木蔦の家

 陽が暮れてからこそが、降臨祭の真骨頂だった。どの国でもそれはおそらく変わらない。が、ここは不思議の国。魔法のある国。至るところであり得ないものが出現している。それも人々を楽しませるためだけに。
「レイ」
 人混みを怖がるレイではあった。けれど楽しみにしてもいたらしい彼。その肩を堂々と抱いたエドガーはこの上なく晴れやかな気分。いままでのすれ違った思いではなく、今度こそ本物の、恋人同士として肩を抱ける。
「――ずっと」
 レイの顔を覗き込めば、ほんのりと青白い。どこもかしこも人だらけなのだから仕方ないだろう。その唇だけが、普段の色の薄さと正反対に赤かった。
「――つらかった。――というより、寂しかった、かな。こうやって君が一緒にいてくれても、君は僕を見てくれなかった」
「それは!」
「見ているのに、見ていなかった、の方が正しいんだろうけれど。いまは、それがわかるけれど。でも、僕にとっては一緒だろう?」
 いずれエドガーの眼差しが向いていなかったことに違いはない。レイに微笑まれてエドガーは言葉をなくす。それに彼がそっと首を振った。責めているわけではない、と。いまがどれほど幸福なのか、知ってほしいだけだと。
「精一杯楽しむか」
 せっかくの宵だから。こんな気分になれた晩。こうやって共に過ごす喜びのある夜。呟いたエドガーに今度ははっきりとレイは笑った。
 あてどなく、というわけでもない。人波に乗って動けば当然にしてたどり着くのは議事堂前の湖。アリルカの人々は何くれとなく議事堂に集まる。それはこれが国家の重要機関だから、という理由ではなく、かつては神人の館だったからでもない。ここはこの国を確固として起たしめると決めた場所。アリルカが、アリルカとしてあり続けると決めた場所。自らの意志で自らの行く末を決めた場所。その記念ゆえに。アリルカ共和国が幻の国と言われるようになってからここに住みはじめた二人にとっても、議事堂前はやはり、厳かで、それでいて歓喜を呼ぶ場所にもなっている。そして祭りもまた、ここが最も賑やかだった。
「よう、なんだ。妙に浮かれた顔してんな? ――あぁ、なるほどな」
 木の根元に腰を下ろしていたのはエリナード、隣には当たり前にファネルがいる。片手を上げた魔術師に、エドガーとしては言いたいことが一つある。それを見てとったかのよう、機先を制された。
「あのな、レイ。俺は言ったよな? 一服盛ったりするんじゃねぇぞって、忠告したぜ?」
「……はい。確かに。申し訳」
「いい、いい。詫びんのは俺じゃねぇだろ? だいたい彼氏はきっちり許してんだろ。問題ねぇだろうが。そもそもな、彼氏がしっかりしてねぇからこういうことになるんだぜ。その辺わかってんのか、エディさんよ」
「あー、はいはい。了解」
 なぜか、自分が悪いことにされてしまった。確かに悪かったのは自分だとは思うが。首をかしげるエドガーをレイがこっそり笑う。そしてエリナードにすっかり見抜かれていることに気づいては苦笑した。
「そんなに――」
 あからさまだったか。問おうとしたとき、ふとエリナードの表情が変わる。一瞬だけ厳しい眼差しをしたかと思えば、溜息をついて頭を抱えた。それをファネルが忍び笑いをしているものだから事態は深刻ではない。と思いつつもエドガーはレイを抱き寄せる。万が一ということはどこにでもある。レイが見上げ微笑んだとき、異変は起こった。
「おっ前なぁ! こんな人混みん中に転移してくんじゃねぇよ、この馬鹿娘が!」
 息をする前まではいなかった人影が二つ。必死で吸って、なんとか吐く。レイもまた同じことをしていた。
「まぁ、エディ! 元気だったのね? レイ君も。よかった」
 心配していたの。言いながら飛びついてきたのは幸運の黒猫隊付き魔術師エイメだった。エドガーの顔もその頃になってようやくほころぶ。
「なんだよ! ひっさしぶりだなぁ、おい。元気? それこそ俺が聞きてぇわ。クレアとヒューはどうなんだよ、え?」
「元気よ。みんな、元気。――ちょっと、人数が減ったりしたけどね。でも……元気よ。あなたたちが元気にしてるって聞けば、隊長も元気になるわ」
