彼の人の下

 ロレンスから本館に来てくれ、と両隊長に集合がかかったのはある日のことだった。もちろん隊長だけではなく、マケインと、ベイコンの副官であるアストン・デクラークも一緒だ。一同の中ではデクラークが最も若年だ。まだ二十四歳になったばかりの若き騎士はさすがに居心地悪そうにしている。それをベイコンがじろりと睨んでたしなめた。
「すまないな」
 会議の場に最後に現れたのは招集した当人のロレンス。だが両隊長は責めもしない。ベイコンが身じろいではワイルドを見やる。
「あー、その。忙しそうなんだが……。無理は、していないだろうな?」
「感謝する。大丈夫だ」
「うちの若僧はもっとこき使ってくれて……いや、その。かまわんかな、な?」
 横をちらちら見つつ言うベイコンをワイルドが笑う。思わず吹き出してしまった、とでも言いたげなその笑いにベイコンが驚いた顔をした。
「なに、人の顔色窺ってるんだかな」
「別に窺ってねぇわ! ――まぁ、お前がこの御仁を好かんことは知ってるがな」
「なんの話だ。嫌っちゃいないぜ? 様子は窺わせてもらってたがな」
 いままでの参謀を忘れたのかとワイルドの眼差しが言う。氷色に気圧されたベイコンが咳払いをした。マケインはすでに知っている。爪部隊より早く掌握されたのは牙部隊。そしてその隊長もすっかりロレンスを信頼していると。我が隊長ながら用心深いにもほどがある。内心で呆れるマケインには誰も気づかない。
「まぁ、いい。それでロレンス。話ってのはなんだ?」
 空咳を繰り返し言うベイコンににやにやとするワイルド。それこそ内心でロレンスは驚いている。ワイルドのこのような態度を見た覚えがないせいだった。ロレンスが知る彼はいつも仲間外れにされているか、そうでなければ自分と共に屈託なく笑っている彼。二人の間に時間があるのだと不意に思う。今度咳払いをするのはロレンスだった。
「お二人の意見を聞かせていただきたくてな。――現状、両部隊に魔導師は配備されていないだろう」
 ラクルーサが誇る宮廷魔導師たち。いずれも一騎当千を遥かに超える力量の持ち主たち。だが竜騎士団にその助力はない。理由は察している。だからこそ、ロレンスは二人の指揮官と副官の表情をじっと見ていた。そして安堵する。
「お前が何を想像したのかは、察することができるがな。見当違いだと言わせてもらうぞ」
 ワイルドの言葉にロレンスは苦笑した。マケインは隊長の背後に立ちつつまたも少し驚く。積極的に話しかけるとは思っていなかったせい。しばらく前に和解をしたのかなどとからかった記憶はあるが、根本的に合わないのだと思い込んでいた。意外とそうでもないらしい。それをマケインはワイルドのために喜ぶ。ロレンスは本当ならばワイルドの盟友にもなれるほど考え方の近い男だろうと思っていた。
「上つ方の一角では魔法排斥が取り沙汰されているらしいがな。我々は戦闘集団だ。性格的にもどちらかと言えば傭兵隊のほうが近い。戦う術ならばどんなものでも欲しいと言うのが正直なところだな」
「戦う術、と言うより部下どもを死なせんで済む手段、と言うべきか」
「確かに」
 ベイコンの溜息のような言葉にワイルドが同意する。珍しくあっさり同意されたことにベイコンが瞬き、立ち直っては苦笑する。そして背後の副官を顎で示した。
「まだ、若いだろう? 正直、副官としておくには若すぎる。だがな、ロレンス。俺はすでにこの二年で三人の副官を失った。――どこぞの阿呆のまずい作戦のせいでな。俺を守ろうとしたのが一人。部下を守って死んだのが一人。誰にも助けてもらえずに孤立して死んだのが一人。――全部、阿呆のせいだ。俺には……どうにもしてやれなかった」
「どれだけとんでもない作戦でもな、高貴なお方が作った作戦だ。いくら同格と言っても俺たちは従わざるを得ない。その作戦内で成果を上げて、しかも死者を減らす努力をし続けなきゃならない」
 たまらない。呟くようワイルドは言った。幸いワイルドは副官を失ったことはない。だが純粋な幸運だったとわかっている。一手間違うだけでマケインを失いそうになったことが何度あったことか。
「隊長――」
 自分は死にはしません。言いたかったマケインだったが無言になった。死なないと、きっとベイコンの三人の副官たちも思っていた。この隊長のために、願っていた。
「副官だけじゃない。守り切れなかった部下どもが、どれだけいることか」
 苦いベイコンの声。ワイルドも黙って瞑目していた。二人にはここで育てた騎士がいたことだろう。立派になってきた、思った途端に死なれたこと。まだまだ手をかけたい、思っていたのに死なれたこと。いくらでもあったはず。ロレンスは詫びない。己の咎ではない、そう思ったのではない。詫びる言葉などあるはずもない。
「――できれば、そのことは忘れないでほしい」
 真っ直ぐなベイコンの目にロレンスはうなずく、はっきりと。これ以上ない保証のように。それにマケインはつい口許をほころばせていた。よい参謀長に巡り合ったと。
「それで、ロレンス。魔術師がどうのって話だったはずだな」
「あぁ、そうだ。お前たちが連携したい気持ちでいるのは理解した」
