彼の人の下

 魔術師との訓練は中期的なものとあって、彼らは騎士館に滞在することになっている。各々自分が所属する予定の部隊の騎士館――エリナードは爪部隊、ミスティは牙部隊――にいた。
 団長が星花宮に気を使ったのだろう、初日の夕食は本館で正餐の形になったけれど、それを若い魔術師たちはそつなくこなす。さすが王城内に本拠があるだけのことはある、妙な感心をするワイルドとベイコンだった。
「マケイン、頼んでいいか?」
 なんと言っても星花宮からの大事な預かり物でもある魔術師だ。何かがあってからでは遅い。騎士たちは当然のように礼儀作法を叩きこまれてはいるけれど、まだ若い者もいる。無礼がないとは言いきれなかったし、エリナードの容貌が容貌だ。隊長としては危なくて放置はできない。
「任せてください」
 にやりと笑う副官は客人の部屋を自分の私室の近くに用意する、そう言う。それでは不埒な振る舞いに及びたいものがいたとしてもなかなか難しい。ワイルドは大笑いをして自分の部屋へと引き取った。
 廊下から蝋燭の束を掴み、一つ火を移しては部屋に入る。燭台の燃えさしを取り除いて新しいものに替えたワイルドは、打って変わった表情をしていた。否、表情その物がなかった。ただじっと蝋燭の明かりを見ている。見てすらいないのかもしれない。溜息もつかずワイルドはどれほどそうしていたことだろう。
「よけいなことを……」
 魔術師たちが張ってくれた結界を思う。エリナードは二つの騎士館と本館。そしてそれを覆うよう、敷地すべてにもう一つ結界を張ったと言った。小さな伏せた椀が三つ、その上を大きな椀で覆ったようなもの、そう説明してくれた。
 通常ならばこの上なくありがたい防備だ。騎士たちは総じて魔法には縁がない。だからこそ、あのような形で不逞魔術師の襲撃を許した。
 いま、その懸念は消えた。自分の部下たちも同僚も、誰一人として最低限この騎士団で襲われることだけは考えなくていい。
 ワイルドは舌打ちをする。ありがたいはずなのに、少しも嬉しくなかった。否、守られるだろう彼らは真実ありがたく思う。結界の展開に団長が同意してくれたことには心から感謝している。だからこそ、考え込んでしまう。
「暗殺者は、どう動く」
 考えるまでもない。この場で襲えないのならば外ですればいいだけのこと。ワイルドは襲撃者の考えが手に取るよう読めていた。
「恨みますよ、父上」
 ようやく唇から洩れだす細く長い吐息。深々としたそれは恨みと言うよりは哀切。じっと顔の前に両手を持ってきて眺める彼はいま、何を考えるのか。
 暗殺者に狙われているのが自分だと、ワイルドは確信していた。あの襲撃の瞬間、確かに不逞魔術師はロレンスではなく、自分が名乗ったのを確かめてから、襲ってきた。間違いなくサジアス・ワイルドをめがけてきた。
 父が襲われるのならばまだわかる。ワイルドは思う。父はノキアス王の庶子だった。公になってはいないことらしいが、知っている人間がいないなどと夢を見てはいない。事実ワイルドの父は公言していたし、父は実母の夫から嫌と言うほど言い聞かされて育ったと言っていた。
「忌々しい……」
 実母の夫と言うのが何を考えてそんなことを吹き込んだのかは知れない。むしろ、わかりたくない。だからこそ、わかっている。妻が産んだ国王の庶子を出世の手蔓にするつもりだったのだろう、その男は。ワイルドはその男がどうなったのかは知らないし、興味もない。それにいまはもう、父も亡くなっている。今更蒸し返すような話ではないはずだ。自分は確かにノキアス王の血を受けてはいるのかもしれない。だが庶子の子に過ぎない身だ。ノキアス王の正嫡であるイェルク王がこの国を立派に治め、そして生まれ正しい王子が健在であるいま、狙われる意味だけはわからない。
 それでも騎士館を、結界を出れば自分一人は確実に狙われる。そのときワイルドと言う男が狙われる意味が明るみに出ることになる。できれば誰にも知られず、竜騎士団の騎士として生を全うしたかったものを。
 ワイルドが貴い身分を望んでなどいないとは、襲撃側は信じてくれないらしい。父が存命であったころから思っていたというのに。自分には下級騎士としてこうしてあるのが分相応、正しい在り方で好む生き方だと。自分は父ではない。あのように届かないものに手を伸ばして嘆き暮らすのだけはしたくない。
「……そうでも、ないか」
 自嘲の笑いが零れる。あの父の子だなと、こんなときには思う。確かに彼もまた届かないものに焦がれてはいるのだから。ふ、とその顔が上がった。扉を叩かれる密やかな音。もちろんマケインでも部下の誰かでもない。彼らはもっと豪快に戸を叩く。
「開いてるよ。どうぞ」
 おおよそエリナードだろうと思った。何か話があるのか、言い忘れでもあったか。あるいはフェリクスから密命でも申し付けられているのか。考えすぎな自分を嘲笑うワイルドの前、扉が開かれては絶句する。
「少し、いいか?」
 自室に招き入れてから、ようやく正気づく。なぜ、ロレンスが。できるだけ、顔を合わせたくなかった。殊に二人きりでは。ベイコンや部下の前ではようやく親しくなった同僚を演じもしよう。エリナードやフェリクスの前では友人の顔も作ろう。けれどしかし。
「あぁ、なんだ?」