「そうか……そりゃ――」
 よかった。言いたかったのに、最後まで言えなかった。ともに転移したというべきか、エイメを運んだというべきかエドガーにはわからなかったけれど、エリナードに叱責されていたカレンが腹を抱えて笑っている。なにがおかしい、言いたくとも、背後から喉を締め付けるこの繊細な指。案外力があって少しばかり気が遠くなってくる。慌ててばたばたと腕を叩けばようやく離れた。
「エドガー? 早速、刺し殺していいんだろうか? まだ蜜月も終わっていないのに、もう僕は一人ぽっちになってしまうのかな」
「それを殺人者本人が言うんじゃねぇよ!」
「まだ殺してない」
 にこりと笑ったレイが絡みついてくる。きょとんとしたエイメがやっと事態を把握したか、彼女らしくなく大笑いしていた。目に涙まで浮かんでいる。
「てめぇ……」
「あら、仲良しはいいことよ? レイ君、でも私に妬くのはよしてちょうだい。エディとだけは絶対にないから」
「なくても妬くんだ、僕は」
 きっぱりと言い放ち、それからレイは笑みを浮かべてエイメに久しぶり、などと言っている。呆れつつ笑うエドガーの肩、ぽん、と手が乗る。
「大変そうだなぁ?」
「うっせぇな。――カレン、冗談でも抱きついたり――するんじゃねぇって言ってんだろうが! だからレイ! 刃物はしまえ、刃物は!」
 ファネルがエリナードの背を叩いていた。どうやら笑いすぎて呼吸に支障をきたしたらしい。楽しんでもらえて何よりだ、とエドガーは溜息をつく。
「――礼は言っとくぜ、カレン」
「なんだ? 言われるような覚えがねぇんだけどよ? まぁ、くれるってんならもらっとくぜ」
「おうよ。二度は言わねぇしな。――感謝する、心から」
 最後だけ真摯になったエドガーの目にカレンはそっと微笑む。カレンの助言は結果として役に立ってはいない。けれどエドガーは思う。自分の心のどこかに残っていたのではないか、と。だからこそ今がある。思いを汲み取ったのだろうカレンがくすぐったそうに笑いエドガーは吹き出す。
「レイ。私相手に妬くのはいくらなんでも趣味が悪すぎらぁな?」
 にやりとしたカレンがレイの体を押し留めていた。くっと笑ってあっという間にレイの肩から喉へと腕がまわる。拘束している、というよりは親しい友人として。それをレイは嫌がらなかった。
「離せよ、カレン。それは俺の。――つか、あんた。つくづくでけぇな」
 ひょいとレイを抱き寄せたのがそう言えば女性だったとエドガーは思い出す。レイは確かに成人男性としては大柄な方ではないけれど、さして小柄でもない。
「羨ましいか? 身長だったら師匠とそんなに変わんねぇからな」
 自力で立つことがないエリナードだ、エドガーは彼がそれほど身長があるとは知らなかった。驚くエドガーにまたもレイの冷ややかな目。
「だーかーらー。なぁ、レイ。あんたが望むんならな、山ん中で二人っきりで暮らすか? なんだったら拉致ってくれても監禁してくれてもいいぜ?」
「別に? 僕の大切な君がもてるのを見るのは嫌いじゃない。癇には障るけれど」
 にこりと笑うレイにカレンとエイメが顔を見合わせ、爆笑した。このぶんでは隊に戻ったときエイメにどんな噂話をされるかわかったものではない。が、嫌な気分では当然にしてないエドガーだ。
「ところでな、別に私は師匠の顔見に来たわけじゃねぇんだよ。降臨祭だからって関係ねぇしな」
「だったら――」
「レイとエディに降臨祭の贈り物ってところだな。――師匠、茶ァください。喉乾いたわ」
 自分で淹れろ、と怒鳴ったときにはすでに茶菓の支度ができている。エリナードはとっくに話の行き先がわかっていたのだろう。手振りで座れ、と言われた二人はエリナードたちの元に揃って腰を下ろす。祭りの熱気が辺りに渦巻き、こうしているだけで楽しくなってくる。ましてそっと寄り添うレイがいた。
「贈り物?」
 なんだそれは。言いかけたエドガーにカレンがにやりと笑った。その表情にエドガーは咄嗟にレイの手を握る。彼が不安になったりしないように、と。それが正しいとカレンがうなずいていた。
