ってますし。ちなみにミスティは俺よりけっこう年上です」 くらくらとした眩暈を感じつつロレンスは笑う。魔術師たちが外見と実際の年齢が一致していなくとも見た目どおりに扱って構わないと言っている。ならばそれでいい。 「なんだか、気が楽になってきたよ、私は」 「そう、か?」 「あぁ、我々だけならばもっと思いつめていたような気がしないか、ワイルド」 すでに思いつめているとは言えなくてワイルドは肩をすくめる。鋭く気づいたロレンスの厳しい眼差し。 「最善の努力はする」 小声で言えばそれでいいとうなずかれた。さも満足げで、そちらのほうがずっとささくれた気分になるものを。 「あー、どこまで行ったんだっけか? あぁ、ホーンウィッツが失脚した、までか。でな、だから今回の違和感に繋がってくるわけだ」 「それは、あちらの、魔術師嫌いが?」 「ほう、ロレンスは勘がいいな。さすが帝王学を仕込まれてるだけはある」 「仕込まれてはいませんよ、帝王学は」 カロルに言い返したロレンスに彼はにやりと笑う。本当のことは知っている。それでもそう言うことにしておいてやると。精悍な笑みが女のような美しい唇に浮かべば、それだけでひどく頼もしい気がする。 「テメェは野良魔術師に襲われた。な? だがよ、あの野郎だったら襲撃に魔術師は使わねェ。破落戸だろうが下種だろうがどれほど汚ェ手を使っても、魔術師はねェ」 「だから、ホーンウィッツ伯爵」 「で、決まりだと思うぜ」 「あの男なら、あっちにもう一度可愛がられたいってのが念願だしね。そのためだったらなんでもするでしょ」 「だな」 「師匠……。なんで伯爵は……あ、いや。そうか。はじめから、知ってたのか……」 エリナードがじっとワイルドを見ていた。深い藍色の目が奥の奥まで見透かすよう。不意にそれを見ていたロレンスのほうこそ、胸の奥にざわりとしたものを感じた。 「そうだろうね。たぶん、従騎士として受け入れるときに、ワイルドの素性は知ってたんじゃないの」 「じゃあなんで今までほっといたんです? 正直、ガキのころにバラしちまえば後腐れもないですし。抵抗も最小限で済む。――ロレンス閣下。睨まないでくださいよ、現実問題としてってやつです」 「そんなことは……していたかな?」 そうロレンスに問われても答えられないワイルドだった。睨んでいたのは知っている。が、彼がどんな気持ちでそうしたのかは、わからない。否、友を殺害する話を淡々とされて不快だっただけだろうが。 「それはね、あの頃はまだ王子も小さかったから、だと思うよ」 「なるほどなァ。最近になって殊に出来の悪さが響いて来てっからな。宮廷じゃあんたの話題も出はじめてるぜ、ロレンス」 さっとワイルドは青ざめた。自分などよりよほどロレンスのほうが危険だった。国王の妹を母に持つロレンス。臣下に嫁したとはいえ、王家の血が流れるロレンスを王子に代えて担ぎ出そうと言う輩がすでにいる。震えんばかりのワイルドを三人の魔術師がじっと見ていた。 |