「あては?」
「あるがな、そうもいかん。――だろう?」
 先ほど自分で言ったではないか、とロレンスはワイルドに向けて肩をすくめる。確かに竜騎士団と言う貴族によって――たとえ下級騎士でも貴族は貴族だ――構成されている騎士団に魔術師が参加するのを快く思わない勢力はいる。ならばすぐに連携と言うわけにもいかないことも理解できる。それでも顔を顰めたくなった。
「こっちは今日明日知れない命なんだがな」
「大袈裟な。今すぐ戦争ってわけでもあるまいし。さすが蚊トンボ、怖気づいたか」
「うるせぇハム野郎。そう言う問題じゃないだろうが」
 口をきわめて罵り合う隊長たちにロレンスは唖然とする。おろおろとするばかりのデクラークを爪先で蹴りつけつつ、マケインは顔を覆う。
「申し訳ありません、閣下。これで気の合う指揮官同士なんですが」
「いや、それは知っているが。……なんだ、これは?」
「我が爪部隊は軽装騎兵ですから。身の軽いのが信条なので、それをベイコン隊長は蚊トンボ、と仰せになるわけです」
「それで、その?」
 ハム野郎とはなんなのだ。ロレンスが首をかしげてもさすがにマケインも言葉を濁したくなる。そこに口を挟んだのは若き騎士。さすが恐れげもなかった。
「うち隊長はベイコンですから。それでハムなんだと思います。それに、お名前も、ポールですし」
「あぁ、ポークハム?」
「ロレンス! お前まで言うんじゃねぇわ!」
「すまない。ずいぶんと旨そうな名だと思ってな」
 からりと笑うロレンスに毒気を抜かれたベイコンは天を仰いでどさりと座る。いままで襟首を掴まれていたワイルドはと言えば悠然と乱れを直して席につく。ふふん、と鼻で笑っているのだから性格が悪い、と我が隊長ながら思うマケインだった。
「話を戻すぞ? 竜騎士団に所属させるのはすぐには問題がある。だが――」
 ロレンスは本当にあっさり話を戻した。雑談はここまでだと言っているようであり、ようやく指揮官三人の間がしっくりと行くようになったことを喜ぶ様子でもあった。
「こちらに魔術師がいないからと言って、相手にいないとも限らない。むしろいないと知っているならば積極的に使ってくるものではないだろうか」
 そして同時に両隊長の深い吐息。心底から安堵した隊長たちに副官二人もまた息をつく。それでロレンスもまた悟った。いままでどれほど何を言おうが受け入れられなかった意見なのだろうと。自分は違う。言いたくなる気持ちを抑えロレンスは続けた。
「だから、まずは訓練に参加と言う形にしてみたい。どうだろうか」
「演習の敵役に配置、と言うことだな?」
「あぁ、そうだ。できれば被害が出ると上を説得しやすいんだがな、もちろん、負傷ではなくだ」
 迂闊にも被害などと言ってしまった己を悔いてでもいるようなロレンスを見る二人の指揮官の目は柔らかだった。同時に互いの目に気づいたと見え、双方が嫌な顔をするのだけれど。
「つまりあれだな。いない側が負け続ければいいわけだ。演習とはいえ負け続けってのはまずいだろうからな」
「と言うことは……うちならマケイン。お前が向こうだな」
「はい、隊長?」
「お前、俺に勝てるか?」
「勝てたら副官なんぞしておりませんが」
「だろうが。だったらお前が魔術師側の指揮を取る。で、俺がうちの精鋭を率いる。それで――」
「辛勝する、と? けっこう難しいかと思いますが」
 マケインはワイルドの指揮能力を疑ってなどいない。何より彼の剣の腕。一人で五人分の働きは優にする男を相手に魔術師がいるとは言え勝てとはずいぶんな注文だ。顔を顰めるマケインをからりとワイルドが笑った。
「馬鹿言うな。それじゃ話にならん。完勝しろ。こてんぱんにやってくれてかまわん。俺はよき指揮官だからな。あとでいじめたりはせんぞ。存分にやってくれ」
「マケイン、うちに来い。俺は部下をいじめたりせんぞー」
 だからしないと言っているだろう、笑うワイルドを責めるベイコン。またも間でおろおろするデクラークを尻目にマケインは肩をすくめる。辛勝でも難しいというのに無茶な注文を出してくれると思いつつ。
「マケイン」
「は、閣下」
「仮定の話ではあるがな。向こうには立派な指揮官がいるというのにお前にいないと言うのは不利が過ぎる。その際には私が作戦を練ろう。それでいいか?」
 マケインは目を丸くする。驚きより歓喜が勝っていた気がした。ふっとベイコンが笑い、ワイルドがにやりとする。ベイコンのそれはお手並み拝見とでも言うよう。ワイルドの笑みの理由はマケインにはわからなかった。
「ではその線で星花宮に話を通してみよう」
「――ロレンス」
「なんだ?」
 声をかけてから一瞬迷ったワイルドにマケインは内心で首をかしげた。あまり見た覚えのない隊長の顔、そんな気がした。
「ありがたいが無茶はしてくれるなよ」
「心配無用だ。こう言うときに使うために爵位などと言うものはあるのだ」
「――いい策戦参謀が来た」
 ぼそりとしたベイコンの声。ロレンスは何よりそれがありがたいとそっと微笑んで頭を下げた。




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