「ミルテシアでちょっとした事件があってな」
 さっと青くなったレイは事件の主人公が誰か察したのだろう。もちろんエドガーも。そんな話を持ち出したカレンを恨みたくなるくらいに。だがカレンだった。二人の不利になる話であるはずはない。
 ゆっくりとしたカレンの話しぶりに、徐々に二人にも事情が飲み込めてきた。
 レイの異母兄に当たるチャールズはレイを諦めてはいなかったらしい。それを父侯爵に咎められ、内々に蟄居を命じられていたものを、仲間の手を借りて屋敷から脱走を果たした。それだけならばまだしも、逃亡資金調達のため、ある貴族の令嬢を誘拐したという。悪所に売り飛ばす寸前で侯爵の手の者がチャールズ一味を内密に捕縛。令嬢は無事奪還し、けれど問題の根は深くなった。令嬢は侯爵の政敵の娘だった。さすがにこれには父侯爵も決断せざるを得なくなったらしい。
「結果として、嫡子はその地位身分を剥奪されて平民として追放。まぁ、追手に殺されたわけだがな。侯爵本人は嫡子の監督不行き届きを恥じて自害。侯爵家は嫡子の従兄弟の子が継承するよう遺言された」
 タングラス侯爵家は内紛が起きた以上、公に二人を追捕できなくなった。下手にほじくり返せば先代の恥をより広めることになる。暗殺の可能性は高まったと思いつつ、チャールズが死んだのかと思う。特段嬉しくも悲しくもなかった。強いて言えば、悔しい。思った途端沸々と腹が滾る。この手で殺してやりたかったものを。はっとレイを見やればまだ信じがたいのだろう、呆然としていた。
「で、その新侯爵殿の言だ。――レイラ・ネイ・タングラスなる者は当家の関知するところではない。またエドガー・モーガンなる騎士とも無関係。だ、そうだ」
 にやりとしたカレン。まさか、と思う。いまのは伝聞ではなかった。カレン本人が、新侯爵自身から言質を取ってくれたとしか。レイ同様に呆然とするエドガーにカレンは片目をつぶって見せた。
「ここが気に入ったってんなら、ここに住めばいいさ。狼の巣に戻るならそれもよし。黒猫隊に帰るってんならそれも障害はねぇよ」
 自由だ、カレンは言う。自由こそ、二人に贈る降臨祭の贈り物、と。無言でレイがカレンの手を取る。額に押し当てる姿はまるで祈るよう。照れたカレンの笑い声が夜空に響く。
「二人とも、ちょっと散歩してくるといいわ。私たち、魔術師同士の話があるんだもの、ね。カレン様?」
 ふふ、と笑うエイメをエリナードが茶化す。ついにカレンにも恋人ができたかと。黙って師匠を殴りつけるのはいかがなものかとエドガーは思ったけれど、師弟は楽しそうだったからエイメの言葉に甘えてレイを誘った。
「なんか急展開だな」
「……まだ、感情がついて行かない。――だから、忘れてしまいそうで、怖いから。これだけは、君に渡しておく」
 なんだ、と思う間にレイが取りだしたのは、一冊の本。手作りなのだろう素朴な製本だったけれど、ぱらぱらと中を改めてエドガーは驚く。
「――君がくれた紙に、それを書きたかった。――ミラに元の詩集は借りた。君が疑った例のあれだがな」
 少しばかりむっとしたレイの声。エドガーは言葉がない。一部は見てしまったあの紙片。数々の恋の詩。レイの思い。向けられていた先は。
「自分の心なんて、巧くは言えないから。だから――」
 うつむいたレイをエドガーは黙って抱き寄せた。同じよう、うつむいていても過去とは違う。満足そう息をつくレイのその姿も。何一つ、言葉もなく。
 そのとき、夜空をぱっと彩る花火が。魔術師たちが上げる魔法の花火。まるでエドガーとレイを祝福するように。そんなことはまったくない。ただの偶然。それでも二人は確かにそう思った。眼差しと笑みをかわし、唇が重なったとき、火花はそっと静かに消えて行く。祝福された恋人同士の闇を邪魔はしないと言うように。消えゆく花火に、ちらちらと雪が舞いはじめた。




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