かつかつとした規則正しい足音だった。まるで本人の性格をそのまま示すような。その足音の持ち主は、類い稀な美しさを持つ騎士だった。輝かんばかりの金髪に、もう少し赤味に寄れば紫と言われるであろう目。煙るような青とも紫ともつかない神秘的な目が繊細な顔立ちを更に飾るよう。いまは竜騎士団の平服に包まれている肩は、けれどがっしりと逞しい。充分に鍛錬を積んだ体だった。それでいて顔立ちの美しさを一切そこなってはいない。それもまた稀なことだった。 「この竜騎士団にあなた様のような方が赴任なさるとは、竜騎士団設立当初の名誉の再来です」 騎士と共に歩んでいたもう一人の騎士。こちらは壮年の漲る生気にあふれた立派な男だった。その言葉にだが青年騎士はわずかに眉を顰める。 「――この身は閣下の麾下たる者。どうぞそのようにお心得願いたい」 言ってから、これでは配下の言葉ではない、と気づいたのだろう青年の苦笑。それに壮年の騎士がにやりとした。 「では以後そのように」 「差し出口を致しました、団長閣下」 とすれば壮年の騎士はこの竜騎士団の団長か。その彼がわずかに意外そうな顔をした。物分かりがいい、と青年を褒めているかのような。いままでこのような高位の貴族と出会ったことはないと言いたげな顔だった。 「すまんな、待たせた」 だが団長は何を言うこともなく己が執務室へと入る。そこにはすでに二人の騎士が待っていた。手持無沙汰そうな顔をした二人。いままで雑談でもしていたのだろう、デリク・エンデ団長の入来にぴしりと背筋を伸ばす。つられでもしたのかどうか。青年騎士も背を伸ばした。 「こちらは本日赴任なさったミオソティス公爵閣下ご長男でいらっしゃるオフィキナリス子爵アルバート・ロレンス卿である」 「……団長閣下」 「おぉ、すまん。どうにもあなた様のような高位のお方をお迎えすることがありませんでね」 またもにやりとする団長にアルバート・ロレンスは苦笑を返す。新たに赴任してきたこの参謀長は決して狷介な貴族ではない、と二人に示された、そんな気がした。 「ロレンスには本日より参謀部を預けることとなる。諸君にはよろしく協力してやってほしい」 は、と二人の声が揃った。ロレンスは真っ直ぐと彼らを見ていた。二人の騎士も甲冑ではなく平服姿だ。が、よく見ればかすかなよじれ。先ほどまでその下に鎖鎧でもつけて訓練をしていたのかもしれない。その二人が顔を見合わせ、一方が進み出る。 「竜の牙を預かっている、ポール・ベイコンだ」 ぶっきらぼうに言って手を差し出す。握手などしたくはないがこれも礼儀とばかりに。どうせ何を言っても通じはしない。だから言葉もどうでもいい。そんなベイコンの態度にロレンスは目許だけで微笑む。 「強襲重装騎兵隊長だな? よろしく頼む」 ロレンスの言葉にはっきりとベイコンは驚いた顔をした。間違いなく通じはしない、とわかっていて使った「竜の牙」と言う言葉。竜騎士団内での通称、と言うより団員たちが自ら望んで名乗る愛称のようなもの。部外者が知っていたとは思いもしなかった。 「ならばこちらは竜の爪、突撃軽装騎兵隊長、と言うことになるな」 「――サジアス・ワイルドだ」 ロレンスにうなずいたとも無気力さの表れも取れる態度だった。その鋼色の髪の騎士は手を差し出しもしない。軽くベイコンに小突かれて溜息まじり、やっと手を出す。彼の氷のように淡い青の目を見つつロレンスはほんの一瞬ためらった。 「よろしく頼む」 「こちらこそ。――じゃあ団長、これでいいですね。部下を待たせてるんですよ」 「まぁ、そう言うな。隊舎の案内くらいしてやってくれ」 そっけないにもほどがある、無礼な態度にロレンスは怒りを見せはしなかった。それを団長は評価したらしい。公爵の子息がここまでの無礼にさらされて一切怒りを見せない。中々できることではなかった。 この竜騎士団はほぼ下級騎士のみで構成されている。騎士を名乗る資格があるだけ、と言う家柄の男たちばかりだ。爵位を持っているものなどたぶん一人もいない。 その中で例外がただ一人。設立以来、参謀長だけは高位の若い貴族が就任することとなっていた。元々は団の箔付けのためだったらしい。それが次第に重装・軽装双方の調整役となり、そして現在ではいない方が遥かによい、とまで言われる団のお荷物だ。 「あー、ではロレンス卿? こちらへ」 嫌そうなベイコンの顔つきにロレンスはにやりと笑う。それにもまたベイコンは驚いたのだろう、目が丸くなっている。 「案内をお願いする。ベイコン卿」 本人も爵位を持つ高位の貴族の子息にこう言われてはただの騎士はぞっとするよりない。が、ベイコンは察しのいい男でもあった。 「こっちだ、ロレンス。行こうぜ、ワイルド」 「……あいよ」 「そう溜息ばっかりついてんじゃねぇよ」 では団長、と二人、否三人は頭を下げて執務室を出て行く。団長の苦笑が扉の向こうに消えて行った。ベイコンとロレンスが並んで廊下を行く。その一歩前、ワイルドは歩いていた。 「忙しいんだよ。よけいなことはしたくない」 新任の参謀長の案内をよけいな仕事、と切って捨てたワイルドにロレンスはそっと眉を顰める。慌てたベイコンが咳払いをした。 「あー、ここはいわば本営。