彼の人の下

 さて、とフェリクスが居住まいを正す。ここまでは雑談だ、これから真面目な話をするにあたって充分落ち着くための時間は与えたとでも言うように。師の佇まいの変化にエリナードもまた一礼して師の傍らに腰を下ろした。
「あちらの尋問もするけどね。一応、心当たりがあったら聞かせてほしいんだ」
 不逞魔術師が竜騎士団を襲った理由。聞きたいのはこちらだ、とワイルドは思う。いまだかつて侵入者などいない、とまでは言わないがここまではっきりと暗殺の手が差し向けられたことはない。少なくとも彼が知る限りは。
「ん、あなたにはありそうなのかな。ロレンス参謀と言うべきかオフィキナリス子爵と言うべきか迷うけど」
「参謀で結構。いまの私は竜騎士団の一騎士にすぎません」
 言いつつロレンスは苦笑する。が、ワイルドは見てとる。充分すぎるほど不快さが込められている笑みだと。一瞬はフェリクスに対するものかと思った。すぐさま否定する。
「ロレンス」
「いや……正直に言えば、あると言うわけではない。心当たりがあり過ぎてわからない、と言うのが偽りのない感想だ」
「……なるほどな」
 公爵の嫡子ともなればこうして狙われることなどあるいは日常茶飯事なのかもしれない。背筋が寒くなるような話だとワイルドは思う。かつて訓練を共にした仲だからこそ、そう感じるのかもしれない。あの頃のロレンスはただ真っ直ぐな騎士でありたがっていたものを。
「――エリィ」
「はい、師匠。――先ほど我が師が封印をせよ、と仰せになりましたが。この部屋での会談は一切外に漏れることはないと思っていただいて構いません。立ち聞きもできませんし」
「だからね、心当たりの一番の部分をできれば聞かせてほしいんだ。僕らにも対処できる可能性が出てくるからね」
「対処、ですか」
「そうだよ? なにもごろつきに襲われて死にたいわけじゃないんでしょ。だったら守りの手はいくらあってもいいとは思わない? それとも、魔術師の手を借りるのは、嫌?」
 卑怯だな、とエリナードは内心で苦笑している。フェリクスは彼の師でありながら、精々最大に見積もっても二十代半ばにしか見えない。ともすれば十代後半にも見えかねない容貌だ。しかも元々童顔と来ている。加えて闇エルフの血を引くこの魔術師は、こんな時にどんな表情が最も効果的なのか知っている気がしてならない。助けの手を拒まないで、と懇願する眼差し。あどけないとすら言い得るその目。小さく笑ったのはロレンスだった。ワイルドは闇エルフの子の血筋の方に当てられたらしい、居心地が悪そうに身じろいでいる。優しげな騎士殿だがロレンスのほうが豪胆なのか、とエリナードは観察していた。
「とんでもない。魔法による攻撃から我々騎士は身の守りようがない。あなたがたの手をなんとしても借りる必要がある。だからこそ、騎士団にご助力願った。その私があなたの手を拒む? あり得ませんよ」
「だよね、よかった」
 ふっとフェリクスの態度が常態に戻る。苦笑するのはエリナード一人。騎士二人はなにか惑わされでもしたのか、そんな顔をして目を見かわしていた。
「――ためらった理由は、軽々しく口にしてよいことでもないから、ですよ。フェリクス師。おそらくは、我が母のことでしょう」
「そっち? ヴィーナはいい子だよ?」
 その途端だった。ロレンスがぎょっとして咳き込んだのは。話の流れとしてフェリクスがヴィーナと呼んだのは彼の母のことだろうとエリナードは見当を付ける。ワイルドに目顔で尋ねれば知るかとばかりそっぽを向かれたが。
「あなたは……!」
「あぁ、あのね、あなたがた。僕を幾つだと思ってるの? 小さなヴィーナの遊び相手をしたことだってあるよ、そりゃね」
「あー、師匠?」
「なに、まだわからないの? ヴィーナはイェルクの妹だよ。だから参謀殿は僕の友達の孫だね。大事な親友の孫だもの、気にはかけてるよ、当然」
 当代の国王を呼び捨てられた騎士たちがどう出るか、エリナードはそれが気がかりだ。はっとしてそちらを見やったが驚愕が過ぎてそれどころではなかったらしいとほっとする。
「ご親友の……孫?」
「そう。イェルクのお父さん。ノキアス王は僕の親友だったからね」
「……確かに、ご親友の孫に当たりますね、私は」
 だろう、とフェリクスが首をかしげた。彼としてはとんでもないことを言っているつもりは微塵もないのだとワイルドは思う。だが精根尽き果てそうだ、と騎士たるワイルドは思う。こほり、とロレンスが咳払いをして背筋を伸ばした。
「ワイルド、これから話すことは――」
「水臭いことを言うな。わざわざ口止めされるのは侮辱と解釈するぞ?」
「すまん」
 ふ、と微笑むロレンスからワイルドは目をそらす。自分で言ったことに照れでもしたのだ、そんな風に見えればいいと願いつつ。それをどう感じたかロレンスはそのまま話を続けた。
「正確には我が母マルヴィナの、と言うよりは母から受けた我が血の、と言うべきでしょう」
「一応は王家の血を受けたってやつだね」
「えぇ。しかも私は、この容姿です。――伝説のアレクサンダー王によく似ていると言われるたびに首筋が涼しくなりましたよ」
