彼の人の下

 動きがなかった。できれば襲撃者はあれで終わりで、もう事件は終結したのだと思ってしまいたい。だがそんなはずはない。ロレンスは狙われたのが己ではなくワイルドであったことでそれを確信している。何かしらの決着を見るまで、決して終わらない。
 だが竜騎士団に結界を張ってもらった影響か、あれ以来動きがないのも事実だ。指揮官も騎士たちも襲撃を警戒して外出は控えている。
 それもまた、苦い事実だとロレンスは騎士館から演習場へと向かいつつ思っていた。現時点で襲撃者は「竜騎士団を襲った」ことになっている。団長もベイコンもそれで通している。騎士たちに真実など言えない。ましてワイルドとロレンスは、団長とベイコンすらも欺いている。彼らは狙われたのはロレンスだと思い込んでいる。違うとは、決して言えない。
 ワイルドが自らの素性を明かすのは論外だ。彼の父の時点で噂話でしかなかったものが、決定的な事実になってしまう。ワイルドは捨てた、と言っていたけれど何らかの証拠が王宮にないとも言いきれない。そこで名乗りを上げたりすれば、最悪次は国王が動く。国家に危機をもたらす芽を摘むと言う大義名分がある。ワイルドは闇から闇に葬られかねない。それだけは断じて許せない。
 だからこそ、密やかにロレンスは動いている。内々に情報を集め、やはり王子は違うのではないかと思う。曖昧な、確信とは言えない情報で警戒は緩められない。
 団長の手もベイコンの手も借りられない。騎士の誰かに相談もできない。ワイルドは己の素性を腹心の部下であるマケインにさえ語っていないと言う。
「巻き込む気はないからな。よけいなことは知らないに限る」
 呟くように言ったワイルドの声の響き。ロレンスはどことなく何かが痛むような気がした。あのような心配りを彼はいったいどこで覚えたのだろう。そんなことを思う。騎士たちと接している彼は豪快で朗らかで、奔放な、少し型破りとも言える騎士だ。
「……変わらない、か」
 思えば従騎士時代もそうだった気がする。不意に繊細な心遣いを見せてくれたワイルド。応じることができなかった自分と共に、思い出す。
 ロレンスは強く首を振って外へと出た。いまは思い出に耽る場合ではない。演習場の片隅で、騎士たちが集っていた。中心にいるのはどうやら二人の魔術師らしい。
「呆れたもんだぜ。なんだあいつは」
 彼らはそれぞれ所属の部隊で早朝の基礎訓練に参加している。なんの冗談だ、と思ったロレンスだったが、彼もまた訓練には参加を続けていたから実際にその目で見てもいる。
 だからこそ、ワイルドの言葉が賞賛だとわかっていた。魔術師のはずの彼らは、いずれも騎士たちに劣らない体力を見せた。さすがに膂力は負けていたが、技術ならば充分。いったい星花宮と言うのはどんなところなのだと思ってしまう。そしていまの段階で頼りにできるのはその星花宮だけだった。
「おう。どうした」
 騎士たちに混ざってワイルドもまた観戦していたらしい。中心で剣をかわしている魔術師二人は非常に楽しそうだ。それを見ている騎士たちも珍しいものに目を輝かせている。二人の剣は鋼ではなく、魔剣。火花にして火花ではないものが散っていた。
「楽しそうだと思ってな。見に来た」
 そんな暇はないと知っているワイルドだ。事件のことだけではない、日常の業務が嫌と言うほどロレンスには伸し掛かっている。その言葉にワイルドはかすかに眉を顰め、小さくうなずいた。動きがないのはわかっている、と言いたげに。
「ちっ。遅ぇわ!」
 騎士団で聞くとは思えない荒い言葉。ワイルドがはっきりと顔を顰めつつ笑う。その目は暴言の主、エリナードを見ていた。水にしか見えない美しい剣を操り、ミスティに斬撃を放つ。
「それは誰のことだ?」
 にやりとしたミスティ。切られた、と思ったときに彼はすでにそこにはいない。あるいははじめからいなかったのかもしれない。
「……な!」
 あっという間に背後を取られたエリナードがうめく。ミスティの、こちらもはっきりと炎とわかる真紅の剣がエリナードの首筋にあった。降参だ、とエリナードが両手を掲げれば、手を放した瞬間に水の剣は溶けて消える。
「お前は詰めが甘い。そんなことでは先が思いやられるな」
「あんたが陰険なだけだ」
「ほう? そう言うことを言うか。なるほどな……。そうか……」
「待て、ミスティ! あんた、なに考えてやがる」
「教えてやると思うのか?」
「そういうところが陰険だって言ってんだ!」
 怒鳴ったエリナードに騎士たちが笑った。若い騎士たちはすっかり魔術師たちに馴染んだらしい。指揮官も笑って眺めていた。
「風紀が乱れるなぁ」
 からからと笑いながら言っているのが指揮官本人なのだから推して知るべしというもの。そんなワイルドにマケインが肩をすくめた。その視線がふ、と正門に向く。見かけない人影があった。ここは騎士団ではあるが、砦ではない。訪問者があっても不思議ではないのだが。
 ロレンスもまた警戒を強めていた。ワイルドがそっと一歩前に出る。ロレンスを庇おうと言うのだろう。唇を引き締め、ロレンスは彼の背を見る。そして無言で並んだ。かすかな溜息。ワイルドが何かを言いかけたとき、エリナードが駆け出して行く。
「……知り合い、だったりするのか?」
 その場に残ったミスティが肩を震わせていた。どうやら警戒する必要はないらしい。問われたミスティは黙ったまま笑いをこらえている。さすがにうなずきはしたが。