団長の執務室の階下にあんたの仕事部屋はある」 そう言ってベイコンはざっと両手であたりを示す。どうやら竜騎士団の隊舎を示しているらしい。 「ここが言ってみれば大きなお屋敷の本館にあたる。左右に翼棟があっただろう?」 「あぁ」 「あれが我々それぞれの縄張り――いや、執務室他、だな。向かって左が牙、右が爪、だ」 そしてその三つの建物の前に広がっているのが演習場だった。竜騎士団はそのすべてが騎兵だ。どうあっても広い演習場が必要だった。だから、この場所にある。ラクルーサの王都アントラルを囲む城郭のうち、最も外側に位置する第三外郭のほど近く、一応は城郭内、と言うだけの辺鄙な場所だ。一歩門の外に出ればそこはもうアントラルではない。そしてその城郭の外側にはいまは「青き竜」と言う著名な傭兵隊の仮営舎がある。つまり、その程度の場所だった。ラクルーサ国王直属の騎士団の中でも決して格は高くない。むしろ傭兵隊とのほうが馴染みやすいほどで、ベイコンもワイルドも騎士とは思えないような荒い言葉を使うのはそのせいだった。 「ここだな。配下との顔合わせは済んでるんだろう?」 参謀であるロレンスは本営だけに用がある。何も翼棟の案内など必要ではない、そんなベイコンにロレンスは肩をすくめる。 「済んでいるが……。少し頼みがある。いいか?」 「なんだ?」 あからさまに迷惑そうな顔だった。ベイコンと言う男、どうやら無類に素直な男らしい。苦笑するでもなくロレンスはベイコンを見ていた。 「できれば、そちらの配下にも紹介をしてもらえないか?」 ここで別れてしまうのではなく、隊の方まで連れて行ってほしいと言われたのだとベイコンはわからなかったらしい。何度も瞬きをして結局ワイルドを見た。 「なんで俺に振るよ? 顔合わせがしたいって言うなら連れて行ってやったらいいだろう。――俺は忙しいから遠慮させてもらうがな」 「ワイルド」 「……なんだ」 「場所はいま聞いたから、わかるつもりだ。あとで訪問させてもらうならば、いいか?」 手間は取らせない。ここまではっきりと言われて拒めば他意があるかのよう。ワイルドはそうは取られたくないのか軽く肩をすくめる。 「では後ほど訪問させてもらう」 その言葉を背にワイルドはこの場を後にした。軍一筋で生きてきた規則正しい自分の足音が、いまはどうしてか癇に障る。苛立ちをあらわにすることはなかったけれど。 「お帰りなさい、隊長」 「おうよ」 「どうでした。新人様は」 己の隊舎に戻ればほっと息をつきたくなる。そこに副官のマイク・マケインが茶を差し出した。ワイルドより少しばかり年上の男だった。どちらかと言えば書物を抱えているほうが似合う風貌ながら肩のあたりを見れば相当に使うとわかる。そろそろ頃合、と思っていたのだろう、まだ淹れたての熱い茶だった。軽く掲げて礼意に代えてワイルドは微笑む。いままでの仏頂面が嘘のようだった。 「さてなぁ。……変なやつ、というところかね」 「お貴族様なんてそんなものでしょうよ」 言うマケイン自身、平民から見ればその「お貴族様」でもある。が、ただの騎士と爵位を持つ貴族では歴然と言うもおろかな差があった。 「あとで来るって言ってたぜ」 「は?」 「見学がしたいとよ」 なんだそれは。呟いたマケインに肩をすくめ、ワイルドは平服の上着を取る。そこに手早く鎖鎧をつけて再び上着を羽織った。 「じゃ、任せた」 そして飛ぶように部屋を出て行く。呆気にとられたマケインが気づいたのは一瞬後のこと。 「隊長、逃げましたね!?」 どうやら厄介な役割を押しつけられた、と気づくももう遅い。向こうから隊長の訓練参加を喜ぶ若き騎士たちの歓声が聞こえてきては。これで引き戻せば自分が悪者ではないか。口の中で罵りつつマケインは仕事を片付けて行く。ワイルドに代わって書類仕事を一手に引き受けているのがマケインだった。黙々と部下の声を背景に仕事をする。いつものことだった。騎士としての技量に劣るつもりはないが、どちらかと言えばこのような仕事のほうが向いている、とマケインは思う。実際、ワイルドが全幅の信頼を置いているのもその仕事の緻密さゆえだった。 「失礼。いいかな」 仕事に熱中してつい、新しい参謀長がどうの、と言っていたのを忘れていたマケインだった。慌てて立ち上がり敬礼をして、そして驚く。目も眩みそうな美貌、と言うのにはじめてお目にかかった気がした。 「新たに参謀長を拝命した、アルバート・ロレンスだ」 「は。竜騎士団突撃軽装騎兵隊副隊長の栄に浴しておりますマイク・マケインであります」 「よろしく、マケイン」 「光栄であります」 背筋を伸ばしたまま、ロレンスの顔の少し上を見たままのマケインだった。視線を合わせるのは無礼である、と言うよりも眩しくてならないらしい。 「ワイルドには頼んでおいたが……」 「は。無粋なところではありますが、どうぞこちらにおいでください」 見学をしたいと言っていた、と隊長には言われていたマケインではある。が、なにをどこまで案内したものやら。ざっと隊舎の案内に留めておいた方がいいだろう。演習場での訓練など、たぶん興味はないだろうから。そう決めてマケインは歩きはじめた。 |