木蔦の家

「じゃあどこに……」
 住む場所のことだろう、言いかけたイメルがはたと止まる。そして遠くを見やっては手を振った。つられて二人もそちらを向く。
「あ……」
 レイが小さく声を上げる。エドガーは息を飲む。光のようだった。こちらに歩いてくる人影だ、というのはわかっている。この国に入ったばかりに見かけた神人の子だろうとも頭ではわかっている。それでもなお。
「やあ、ファネル。仕事は終わった?」
 勢いよく振る手もそのままにイメルが朗らかに声をかけている。それに微笑んだのだろう神人の子。眩しすぎて表情すらよくわからない、そんな気がしてくる。
「エドガー」
 ふ、と忍び込んできたレイの声に正気づく。振り向けば、むつりと唇を引き結んだ彼。からからとエリナードが笑っていた。
「あんたも結構アレだな?」
 からかうエリナードにレイがほんのりと頬を染めた。それに思わず嫌な顔をしてしまったものだからエドガーまでもからかわれる羽目になる。
「ってな、ファネル! だから誰彼かまわずそういう目をするんじゃねぇよ!」
「そんな目をしていたか?」
「してた。目一杯してた」
「気づかなかったな。すまない」
 ふ、と微笑んだ神人の子が何気なくエリナードの傍らに座す。そしてエリナードはクッションに預けていた体を彼へと預け直した。イメルがぱちり、片目をつぶる。
「紹介する必要もないくらいだよね、これってさ? 彼は闇エルフのファネル。見ての通りエリナードの連れ合いだよ」
「そう言ってくれるのはイメルだけだがな。エリィはいまだに私を恋人、と言う」
「――これくらいはっきりきっぱり断言する神人の子ってのはこいつくらいだからな? あんたら、勘違いするんじゃねぇぞ?」
 笑うエリナードが忠告をくれた。神人の子らというのは親密な関係を本来は口に出さないもの、という。あるいは異種族を恋人とした彼はそれだけで普通とは違うのかもしれない、エドガーは思う。
 それでも、羨ましかった。からかい合いながら目を見かわす二人が。そこに通い合う確かなものが、エドガーにさえ見てとれる。
「――しい」
 レイが何かを言った気がした。慌てて覗き込めば、なぜかレイの方が慌てて瞬く。それから強張って彼は微笑んだ。気づかれたくないことだったか。それだけはかろうじてわかるエドガーだ。彼もまた、強張った笑みを返す。羨ましさだけが、刻々と募っていくのを感じながら。
「こいつら、しばらく預かるんだわ。信じらんねぇぜ、ファネル。こいつら誰だと思う?」
「さて。誰と言われてもな。外の国の人間に知人はいないに等しい」
 ファネルの言葉に首をかしげたレイ。エリナードの弟子であるカレンは外国にいる、そう思ったのだろう。もう彼は常態に戻ってしまったらしい。そんなレイにイメルは「魔術師も人間の内には数えたくなくなるくらい違うからね」と肩をすくめた。
 エドガーには、それが少しは理解できる。隊の魔術師であるエイメとは仲がいい。エイメはカレンに比べれば格段に力の劣る魔術師だ。比べる、と言えば途端に青ざめかねないほどに。それでも常人のエドガーにしてみれば、彼女の力は恐ろしくもある。それが、魔法だと思う。幸いエドガーは魔法を恐ろしくも偉大な力と思ったことはあってもエイメや魔術師を怖いと思ったことはない。
「ほう。カレンの友人、か。それは……素晴らしい響きだな」
 不意に神人の子の目がこちらを向いた。飲み込まれそうに美しい。それなのに、少し怖い。あるいはそれははじめて魔法を見たときの感覚に似てもいるか。エドガーが思ったとき、レイがそっと震えた。
「レイ」
「いや……。なぜだろう、怖かったんだ、少し。でも」
 君がいるから平気だ。小さくレイは呟く。それからそっとエドガーの袖口を握った。エドガーは無言でその手を外させて自分の手の中に握り込む。仄かにレイが微笑んでいた。
「なるほど。可愛らしいものだ。初々しいと言うのかな。春の芽吹きのような」
「今度は俺が妬く番か、ファネル?」
「かまわんがな」
 言ってファネルはちらりとイメルを見やった。長く深い溜息をついている。そう言えば、とエドガーは思い出す。イメルは住む場所を探しに行ってくれようとしていたところだった、と。
「あー、別に君が赤面するようなことじゃないよね、エディ? ほんっと、所構わずいちゃつくこいつらが悪いだけだからさ」
「私はそのようなことをした覚えはないぞ、イメル」
「自覚なし? うわそれ最低だわ、ファネル。ちゃんと教えとけよー、エリナード」
「へいへい。で、イメルよ、本題な? あのよ、別に探す必要ねぇ気がしてんだけどよ、俺はさっきからな」
「はい? だって――」
「うちの馬鹿弟子の弟子が出てったばっかだろうが。あそこでいいだろ、別によ。こいつら、どう見ても健康体だろうが。縄梯子、登れんだろ?」
 なぜ急に縄梯子が、と戸惑うエドガーだったが、それ以上に気にかかるのはレイのこと。たぶんレイは登れない。
「僕は――。いえ、努力してみます。エドガーが手伝ってくれるだろうから」
