彼の人の下

 なにかわかれば随時連絡をする、と言うことで騎士たちはうなずいてくれた。代わりにこちらでも調べはする、と言うのをフェリクスは断る。ロレンスが動けば目立ちすぎると。
「ワイルド隊長のほうがましだけど。でもあなたは――」
「伝手がありませんね」
「でしょ? 裏社会のことだったら僕らも一応は押さえてるし。任せてくれると嬉しい」
 それにワイルドは頼みます、と頭を下げた。ロレンスが心配でならない。そんな態度に心配されている当人が少しばかりくすぐったそうな顔をした。
「じゃあ、引き止めてごめんね。あぁ、そうだ。この子、ちょっと貸してくれる? ちゃんと手当てしてあげたいんだ。終わったら転移させるから、あなたがたが戻るのにそれほど遅れないと思う」
「もちろんです。フェリクス師はお優しくてあられるな」
「……えぇ、そう思います」
「ちょっとエリィ? いま間があった気がしたんだけど?」
「ねぇですよ!」
 言い合う師弟を背中において騎士たちは帰っていく。その気配が消えた途端、エリナードの目が変わった。何気なくフェリクスの手を取り、じっとその目を覗き込む。
「師匠。嘘つきましたね?」
「なんのこと?」
「白々しいって言葉、知ってます? 別に言えないんだったらかまいませんよ。ただ俺は気づきましたよってだけですから」
 にやりと笑う己の弟子にフェリクスは溜息をつく。ぎゅっと手を握り返し、ほどいては座る。エリナードは黙って茶を淹れ直しては師に差し出した。
「……エリィ」
「なんですか」
「あなた、襲撃をどう見たの」
 不逞魔術師の襲撃現場に居合わせたエリナードだ。竜騎士団に赴く途次、不穏な気配を感じて跳んだ。そして戦闘で封じた魔術師。
「見ればいいじゃないですか。俺は気にしませんよ?」
 騎士たちの前で言ったことは嘘だ。否、嘘ではない。フェリクスがエリナードの精神に手を伸ばし強引に見ようとすればエリナードに隠す手立てはなにもない。だがたとえそうしたとしてもエリナードは拒まない。特段いやだとも思わない。無論、フェリクス以外の誰にされても不愉快極まりないが、二人の間では日常的な会話手段に過ぎない。星花宮の中にあってすらそれは狂気の沙汰と思われているが。
「……あなたの所感が、聞きたい。とりあえずはね」
 つまりそれは自分が見る前にエリナードがどう判断したのか聞かせろ、と言うことだった。実際エリナードは不審を感じてもいた。
「師匠も騎士さんたちもロレンス参謀が狙われた前提で話してましたけどね。俺はそこが不思議で」
「たとえば?」
「あの場にはさっきの二人と、それと指揮官だったらベイコン隊長ってお人。その三人がいた。他にも雑用したりしてるのもいるだろうから……」
「エリィ、話が長い」
「へいへい。要するにほぼ全騎士がいたわけですよ。なのになんでロレンス参謀一人?」
「それは彼が公爵の嫡子だから、でしょ」
「そりゃそうですけどね。でも――違和感があった。あの魔術師が狙ったのは、あのお人じゃない」
「……誰だと、あなたは思うの」
「師匠。先に見てください。俺の影響受ける前に、見てください。ちょっと怖くなってきた」
「なにそれ。僕が判断狂わすとでも思ってるの、あなた」
 文句を言いつつ隣に座りなおしたエリナードにフェリクスは手を伸ばした。彼ほどの魔術師ともなれば物理接触は不要の一言に尽きる。それでも触れるのはきっと、何より大事な息子だから。
 そしてフェリクスはエリナードが見聞きしたものを見て、感じた。聞いて、判断した。ゆっくりと彼の精神から手を引き、エリナードの藍色の目を見つめる。
「あなたの答えは?」
「俺は、ワイルド隊長だと思いました」
「残念。僕もだよ。狙われたのは、彼の方だね……。まいったな」
 ぽつりと呟くフェリクスにエリナードは席を立とうとする。ここから先は自分が聞くべきことではないのだろうと。だが咄嗟にフェリクスはその手を掴んで止めた。
「あっちに行くのはあなただからね。聞いておいて。その代わり――」
「秘密厳守で? 了解です」
「にやにやしないの。厳守って言うよりね、このことが片付いたらあなたであっても忘れてほしい問題なんだよね。あなたも危なくなるし」
 本当にこの師匠は。エリナードが苦笑する。それを見咎めたフェリクスに微笑んでエリナードは肩をすくめる。
「問題があるならあとで記憶の封印なりなんなりしてください。俺はかまいませんよ」
「かまうのは僕なんだよ、わかってるの、エリィ。あなたにそんなことしたくないんだよ、僕は」
 エリナードの胸の奥がきゅっとする。もうずいぶん昔になるけれど、こうしてこの師に救われて歩いてきた命。いまでもまだ温かい師の手。
「あとの心配は、後にしましょうよ。とりあえず騎士さんたちの件、片づけちまわねぇと」
「だね」
 言いつつまだためらっているフェリクスをエリナードはじっと待っていた。騎士たちの命が不安ではある。それでもいまフェリクスが案じているのは弟子の命のほうだろうとエリナードは確信していた。
