どことも知れぬ湖のほとりだった。 風さえもさけて通るのか、湖面には波ひとつ立たない。どこまでも透き通る青い水の色。 その水辺に男が立っていた。腰まで水に浸かっている。 水中から上げた手が、陽光にきらめきを返し、白い肌に水滴を跳ね返す。 銀の髪、銀の狐耳、そして豊かな銀の尾。 妖狐だった。 こちらに向けた背中に丈なす髪はない。無残に肩の辺りで断ち切られていた。 あるいは、接近を許したのはそのせいだったのかもしれない。 「まだ伸びないな」 言いつつ、何者かが銀の髪を指で梳く。 気づかずに近づかれた、その屈辱に身を硬くして妖狐が振り返った。 と、そこに。黒衣の、男。妖狐の一族。 「……死にに来たか」 低い妖狐の声が響いた。 「相変わらずつれないことだ」 「気色の悪いことを言うでないわ」 吐き捨てる妖狐の前に立つのは、まさしくもう一人の妖狐。 夜色の長い髪は背中でひとつに束ねられ、頭上には同じ色の狐耳。なにより顕著な狐尾が背後に揺れていた。 「疾うに出て行った古巣。なにをしにきた」 「銀<しろがね>に、逢いに」 「気安く呼ぶなッ」 妖狐――銀に普段の余裕はなかった。口調さえもが違う。それは目の前にいる宿敵とも言える男のせいなのか、あるいは。 「そんなに死にたいならば、この手で殺してくれるわ。鉄<くろがね>、我が兄よ」 銀の目に狂気が宿る。 妖狐にとって、兄弟とは微笑ましく優しい間柄などではない。そもそも単胎であるのが多数の妖狐の一族に、兄弟、というものは存在しないのが普通だった。 中には変わったものもいて、それは睦まじい兄弟、というものもいよう。そういう意味で、鉄・銀兄弟はごく普遍的な妖狐の兄弟、とも言える。 が、殺し合いまではしない。 普通ならば。 「できるかな」 目元だけで笑って見せた鉄もまた、普通ではないのかもしれない。 挑発の言葉とも取れるそれを吐きながら、その手はまごうことなく銀の髪に伸びていたのだから。 「触るな」 静かに言い、手を払う。 鉄の手を銀自身の手で、払った。支配下にあるはずの草木を使わず。 「できるかな」 再び笑う。笑って銀の腕を捕らえては抱きすくめた。 「くっ」 銀が、あの妖狐がなす術もなく抱かれているとは。 喉から恥辱の苦鳴をもらすのみで鉄の腕を解くことすらできないではないか。 「なぜ、いま来たと思う? 誰が教えたと思う? 今ならば……お前を俺のものにできる」 呟くようなその声が次第にくぐもり、唇が喉に寄る。 そっとくちづけた。 「卑怯者に成り下がるかッ」 のたうち、暴れようとも強い腕は解けない。 いま逃れることはまず不可能、と知っていはしても、抵抗をやめることはできなかった。 「卑怯? 結構」 片手がこれ見よがしに髪を梳く。 断ち切られたままの銀色の髪。 妖狐の一族にとって、髪は力の証。それが断ち切られたままでは、満足に力を振るうこともできない。 対して鉄は完全。これではいかな銀といえども敵いようもない。 「愛しい弟……銀」 唇が愛を囁く。その狂気。 「ぬかせッ」 返す言葉もまた、狂気。 いつの間にか鉄の衣の背は血に染まっている。のたうつ銀の爪がえぐったものだった。 「いくらでも言うがいいさ。お前は逃れられない」 そう鉄は言い、舌が銀の喉を這う。 びくり、と身が震えた。腕の中で。 「ほぅ」 嗤った。鉄が。 「そう、ここがいいんだったな」 再び嗤う。喉へのくちづけも再び。 「くっ」 くちづけから逃れようと背を反らせば、よりいっそう無防備にさらしてしまうことに、銀は気づかない。 「好きなだけ、暴れるがいいさ」 言葉とともに、鉄が腕に力を入れる。と、いつの間にか草の上。 銀の上に、どれほど憎んでも飽き足らない男が乗っている。 逃げ出せない腹いせに、背中の傷にさらに爪を立てればわずかな苦鳴。 報復は鮮やかだった。 両手をひとまとめにして頭上に片手で押さえつけられ、あっさりと唇をふさがれた。 温かい唇が自分のものに触れている。その気味悪さ。 「……ッ」 唇を割ろうとする舌に顔を背ければ、残りの片手が顎をつかむ。 その痛みに堅くなった瞬間、舌が這入りこむ。 ぬたり。 口腔中を舐めまわされた。吐き出そう、とする銀の舌が、ふっと彼の舌と絡み合ってしまうその嫌悪。 背筋がぞわり、逆立つ。 顎を離れた鉄の手が、胸の辺りに触れていた。 小さく勃ち上がったそれを指でつまむ。そのたびに背がしなる。 「体は覚えているとみえる」 唇を解放した鉄の、どこか自嘲めいた言葉が銀を逆上させる、その隙を狙ってはまたくちづけた。 先ほどよりもなお深いくちづけ。 手は胸から下へ、腰の辺りへ。 「はな……ッ」 「誰が放すものか」 指が触れる。身がすくむ。 「ほうら」 「……やめ」 「やめない」 途切れ途切れの銀の声。それさえすくい取りたいとでもいうように、鉄はくちづける。 指は勃ち上がった銀自身をつかんでいた。 「ん……ッ」 知らず、声が上がった。 初めてではない。