彼の人の下

 すでに爪牙両部隊でそれぞれ三度の演習が行われた。そして指揮官の目論見どおり、彼らは完封されることになった。無論、ワイルドもベイコンも負けてやる気などまったくなかった。それでもなお。
 両部隊揃っての演習では大掛かりになり過ぎることもあり、部隊ごとの紅白戦の形を取っていた。マケインが若い騎士たちを率いる。一見してマケイン方の騎士は少ない。転じてワイルドは部隊の精鋭を指揮した。そしてマケインにはロレンスと魔術師の弟子、エリナードがつく。
「簡単に負けてやるのは恥だからな」
 指揮下の騎士ににやりと笑えば当然だと笑い返してくる熟練の男たち。ワイルドは魔術師の怖さを知っている。おそらく指揮下の騎士たちも。だから勝てる見込みは少ない、それでもそこを突破するのが歴戦の腕と言うものでもある。その意気ごみだった彼らがほとんど完膚なきまで叩きのめされた。
「おい、ベイコンよ」
 後日、牙部隊の演習が終わったあとワイルドは深刻そうな顔でベイコンを呼び留めた。珍しく「ハム」と呼ばれなかったことでベイコンもまたその心の奥を知る。
「わかってる」
「そっちもか」
「当たり前だろうが。あれは、なんなんだ。思い切り褒めてるがな、化けもんだろうが」
「同感だ」
 二人とも魔術師が相手方にいる怖さは身に染みている。が、当然にしていままで戦ったことがある相手はいわゆる「市井の魔術師」だ。星花宮の魔術師と戦ったことはない。それがこんなにもありがたい。
 しかもエリナードもミスティもいまだ弟子の身分だと言うのだから恐れ入る。四魔導師が戦場に立てばそれだけで終結を見る、とも噂されているのを話半分に聞いていた騎士たちだ。いま、事実だろうと思う。
 ロレンスもまた、マケインとデクラークという二人の副官の指揮をした。作戦を立てるだけではあったが、それにここまで忠実に従ってくれる騎士というものに身震いを覚える。どれほど鍛錬を重ねればこれほどの機動がかなうのだろう。ワイルドとベイコンの訓練の賜だ、と思う。
「閣下の作戦が素晴らしかったから、ではありますよ」
 エリナードは楽をさせてもらった、と演習後に言った。彼ら魔術師には言ってある。できるだけ負傷者の出ない形で勝ちたいと。それに二人もまた従ってくれた。
 とはいえ、演習中にロレンスは内心で青くなったものだった。さすがに顔には出せない、騎士たちが怯える羽目になる。それほどの魔法をこれでもかと言うほどエリナードは放ち続けていたのだから。二度目になるミスティの時にはエリナードから種明かしをされていたおかげもあってそこまで驚かないで済んだが、それでも信じがたかった。
「あれが幻覚とはな」
 いまロレンスは爪部隊の執務室にいる。部屋の住人は騎士館の前で若い騎士と剣の鍛錬中だ。楽しげな声が聞こえていた。
「いまでもまだ信じられません」
 ロレンスの補佐をしているのはもちろんマケイン。あの光景を隣で見ていた彼にして、その思いでいるらしい。よくわかる、とロレンスはうなずいていた。
「負傷者を出したくない時に使う、幻の呪文なんだそうだ」
 エリナードとミスティが使ったのはそう言うものらしい。あまりにも真に迫っていたが。肌に感じた渦巻く風も、火の熱さも、とても幻だったとは思えない。それでもあれはそこにあるものではなく、実害はないと言えばない、とエリナードは言っていた。
「馬から落ちる、錯乱して仲間に切りかかる、そういう害までは減らせませんがね。直撃するよりはましです」
 それはそうだろう、とロレンスは思う。あの時の魔法が実体を伴っていたとしたならば。つくづくと魔術師のいない騎士団の不安定さが怖い。
「演習だと言うことを鑑みて、世間一般で使われる魔法を撃ちます。いわゆる低階梯の呪文、ですね」
 この程度は市井の魔術師でも腕のいいものならば使う、エリナードは言った。それを易々としてのけただけ、彼は弟子の身であったとしても市井の魔術師など及びもつかない技術をすでに持っている。ミスティもまた。ゆえに、星花宮とはそれだけの技量の持ち主の集団。味方でよかったと思う。今後さらに近くならねばならない、ロレンスは思う。唐突に含み笑いが聞こえた。
「いえ、失礼しました。――隊長が」
 ちらりと窓の外を見やってロレンスは目を丸くする。ワイルドと立ち合っていたのは若い騎士でも熟練のそれでもなく、エリナードだった。さすがに遊んでやっているのがまざまざとわかるけれど、若い騎士ならばエリナードも充分相手になれるのではないかという程度には使えている。
「驚いたな」
 しかも彼は己の魔剣で立ち合っていた。なんとも言い難い美しいそれがワイルドの鋼の剣に弾かれ、切りかかり、また弾かれては戻る。楽しげに舞い躍るようなエリナードの足取り。ワイルドもまた目を細めて遊んでやっていた。
「不穏ですなぁ」
「マケイン、どうした」
「エリナード君は、危ないんですよ。どう見ても隊長の好みでして」
「そう……なのか?」
「ああいう美形は危ないですね。まぁ……素人に手を出すことはしないと一応あの人は言うんですが」
 どこまで本当だかわかったものではない、といかにも嘆かわしげにマケインは言う。演習のおかげでマケインもデクラークも一気にロレンスに馴染んだ。元々指揮官たちより早く親しみを持っていたところにあの指揮だった。今ではすっかりロレンスに懐いている彼らだ。
