彼の人の下

 フェリクスが言うよう、エリナードは騎士たちより早く騎士団に戻っていた。出迎えられたワイルドとロレンスは驚く。
「便利なものだな」
 だがロレンスはそれだけを言って微笑んだ。それにエリナードのほっとしたような気配をワイルドは覚える。魔術師として魔力のない人間から気味悪がられたことが彼にはあるのだろう。
 エリナードが戻ったからと言って、あの騒ぎの後だった。今日はとても訓練どころではなくなってしまった。結局、訓練後に団長も交えて指揮官と感想戦をする予定だったものが急遽、別種の作戦会議の模様になる。
「星花宮のエリナードと申します」
 すでにミスティはベイコン隊長によってエンデ団長に引き合わせられていたらしい。室内には二人の隊長とロレンス、そしてエンデに魔術師たち。
「竜騎士団を預かるエンデだ」
 よろしく、と磊落に差し出された手をエリナードは握る。がっしりとした手に不思議と覚える違和感。思えば自分の周囲にはこういう手の持ち主はいないな、などと長閑なことを感じてしまう。
「星花宮のほうでは、なんと言っていたのか聞かせていただけるかな」
 エンデの促しにエリナードは報告をする。フェリクスが現時点では指揮を取って不逞魔術師の尋問に当たっていること、星花宮の情報網をもって裏を探っていること。
「すぐにわかる、とは言えません。あちらも隠すのが商売ですので」
「商売、なのかな?」
「ものが暗殺ですから。正面切ってきましたが、力試しなどではないでしょう。ここに魔術師はいない。それはわかっていることです。ならば力試しの体を取った暗殺以外には考えられません。――とはいえ、外向けの話では不逞魔術師の力試し、に留めておいた方が無難でしょう。わざわざ守備を厳重にしたと知らせてやることもない」
 断言するエリナードにミスティが視線をくれる。そこまで言っていいのかと問うように。エリナードは無言で肩をすくめた。事実は事実と。実際、誰を狙った暗殺だったのかなど、言わなくともその場の全員がロレンスに違いないと理解している。
「エリナード。ならば仕事がある」
「団長閣下に許可とってからだ」
「だったらさっさとやれ」
「……俺が留守の間にあんたがやっとけよな」
 ぼそりと言うエリナードをワイルドが笑う。ロレンスの助けとなる一手と思うからか、ずいぶんと馴染んでくれようとしている騎士だと思う。
「なんの話かね?」
「えぇ。騎士団に、結界を張らせていただけませんか。常人の騎士殿がたや他の誰にも何ら影響はありません。――ただ、星花宮の魔術師以外の魔法を持つものは一切侵入できなくなる」
「団長のご懸念は星花宮に所属するものが暗殺に手を染めていたら、と言うことだろうか」
「いや……そこまでは、言わん」
「絶無、とは言わんが、ありえないとは言ってもいいと思う」
 ミスティの少しばかり考えたような態度。その上で彼はそう言う。エリナードは肩をすくめて絶対にない、と言い切った。
「根拠は、釣り合わないから、ですね。暗殺の報酬と、星花宮で学べる魔法と。秤に乗せて判断するまでもない。少なくとも我々程度の魔法が使えるなら、そう思います」
「絶無ではない、と言ったのはそう言う理由でもある。我々以下の、まだ若い弟子ならばあるいはあり得なくはないか、というところだな。それならばエリナードと私の結界で充分に排除が可能だ」
 魔術師たちの言を団長はじっくりと考えているようだった。ワイルドとしては決断が欲しい。被害を広げる気は毛頭ない。が、言いかねていた。
「珍しいな、蚊トンボ。お前だったら一番に賛成すると思ってたがな」
「うっせぇわ、ハム野郎め。色々あったから考えてるんだ」
「ほっほう。蚊トンボに頭があったとは思わ――」
「よさんか、客人の前で」
 団長の苦笑に隊長たちは笑って詫びた。いい団だな、と魔術師たちは思う。騎士団の堅苦しさがなく、エリナードはやはり居心地がいいと思う。実のところエリナード、人見知りをする。襲撃のせいでそれどころではなかったが、おかげで騎士団には早く馴染めそうだった。
「わかった。よろしくお願いする」
「は。では早速ですが、仕事にかかりますので、監督をしていただけますか?」
 エリナードにエンデがにやりと笑った。監督など必要ないだろう。こちらの感情を慮ってくれたかと言うよう。エリナードはじっと微笑んで立っていた。
「ベイコン、ミスティにつけ。あとの二人はエリナードの監督を」
 は、と声を上げた騎士たち。少しミスティが訝しげな顔をし、ついで微笑む。自分のほうがまともな魔術師に見えているのだと知って。それを感じ取ったエリナードが嫌な顔をした。
「行きましょうか」
 が、さすがにこの場で言い合うのは自重した。あまり無様なところを見せ続けるのは星花宮の評判にかかわるというもの。
「ミスティ。あんたあっちから周ってくれ」
「了解した」
「探知は」
「済んでいないと思うのならば、お前は私を舐めすぎだ」
「へいへい」
 軽く手を振ってエリナードもまた二人の騎士と部屋を出て行く。先ほどまで共にあった騎士たちはエリナードがどんなことをするのか、と興味深そうにしている。否、ロレンスは、だとエリナードは思いなおす。ワイルドはさりげなさを装っているけれど、緊張を隠しきれてはいなかった。