体が確かに覚えていた。 稀なことに、中の良い兄弟であった時期も、あったのだ。 まだ幼い頃、互いの体をまさぐりあっては遊んだ。はじめに誘ったのはどちらだったか。銀だったかもしれない。 そして飽きたのも銀が先だった。 だから、互いの体など、知り尽くしている。どこをどうされたら銀が快楽に溺れるかなど、今なお彼を求め続ける鉄にはわかりきった、こと。 指でこすりあげれば、蕩けた声が漏れるのに時間はかからなかった。 銀の腕を押さえていた手を解いても、すでに逃げはしない。 いつの間にか衣を脱いだ鉄の肌と銀の肌が、触れ合う。意外なほどのその温かさ。 そろりそろりと体をずらす。下へ。 喉、肩、胸、腹。臍の窪み。舌が這うたび、声が漏れ聞こえる。 銀の指が、辺りの草をちぎっては捨てていた。 「く……あっ」 思わず逃れようと反応した体は、それと察した鉄に押さえつけられていた。 足の間で鉄の目が笑う。唇が銀自身を呑んでいた。楽しげに耳が動く。 ぴちゃり、わざと立てる水音。舌で舐め上げ、先端をつつく。軽く牙を立てれば弓なりのまま声を漏らす。 そのたびに銀の体が跳ねた。 「は……」 ため息のような声。けれど紛れもない喘ぎ。 背を反らしてはさらに欲しがるように突き上げる腰。 広げた足をさらに広げて、鉄は後ろに舌を這わせ。 「やめ……ッ」 「やめない。こんな時でもないと、抱かせてくれないからな」 顔を上げては笑う鉄。一瞬、銀の頬に皮肉げな嗤いが浮かぶ。が、這い回る手が呼び起こす快楽に、それもすぐ消えた。 指が後ろ這入りこむ。 「……っ」 声もなく仰け反った銀に、容赦なく、もう一本、さらにもう一本。 指が増えされほぐされる。 つぷり。 音を立てて抜かれたそこがじわり、しぼんでいく。それを満足げに見た鉄は身を起こし、胡坐を組んだ。黒い尾が快楽ゆえに揺れた。物欲しげに。 「……おいで」 と、その声に。 銀が従うではないか。声に、だったのか、快楽にだったのか。 鉄の首に白い腕を絡めて身をもたせかける。 それを抱え上げては足の上。 銀の足が鉄の足に絡みついた。期待に銀色の尾が、揺れる。 「くっ……あ、あ……」 入った。熱い中へ。鉄の首筋に顔を埋めたままの銀の唇から漏れる声。 その耳を軽く噛めばさらに上がる悲鳴。 「銀」 呼べば蕩けた目が見返す。 くちづけはどちらが先に求めたか。 いやらしい音を立てて、舌が絡み合う。貪るように交わしたくちづけ。噛み破ったのはどちらか、互いの唇はどちらかの血に染まっていた。 「ふ……あ……」 仰け反ってはもっととねだるその腰つき。 絡んだ腕と腰の一点だけで支えられた銀の体はそのまま地に倒れる、と見えて強い鉄の腕が寸前に抱き寄せた。 その衝撃に、ちぎられた草さえ勃ち上がりそうな喘ぎが漏れる。 動きにくい胡坐の体勢など、なにほどのこともなかった。銀が自ら動く。 肩口で揺れる銀の髪。腰の動きに合わせて振れる銀色の尾。時折、快楽に耐えかねたようにそれだけが別の動きをする。 尾の毛が足を嬲る、それがまた心地いい。 頭を抱えて耳に軽く牙を立てた。上がる悲鳴。腰を突き上げた。悲鳴も、上がらなかった。 銀の、中が熱さを増した。 「く……っ」 漏らした声はどちらのものか。 打ち付ける腰は速さを増し、ある瞬間止まった。 「あ……あ、あ……」 途切れ途切れの喘ぎ声。 体の中に熱い滴りを覚えた。食いちぎるかに締め付ければ、鉄の喉に喘ぎ声。 それが聞こえたとき、銀もまた鉄の腹に放っていた。 けだるい開放感に包まれた銀の体は草の上。その上に鉄の体。 「さっさと降りるがいい」 冷たい言葉もどこか蕩けて。 「……こうか」 「聞こえない」 「このまま、魔界に連れて行こうか」 「誰がついて行くか」 「力ずくでも」 さらり、と鉄の指が銀色の髪を梳く。今のお前の力では抵抗できまい、と言うように。 「させるか」 わずか、周りが煌いた、と見えた。 ちぎれた草が躍り上がる。あちらにひとつ、こちらにふたつ、見る間に増えていくのは大地に生まれたばかりの蔦だった。 「止せ」 「止すか」 声がどこか、笑っているのは気のせいか。 銀の、いまの体では扱いきれない力が呼び出されては跳ね回る。力が暴走する。 その寸前に一点に集まり、弾けた。 鉄の体のあった場所で。 「ちっ」 爆殺しそこねた、と知って銀らしからぬ舌打ちをし。 どこからか、声が聞こえた。 「遊んでくれた礼だ」 姿を消した鉄の声。それとともに降ってきた瓶の中には淡い桃色の結晶。 「……ふん」 消えた鉄の行方を追うこともなく、銀は結晶を口に運ぶ。 桃色をしていた理由など、考えることもなく。 妖力の結晶を作るのに、どれほどの苦痛に耐えたのかも、考えることなく。 水辺に戻った銀の髪は、以前よりさらに輝かんばかりに背中を飾っていた。 End 入り口へ
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