笹嶋は、まじまじと水野を見ていた。いままで部活の先輩たちにはなぜ文芸部を選んだのか、と言われ慣れている。
 それを不思議には思ってこなかった。見かけだけならば運動部のほうがずっと似合うとも、自分でも思う。
 いまは不思議だった。はじめて言葉を交わしたとも言えない、顔を合わせただけの水野がなぜそれを言うのだろう。
「水野、先輩……」
 部活の先輩以外を先輩、と呼ぶ違和感。その妙な律儀さを悟ったのだろうか、水野の目許がかすかに和らぐ。
「なんで、その」
「文芸部らしくないと思ったか?」
「はい」
 きっぱり言って答えを待つ。水野をたしなめようと言うのだろう、花田が声を荒らげていたけれど笹嶋はかまわなかった。ただ答えが聞きたかった。
「そうだな……。らしくないって言うのとは少し違うかもしれない。なんて言ったらいいのか……」
 戸惑うよう、水野が言葉を濁し、傍らのシュヴァルツェンを振り仰ぐ。
「通訳しましょうか」
「頼む」
 短いやり取り。通訳、と言う言葉が訝しかったけれど、すぐにわかった。笹嶋は思う。たぶん、水野と言う人は会話が苦手なのだと。それは間違ってはいなかった。
「笹嶋って言ったね。夏樹さんは、君がとても活発に見えたんだと思う」
「活発っすか?」
「うん。じっと原稿用紙でもパソコンでもいいけど、ひたすら自分にのめりこんでいくような作業をするタイプに見えなかったんじゃないかな」
 それからあっていますか、とでも言うようシュヴァルツェンは水野に視線を向ける。わざとらしい素振りに水野が苦笑していた。
「先輩」
「カイルが言ったので、あってる。たぶん、そういうこと」
「俺は……」
 きゅっと唇を噛む。同時にすごい人だな、とも笹嶋は思った。事実、文章を長い間読んだり書いたりするのは苦手だ。それで文芸部など勤まるのか、と言われればそのとおり。初対面でそれを見抜かれた悔しさより感嘆が先に立つ。
「水野。あんまり苛めてくれるな」
「苛めてない」
「いいっす。シュウ先輩。水野先輩はほんとのこと言ってます」
「笹嶋……」
「俺、それでもやりたいことがあって、どうしても文芸部にいたくって。文芸部にいるだけじゃなくって――」
 拙い言葉で精一杯笹嶋は話した。部員たちは無論、水野もシュヴァルツェンも笑わなかった。笹嶋の幼いころの思い出を。
「それで、もう一度あまねちゃんに会いたくって……」
「なるほどね」
「先輩たちはみんな手間がかかり過ぎだって笑うけど、俺には他に方法が思いつかなくって」
「お前を馬鹿にしてるんじゃないよ、ササ」
「うい、知ってます。大丈夫っす、花田先輩」
 そう言って笹嶋はにかりと笑った。それをどう見たのだろう、水野が少しばかり曖昧な顔をした。
「あまねちゃん、ね……」
 口にされた言葉。はっきりと何かを知っているような口調。それに笹嶋が飛びつきかける、その寸前だった。
「水野」
 高橋の厳しい声。まるで叩きつけるよう呼ばれた名に笹嶋は息を飲む。
「了解した」
 高橋は返答にぐっと唇を噛んだ。水野の神経質さも、シュヴァルツェンが微笑ましげに見ているのまでも癇に障る。
「シュウ先輩、いまの……」
「高橋は、思わせぶりなこと言った俺を怒った。それだけだ。気にするな」
「え、水野先輩?」
「俺が悪かったんだよ、笹嶋。それだけだ」
 ごく穏やかに言って水野はようやく席を立つ。そしてドアを見やった。混乱する笹嶋たちもつられるよう視線を追う。
「あ、先生!」
 長身の国語教師がそこにいた。こうして見れば甥だと言う水野によく似ている、と花田は思う。
「なんだ、すっかりくつろいでるな」
 苦笑して彼はシュヴァルツェンへと歩み寄り、一通の封筒を手渡す。
「バイト代だ。ご苦労さん」
「いいんですか、いただいて?」
「どうせ夏樹に消えるんだろ。小遣いだと思って気にするな」
「……その言い方はどうかと思いますが、ありがたくいただいておきます」
 やり取りに、水野が甚だしく嫌な顔をした。これほどはっきり顔色を変えることが大変に珍しい、と知っているシュヴァルツェンは早々に彼をここから引き離すことにする。
「では夏樹さん?」
「あぁ」
 まるでエスコートでもするよう、手を出してしまった。水野もその手をとってから気づいたのだろう、苦笑いをする。
「なに、水野。どっか行くの」
 去ろうとしている気配を察して花田が慌てた。あまり校内で話すことのない級友と、この機会にもう少し話をしたかった。なにより笹嶋のこともある。
「カイル」
「えぇ。このあと、適当なところで昼食……は無理そうなのでお茶でも飲みに行きましょう。それから観光を少し。そのあと駅に立ち寄って、ホテルに」
