オーランド謹製の「すべて食べられる鉱物標本」は大人の男に大好評だった。あとで聞いたところ、石を乗せていた白いものは綿あめだったとのこと。凝りようにエリナードは笑う。そして彼から処方の提供を受けた職人たちが作りあげる菓子はまるで宝石のようだ、と女性たちに大人気。
 エリナードも祝祭に、と繊細な首飾りを作った。夏霜草の飾りで、花自体は見栄えのいいものではないが、とにかく香りが素晴らしい。その香りを取り出したかのような首飾りはあっという間に売り切れて、いまは銀細工師たちがせっせと追加を作っている。
「なんで夏霜草なんです? ずっと聞こうと思ってたんですけど」
 不思議そうなカレンだった。エリナードは特別に作った一つをエイシャ神殿に納めた帰りだった。
「人造湖にも植えたじゃないですか」
 ほんの悪戯気分でエリナードは夏霜草をほとりに植えてまわった。丈夫な草だから、放っておいてもそのうちに増えるだろう。
「まぁ、なんつーの? 一応は大事な水ってやつだし。女神のご加護ってのがあってもいいんじゃねぇかと思ってよ」
「師匠って、エイシャの信徒でしたっけ?」
「違うけどな」
 苦笑するエリナードにカレンは首をかしげるばかり。確かに星花宮にはリオンと言うエイシャの総司教まで務めた神官がいたけれど。それとは関係がないのだ、とエリナードは言う。
「だいたい夏霜草とエイシャ女神ってなんか関係あるんです?」
 カレンはこれで勉学好きだ。もっとも魔術師など勉強が嫌いでは成り立たないが、それにしてもよく学んでいる、とエリナードは思う。そのカレンでも夏霜草とエイシャの関係は聞いたことがない、という。当然だった。
「んー、昔のことだけどな。星花宮に訓練しに来てるやつがいたんだよ。女装した野郎でよ。結局、色々あってそいつは魔力枯らして貴族んとこに嫁に行った」
「はぁ!?」
「貴族の連れ合いができたんだよ。で、そいつと旦那の思い出が夏霜草だったんだけどな。エイシャ女神がそいつのことやたらと気に入っててよ」
「……話がわかんなくなってきたんですけど」
 顔を顰めるカレンにエリナードは大きく笑う。懐かしい話だった。もうどれほど昔になるのだろう。あのころはタイラントがいて、フェリクスがいた。
「お前も知ってるやつだぜ? エルサリスだよ」
「あ――」
 彼ももう、この世にはいない。伴侶共々遠くに行ってしまった。彼らが慈しんできた子供たちがこのイーサウで元気に暮らしている。
「それにしても、エイシャ女神が気に入ってたって……?」
 どう言うことなのだ、とカレンが首をかしげた。エルサリスが、エイシャ女神の信徒であった、と言う含みではない気がする。むしろ逆か。
「俺さー、女神の子守したことあるんだわ」
「は?」
「そのまんま。ガキに身をやつして出てきたんだわ、これが。で、子守してたらエルサリスを気に入っちまって。その縁で夏霜草を納めてるわけだ」
「……意味わかんねぇ。子守ってなんだ子守って!」
「だから子守だっつの。それ以外にねぇよ。いきなりガキ預けられて面倒見ろって言われたんだぞ。それを子守って言うんだろうが」
「その状況が意味わかんねぇって言ってんですよ!」
 それには同感だ、とエリナードも笑う。あのときの騒動を思い出してしまった。さっさと気づいた自分と、女神が帰還するまで気づかなかったイメル。いま思い出しても笑えてくる。
「ほんっとに星花宮、意味不明だわ」
「お前もあそこの出身だろうが?」
 いつもどおりの嘆きに、いつもどおりの冗談。だからこそカレンは気づく。師の疲労を。ちらりと見やる視線に感づいたエリナードが苦笑した。
「倒れねぇよ。そこまで軟弱じゃねぇわ」
「面倒見ませんからね?」
「ライソンにやらせるっつーの」
「倒れてるじゃねぇか!」
「だから倒れたらだっての。万が一だ万が一!」
 往来を怒鳴り合いながら行く師弟にイーサウの住人は笑う。見慣れた光景だった、彼らにとっても。傍若無人な師弟が、それでも楽しそうに歩いている。魔法談義であったり、当たり前すぎる日常会話であったり。それをいつも怒鳴るようにして言い合う師弟。
「ほれ、見ろよ。視線集めて恥ずかしいったらねぇわ」
「私のせいですか?」
「違うとでも?」
 冷ややかながら藍色の目が笑う。そんな態度を取るからよからぬ噂をされているのだぞ、とカレンは師を睨む。ライソンと言うれっきとした伴侶がありながら、長らくカレンはエリナードの愛人扱いをされている。
「ま、気にするようなことでもねぇよ。いや、お前は気になってるか?」
「別に気にはなりませんね。言われ慣れたわ」
「だろ? 問題ねぇよ、俺も言われてた」
「あれは私でも言いますね」
 フェリクスとエリナードの過ごし方をカレンも多少は知っている。あれでは何を言われるかわかったものではない、とカレンですら思った。
 そんなカレンにエリナードは唇だけで笑う。もうフェリクスとはずいぶん会っていない。アリルカの地で師は今どうしているだろう。彼の遺書とも言える手紙を受け取り、邁進を続けているエリナードだった。
