唇が離れてもまた信じがたかった。腕の中、往周がいる。温かい体がここにあるというのに。目をみはれば、密やかに睨まれた。
「なにを、驚く」
 わずかばかり掠れた往周の声。彼もまた、心躍らせていることを知った。
「驚かずにいられるか」
 拗ねたようなその顔を捉え今度は瑞治からくちづけを。甘い唇を深く味わう。
 笛の音、花の名。聞こえる音。二重、三重に縒り合わされたえにしの糸。
「縁もゆかりも知るものか。そなたがいい」
 離した唇に往周が囁く。とろけた声を夜気にさえ逃がしたくない。塞げば上がる甘い声。
「そなたが欲しい」
 呟いた瑞治の声に往周が、笑った。
「此度こそは――」
「――離すまいぞ」
 と。聞こえる。二人、目を見合わせた。どこからか響く声は馴染んで、それでいて遠い声。確かに知っているはず、けれど誰のものとも言えなかった。
 確かにこの耳に聞こえたのか。戸惑う往周の問いを瑞治はうなずくことで諾った。
「あれは……」
「初瀬山の、鬼とやらの声かもしれぬな」
「もう一方は」
「はて。鬼の恋うた者かも知れぬ。知らぬよ、俺も」
「そなたが鬼なら」
 わずか、言いよどんだ往周の顎先を捉え仰のかす。間近でじっと、見つめあう。
「そなたはそなた。前つ世など、あったとしても何の関わりもなきこと」
 言われて往周は微笑んだ。ゆるり、瑞治の首に腕を巻く。
「ここは寒い」
 甘えてねだるその声に、瑞治は彼を抱き上げる。風吹きすさぶ簀子から、母屋へ戻れば暖かい。そのまま奥へと連れ去った。気を利かせた式だろうか、彼らの後ろで蔀が閉じた。
 遠くの燈台ひとつ。ぼんやりと、顔も見分けられぬ仄かな灯り。
「瑞治」
 呼び声に、彼の腕の中抱きしめられた。熱いほどの男の肌がここにある。懐かしい匂いがする。
「愛しうて……どうしたものかな……」
 ためらうような、自らを笑うような瑞治の声がする。抱きすくめられた格好のまま、往周が彼の首を引き寄せれば降りてくる唇。
「瑞治」
「うん」
「なにを……香はなにを焚き染めてある」
「香など、たいした物が使えるものか」
 瑞治はこの期に及んでなにを言うとばかり笑った。
 瑞治の身分でそうそう高価な香など使えるはずもないこと。ようやく思い当たった往周は不意に悟る。あれはこの男の匂いであったかと。
「懐かしいのは、そなただからか」
「そうか」
「そなたの匂いが……好きだ」
 往周が恥らうよう目をそむけたのを捉えて間近で見つめ合う。
「往周」
 ただ、名を呼ぶだけ。それなのにどうしてこうもときめくのか。吐息をひとつ。すぐに吸われた。
 瑞治が衣を剥いでいく。指先が肌に触れるたび、往周は身をすくませる。
「いやか」
 そうではないことを知りつつ問うのは意地が悪いというもの。首を伸ばして彼の耳朶をそっと噛む。裸の体を抱きしめられた。
「ん……」
 肌と肌が触れ合っている、それだけ。もう、どうしてよいのか往周にはわからない。瑞治の成すがままに身を委ね。
 横たえた往周の肌にそっと指を落とす。震えた。あまりに愛しくて、唇を這わせれば上がる嬌声。
 胸の辺り、舌で舐め上げ身をよじるのを目で楽しむ。艶に睨んだ目を愛しく見やり、軽くくちづけ声を飲み込む。指はその間も愛撫をやめはしなかった。
「あっ」
 瑞治の指が往周の物に触れ。恥らいに、彼が瑞治の手を掴む。
 子供のよう、首を振って嫌がる彼に何度もくちづけ、けれど瑞治は愛撫の手を緩めない。
「は……」
「往周」
 すっと、閉じていた目を開いた。それからかすか、笑う。知らず瑞治は苦笑した。
 欲情に、掠れた声を聞きつけられた。己も彼も同じと往周は知った。ならば恥じる必要がどこにある。ためらいを捨てた彼の体はまったきほど瑞治に預けられた。
 重ねた体を瑞治はずらす。それに往周がはっとして腕を掴んだ。
「いや……」
 恥ずかしいことなどない、そう思っても邪魔をするのは何ものか。己の手を捉える彼の手にくちづけ、瑞治はそっと振りほどく。
 一息に、彼の物を呑み込んだ。声も、上がりはしない。弾んだ息だけが瑞治の耳に届く。
 ゆっくりと含んだ物を吐き出した。それから再び舌で舐め上げ。
「ん……あ……」
 途切れ途切れの声がする。思わず広げた足の内腿に、歯を立てた。
「ん……っ」
「すまぬ」
「……いい」
 下げた視線が自らの足の間にいる瑞治を捉え、往周は仄かに目元を染めた。
「もっと」
「うん」
「噛んでいい」
「あぁ……」
 歯形のついたそこを舐めればもどかしげな喘ぎ。再び柔らかい肉を噛む。身をよじる、痛みではなく快楽に。
