彼の人の下

 当然のことながら政治的に色々あり、星花宮に話を通すのに半月ほどかかってしまった。そして両隊長はすっかり失念していたのだが、エンデ団長にはロレンスが立案報告を済ませてくれた。元々部下のすることに文句を言わない人であったからこそ忘れていたのだが自分たちがロレンスの仕事を増やしているようではどうにもならない、と反省しきりの両隊長でもある。
「そろそろか?」
 星花宮に話が通った途端、だったらしい。すぐさまと言っていい勢いで話が動いたのは。いま竜騎士団全隊員は演習場に整列して星花宮からの客を待っている。何も歓待の姿勢ではない。到着後すぐ訓練をできるように、と向こうから言ってくれたおかげだった。
「弟子だって?」
 が、どこか不満そうなベイコンだった。侮られている、と考えているのだろう。無理もないことだった。魔術師との訓練をしたいと言ったのに、弟子を寄越すと言われては不快になるのが騎士というもの。それにロレンスが首を振る。
「魔導師級が動くと色々あるのだろう」
「色々?」
「率直に言えば政治的になり過ぎる、と言うことだな」
 なるほど、と呟いたのはワイルド。背後で二人の副官が顔を見合わせては肩をすくめあう。星花宮の魔導師、と聞くだけで同じラクルーサの騎士が少なからず背筋に寒いものを覚えるのだ。確かにそう簡単に動かれては困る、のかもしれない。よくはわからない副官たちだ。
「お手並み拝見と行くかね」
 ふふんと笑うのは弟子と知るせい。ベイコンは星花宮の魔導師を直接には知らない。それを言うならばロレンスもワイルドも知らない。その実力のほどばかりが喧伝されている、一般的な騎士にとっては幻のような魔術師たちでもあった。
「――ん?」
 到着までの暇つぶしに、とベイコンが何かをワイルドに言いかけたときだった。するりとした足取りの男が演習場に入ってきたのは。門衛を務める騎士の一人が案内をしてきたけれど、どことなく薄気味悪そうな顔をしている。咎められないな、とワイルドは思った。魔術師だからどうの、と思ったことはない。知らないゆえかもしれないが、同じ国王に仕える存在だ。少なくとも星花宮は。だから気味が悪いなどと思ってはならない。それは陛下に対する侮辱になる。それはわかっている。頭では、理解している。それでもなお。
「竜騎士団の方々でいらっしゃいますね?」
 聞かずもがなのことを問う男の淀んだような声音。さすがにマケインが顔を顰めた。一歩踏み出そうとして、けれど差し出口が過ぎるかと留まる。
「あぁ、そうだ。策戦参謀を預かる、アルバート・ロレンスだ。本日はよろしく頼む」
「爪部隊長、サジアス――」
 名乗ろうとした瞬間だった。男の目がきらりと光る。咄嗟にロレンスの前に立ち、ワイルドは剣に手をかけ。同時にベイコンの発令。一瞬にして周囲を取り囲まれた男はけれど、怯みもせず突きかかってくる。これは切らざるを得ないか。脳裏によぎったときにはワイルドは剣を抜いている。そしてその剣は男に達することはなかった。
「何――!?」
 なにか硬いものに弾かれでもしたような奇妙な感触。男がにやりと笑い、ついでぎょっとする。何事かと思ったときには更に人影。
「下がって!」
 突如として人が増えていた。男に相対する青年の姿に竜騎士団員は戸惑う。結果としてそのまま二人を取り囲む形へと。新たな青年は気に留めてもいない様子だった。
「あんた、何もんだ? 師の名を名乗ってもらおうか」
 無頼な口調、けれど澄んだ声。男とは正反対だ、ワイルドは思う。それでも信用などできなかった。掲げた剣は崩さない。
「ワイルド」
「黙って守られててくれ」
「……私は。いや、頼む」
 自分でも戦える。言いたげなロレンスを一瞥もせずワイルドは黙らせた。それだけいま彼は緊張のただなかにいる。男も青年も只者ではない、それがひしひしと身に迫って感じられていた。
「答える必要を認めんな。若僧め」
「ならこっちは勝手に名乗らせてもらおうか。――カロリナ・フェリクスが弟子、エリナード。師の名において野良魔術師、捕縛させてもらうぜ!」
「やれるものならな!」
 ぱっと二人が飛び退り、目を瞬いたときには火線が走る。慌てて背筋を伸ばして体勢を整え直す部下たちをワイルドもベイコンも目にしていない。それどころではなかった。部下たちの掌握は副官に任せても問題ない。いまはこのおそらくは魔術師である二人こそが問題。
 その間にも魔法戦は続いていた。火矢が飛び、風が渦巻く。切り裂かれでもしたかのよう、男の頬に一筋の血の跡。それにすら男はにやりと笑う。
「私に血を流させたな?」
「いくらでも。――集え凝れ大気の水、リエル<玉瑛剣>」
 驚く騎士たちを尻目に青年は剣を手にしていた。話に聞く魔剣か、とロレンスは息を飲む。こんなにも美しいものだとは思いもしなかった。
「ふん、剣を使うか。未熟者めが!」
 男はその剣を鼻で笑い詠唱を続けていた。青年は侮蔑を意に介してもいないらしい。今度は彼が鼻で笑う。
「未熟かどうか、確かめてみるのも一興だろうがよ。お前の体でな」