 こんな形で二人きりになど、断じてなりたくない。そっけないワイルドをどう思うのかロレンスもまた、緊張の隠せない顔をしていた。
「よかったら、少しどうだ。乳母が不自由だろうと届けてくれてな」
 軽く掲げるのは葡萄酒の瓶。公爵家蔵する葡萄酒ならとんでもないものに違いない。ワイルドは一生口にするはずのないものをありがたく頂戴する。少しでも酒の力が借りたかった。
「さすがに旨いな」
「乳母も気を張ったのだろう。私が苦労していると思っているらしいな。――私は望んで来たのだが」
「父君のとばっちりだと言ってなかったか?」
「それはそうだがな。いくつか所属先を提示された中で竜騎士団を選んだのは私の意志だ。まさかと目を剥かれたがね」
 軍の中でも辺境も辺境、騎士の配属先としてはここより下は歩兵団の指揮官くらいしかない。公爵家の嫡子が赴任するような団では断じてない。提示したほうもさぞかし驚いただろうとワイルドは苦笑していた。
「……君が、いたからな」
 葡萄酒に咳き込みかけ、意思の力でワイルドは平静を保つ。にやりと笑って酒杯を掲げて見せまでした。
「茶化すな。君は、忘れたのか? もう一度、必ず共に戦う場所に来る。私はそう誓ったはずだが」
「……そんなこと、言ってたっけな」
「酷い男もいたものだ。誓いを片時も忘れなかったとは言わないが、私はそれなりに努力はしていたぞ?」
 まさか、とワイルドは笑い飛ばした。事実であったとしても、公爵の失態がなければ叶わなかった現在だ。戯言ではないとしても、子供の夢に違いはない。
「偉いお人の子供は大変だな。なにをするにも色んな面倒が付きまとう」
 ロレンスもワイルドの言いたいことがわかっていた。確かに自分は父の失態のおかげでここにいる。それでも真実、ワイルドと共に訓練をした日々を忘れたことはない。だからこそ、友に問う。
「――率直に聞かせてもらう。あの襲撃者が狙ったのは、君だな?」
「率直すぎるな。なんだ、急に」
「誤魔化すな。私の身分を忘れたのか。その手の噂話を聞いていないと本気で君は思うのか」
「……公爵閣下の、正嫡、か」
「そう言うことだ。ちなみに、恐れ多いことではあるがな、私は王子殿下とは従兄弟の間柄になる」
 臣下の身とあっては関係のないことだ、ともロレンスは断言した。自分は王妹の子であって、公爵家の後嗣だ。王位を狙う意志など断じてないと。
「それを信じてもらえるとは、思っていないがな」
「だからか?」
「なにがだ」
「こんな辺境に飛ばされてきたのが、だ。殿下の目をそらすためか?」
「そらしたくてそれてくださるような目ではない。この団を選んだのは好みだがな、父の失態に乗じたのはその意図だ」
「……王子殿下は、どんな方なんだ」
 所詮は下級騎士の子。王宮のことは雲の上だ。ロレンスはその雲の中に暮らすはずの男。いまは地上に下りてきているだけの男。
「言いにくいな、さすがに」
「つまり、言いにくいようなお方だと言うことか」
「察しがよくて助かる。ただ……不思議もある。殿下は殊の外魔法がお嫌いだ、と聞く。だが」
「襲撃者は、魔術師だった、か」
「そこだ。本当に、殿下か? 殿下であればいいと言うわけではないぞ? ただ、他に目を向けておかないと……」
「危ないからな」
「君がな」
 すぐさま言い返されてワイルドは溜息をつく。わかっている。だから案じてなどくれるな。この命一つ、どうでもいいはずではないか。
「わかっているのか、ワイルド。君は私の友だ。たった一人、私が友と呼んだ男だ。命を投げ捨てるような真似は許さん」
「どうして俺なんぞを友達扱いするかね、あんたは。もっとすごいのが周りにうじゃうじゃいるだろうに」
「知っているか、ワイルド。公爵家の嫡子というのはな、とても魅力的なものらしいぞ。知己に持てば自分の生涯が有利になる、それはそれは魅力的なものらしい」
 皮肉に唇を歪めたロレンスのその表情。薄暗い蝋燭の明かりの中、ワイルドの目には鮮やかだった。紫めいている目はいまは翳って青みが強い。
「なんの打算もなく、生まれも身分も関係なく友と呼んでくれたのはワイルド。君だけだ」
 だから君は我が友だ。そう言うロレンスに過去の己を殴りたいワイルドだった。なぜそんなことを口走ってしまったのか。どうせ交差することのない人生のはずだったものを。
「だからな、ワイルド。頼むから、命を投げ出すような真似は慎んでくれ。私に友を失わせないでくれ。私にできることならば何一つとして惜しみはしない」
「よけいなことはしてくれるなよ」
「ワイルド!」
「あんたが動けば目立つって言ってるんだ。ミオソティス公の嫡子、オフィキナリス子爵が一介の騎士サジアス・ワイルドを庇う? 世間様に噂話は確定ですと言って歩くも同然だろうが」
「あ……」
「なんとかするよ、自力で」
 溜息をつく。今更ながらまたも父を恨む。なぜこの自分にアレクサンダー王の兄王の名などをつけたのかと。名乗るだけで噂話を助長する羽目になると父は思わなかったのか。否、それを狙っていたのだろうと思う。内心で舌打ちをするワイルドをじっとロレンスは見ていた。




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