彼の人の下

 下級騎士にも出世の手段は色々とある。ロレンスは個人的にワイルドを引き上げることすら可能だ。けれどそれを提案しようとは思わない。真実ワイルドは竜騎士団に所属を続けたい、そう言っている確信があった。
「ここで遊び歩きながら任務に励むのが性に合ってるからな」
 再び他の希望はないのかと仄めかせばワイルドはからからと笑う。やはりロレンスには自分の勘が間違いだとは思えなくなった。そのぶん、訝しい。騎士団どうのではなく、別の問題が。
「なぜだ?」
「なにがだ」
「能力に問題があるわけでもない。容姿も優れている。家柄のつり合う令嬢の一人や二人、いないはずはないだろう」
 あるいは女性には興味がないか。思ったけれどロレンスは否定する。華やかな女性を見かけていたし、何より彼は騎士で、家を保つのは務めでもある。好みではなかろうが生理的に無理であろうが婚姻はするはずだ。
「興味がないんだよ」
「なぜ投げやりなふりをする? 仕事ぶりを見ていて思ったがな、そんな態度を取っていても、とても真面目だろう? ならば……遊び歩くだけではなく、真面目な恋愛もできるだろうに」
 少しだけ、羨望の色が乗ってしまった。ワイルドは恋愛ができる。ロレンスは、できない。否、できないわけではないけれど、それは間違いなく婚姻には結びつかない。ワイルドは真剣になった相手と生涯を過ごすことができなくはない。たとえ相手が平民であっても抜け道が使えるくらいの身分だ。ロレンスはそうではない。
「私は……お前が羨ましいよ。ワイルド」
 自分で思ったよりずっと寂しそうな声になってしまったことにロレンス自身が驚いた。目を瞬くものだからワイルドが苦笑している。それに一睨みをくれ、珍しく咳払いまでした。
「きちんと一人を思う、と言うことを考えてもいいのではないか」
 強引に話を続ければ肩をすくめるワイルド。そのワイルドこそ、困っていた。なぜこんなことをロレンスに言われねばならないのか、と。若干の溜息は致し方ない。それを誤解されるより先、弁明に努めた。
「……別に、できないわけじゃない」
 いい加減に誤魔化すつもりだったはずが、なぜ自分は真面目に弁解しているのだろう。はたと気づいてワイルドははっきりとした溜息をつく。ロレンスがまたも睨んでいた。
「どう言う意味だ」
 ここまで来たならば吐いた方が楽か。どことなく投げやりな気分だった、それこそロレンスが言うように。
「――誰とは言わんがな。思う相手は、いる」
 小さな溜息。その場に留まって、そして溶けてでも行くかのような。ワイルドはそんな想像をした自分を嗤う。
「もう、かなり昔になるな。――以来、我ながら信じがたいことに一筋だ」
「それを信じろと? あれだけ遊び歩いていてそんな戯言が通じるか」
「だからな。向こうは俺のことなんざ覚えてもいないだろうし、そもそも身分違いでどうにもならん」
「だが――」
「身分違いってのは、大きいぜ? 仮に向こうが俺を覚えててくれて、しかも心をくれたとしたって、そこから先はどうする? やっぱりどうにもならない。破滅しかないだろうが」
 そんな目には合わせたくない。ワイルドの不意に真摯になった声。ロレンスは、信じた。信じざるを得ないほど、真っ直ぐな声をしていた。
「――どんな、方なんだ?」
「はい?」
「身分違いの、その想い人のことだ。もしかして、知人かとも思ってな」
 不思議と逆方向の身分違いは考えなかった。それこそワイルドは平民との身分差はさほど考慮しなくともいい程度でもある。逆に、相手が高位の貴族の子女であればあるだけ、どうにもならない。
「……知ってたら、どうするんだ」
「どうにもしない。ただ、興味があっただけだ。お前のような男がどんな人に思いを寄せるのかが」
 ほっとけ。ワイルドが口の中で呟いた言葉は、騎士団より傭兵隊で聞かれる類の罵声だな、ロレンスは思う。無論、知識として知っているだけであって、聞いたことはない。それでもロレンスは笑っていた。この竜騎士団と言う環境がそうさせたのかもしれない。とても居心地がよかった。
「聞かせてくれてもいいだろう、ワイルド? いままで私に敵意を向け続けた詫びだと思って話してくれてもいいと思うのだがな」
 本気ではない。完全に戯言だ。すでにワイルドの策と聞いて納得したロレンスだ、わざわざ謝罪を求める気はない。それでも、そんな風に言えばワイルドの肩の荷が下りる、そう感じたのかもしれない。
「宮廷雀め、まったく。――優秀な、人だな。とにかく、なにをやらせても人並み以上になんでもできる。一見、優しげな風貌なんだが……なんだあれは。剣を取らせても強いしな」
「ちょっと待て」
「俺は相手が女だとは一言も言ってない」
 なるほど、それでは確かにどうにもならない。ロレンスは納得した。ワイルド自身、騎士の身分であるし、相手がそれ以上であると言うのならば家を保たねばならないだろう。恋はできても、いずれ別れる羽目にはなる。
「でもな、ワイルド。ほんの一時でも、共に過ごすと言うのは贅沢な時間だと、私は思う」