 頼んでもいいだろうか。そんな顔でレイが微笑んでみせる。言われるまでもない、とエドガーは嬉しい。頼ってもらえる。いまはそれだけが掛け替えのない大事なもの。
「だったらそれで決まりだ。あとでイメルが案内するだろうさ」
「あいよ、任せとけ。じゃあ……」
 準備をしようというのだろう、イメルが腰を浮かせた。それをはっとレイが眼差しで止める。不思議そうに首をかしげ、けれど何も問わずに再びイメルは腰を下ろした。
「申し訳……」
「あのさ。あんまり気にしてると、体に悪いよ? ここは気にすることはいっぱいある国だけどね、他人に迷惑ばっかりかけるかもって言うのなら、気にしなくていいと思う。ほら、一番に面倒を被るのはエリナードだしさ」
「普段ならばイメルのその言には抗議をするところだが。――だが、カレンの友人だと言うのならば、エリィは助力を惜しまないだろう、たとえどんなことであろうとも」
「そうそう。可愛い娘の大事なお友達――痛いだろ、エリナード!? なにすんだよ!」
 ふん、と鼻を鳴らしたエリナードは答えない。頭からずぶ濡れになったイメルだったけれど、痛みがあったとは思えない。少なくとも、エドガーにはイメルの頭上高くから水の塊が落ちてきた、とだけ見えていた。
「水ぶっかけるくらいならいいけどさー。硬化させんのはやめろよな」
「やられるようなこと言うんじゃねぇよ、馬鹿イメル」
「ほんとのことじゃん。俺は別に――」
「そこまでにしておけ。また話がずれているような気がするが、私の気のせいか」
 小さく笑ったファネルにエドガーは知らずうちに身を震わせていた、レイもまた。そして互いに顔を見合わせ首をかしげる。
「それが闇エルフだってことさ」
 そこに忍び込んできたエリナードの声。笑っていたけれど、真摯だった。それに打たれたよう、レイはじっとファネルを見つめる。つられるようエドガーも彼を見ていた。
「闇エルフの私は、還ってきたとは言え一度は闇に堕ちた身。恐ろしいだろう? 席を外した方がよければ遠慮なく言ってくれてかまわない」
 微笑んでいるのに、どことなく怖かった。体の内がぞわぞわとするような。思い切りよく首を振ったレイにエドガーは背筋を伸ばす。レイの強がりではないかと案じたせい。が、よけいな懸念だった。
「そうか」
 ほんのりと微笑むファネルは、やはり美しいのに怖かった。美しいから、怖いのかもしれない。その奥に何かを感じてしまいそうで。
「……聞いておいていただいた方が、いいことがあります」
 ファネルを見つめ、二人の魔術師を見つめるレイの姿。握った手が震えていて、咄嗟にエドガーは止めたくなってしまう。
「不思議だと思う、エドガー。僕は……なぜだろう。自分で話そうとしてるのは」
 まるで泣きだしそうなレイだった。それなのに彼は笑っていた。引き寄せて、抱きしめたくなってしまう。頼りなくて、壊れそうで。
「君がいてくれるからかもしれない」
 小さくうつむいたままレイが笑った。ただこうしてここにいるだけでも、力になってくれている。呟く彼にエドガーは言葉もない。
「聞いとくべき話だってんなら、話す必要はねぇぞ? 聞かせてぇ話だってんなら、聞いてもいいけどよ」
 ぶっきらぼうなエリナードの声。レイの決心をどうしてだろう、彼は待ってくれていた、そんな気がした。魔術師は常人より寿命が長いものだという。この若い男に見える彼にしてカレンという弟子がいるのだから。そのせいか、とエドガーは思う。単に年の功とは言えないような英知だとも思うが。
「お聞かせしたい話、だと思います」
 断言するのに溜息のようなレイの声。エドガーは自分の顔色が変わるのを感じた。いまこそレイが何を話題に上げようとしているのか、気づく。
「僕は……男性が、怖い」
 うつむいて、レイは唇を噛んでいた。ぎゅっと握ったレイの手が、白くなっているのは自分のせいか、あるいは彼自身のせいか。
「怖い? でも……」
「いいから話は黙って聞けってんだ。いっつもてめぇは先を急ぎすぎんだよイメル。とりあえず聞いてからだっつーの」
 暴言に紛らわせて、エリナードが続きを促してくれた。そう気づいたのだろうレイがわずかに顔を上げる。それからじっとエドガーを見つめた。
「大丈夫なのは、エドガーだけ。彼だけは、怖くない」
「ま、彼氏にびびってちゃどうにもならねぇわな」
「えぇ。だから、エドガーは怖くないんです。でも――」
 レイの目が笑った。あっさりとエリナードの言葉に同意して見せたレイに、エドガー自身は内心がざわめいてどうにもならないでいる。イーサウでカレンに言われた言葉が蘇る。レイもまた、エドガーに惹かれているのだと彼女が口にした言葉が。まさかと否定した。し続けた。幻想だけは、持ちたくなかった。いまでもたぶん、変わらない。変わることが、怖かった。




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