 切りかかりつつ、けれど風が舞う。誰だろうか、呟いたのは。魔法だ、誰からともなく上がった声。剣でありながら剣ではなく、魔法でありながら魔法のみでもない。さすがに男のほうが押されているらしい。ここは、と両副官が騎士を進ませようとしたとき、声が飛ぶ。
「動くな! 守り切れねぇ!」
 言いたくはなかった言葉だろう。咄嗟にワイルドはそれを理解した。あの青年がおそらくは男の魔法攻撃から騎士団を守っている。何をされた覚えもなかったけれど、だからこそ完璧な守護。男が嫌な笑いを浮かべた。
「なるほど。攻撃はそちらに向けた方が効果的か」
「ぬかせ。やらせるかよ」
「試す価値はあるというものよ!」
 青年に牽制を放ち続け、青年は何度となく打ち落とす。けれどあるいは男のほうが技量が勝るのか。次第に青年が押されてくる。騎士たちはじりじりとその戦いを見守っていた。そしてついにその瞬間が訪れる。
「ちっ」
 かわしきれなかった攻撃が青年の腕を掠め、ぱっと散りしだく赤い血。痛みに怯んだか、青年の足取りがわずかに乱れ、男はそれを見逃さない。ワイルドはぎゅっと剣を握りただ男を睨み据え。
「馬鹿め」
 けれどその瞬間は訪れなかった。馬鹿なとばかり男が目を見開く。いま自分は騎士団に向かって突進をかけた。青年の横をすり抜け、魔法をその手に騎士に駆けた。それなのになぜ、青年が自分の正面を取る。そこまでの余裕は彼には断じてなかった。
「ぐ、は!」
 直接その身に叩きこまれた魔力の塊。命に別状なくとも苦痛はある。身じろぎ一つままならず男は崩れ落ちていた。
「見たか。師匠直伝の超短距離転移だぜ」
 ふふんと自慢そうに言い青年は首を振る。多少は疲れたとでも言いたげに。
「遅いぞ、エリナード。手間取り過ぎだ」
 若い騎士が飛びあがるのがワイルドの視界に入った。デクラークまで飛びあがっている。情けない顔をするな、とベイコンに叱責されていたけれど、こればかりは仕方ない気がした。新しい声は自分たちのすぐ側から聞こえたのだから。
「うっせぇわ。――血の臭いがする。ロクな魔術師じゃねぇな。どうするよ、ミスティ?」
「お前がやってくれ。私は苦手だ」
「ったく。押しつけんなよ」
 がしがしと頭をかくエリナードと呼ばれた男はようやくそこで騎士団に目を向けた。輝かんばかりの金髪に深い藍色の目。どこからともなくほう、と溜息が上がる。
「お騒がせを。改めて、私はカロリナ・フェリクスの弟子、エリナード。こちらは同僚でメロール・カロリナが弟子、ミスティ」
 二人が揃って頭を下げる。が、騎士団は警戒を解かなかった。それにエリナードがにやりと笑う。傲岸不遜ながら嫌味はない。
「妙な気配を感じて飛んできたんですが……まぁ、ご信用なさるはずもなし、と」
「エリナード、先に封印をしてしまえ」
「なんで俺がやるよ?」
「ちょうど血が流れているからな。わざわざ私が傷を負うのも馬鹿らしい」
 あいよ、と文句まじりの溜息をつきエリナードは男に向かい合う。崩れ落ちたままの男ははじめて恐怖の眼差しをエリナードに向けた。それににっこり笑うのだからこのエリナードと言う青年、ずいぶんといい性格をしているらしい。ロレンスはそのことでつい、信用しそうになる。話に聞く氷帝フェリクスの態度と酷似していた。
 その間にエリナードは自らの血を指に取り、男の額に何かを描く。無論、抵抗しようとはした。それを打ち破ったのはミスティと言う青年。何をした風でもなかったけれど、ただ彼が男の首を掴んだだけでふ、と静まった。そしておそらくは魔法なのだろう何かが完成したらしい。男がくたりと意識を失くした。
「血を止めてしまえ。いつまでだらだらと」
「ちょうどいいから使えのさっさと止めろの。あんたはほんっとめんどくせぇな」
「お互い様だ」
 短く言いミスティがにやりと笑う。首をまわしているところを見れば、どうやら騎士団の守護をしていたのは彼の方らしいとワイルドは感づく。少しばかり疲れた顔をしていた。その間にエリナードは捕縛用の縄を所望し、てきぱきと男を縛りあげて行く。
「さて、と。まず身元の証明と行きましょう。これを護送ついでに星花宮まで御足労いただけませんか?」
「星花宮まで?」
 問うワイルドに向けてエリナードははっきりとうなずく。見どころのある青年だ、とマケインは内心で感嘆していた。この眼光に射抜かれてなお真っ直ぐと彼を見続けるのは騎士たちでも難しい。
「はい。不逞の魔術師を捕縛するは我が星花宮の務めのうち。そこにどなたかついて来ていただければ我々の身元の証明にもなるかと」
「信じろとは言わないのか」
「正直――。言うより早いかと」
「なるほどな。理に適っている」
 だが返答したのはロレンス。不機嫌そうに振り返るワイルドなどなんのそのと一歩進み出ていた。慌ててベイコンが留めようとし、そのほんのりとした笑みに止められてしまうのを星花宮の弟子と名乗った二人は興味深そうに見ていた。




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