「最近は、あの事件がありましたからね、隊長も慎んでいるようで。夜遊びをしてませんからそろそろエリナード君には身の回りに気をつけていただかないと。星花宮に申し訳が立たない、なんて言う事態は避けたいですから」
 マケインは笑い話として言ったのだろうがロレンスは冗談ではないと思う。いまここで星花宮を敵にまわすのだけは、それだけは避けたい。エリナードを慈しみ抜いているらしいフェリクスの顔が浮かび、わずかに身を震わせた。
「……隊長も、真面目な恋愛をすればいいのにと思わなくはないんですがね」
 手だけは止めずマケインはぽつりと言う。ロレンスもまた、仕事を続けながら相手をしていた。副官までそう思っているのならば、自分の感想も間違いではなかった、不意にそんなことを思う。離れていた時間の長い友だった。変わってしまったのかもしれないと再会したときには思った。まったく変わっていないのを知った。
「もてるんだから選り取り見取り、と言うのがいつまでも続くわけでもないでしょうし。続かせていいわけでもないでしょう」
「家の存続も、考えねばならないだろうしな」
「隊長は、そこにご興味がないようなんです。ごく幼いころに母君を亡くされて、父君もお若いころに亡くされていますから。縛るものがないのは気楽だ、などと仰る始末です」
 困ったものだとマケインは溜息をつく。彼はワイルドが騎士叙任を受けたときから付き従っている、と聞く。ならばどれほど心配かともロレンスは思う。
「遊び歩かれるのは、心配にもなるだろうな」
「胃が痛いですよ、本当に。――怖い話があるんですよ、閣下」
 にやりとマケインが笑う。だから怖い話ではなく笑い話なのだろう。ロレンスもまた笑みを返して話を促した。思えばマケインは己の隊長の愚痴など言う機会はないだろう。本来ならば同格のデクラークと言い合うのだろうが、生憎と彼は若すぎる。とてもマケインの相手にはなり得ない。
「以前、隊長が交際中の美青年と街を歩いていたんです」
 ほう、と返答をしつつどんな男だったのだろうとロレンスはふと思う。思った自分が少し不安で、強いて見ないふりをした。
「そこで、ごく親しい女性と、出くわしたらしいんですよ」
「……それは、胃が痛いな」
「えぇ、普通なら、です。どういうわけか、この二人が隊長を挟んで意気投合しまして。なぜか結婚したんです」
「……は?」
「ちなみに生まれた子供の名付け親は隊長です」
「意味が、わからん」
「同感です」
 確かに笑い話であり、怖い話だとロレンスは思う。なにがどうなっているのかさっぱりだ。ただ、少し気づいたことはあった。
 ワイルドはどちらとも真剣ではなかった。あるいは、誰とも。マケインですら知らない話らしいけれど、彼にはただ一人心に思う人がいる。もしかしたらその人以外ならば誰でも同じなのかもしれない。また、それを無言のうちに飲み込んでくれる相手としか交際をしないのかもしれない。窓の外、楽しげに笑うワイルドの背中に影を見た気分だった。
 マケインはよほど愚痴が溜まっていたのか、色々と話をしてくれた。日常のワイルドの姿であったり若い騎士の話であったり、様々なことを聞きながらロレンスは仕事を続ける。その心の片隅で、別のことを考えながら。
 あの襲撃事件以後、目立った動きはなかった。ロレンスはそれとなく宮廷に探りを入れている。動くな、とワイルドに厳命されているため、あまり大がかりなことはしていない。本当に自衛のために調べている程度でしかない。
 それでもいままで気にしたこともなかったような情報が集まりつつあった。王子の魔法嫌いはかなり本格的なものらしい。噂話でしかなかったものが現実味を帯びている。騎士団のためには魔術師との連携は必須だが、王子のことを考えればあまり親しくも出来かねる、と言うのが現状だ。
 王子の魔法嫌いが確定しただけあって、ロレンスはやはりあの襲撃は王子の手の者ではないような気がしている。それが誰かとなるといまだ不明としか言いようがないが。
 他にも余談程度のことではあったが、不審はある。ワイルドの話だった。彼が思う人は身分の高い貴族と言っていた。剣の腕をあのワイルドが認めているような口ぶりでもあった。しかも男性、と明言している。
 それなのに、ロレンスの情報網にまったく引っかからない。そこまで有能な男ならば、間違いなく見当程度はつく。だが、いなかった。厳密に言えば、いた。けれど数人はいるその男たちは一長一短、どれもワイルドが好むとは思えない何かしらの欠点があった。腕はいいが傲慢な男など、ワイルドが心を捧げた相手とは思えない。
 あれこれと情報を整理しつつ、己が何をしているのか気づいてロレンスは顔を顰めたものだった。こんなことをしている場合ではないというのに。
 それでもなお、どんな人だろうか。ちらちらと脳裏をよぎって仕方ない。こうして仕事をしていてもなお。
「お、いい腕してるな」
 窓の向こう、若い騎士の手から剣を跳ね飛ばしたエリナード。マケインと同じよう褒めているのだろうワイルドが笑顔で彼に拍手をしていた。




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