彼の人の下

 正直に言えば思い当たる節があるのならば自分で動いている。ロレンスはそう思う。その不快さが顔に出た。
「そうですね。こちらも手詰まりなので、とりあえずお聞きした、と言うだけのことのようです。何か些細なことでもあればまたお知らせください」
 エリナードはそう微笑んで立ち去る。ミスティも一礼して出て行った。途端に、申し訳なくなる。現状では唯一頼りにできる星花宮だというのに。
 だがその星花宮にもワイルドの素性は言えない。被害が広がるだけのような気がして仕方ない。結果として、傲慢な貴族を演じる羽目になった。
「ロレンス」
「……なんだ」
「俺が言うのもなんだが……あんまり気に病むな。なるようになるさ」
 ならないだろう。とは言えなかった。本当に、手詰まりだ。このまま竜騎士団に秘密を持ち続けることが可能なのだろうか。万が一、暴露された場合。ワイルドは命こそ失わないで済むかもしれないが、立場は失くす。騎士として、それを失えば生命を失うも同義だ。
 悩み続けるロレンスの側にいるのがつらくてワイルドもまた、立ち去った。自分がいなければいいような気すらしてきた。心底、父を恨みたい。
「今更死人に文句を言ってもはじまらんが」
 なぜ自分を生ませた、と言いたくなってしまう。わかっている。子を作ることで、王家の外に血が続いて行く現状を父は作ろうとしていた。それを己の武器となし、のし上がろうとしていた。つくづく不快だ。自分は父の武器ではない、道具ではない。そんな青いことを言うつもりはないが、今になってもまだ死人が祟っていると思えばたまらない気持ちにもなる。
 その夜、エリナードの部屋をワイルドは思案の結果、訪れた。静かに戸を叩けば、何かとんでもないことをしている気分になってくる。扉を開けたエリナードも同感だったらしい。
「もしかして夜這い、なんていう話ではないですよね?」
 にやりと笑うエリナードにワイルドは肩をすくめる。あるいは、こんなことが起こっていなかったのならばあったかもしれない。
「魅力的だとは思ってるがな。そう言う余裕がいまはない」
「そりゃ光栄で。どうぞ」
 本当に光栄だと思っているのかどうか。エリナードの表情からは窺えない。室内は不思議な色合いをしていた。よく見知った騎士館の一室だと言うのに、なぜ。ワイルドはふと気づく。蝋燭の明かりではなかった。青白い燈火が浮かんでいる。
「あぁ、魔法灯火です。ちょっと本を読んでたんで。こっちの明かりのほうが慣れてますから」
「便利なものだな」
「ですね。――茶の一杯も出ないのは愛想がないですが、本題に入りましょうか」
 笑っているのに真剣なエリナードの目。明るいところで見れば深い藍色の目がいまは夜の海のように昏い。ワイルドはためらい、口を開く。
「……手詰まりだと言っただろう? なら、囮をやろうと思う」
 それでわかってくれるかどうか。星花宮は狙われているのはロレンスだ、と思っているはずだ。それなのに自分が囮を申し出ても意味はない。
「いや、俺がロレンスの、なんと言うか……友人だと言うのは、知ってる人間は知っている。と思う。だから――」
「いいですよ。わかりました」
「……本当か?」
 あまりにもあっけないエリナードの答えにワイルドは疑いを持つ。不審を隠さないその眼差しにエリナードは笑った。
「言ったでしょう? 師匠はロレンス閣下を親友のお孫さんだから守りたいって。俺は師匠の弟子ですよ。だから、俺は師匠の手足です。頭の言うことには逆らいませんし、そんな気は毛頭ない。師匠が決めたことなら、俺に異存はありませんから。――だから、詳しい事情なんて俺に言っても無意味です。俺は、弟子ですからね。言われたことしかできませんよ」
 くつくつと喉の奥で笑うエリナードだった。不意にワイルドはぞくりとする。何かはわからない。もしかしたらそれは魔術師に対する違和感と言う名の恐怖であったのかもしれない。だが、助けてもらえるのは星花宮しかなかった。
「では、囮の手はずですが」
「ん……あぁ……。そう、だな。あの事件以来、俺は一応は夜遊びを慎んでるわけだ」
「なるほど。ちょっとうずうずが止まらなくてお出かけ、と」
「人を若造のように言ってくれるな」
 悪戯に睨めば笑い返してくるエリナード。小さくワイルドは苦笑した。こんなことがなければあるいは、と思ったけれどいまはそうは思えなくなった。遊び相手ではなく、友人になれる相手かもしれないと。
「だから、申し訳ないが護衛をしてもらえんか。俺一人で出歩いて魔術師の襲撃を受けたんじゃ目も当てられない」
 囮が襲われっぱなしでは意味がない。そう聞こえるようにワイルドは願う。本当は、違う。狙われているのはこの自分だ。それをエリナードにも言えない。護衛を頼んでおきながら。じくじくと胸が痛む。それなのに彼はにやりと笑った。
「護衛はやってもかまいませんが、同時に騎士団を留守にするのは妙な噂が立ちそうで遠慮したいです」
 言われてみればそのとおりではある。マケインあたりが頭を抱えることになりかねない。ただ、その程度で済むならば済ませたい。言いかけたワイルドをエリナードが阻む。