 ロレンスにそれはほとんど許されていないことだった。無理を通せばなんとかなる。が、通せば通す分、政界に激震が走りかねない。王妹が母、と言うのはそう言うことでもある。
「……真面目な男なんだよ、あの人は」
「どう言うことだ」
「言っただろ。俺のことは覚えてないだろうって。正確に言うとな、サジアス・ワイルドと言う騎士がいることはたぶん、覚えてる。でも俺個人は覚えてないと思う。――そんな人にな、なにをどう言えって? 言えば断られるのが目に見えてる」
「それを口説くのが――」
「そこで真面目な男だってのが効いてくる。――断るにも、どう断ったら俺が嫌な気分にならないで済むかどうか、考えるだろうよ、あの人は。わざわざ、そんなことは考えさせたくない。短い間でも、近くで仕事してられりゃ、それでいいさ」
「近く?」
 一瞬にも満たない間ワイルドは動揺した。幸いロレンスは気づかなかったらしい。否、怪訝な気配は伝わってきたから、あるいは見逃してくれただけかもしれない。
「――騎士なんだよ、向こうも。どこの騎士団かは聞くなよ? 聞かれても吐かないからな、それだけは」
 ロレンスの身分をもってすれば調べられるだろう。ワイルドは率直にそう言ったも同然だった。つまりそれは、調べればわかる範囲と言うことでもある。ならば王都に在する騎士団で、しかもワイルドが焦がれてもどうにもならないほどの高位の騎士。そこまで思って、ロレンスは考えるのをやめた。
「悪いな」
 ふっと息を吐き、ワイルドは言う。苦笑に似て、けれど儚い。溜息の向こうには、想い人の影。ロレンスは何を言うこともできなかった。
 真剣な恋をすれば行状が改まるだろう、程度の同僚の忠告だったはずが。ここまで立ち入ったことを尋ねてしまうつもりはなかった。突如として、申し訳なくなってくる。
「帰ろうぜ。月も昇ってきた。けっこうな時間だ」
 はっとして辺りを見回せば、星明りだけだった夜空が明るい。月の出に、しかし夜はいっそう暗くなったかのよう。歩きだすワイルドにロレンスは黙って続く。
「……さっきの話。うちの部下どもも知らないことだからな?」
「口止めは無用だ。ぽろぽろ喋るほど愚かではない」
「だよな。――まぁ、できれば同期の誼ってことで、忘れてくれると助かる」
 歩きだしたはずの足が止まった。ぽかん、とワイルドの背を見つめる。気づいたワイルドが振り返ったとき、ロレンスはその襟首を掴んでいた。
「待て! いまなんと言った!? 君は……! 覚えていたのか!」
「そりゃ、まぁ」
「だったらどうして!」
 思い切り揺さぶってくるロレンスにワイルドは苦笑する。いかにも貴族らしい指に手をかけても、離してくれそうになかった。苦しくはないが、困りはしている。
「あのな、だからな。うちの騎士団はどういう状況だった?」
「それとこれとは」
「関係ある。今度来る参謀は俺の同期だから心配するな、まともなやつが来るぞって言って、部下どもがそれを信じられる根拠はどこだ。参謀って聞くだけで剣の柄に手をかけてたような野郎どもだぞ」
 言えば言うだけ逆効果だ。ワイルドは言う。はたとロレンスは悟った。だからこそ、敵役に徹してくれていたのだと。ロレンスが仕事をしやすい環境を一刻も早く整えるために。ぱたりと彼の手がワイルドの襟から外れて落ちた。
「君は、なんて言う男だ。事情は、理解した。あぁ、そうだな、確かにそのとおりではある。――だがな、ワイルド!」
 指まで突きつけんばかりのロレンスだった。ワイルドは大きく笑っている。このぶんでは笑い声が騎士団まで届いているかもしれない。
「私がどんな思いをしたと思っているのか、とくと拝聴したいものだな! 君がいると、赴任前に聞いていた私は、どれほど再会を楽しみにしていたことか。それなのにあろうことか知らないふりで初対面の挨拶までされて、一月にわたって敵意を向け続けられる。これは謝罪を求めてもいいと思うが、君はどう考えるんだ!」
「あー、悪い」
「誠意がない!」
 怒って歩きだすロレンスだったが、ワイルドは驚いてもいた。変わっていないな、とも思う。むっとして振り返ったロレンスに並んで歩きだせば、ふんとそっぽを向く。
「あんた、そういうところは十四歳から変わってないな」
「成長がなくて申し訳なく思う。――などと言うものか。愚か者め!」
「はいはい、悪うござんした」
 その誠意のなさが、変わっていないとロレンスは思った。悪い意味では決してない。公爵の嫡子に対して、彼は昔から変わらない。それが驚くほど、嬉しい。嬉しい分、黙って知らないふりをされていたのは非常に腹立たしい。
「頃合見計らって、手合わせしようぜ。あんたの剣が変わってないか、確かめたい」
「変わっているぞ。君が思うほど、腕が上がってはいない。――悲しいかな、剣に打ち込む時間を取らせてもらえなくてな」
「それでも鍛錬は続けていただろ?」
 違うとは思ってもいないワイルドの言葉。ロレンスは苦笑してうなずく。彼の言うとおりだった。




モドル   ススム   トップへ