「往周」
 噛んでは舐め、舐めては噛み。とろけた彼の物から滴る物を指先に取っては後ろになすりつけ。
「ん……あっ」
 触れた事などない場所に、男の指が触れる。羞恥に身悶えする往周を押さえつけ、瑞治はそこをなぞった。
「あぁ……」
 上がる溜息、吐息。己が腕に歯を立てては声を忍ばせる往周の手にくちづけた。
「傷がつく」
「でも……」
 首を振って、どうしようもないと戸惑う往周の手を背中に導く。
「俺にしろ」
「瑞治が……」
「いい。噛むなら俺にしろ」
 仄かに笑って首筋を差し出せば、彼の唇がそこに触れ。
「ん……」
 甘く噛まれた。思わず上がってしまった声に、目の前が往周が笑んだ。
 仕返し、とばかり瑞治は後ろを撫でていた指を一息に埋めた。首に痛みが走る。
「瑞治、瑞治……」
 謝るよう、何度も呼ぶ声に封じるようくちづけ、指を蠢かせれば絡みつく。揺れる腰を目にしては、瑞治は再び体をずらし彼を含んだ。
「いや、瑞治」
 たまらない、と上がる声に瑞治は微笑む。もっと追い立てたかった。もっと、欲しがらせたかった。こんなにも、己は彼を欲しがっている。
「瑞治」
 ねだる目が、何事かを物語る。羞恥に震える目許。視線をそらし、それから再び瑞治を見据えたとき、彼はきつい目をしていた。
「往周」
 詫びるよう、名を呼べばほころぶ唇。軽く吸っては体を離す。
「ん……」
 離れた肌に冷気を感じる。ぬくもりが欲しくて瑞治を抱き寄せ、抱き合った。
「あぁ……」
 満足の溜息を漏らす。ゆるり、体の力が抜けていく。
 と。声もなく往周が仰け反った。痛みと快楽と。どちらともつかないものが彼の体を駆け巡る。
「は……」
 吐息を飲んで瑞治はゆっくり腰を動かす。震える指が背中に回り、瑞治の体をしっかり抱きしめ。
「往周」
 名を呼ぶことしかできなかった。彼がここにいる。まだ信じがたいと言えば怒るだろう。
 濡れた肌を絡み合わせ、深く互いを貪る。往周の唇が瑞治のそれを探し、漏れる吐息が恥ずかしいとくちづける。
 奥まで穿った腰を引き抜き突き立て。そのたびに往周は唇を求めた。
「瑞治……」
 悦楽に溶けた目で彼を見れば瞬時、瑞治の目が柑子色。瞬く間にそれは消え、元の瑞治の目となった。
「どうした」
「なんでもない」
「そうか」
 問いの声音に往周は微笑み、そして仰け反る。白い喉に吸い寄せられるよう瑞治が唇を寄せ、強く吸う。赤い跡が残った。
「あ……」
「すまぬ」
「もっと」
「いいのか」
「早く」
 差し出された肩口に、胸に腕に。いくつも赤い跡を残してくちづける。満足そうな吐息が漏れて、瑞治こそが満たされた。
 それを見ては往周が腰を振る。不意を打たれて思わず上がる呻き声。
「往周」
 叱る声音で名を呼べば、今度はきつく締め上げられた。強く掴みすぎた往周の腰が赤くなる。叩きつけるよう、抉った。
「あぁ……っ」
 何も考えられなくなって往周は首を振る。ただ、どうしようもない充足感だけがあった。瑞治の肌に触れている。抱きしめられている。それが例えようもなく、嬉しい。
「瑞治……」
 絡んだ体。手指さえも絡め合わせて唇を味わう。最後が近い、教えるよう往周が首を振るのに瑞治は答え。
「ふ……」
 漏れたのは声か吐息か。それはどちらのものだったのか。高まる鼓動に相手のそれがまじりあう。肌も息も何もかもがとろけてまじる。体の中が熱くなった、それを感じる間もなく往周もまた最後に達していた。

 目覚めたとき、肌はすでに冷え。けれど熱い体はまだそこにあった。
「瑞治」
「起きたか」
「うん」
「よく、眠っていた」
「眠りが……足りなかったから」
 恥じらいに目をそらせば腕の中に抱きしめられる。まだ何も身につけてはいない肌が触れ合うのが心地良かった。
「それは俺のせいか」
「他に誰がいる」
「うん」
 甘く満足げな瑞治の声。振り仰げば微笑っていた。そっと引き寄せくちづける。
「そなたがいい」
 瑞治は答えず笑んだだけ。答えなど、言うまでもなく聞くまでもないこと。



 蔵人の少将は位階を進め、稀に逼塞し、ついには位人身を極めたと言う。
 時折、かの君のことを竜胆の君と呼ぶ者がいた。そのたび少将はたしなめたと言う。そして常に付き従う陰陽師のみがかの君をそう呼ぶことを許され、かの陰陽師を少将は大蛇の主、と戯れに呼ぶ。
 ――そう、語り伝えられている、という。




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