「それに、俺より適任の護衛がいますんで、そっちに任せましょう。ついでに大っぴらに夜遊びに出る形にしてしまえば、よけいな噂も立ちません。そうでしょう?」
 若い騎士たちからワイルドの話はさんざん聞かされたから、とエリナードは言う。いたたまれないワイルドはただ肩をすくめるだけだった。
「なのでこっちで綺麗どころも用意しますよ。男と女、どっちがいいです?」
「は……? 女?」
「了解しました。色っぽいのと清楚なのでは?」
「ちょっと待て。お前は女衒の真似事もするのか」
「そんなつもりはないんですがね。あんまり好みからかけ離れたのだと、妙でしょう?」
 どうやらエリナードは真剣らしい。やはり魔術師は奇妙な人間だとワイルドは思う。そう腹を括ってしまえばどうと言うこともなかった。ただ遊ぶ相手を品定めするだけだ、と思えばいい。いつものように。娼家の女将にどんな相手がいいか告げるよう、言えばいい。
「わかりました。手配しときます。明日か、明後日の晩かな。向こうにも都合があるかもしれないから。そのつもりでいてください」
 とんとん拍子で話が進む、とはこう言うことか。ワイルドは怪訝な気分になってきた。深刻な話が、お伽噺のようにも感じられ、気づけば笑っている自分。
「その方がいいですよ。事態が動くときは動くものです。なんとかなる、と言うか、なるようにしかなりませんから。うちの師匠の受け売りですけどね」
 ふっと笑ったエリナードに肩の荷が軽くなったとは言わない。それでも少し、気分は楽になった。おとなしく辞去を告げ、眠りについたのはそのせいかもしれない。あの事件以来、久しぶりに熟睡した。
 翌日は何事もなく、その翌日ミスティが所用あって星花宮に戻った。おかげでエリナードは牙部隊の訓練にも参加をして忙しい。あちらの荒っぽい訓練に耐えられているか、気にかかったワイルドだった。
「あの細い体で大丈夫かね」
 思わず呟けば、こちらの訓練の様子を見に来ていたロレンスが訝しげな顔をする。エリナードのことを話せば、なぜか口をつぐんだ。
「もしかして……」
 エリナードと遊んでいるのか。尋ねようとしたけれど言葉にはならなかった。そんなことを聞ける身ではない。言葉を切ったロレンスを更に不審そうにワイルドは見ていた。陽も落ちて、訓練はもう終了だ。騎士たちが散開して騎士館に帰りつつある。なんでもない、と首を振ればそれで納得したのだろうワイルドが執務室に戻っていく。つられるようにしてロレンスまで背を返した。
「なにか、隠し事をしていないか、君は」
 しているが、隠し事なのだから言えない。とはさすがに言いかねる。苦笑するワイルドをじっとロレンスは見ている。間が悪いもので、ちょうどそこに戸が叩かれ、エリナードが戻った。あちらの訓練の報告だろう。室内のどことなく緊迫した空気に一度立ち止まり、それでも何事もなかったかのよう報告をする。
「了解した。ご苦労さん」
 ミスティの仕事まで片付けることになったはずの魔術師は増えた仕事を意に介しもせず元気だった。どれほど体力があるのかと呆れてしまう。
「千客万来だな、まったく」
 またも戸が叩かれ、今度戻ったのはミスティ。星花宮から戻ったにしては顔色が悪かった。室内に一礼しては一歩下がる。客を連れているらしい。
「お久しゅう、可愛らしいお方。お元気でいらっしゃいましたか」
 そこにいたのは目を見張るばかりの美女だった。甘い琥珀色の髪を優雅に結い上げ、ほんのりと笑んだ唇は赤い。しっかりと作り込んだ目許といい、妖艶な美女ではある。が、元の造作が幼いのだろう。その不均衡がなんとも言えず美しい。
「その可愛らしい方、と言うのはやめてほしいですね。もう大人ですよ、俺は」
 彼女の手を取り、エリナードは指先に軽くくちづける。悪戯っぽいやりようが不思議とエリナードには似合っていた。その向こう、ミスティが青くなっていたが。
「いつまで経っても可愛らしい坊やですもの」
「――そんなお年ではないでしょうに」
「女の年齢を詮索するものではなくてよ、あなた。――ご紹介してくださるのは、こちらの方かしら?」
 彼女の目がはっきりとワイルドを見る。いささか無礼なほどに、けれど嫌味ではなかった。ちらりとエリナードを見やれば何気なく肩をすくめる。
「こんな美女と知り合いとは思わなかったな、エリナード」
「俺の知ってる中で一番の美女ですからね。性格にちょっと、問題がありますが」
「そんなことを言うと後で怖くてよ、あなた。でも、いいわ。許して差し上げる。ではまいりましょうか、ワイルド卿」
 どう言う算段になっているのか。問うに問えないワイルドは苦笑して彼女の手を取る。とりあえずどこかで護衛は合流してくれるのだろう、それだけを信じて。
「ワイルド――」
「悪いな、ちょっと遊んでくる」
 振り返ってにやりと笑う。硬いロレンスの口許、そんな場合ではないと言いたいのだろう。ワイルドはそれ以上何を言わせるつもりもなく出て行った。




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