上手く迂回した、と思ったのもつかの間。
 すっかり道に迷ってしまったようだ。
 あてもなく道を歩いていたらなんの偶然か水辺に出た。きらきらと輝く湖水は、どこまでも透明で、誘うように輝いている。
 思わず走り出した。
 その途端。
 何者かにぶつかって倒れてしまう。
 謝罪の言葉を呟くより早く、その目に射竦められた。
 恐ろしい、と思う間もなかった。何者か、と思うことさえ出来なかった。
 相手はただそこにいる。それだけなのに、身じろぎ一つ出来なかった。銀の髪、銀の尾。
 男は人間ではなかった。
 人の身にはありえない美しさが、よりいっそう禍々しくも恐ろしい。悲鳴は喉で潰れた。
 それを見て妖狐が笑う。あどけない、と言って良いほどの純真な笑み。
 死すべき定めの人の子ならば、きっと善悪も知らない幼児がその手で蝶の羽を毟り取るときに浮かべるかもしれない、その微笑。
 肩の辺りで断ち切られた銀色の髪が風になびいて彼の頬をなぶっている。
 妖狐が笑った。再び。
「生憎だねぇ」
 指で乱れた髪を梳いては放し、放してはまた梳く。
「いまは加減ができそうにないのさ」
 なんのことだか、わからない。が、その恐ろしさ。あまりの恐怖に失神することも出来なかった。
「運がよければ……死なないですむ」
 ぬたり、赤い唇が笑いの形にゆがんで、消える。
 きれいな形の指がひらめいたと見え、一瞬の後に蔦が体の周りを覆うのを感じた。
 毒々しい色合いの蔦のその先端は、さらに凄まじい色の上ぬめってさえいるではないか。
 ぽたり。
 体の上に粘液が滴った。
「迷い込んだ時期が悪いねぇ」
 どこかで妖狐の声が聞こえる。
 滴りは手に足に、頬に髪に降りかかり。
「もっとも、良かったのか悪かったのか」
 喉の奥で笑う声。忍び笑いが聞こえ、遠くになり、いつしか物音は絶えた。
 蔦の繭が森の果てへと動き出したのを見るものはいなかった。


銀bad


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