「ちょっとした昔話なんだけどね。ノキアスにね、昔好きな子がいたんだよ」
「はい!?」
 なぜ唐突に先代国王陛下の名が。瞬くエリナードに気づいていてもフェリクスは見なかったふりをした。
「もうちゃんと王妃もいたんだけどね。でも好きなものは好きで、しょうがないじゃない? 城の侍女に上がっていた貴族の娘でね。行儀見習いの面もあったみたい」
「それでご側室に……なんて話は聞かねぇですね」
「だったら話は簡単なんだけどね。ノキアスはその子が自分の思いを受け入れてくれたって舞い上がってたんだけど……。ちょっとね、気の弱い子って言うかね。婚約者がいたの、言えなかったんだ、その子は」
「まぁ、相手は王様ですし。断ったら首が飛ぶかも、とか思っても」
「ノキアスはそんなことしない……けどね、そう思う子も、いても不思議じゃないよね。まぁ、そう言うことなんだよ」
「それが王様の悲恋、ですか?」
「ご冗談。それだけだったらノキアスが振られた笑い話だよ」
 フェリクスだったら本当に笑い話にしかねない。ぞっとしてしまったエリナードだったけれど、もしかしたら友人でもある王を励ますために彼はそうするのかもしれない、ふとそんなことを思う。眼差しに気づいたフェリクスが買いかぶり過ぎだよ、と笑った。
「ノキアスはね、その子に婚約者がいるのなら戻っていいって言ったんだ。潔く身を引いた、つもりだと思う。婚約者がちょっと騒ぎを起こしそうでもあったし」
「あぁ、そう言う男か」
「まぁね。そう言う男だったわけ、その婚約者は。だから、問題が起きた」
「ちょっと待ってください、師匠。もしかして」
「そのとおり。その子はすでに身籠ってたんだ。それもノキアスには言えなくて、婚約者にも言えなかった。判明したのは婚約者と結婚した後のこと」
「こう……体つきが変わって初めて発覚、と」
「どうやっても計算が合わなくてね。これは誰の種だ、って話にやっぱりね、なって。もちろん一人しかいない」
 うわ、とエリナードが声を上げた。生まれてくる子には何のかかわりもない話だ。けれど、生まれた瞬間から面倒を背負い込んだ子でもある。
「それほど家格が高い家柄じゃなかったのが幸い。奥方様は婚儀から続く緊張でお疲れになって静養中ってことにしてこっそり産み落としたんだ、ノキアスの庶子をね」
「……その子は」
「表沙汰にできる子じゃないからね」
「そんな、師匠……」
「ちょっとエリィ? いくらなんでも酷くない? 僕は赤ん坊を殺すような男なわけ?」
 弟子を悪戯に睨みフェリクスは笑う。それにエリナードが緊張を解いた。まだだ、とフェリクスの疲れた眼差しに出会ってしまったけれど。
「その母親から僕が預かれればよかったんだけどね、そうもいかなくて。結局、その男の目の届くところに養子にやられたの」
「それじゃ、意味がない……」
「まぁね。男は利用する気満々だったしね。幸い養家のほうはそんな気がまったくなくてね、僕が選んでもそう言う家に頼んだなって人だったんだけど」
「でも男の目があった。もちろん子供に接触も?」
「してたみたいだね。と言うか、してたね。お前は陛下のお子だ、こんなところで燻ってるような身分じゃない。いまは時期を待って、誰にも言わないで力を溜めるんだ。――これって子供に言うようなこと? ほんと、叩き殺してやりたいよ」
 不幸中の幸いは男が長生きできなかったことだ、とフェリクスは言う。事故死と聞いているが不審は嫌と言うほどあるとも言った。
「ただね、子供のほうはもう自分の出自を知っちゃってたからね。今更忘れてってわけにもいかないし。精神をいじるのはさすがにちょっとね、問題があるし」
 成功すればよい――倫理的にはよくないが――けれど失敗すれば相手は確実に廃人になる。気安く使える魔法では断じてない。
「それでもいままでは問題が起きなかった、と。でも今になって噴出した? その庶子殿は、いま幾つくらいなんです。少なくとも、イェルク陛下と似たり寄ったりか……」
「あぁ、その子ももう亡くなってるんだ。これは純粋に病死。酒がね、過ぎて。不満ばっかりだったんだと思う、色々とね」
「だったら……」
「あなたは言ったじゃない、イェルクと同じくらいでしょって。だったら貴族の家柄なんだし、子供がいても不思議じゃないでしょ、と言うか、いるはずでしょ」
「まさか、師匠――」
「そう言うこと。サジアス・ワイルドは、ノキアスの庶孫だよ」
 だからか。不思議とエリナードは何一つ疑問なく納得した。ワイルドが狙われた理由、それはイェルク王に近い血を受けているから。ロレンスも血の近さで言うならば同じだ。だが彼は政治的に抹殺することが可能。だがワイルドは。
「察しがいいね、エリィ。あの子は、真っ直ぐに命を狙われる。誰に?」
 声に出しそうになった答え。そっとフェリクスの指が唇に触れた。わかっているのならばいい。口にはするなと。そのまま黙ってエリナードはうなずいていた。




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