彼の人の下

 ずいぶんと細かいことを聞くのだな、それがマケインの印象だった。こんなことを聞いてもこの方にわかるのだろうか、と疑問ではある。が、説明せねばならないのが仕事というもの。淡々と仕事に努めていたマケインだったが次第に顔つきが変わっていく。
 理解できているなどと言うものではなかった、ロレンスは。なぜこんなことまでわかるのだろうと言うほど、詳しい。まるで竜騎士団に長く在籍していたかのような質問。答えるマケインもつい、熱が入る。問いに答えれば、的確な質問がまたも飛ぶ。別の意味で、訝しくなってきた。
「ふむ。とりあえずはこんなところか。悪かったな、つき合わせた」
「いえ……」
「なにか、尋ねたいことでも?」
 いままで仕事に打ち込んでいたのとは別人のような柔らかな眼差しだった。どことなく甘さを帯びた紫めいた目にどぎまぎとしてしまう。
「失礼ながら、ずいぶんとお詳しい、と」
 さすがに一月もの間、ほとんど毎日のように顔を合わせているマケインだ。だいぶ遠慮がなくなっていた。ワイルドがなぜかその場にいたがらないのでマケインはよけいに馴染んでしまった気がしている。
「あぁ、そう言うことか。――この手の仕事は得手だからな。一月もあれば、把握もできる」
 そんなはずはないだろう。内心で反論しかけ、そして一月とかけずに把握した別人の存在に思い至る。ワイルドもまた、赴任早々にほぼすべての職務を把握して易々とやってのけた男だった。いるところにはいるものだな、とマケインは内心で溜息をつく。
「ならば、閣下のお手元にいる部下のほうがよりよく把握していると存じますが……」
 ここは爪部隊で、この部隊に関することだけを扱っている。牙部隊もまた同様だ。マケインはすでにか、このあとか、ロレンスが同じことを牙部隊ですると疑っていなかった。
「それができればやっているとも。――非難するわけでないがな。前任者は何をやっていた?」
 言われて何もしていませんでした、とは一部隊副官に言えるはずもない。それとなく視線を外したマケインにロレンスは苦笑する。
「まぁ、そう言うことだな。正直に言って、部下が使えん。役に立たんのだから、致し方ないだろう。仕事の邪魔をして悪いが、しばらくは続くと思う」
「とんでもないことです! 邪魔だなどとは。……そうでしたか、使えませんか……」
「想像通り、だろう?」
 にやりとしたロレンスにマケインは肩をすくめ、慌てて姿勢を正す。ここにいるのは己の隊長ではなく、高位の貴族の子弟だ。が、ロレンスは顔を顰めた。
「これでも上官ではあるからな。馴れ馴れしくせよ、とは言わんが必要以上に構えられるのも困る」
「はぁ……。いえ、は!」
「だからいい、と言っているだろうに。当面は爪牙両部隊の副官の手を煩わせることになるのだからな」
「それは?」
「いままで書類の類は本部に上げていたのだろう?」
 ロレンスは策戦参謀長、という肩書であっても実際はすべての後方部隊の掌握をすることになる。さほど大きな騎士団ではないせいだったが、真面目にやれば仕事は山のようになる。庶務、補給、折衝。それらに加えて本来の参謀の役割もするのだから当たり前の高位の貴族ならば投げ出すのも当然だ。ロレンスがあっさり本部、と呼んだのはそれらすべてを含めた言い方だった。無論、爪牙両部隊からの評判はよくない。両部隊の騎士が本部、と言ったとき、それは「のうのうと惰眠をむさぼる屑ども」の意になる。
「今後は私に直接上げてくれてかまわん」
「ですが」
「どうせ私が処理することになる。部下に命じて探させて、仕事もせずに放置していたと叱責を加えた後に己で処理するより、お前から直接渡してもらった方が仕事が早い」
 それはそうだが、とマケインは戸惑う。これは爪部隊だけの話ではないだろう。牙も同じことを言われているはずだ。あるいは、このあと言われるはずだ。そしておそらくすべての後方もまた。一人くらいはまともに仕事をするものがどこにもいる。ロレンスは彼らと直接の関係を持って竜騎士団を治めて行くつもりらしい。団長はいるけれど、そこまで話を持って行かせないのがロレンスの役職でもある。
「ですが閣下。それではあまりにも多忙になり過ぎます」
「なるだろうな」
「では――」
「だがな、マケイン。私は怠惰に過ごしたがために死人を出す、など断じて御免こうむりたい」
 きっぱりとした宣誓。ロレンスはそれを気負いなく言った。思わず胸の奥が熱くなる。この人にならば、かけられる。そんな気までしてしまうほどに。一月で、部下たちはもうそう感じているらしい。一日おきに顔を出して、後れも取らずに訓練に参加するこの美しい騎士に爪部隊の騎士たちは信頼を寄せはじめている。
「……わかりました。僭越ながら、私にお手伝いできることがあればお申し付けください」
「ありがたい。が……」
「はい」
「ワイルドの許可を取ってからのほうがよいな、それは」
「かまいません」
 断言してしまえばさすがにロレンスが訝しい、と言うよりはわずかに不快に寄った顔をした。慌ててマケインは言葉を重ねる。
「隊長からはロレンス閣下の指示に従って構わない、とすでにご許可をいただいております」
「ワイルド、が……?」