「……ワイルド」
 少し後ろを歩く騎士たちの小声。ロレンスはもちろんワイルドの態度に気づいていたのだとエリナードは苦笑する。
「いや。襲撃後だからな。ぴりぴりしてる。それだけだ」
 そうか、呟くロレンスの声、不満そうで、若さが滲む。そう思う自分をエリナードは内心で苦笑していた。
「さて、ここでいいですね」
 本館の前庭だった。見ればミスティはもう待機している。遅いぞ、と言わんばかりの彼の眼差しにエリナードではなく騎士たちが苦笑する。
 そして騎士たちの前、エリナードとミスティの詠唱がはじまった。細く聞き取りにくい声。抑揚と旋律を伴った呪文。二人の声が同時に途切れ、そして本館がぽう、と光り輝いては一瞬で消えた。
「次、行きます」
 ミスティはさっさと牙部隊のほうへと歩いて行った。ベイコンが呆れたよう肩をすくめてついて行く。当然エリナードは爪部隊の騎士館担当だ。
 同じようにして騎士館もまた魔法に包まれる。ロレンスが視線を向けた先、牙部隊の騎士館も仄かに輝いて消えた。
「綺麗なもんだな」
「なにが……いや、魔法がだな。あぁ、そう思う」
「ロレンス?」
 ワイルドの戸惑いの声。ロレンスは黙って首を振った。綺麗なのは何か、本当にわからなかった自分を彼は思う。それだけ、エリナードに見惚れていた。鮮やかな金髪が風になびく。ほんのりと伏せられた藍色の目。引き締まった唇が魔法を紡ぐさま。現実離れして美しい青年と言うのはいるものだと思って見ていた。ワイルドもまた、それを見ているのだとばかり、思っていた。
「美しい青年だと思って見ていた」
 まだ仕事があるのだろう、前を歩くエリナードがつまづいた。驚いて振り返った彼はなんとも言い難い顔をしている。
「あまり真っ直ぐ褒めないでください。居心地が悪くなりますから」
「それでも君は美しいのは否定はしないんだな」
「……あぁ、そうですね。言われ慣れているので」
 自慢げでも傲慢でもない。単なる事実。ロレンスは呆れて笑う。本当に彼は何度となくそう言われているのだろうなと思ってしまった。
「実際、一番多く言ってるのはうちの師匠ですがね」
「ほう?」
「小さなころからそうですよ。可愛いんだから悪い大人に気をつけなさい、綺麗な顔なんだから、変な人に捕まったらどうするの。呆れるほど言われてますね」
「フェリクス師が、か?」
 歩きながらエリナードは笑う。外の人はみなそうだな、と。誰もフェリクスの心を知らない。師は師で悪評を助長するところがあるから致し方ないが。
「口うるさい母親みたいなところもありますよ、あの人は」
 意外だ、呟くロレンスにワイルドが何事かを問うている。ロレンスはそれほど知らないから所詮は噂話、と小声で言うからおおよそフェリクスのことだろう。
 やはり高位の貴族の子弟としてロレンスは星花宮の話も聞き及んでいるらしい。だがワイルドは下級騎士。宮廷の噂話には縁がない、それをエリナードは確認していた。
 だからこそ、怖い。真実、標的になっているのが誰なのか彼はわかるだろうか。訓練の名目で派遣されてきたエリナードではある。だがしかし、はじめからフェリクスの画策であった気がしてならない。竜騎士団から申し出があったのは渡りに船だったのかと。
 フェリクスとの会談を終え、エリナードは師から何を命ぜられたのか、わかっている。口にはされていない。それでもわかる。ワイルドを守れ。フェリクスの、それが厳命だ。
 ――なかなか難しいこと言ってくれるよな。だいたい、ご本人は自分の血を知ってるのかどうか。
 内心で呟けば、向こうからミスティの訝しげな思考が届く。仕事が遅いと思っていたら考え事か、そんな皮肉めいた声まで聞こえた。
 エリナードはいい加減に返事をして心を引き締める。これはミスティにもおそらくは言わない方がいいことだろう。
 ――馬鹿を言うな。うちの師匠から中継があった。聞かされてはいるぞ。腰が抜けるかと思ったがな。
 途端に飛んできた声。エリナードのほうが腰を抜かしそうになる。とすれば、フェリクスと話していた内容をメロール・カロリナが要約し、ミスティに聞かせた、と言うことになる。心強く思えばいいのか、情報の拡散を心配すればいいのかわからなくなった。
 ――そのあたりの心配事は師匠たちに任せたらどうだ。まずは自分の仕事をするんだな、エリナード。
「はいはい、仕事しますよ、仕事」
 思わず肉声で返答してしまった愚かさ。天を仰げば敷地の反対側からこちらに届けと言わんばかりの哄笑が聞こえる。
「エリナード。なにかあったのか」
「いえ……。仕事が遅いとミスティに大笑いされただけです」
 力なく笑うエリナードをワイルドが笑う。巷の噂話程度でしか知らないことではあるが、あの氷帝の弟子らしい傍若無人さを見せた彼にしていささかミスティには弱いらしい、そう思えば今後が少し楽しみで、そう思うぶん、不安は募る。
 竜騎士団の騎士としてここに過ごした歳月。失った部下たち、是非とも失いたかった同僚。それでもなお、ワイルドにとってここはまるで故郷のように大切な場所。彼は心の内側でだけぽつりと零す。失うのか、と。




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