 何が起きているのか、と不審な眼差しを向けたロレンスは驚愕するものを目にすることになる。門衛の許可を得て入って来たのだろう男は年の頃は四十代初めか。引き締まった体躯の若々しい男性だ。身なりからすれば貴族ではなく、裕福な商家の主というところ。青年のころの美しさが壮年の優雅さに変化しつつあるその男性の元、エリナードが駆けつける。
「……うわ」
 声を上げたのはミスティ。ついで押し殺した笑い声。訪問者がエリナードを抱き寄せていた。エリナードのほうも身を委ね、互いに頬を寄せあっては何事かを囁き合う。
「少々、大っぴらにすぎないか、あれは?」
 呆れたワイルドの声にロレンスは不満を聞いた気がした。マケインは言っていた、エリナードは彼の好みだろうと。ロレンスは気づけば横目でワイルドを窺っている。はっとして目をそらした。
「ですね。本当に……あの人は」
 くっくと笑いながらミスティがそちらを見ていた。旧知の人物、と言うよりエリナードの恋人なのだろう。訪問者の片手はエリナードの腰を抱き、反対の手で彼の頬を撫でている。その眼差しの優しさ。恋愛経験はないに等しいロレンスだったが、そこに確かな愛情を見たように思う。そして訪問者は軽くエリナードの頬にくちづけをして去って行った。
「愛されているな、エリナード」
 戻ってきた彼をミスティがからかう。おうよ、と返事をしつつエリナードの目は不愉快そうだ。違和感を覚えるロレンスにエリナードはなにも言わない。
「逢い引きが済んだのならば、私の用事を済ませたいのだがな、エリナード。お二人に訓練のことでご相談が」
「逢い引きって言うんじゃねぇよ!」
「他にどう言えと?」
 無下に叩き落としつつミスティはそんなことを言う。少し、不思議ではあった。ミスティが現在所属しているのは牙部隊だ。爪のワイルドに用事はないはず。だがワイルドは心得たとばかりうなずく。
「マケイン、あとを頼む」
 軽く片手を上げれば頼もしいマケインの返答。騎士たちが行ってしまう指揮官に残念そうな顔をした。要領を得ないまま、ロレンスもまた騎士館に逆戻りだ。ワイルドの執務室に入り、人目が絶えるなりエリナードはものすごい勢いで己の頬を拭う。こらえきれなかったミスティが腹を抱えて笑い出していた。
「お二方。説明してくれるんだよな? なんなんだ、さっきのは」
 いつもならばマケインが茶の一杯くらいは淹れてくれるのだが、いまはワイルドがそれをする。そうしつつも困り顔で笑っているから不快ではないのだろう。なにが起こっているかわからないロレンスのほうが不快になりつつあった。
「失礼しました。――さっきの野郎、いえ、男性。あれはうちの馬鹿親父……いや、師匠です」
 ごしごしとさも嫌そうにまだ頬をこすっているエリナードだった。ミスティがそんな彼に手巾を放ってやる。ありがたく拝借したエリナードはどこからともなく水を現し、濡らした手巾で顔ごと拭う。
「師匠? 待て、フェリクス師だと言うのか、君は」
「はい、ロレンス閣下。師匠は変装が得意でして」
 得手不得手と言う問題ではない。あれは完全にフェリクスではなかった。体格も年齢も違う。だがその弟子は己の師だと断言していた。
「うちの師匠は七歳の幼児にも化けられますから。あの程度はお手のものです」
「子供の姿で来ればよかっただろうに。フェリクス師もたちが悪いな」
「まぁな、俺の周りにガキがちょろちょろしてたら師匠だってばれるからよ。そのせいだとは思う。……にしたって……あれはない。悪寒が止まらないったら」
 エリナードは我が身を抱えつつ首を振る。彼は言う、何かと過保護な師で、変装をしてはエリナードの様子を窺いに来るのだと。そしてエリナードの周りにいる子供がフェリクスだと言うのは、知る人は知る情報だ、と言う。
「だからいまは、別の顔が必要だったのだとは、思います」
 なにも恋人の真似ごとをしなくともよかろうに。心の底から嫌がっているエリナードに同情してしまうロレンスをワイルドが苦笑しつつ見ていた。
「別に何をしてくれてもかまわないんですが、俺は元々師匠の浮気相手と言われ続けてるんで。また言われるのかと思うとそちらのほうが厄介なくらいですよ」
「タイラント師にばれないといいな、エリナード」
「……バラしたら、殺す」
「その前にお前が殺されていると思うぞ」
 だろうな、とうなずくエリナードを騎士二人は呆気にとられて見ていた。そして二人、顔を見合わせる。同時に肩をすくめあってしまえばどこか気恥ずかしい。目をそらしたロレンスをワイルドは追わなかった。
「それで、師匠から伝言です」
 す、とエリナードの気配が改まる。姿勢を正す彼にミスティも生真面目な顔を作った。
「王家に動きはない、とのことです。率直に言って王子殿下ではない、と言ってもいいと思う。それが師匠の判断です」
「それは、そうだろうが……いや、ほぼ確定と言うだけで一つ減るか」
「はい。断定できませんが……そこまで上手な方ではないので、殿下は。ですからお二方に質問です。別の心当たりは、ありませんか」
 なにか絞れれば、フェリクスが当たりを付ける。調査はするから情報の切っ掛けが欲しい。持ちかけてくれるフェリクスに、ロレンスは首を振る。ワイルドは答えなかった。




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