同行していた爪部隊の騎士たちが当然のよう隊長に続こうとした。が、それをロレンスが留める。訝しげな顔をしたワイルドに彼は苦笑する。 「これで彼の身元は確認できたのだろう?」 エリナードを目で示せば小さく笑って頭を下げる魔術師の弟子。その師が疑われていたの、とでも言うよう弟子を見ていた。 「ならば騎士たちは団に戻した方がいい。いくらなんでも目立ちすぎるぞ」 「だが」 「いまならばまだ不逞魔術師護送で済む話だ。が、ぞろぞろと星花宮まで並んで行けばどうなる?」 それには言葉もないワイルドだった。ここから先は高度な政治判断が必要になる話になりかねない。いくらなんでも下級騎士にすぎない自分には荷が重すぎる。だがそれでも。 「帰り道は部下どもなしで参謀殿を守り切れ、と?」 「できないとは言わせん」 「……了解」 長い溜息に騎士たちが忍び笑いを漏らす。隊長の眼差しを浴びてすぐさま直立不動の姿勢となったけれど。 「用事は済んだが雑談してから戻る、とマケインに報告してくれ」 「ベイコン隊長には言わなくていいんですか、隊長」 「誰が教えてやるもんか。俺は性格が悪いんだ」 「つまり報告しろってことですね。了解しました。報告に戻ります!」 駆け去って行く騎士の一隊にワイルドは舌打ちをする。目は柔らかかったけれど。ここまで共に生き残ってきた部下たちだ、そんな思いが一瞬よぎり、そして目の前の問題に戻っていく。 「お時間を取らせた」 軽く一礼すれば小柄な魔術師はほんのりと微笑んで了承に代えた。闇エルフの子だと言う。確かに目にした瞬間にぞわりと背筋が粟立つ。嫌な感覚ではなく、むしろ非常に性的で、だからこそ居心地の悪い存在。その弟子が師に並んで歩いていた。 星花宮は小道を進んでしばらくの後に現れる。なんとも言い難い離宮だった。美しいことは間違いない。かつてここはシャルマークの四英雄の一人であったアレクサンダー王が退位の後に暮らした離宮だとロレンスは聞いていた。そう言われればそうかもしれない、という程度にその華やかさが残ってはいる。だが魔術師の住処になって長いせいだろう、常人の目には多少の違和感がある建築となっていた。 「どうぞ、座ってて」 氷帝フェリクスの私的な居間の一つだ、と言われた部屋に案内され、騎士たちは知らず辺りを見回し、二人して顔を見合わせることになる。 「とても、優雅な内装だな」 「なんと言うか……落ち着いてはいるんだろうが、華やかさが落ち着かん」 「どっちだ」 笑うロレンスにはたぶん言いたいことが伝わっているのだろう、彼はくつろいで見えた。ワイルドはやはり、落ち着かない。自分は下級騎士でそもそも王宮にはほとんど縁がない。王城内に最後に入ったのはいつだっただろうかと首をかしげてしまうほどだ。 「エリィ、内密の話だから」 ここまでついて来ていた弟子を遠ざけようと言うのだろう。ワイルドもロレンスもそう思った。もちろんエリナードもそう解釈したのだろう。二人と師に茶菓の給仕をして立ち去ろうとする。その姿にフェリクスの溜息。 「察しが悪いよ、エリィ。封印して。あなたはここにいて。あなたから話を聞かなきゃ何があったのかわからないじゃない。それともなに? あなたの心に手を突っ込んで見ていいの? いいんだったらやるけど。でも僕は力が強いよ、可愛いエリィ。あなたが見られたくないとっても私的なところまで見ちゃうかもしれない。たとえばこの前お付き合いしていた――」 「待て、師匠! 見たら絶対許しませんからね!」 「だから見られる前に吐きなよって言ってるの。封印は」 「今しましたよ」 長い溜息をつくエリナードにワイルドはつい同情してしまった。自らの師がこれでは彼はずいぶんと苦労をしている、そんな気がしたせい。そんなワイルドをちらりと見やったロレンスがなにも言わずに目をそらす。 「あぁ、そうだ。もうちょっと待ってもらえる? よかった。お招きしておいて申し訳ないんだけどね」 言いつつフェリクスは何かを取る仕種をした。そして取ったときにはそこに物がある。さすがに騎士たちは目を見開く。ここまで鮮やかな魔法など見たためしはない、二人とも。 「エリィ、おいで」 言い様にフェリクスが自分の手だけを、引いた。それなのにエリナードがよろめく。何があったのか騎士たちにはわからない。結果としてエリナードがその師に手を取られていることだけが事実だった。 「ずいぶん血が出てるね。負傷の原因はもちろん聞かせてもらえるんだろうね、可愛いエリィ?」 「脅さなくったって喋りますよ」 「……ふうん?」 疑いもあらわな師をエリナードは笑った。笑い飛ばした、と言った方が正しい。エリナードがこうして傷を負ったことをいまフェリクスは後悔している。自分が派遣したからこそ、エリナードが負傷した。そんな風に思ってしまう男だなど、他人は誰も知らない。 「あとでイメルから報告が上がると思いますけど。あれはどうも血の魔術師らしいです」 ロレンスはぞわりとした。