 はい、と答えるマケインの声も聞こえていないかのよう、ロレンスは窓の外を見やった。先ほどまで聞こえていた規則正しい音が、いまは乱れている。訓練の音、と言うよりは歓声。覗くでもなく見やれば、上着を取った軽装でワイルドが騎士と立ち合いをしていた。
「……ワイルドは、楽しそうに訓練をするな」
 この一月でロレンスも気づいている。赴任当日の部隊指揮官二人はいわば正装で迎えたのだ、と。普段の二人はほとんど胴着に薄手の内着程度だ。いまはその胴着すら脱いでしまっているワイルドだった。
「隊長は、若い者が腕を上げるのが楽しみなのです」
「そう言うワイルド自身、それほどの年齢ではないだろう?」
「昨年、三十歳の節目を迎えました」
 答えつつ、マケインはかすかな違和感を抱いた。探りを入れられた、と言うのが一番近い。が、なにを探られたのかまではさすがにわからなかった。
「ですが隊長はごくお若いころから手練の騎士でしたから。本当に……人間業とは思えないような、腕の冴えです」
 言っている間に若い騎士の剣が飛ぶ。それを軽々と掴み取ったワイルドに、観戦していた騎士たちの間からわっと声が上がった。
「そうか……。ところで、マケイン。雑談、と思ってくれて構わないのだが」
 窓の外のワイルドから視線を外し、ロレンスは少しばかり言いよどんだ。そのせいだろうか、マケインにもどことなく覚悟ができる。
「なんと言うかな。……かなり頻繁に、華やかな男女を見かけることがある。いや、騎士館でではなく、敷地の出入り口で、ではあるのだが」
 やはりその話題か、マケインは察するものがあっただけに困ってしまう。視線をさまよわせれば、不名誉を認めるようなもの。マケインは決してそうではない、と信じている。
「それは、その……。隊長の、親しいご友人でいらっしゃいまして」
 が、背筋に冷や汗が滴ってしまったのを感じた。この優雅な騎士を前にして、こんな話題を口に上せてはいけない気がする。
「やはりワイルドか。いや、咎めているのではない。そもそもお前を咎めてどうする」
 笑われて、気が楽になるかと言えばそのようなことはなく、ならばロレンスはワイルド自身を咎めるつもりかと思ってしまうマケインに、だがロレンスは違うと言っているだろうともう一度笑った。
「そうではなくてな。それが『親しい友人』であるのかどうかはこの際問わんよ。が、素行不良が上の耳に入ると、厄介だぞ」
 どう見ても玄人の男女だった、とロレンスは思う。いずれも非常に美しく、こんな王都の辺境とも言うような場所で見かけるはずもない人々だ。彼らはみな、ワイルドに会いに来ていた、それを知ってどうするものでもなかったけれど、苦笑の一つくらいはしたくなる。
「我々は、国王陛下にお仕えする騎士団だ。あまり派手なことは慎んだ方がいいと……私が言うまでもないと思うが」
「とんでもない……。いたみいります」
「お節介は自覚しているよ、マケイン。ただ、ワイルドを失うのは、あまりにも、惜しいと、私は思う」
 は、と背筋を伸ばして敬礼をしたマケインの額に脂汗が浮いていた。悪いことを言ってしまったか、とロレンスは内心で後悔をする。が、言わずに後悔するのは耐えがたかった。
「お前は、ワイルドとは……?」
「はい。隊長が騎士叙任をお受けになったころ、従騎士としてお仕えしはじめました。以来、今に至るまでお側におります」
 若々しいと言うより、まだ少年めいていたワイルドをマケインは覚えている。この少し年下の騎士が、異常に有能だと知るのはすぐだった。上から命ぜられて仕えはじめた騎士だったけれど、魅了されたのはいつだっただろうか。
「なるほど。ではよけいなお世話だったな。なんと言うか……ワイルドの所業は、見続けてきたわけだろうしな?」
 にやりとされてしまっては苦笑でもするしかないマケインだった。実際ワイルドという男は非常に交際範囲が広い。男性もいれば女性もいる、しかも一晩いくらだろうと思うような美男美女ばかりだ。そのせいなのか、それともワイルドが意図してのことなのか。逆に良家の子女とは縁がないらしい。いままでマケインが知る限り、一度としてそのような相手を見たことがない。
「三十過ぎか……。身を固めてもいい頃合だと言うのにな」
 どことなくぽつりとしたロレンスの声音にマケインはそっと首をかしげた。遠いどこかを見ているような紫の目。
「閣下はまだお早うございますな」
 あえて明るく言えば驚いたのだろう表情。次第に感謝に変わって行った気がして、マケインは落ち着かなくなった。
「そうでもない。どう見えているのか知らんが、私はワイルドと同年だぞ? 色々と一族の者どもはうるさいことを言ってくるようになった。せめて三十までは待てと言っていたのだがな。過ぎてからというもの、うるさくてかなわん」
「それがご身分というものでありましょう」
 ワイルドについてあちこちの騎士を見ているマケインだった。が、これほど有能で率直な高位の騎士ははじめてだった。だからこそ、不思議だ。ワイルドが苦手とするような騎士ではないはずなのに、と思えばこそ。




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