 シュヴァルツェンが語る今後の予定に、部員たちが揃って唖然とする。顧問の水野が吹き出していた。
「コンラート。お前、どうしたんだ。その言い方じゃうちの甥っ子を悪所に連れて行くようにしか聞こえんよ」
「連れて行ってついてくる人だとも思えませんが」
「カイル!」
「失礼」
 軽口に、軽い声音で怒って見せる水野。ありえないものでも見た気分で花田は目を瞬く。ここにいるのは本当にあの水野だろうか。その思いがありありと顔に出ていたのだろう。高橋に背を叩かれた。
「……念のために言っておくと。駅で露貴と合流する。よからぬ噂を流しでもしたらお前ら。わかってるよな」
 いまはみな気づいていた。水野が微笑んでいるのは機嫌の悪さからきているのだ、と。
「水野ー。せめて感情と表情を一致させろ。混乱する」
「カイル?」
「私には一致しているように見えてますよ。花田の目が悪いのでは?」
 花田の言葉を確かめるようシュヴァルツェンを見やった水野に、彼は実ににこやかに言ってのけた。呆れて言葉もない、とはこのことだと部員全員が実感していた。
「じゃな」
 だが水野はそれでよかったのだろう、ひらりと手を振って背を向ける。
「ちょい待ち。水野!」
「なんだよ」
「露貴って、藤井さん?」
「そう。花田憧れの藤井先輩」
 茶化すよう、水野は言った。シュヴァルツェンは半ば無理やりでもこの場に彼をつれてきてよかった、と思う。不機嫌であったとしても、彼が級友と冗談口を叩ける程度の人間関係を築いているのだ、と思えばほっとする。
「憧れって言うな!」
 照れて喚く花田を笹嶋は驚いて見ていた。傍らの高橋を見上げれば、困った顔をして、それでも笑っていたから彼らの間では周知のことなのだろう。
「藤井先輩って言うのは、シュヴァルツェン先輩と同級でね。飄々としてるって言うか、あんまり高校生らしくないって言うか。そんなところのあった人。花田はずっと憧れてたんだ」
「花田先輩がっすか?」
「そりゃ、お前には俺たちが上級生でも、俺らにも上級生はいるからね」
 当然のことを言う高橋に、笹嶋はほんの少し寂しさを感じた。部活でしか、この先輩たちを知らないのだと笹嶋は改めて思う。
 授業中のことも、授業の合間のことも放課後のことも少しも知らない。
 花田も高橋も確か寮には入っていないはずだった。笹嶋も通学途中に見かけたことが何度もある。それでもそこには入っていかれなかった。
 当たり前だった。先輩たちは先輩たちと話していたのだから。下級生が乱入など、とてもできない。
「笹嶋?」
「え、あ。俺、先輩たちのことあんま知らないんだなって思ってました」
「まぁ……そんなもんだよな……」
 言った高橋の言葉に、何か含みがあった気がした。それが何かわからない。が、引っかかる。同時に先ほどの水野の態度の違和感が蘇った。
「んじゃ、藤井さんによろしくな」
「お前を慕いまくってる後輩から暑苦しい挨拶があるって言っとく」
「水野!」
 笹嶋は水野を見た。やはり、鋭い目を持っている人だと思う。冗談口を叩いていても、彼には毅然とした何かが付きまとう。本来ならば付きまとう、と表現するものではないだろう。それでも笹嶋にはそう見える。
 その水野が先ほどはあっさりと自分が悪かった、と言った。誤魔化されたのだと今更気づく。が、なにをどう誤魔化されたのかがわからない。
「シュウ先輩……」
 聞けばいいのだろう。彼は何かを理解して水野を止めたのだから。
「どうした?」
「いや、なんでもないっす!」
「そうか?」
 言ってしまってから笹嶋は溜息をつきたくなった。なぜ、あのように言ってしまったのだろう。聞いてはいけないこと、とも思えなかった。
「まぁ、いっか」
 小さく呟く。合宿中に機会はまだきっとあるはずだった。それにあまり人目がないところで話したほうがいい、なんとなくそのような気もする。
「ササ、どーしたー?」
 呟きを耳にした花田が覗き込んできた。はっとして顔を上げれば、部員の注目を浴びている。
「え、なんすか」
「いやぁ、度胸あるよな、お前。部屋割り、決めてたんだけど無論聞いてたよな? ササに高橋と一緒でいいって聞いたらお前、まぁいっか、だもんなー」
「うわ! 違います! 不遜なことは考えてないっす! ちょっと考え事を――」
「ほう。部長が話してる間に考え事ねぇ。それはそれでいい度胸だ、ササ」
「うは。花田先輩! すんません。不注意でした!」
 勢いよく頭を下げる笹嶋を和やかに部員たちが笑った。そのような態度だから運動部のようだと言われるのだとは、誰ひとり言わずに。




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