 それはそうだろう、とフェリクスは思う。どれほど本人にその気がなかろうとロレンスは当代国王の甥に当たる。それだけは否定のしようがない事実。しかも、と彼は思う。王宮内では厳然たる事実がもう一つある。次代を担うべき王子の不甲斐なさ。これならば甥を担ぎだしてと思う一派がいてもおかしくはない。逆も充分にあり得るが。
「似て、ますか?」
 涼やかな声はエリナードのもの。彼自身何をした覚えもないだろう。ただその声がフェリクスを救い上げていると知りもせず。なぜか急に笑みを浮かべたフェリクスに騎士たちが訝しげな目をした。
「あなた、会ったことあったんだっけ」
「一度。ですから、それほど似てないと思いますよ。あの方はもっと華やかですし」
「――ちょっと待っていただきたい。話が見えない。エリナード、君はアレクサンダー王にお目見えかなったことがある、と? 君は幾つだ」
「あぁ、違います。現実のではなく、なんと申し上げるべきか。幽霊と言うのが一番近いのでしょうが。ここ星花宮は王が退位の後にお暮らしになった離宮ですから」
「うちにはリオンていう神官してる魔術師もいるんだけどね。そいつが言うには魂って言うようなものじゃなくて、王がここを懐かしいって思う、その心みたいなものらしいよ」
「ですが知らないとほとんど生身の人間と変わりませんし。その代わり……夢を壊すようで申し訳ないんですが、絶対に女装姿で出てくるんです……」
「なんだ、それは……」
 ワイルドの呆然とした声。正気に戻したのはロレンス。ばつの悪そうな顔をして彼を見やれば自分は知っていたぞとばかり片目をつぶられた。
「いや、ここにお出ましになるのは初耳だ。が、宮殿にはかなり……言いにくい肖像画が残っていてな」
 つまり女装姿の肖像画と言うことだろう。ワイルドは王家に対する何らかの思いががらがらと崩れて行くような気がし、だがしかし元々それほど忠誠厚い騎士でもないかと思っては苦笑する。
「そうだね。アレク王に比べればあなたははっきりと男性的だよね。王は本物の美女だから。男の格好してても線の細い、どちらかと言えば華奢な人だよね。それほど似てるってこともないと思うけど?」
「フェリクス師。意地が悪い。もう、おわかりでしょうに」
「まぁね。あぁ、この子のことを警戒してるなら平気だよ。エリィも口は堅いからね」
「――それは師匠、そう言うこと、ですか?」
「そう言うこと。嘆かわしいね」
 溜息をつくフェリクスにエリナードはぞっとする。仮にあの魔術師が狙ったのがロレンスであるのが事実とすれば、とんでもないことだ。このアレクサンダー王に似ているらしいと噂される公爵家の嫡子を、狙ったのが誰かと思えば。
「私のせいで騎士団に迷惑をかけることになるのかもしれない、ワイルド」
「待て、俺はまだ話が見えん」
「見えないならそれでいい。巻き込むのは――」
「ロレンス。水臭いと言ったはずだ」
「そうだね。ここにワイルド隊長が来ている時点で巻き込んだも同然だからね。あなたは不本意かもしれないけど、お友達みたいじゃない? だったら借りられる手は借りて。僕は面倒は表沙汰になるより先に潰す主義なんだ」
 それはそれで聞いてはいけない話を聞いた気がするワイルドだ。が、ロレンスはうなずく。宮廷に渦巻く策謀の一端を見てしまった気がして不安になる。自分にはこの男を守ることができるのか。せめて友として。
「……王子殿下だと思う」
 溜息まじりのロレンスの言葉。王子がなんだとは言わないし言えない。それでも確実に伝わる。ワイルドがぎょっとして背筋を伸ばし、ロレンスを覗き込む。
「聞かなかった方がいい話だと思わないか」
「さてな。聞いた方がいい話だったと思うぜ。――とりあえず騎士団が狙われるらしいから守備を固めるって方向にするか」
「そうして。そうだね……腹立たしいとは思うけど。竜騎士団て軍制の中ではけっこうな辺境じゃない? だから目をつけられたんだってことにでもしておいてよ。野良魔術師の力試しにちょうどいいと思われて狙われたってあたりかな」
「それはいい。団長は、腹を立てるかもしれませんが、あの人はたいていを笑い飛ばす方だ。問題はないでしょう。ただ、団長と指揮官は事実を知っておくべきだ。打てる手数が違ってくる」
「待て、ワイルド」
「待たん。このときにあんたがうちの騎士団にいるのはなんかの縁だ。こう言うものは利用するに限るぞ」
「だが」
「仮に、だ。俺が誰かにつけ狙われていたらあんたはどうする」
「それは」
 言いかけて黙ったロレンスにエリナードは微笑む。友人思いの二人に対する親近感が一気に増した、そんな気がした。フェリクスに命じられての竜騎士団との訓練だったけれど、新しい知己ができるのかもしれない。常人との接触はあまりないだけに少し心が弾むのを抑えきれない彼だった。
「……すまない。いや、頼む、手を貸してほしい。我が友よ」
「喜んで」
 がっしりと手を握り合う二人にフェリクスが目を細めていた。やはり師は優しい、不意にそんなことを思ってはエリナードは小さく笑った。




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