魔法には縁がない、よってエリナードの言葉の意味がわかったわけではない。それでも感覚として寒気を覚える。 「大丈夫か」 ワイルドの氷色の目が覗き込んできた。あまりにあからさまでは立場がないだろう、そんな懸念の感じられる彼の眼差し。それに息をつけば本当に楽になる。 「あぁ、大丈夫だ。――エリナード。聞いてもいいだろうか。血の魔術師というのは?」 ロレンスの言葉にエリナードは内心で首をかしげる。派遣前にだいたいの騎士団の構成と指揮官の経歴くらいは聞かされていた。それにしてはこのロレンスと言う騎士はずいぶんと丁重な態度ですらある。意外だった。無論、喜ばしいことだ、星花宮のために。笑みを浮かべて話しはじめたのはだからそのせい。 「魔法というものは自らの魔力、あるいは補助をする物品、触媒と呼びますが、それによって発動させるものです。血の魔術師と呼ばれる者は自らの魔力ではなく、血を使います」 「自分の?」 「誰のでも。人間でなくともかまいません」 「言ってみれば他者の生命力を餌食にしているってことだね。僕ら魔術師にとっては何より嫌悪の対象だ」 フェリクスが弟子の言葉を補強する。ロレンスが感じた悪寒はそのせいだったのか、と彼はその心に納得する。 「どんな魔法でも血を使うので。――だから俺が血を流せば、あれは俺の血を使う。でしょ、師匠? 俺の血を使えば、あれに俺の魔力の影響が残る。あとで捕縛が楽になるかなぁ、と」 つまりそれがわざわざ傷を負った理由だ、とエリナードは言った。本来ならば負う必要はなかった傷だとも。それにフェリクスが顔を顰める。 「理由に正当性は見るけどね、エリィ。息子がわざわざ自分で怪我してきてよくやったって褒める親はいないんだよ。わかってる?」 言いながら先ほど魔法で取り寄せたのだろう薬や包帯でエリナードの手当てをしていく氷帝フェリクス。いままで噂話ですら聞いたためしのない彼の姿だな、とロレンスは意外だった。 「エリナードはあなたのご子息なのか、フェリクス師」 そんな人物を竜騎士団に派遣してくれた理由をロレンスは聞きたかった。確かにできれば魔術師との連携まで持って行きたいとは言った。だが好意の理由がわからない。 ロレンスは公爵家の嫡子だった。否応なしに政治判断が付きまとう。あくびをしてすら昨夜何か策謀をめぐらしたのだと疑われかねない立場だ。下手なことをすれば騎士団に累が及びかねない。 厳しい顔つきのロレンスをワイルドはどうすることもできず、ただ横に座っているしかできなかった。できれば何かしたいとは思うが、いまここで交わされている言葉の一つ一つが政治的なものだと気づかないほど疎くもない。下級騎士にすぎない身ではなんであろうと言うに言えないワイルドだった。 「そうだね、僕の息子だよ。ただし血は繋がっていないけどね」 「師匠、それじゃわかりにくいですって。――私は師の弟子にすぎません。ひときわ目をかけていただいている弟子、ではありますが」 「なにそれエリィ。あなたそんな喋り方できるんだ。知らなかったよ。ちょっと気持ち悪いね」 「いつもいつも師匠相手みたいにぽんぽん喋れるわけないでしょうが。俺だって気を使うことくらいあるんです」 それを客の前で言っては無駄ではないだろうか。思いつつワイルドはつい笑みをこぼす。それに目を留めたのだろうエリナードがにやりとした。どうやら緊張しなくていい、所詮これは茶飲み話で済ませる会談だ、そう告げてくれているかのよう。 「あなたがたにはわかりにくいだろうけど、エリィは僕の可愛い息子だよ。わざわざ竜騎士団にこの子を派遣した理由が聞きたい? 大したことじゃないんだけどね。この子の訓練になるから、が理由だよ。あなたがたのためですらない。この子のためでしかないからね」 この子はやめろ。ぼそりと言うエリナードにさすがのロレンスも崩れた。なぜか、信じていいような気がしてしまった、この魔術師たちを。微笑むロレンスにワイルドがほっと息をつく。 「お茶のおかわりはいかが? お菓子もまだあるよ」 まるで大事なお客を必死にもてなそうとしている子供のようだった、フェリクスは。さすがに師の態度に訝しいものを覚えるエリナードだったけれど、彼はここでそれを問うことはしない。必要ならばあとで話してくれるだろうし、そうでないのならば聞いても無駄だ。 「……師匠」 「なに?」 「お菓子お菓子って、普通はこれくらいのお年の立派な騎士様がたは甘いものはお好みにならないと思いますけど」 「ふうん、そうなの? うちの子たちはみんな甘いものが好きだから、外でもそうなんだと思ってたよ」 「そりゃ師匠が食わすからみんな食うんでしょうが!」 「なんていい子たちだろうね、可愛いエリィ? でも僕の焼いたお菓子が一番好きなのは誰だっけね?」 にんまりとするフェリクスを、射殺してやろうと言わんばかりのエリナードの眼差しが貫く。それでもそこに師弟の類い稀な情愛が通い合っているのをロレンスは見てとる。確かに彼はフェリクスの息子なのだと悟っていた。 |