 その成果の表れの一つだった、人造湖の落成式は。当初イーサウではエリナードの名を冠して「エリナード湖」と呼ぼうとした。彼は断固として拒む。そんな恥ずかしいことは勘弁してくれ、と嘆願までした。そのせいかどうか、恵みの湖と誰からともなく言いはじめ、落成式を迎えた今日、気がついたら女神湖になっていた。
「どうなってんだ?」
 面白そうに呟くカレンだった。恵みが女神、になったのだろう。単に言いにくかったのかもしれないし、別の問題かもしれない。が、エリナードがエイシャ神殿に詣でていたことを思えば他の想像もしたくなる。
 そのエリナードは湖のほとりに立っていた。議長他、主立った重鎮たちと一緒だ。彼の隣にはオーランドもいる。人造湖はできたばかり、とはとても思えない。満々と水をたたえて陽射しを照り返す。そのほとりにはオーランドが植え、魔法で繁殖させたエレオスの花が咲き乱れていた。エレオスは、魔法の触媒としては「豊かな増殖」を表す。この地に恵みがあるように、とのオーランドの思いだろう。その合間にひっそりと夏霜草が花開いているらしい。姿は見えなかったが香りはよく届いている。
「大変だなぁ、師匠」
 少し離れてカレンは他の魔術師たちとともに式典を見ていた。なにもエリナード一人で作りあげたわけでもない。大勢の魔術師が仕事をしている。エリナードはその総指揮をした、というところ。いまこの場にいる多くの魔術師たちがイーサウの利益のために、それが自分たちの利になるはずと考えて努めてきたものがここにある。
「まるで他人事だな、カレン」
 ふと見やればチェスター・アイフェイオンの姿。エリナードとは折り合いが悪い、けれど有能で素晴らしい水系魔術師の一人だった。学院で教鞭を取っているが、人造湖にもかかわった。
「他人事ですから。私は助手にもなってませんよ」
 肩をすくめたカレンにそんなこともないだろう、とチェスターが口許で皮肉に笑う。そう言う男だったからカレンもあまり気にはならなかった。何より仕事続きで疲労がそろそろ頂点だろう師の体調が気がかり。議長の祝辞やらなにやら、長々しい話をあの場で立って聞いているだけ、というのは疲れることだろう。
「相変わらずの師匠贔屓だな、お前も」
「……まぁ。弟子ですし」
「我々にとっては見慣れ過ぎた光景でもあるが」
 ぷ、とカレンは吹き出す。自分がどうの、というよりチェスターはいまエリナードにフェリクスを重ねているのだろう。笑われた彼もまた、苦笑していた。
「エリナード師、どうぞ一言」
 にこやかなサキアにエリナードが目だけでいやな顔をしていた。そんな話は聞いていない、と言いたいのだろう心がカレンに伝わってくる。
「なんか、嫌な予感が……」
「お前もか。同感だ」
「ですよね」
 思わず呟けばチェスターにうなずかれてしまってカレンの予感は本格的なものになる。諦めたのだろうエリナードが発言をはじめた。
「百年後のイーサウのために。――何よりアリス祭の前夜祭だ。今日は楽しもう。だろ?」
 途中までは格好をつけるつもりだったらしい、それでも。が、エリナードは完全に諦めた。放り投げた。カレンにそれがはっきりとわかる。
「あの野郎……面倒になったな」
「それが師匠に対する口のきき方か、とたしなめるべきだろうが。それも生憎――」
「見慣れてますか?」
「嫌と言うほどな」
 ふん、と鼻を鳴らしたチェスターとほぼ同時にエリナードが湖を振り返る。そしてにやりと笑ったかと思うと。
「あ――!」
 大勢集まった観衆の中から半ば悲鳴のような声が上がる。エリナードは湖に走り込んでいた。ぽん、ぽん、と波紋が。彼は沈むことなく水の上。
「あの……馬鹿……!」
 チェスターの罵り声にカレンはうっかりと同意してしまっていた。一応は式典だ、とサキアに言い含められエリナードも正装をしている。その見栄えのいい姿のまま水の上に立つ魔術師。
「うわ、お伽噺だ」
 思わず口にすればチェスターに睨まれた。だがカレンにもそう見えてしまったのだから仕方ない。ただでさえ美しい男だった。罵詈雑言さえなければどれほど女性に群がられることか。そのエリナードがいま、お伽噺もそのままに湖に立ち、風に金の髪をなぶらせ。
 ふわりと風が立ったかのような繊細な魔法。人造湖など数にも入らない。カレンはぞっとする。これぞエリナードの魔法の神髄。そう言いたくなる。
 柔らかに水が立ち上がり、煌めき、砕ける。あちらで一筋、こちらで。跳ね上がり、舞い踊り。その中央、魔法を紡ぐエリナード。
「水の申し子――」
 誰からともなく声が上がった。元星花宮の魔導師たちだろう、カレンは思う。頭の片隅でそう思っただけだった。彼の操る水をただただカレンは見ていた。
 現象としては、噴水に過ぎない。人造湖よりこちらの方が魔法としては素晴らしい技術だ、と言ってもたぶん常人には通じない。集中に頬を青白くしたカレンをチェスターがほんのりとした目で見ていた。その顔が顰められる。
 まるで水の花火だった。魔術師たちの頭上で一つ一つと花開く。チェスターの上にも。きらきらとした飛沫が魔術師たちを飾った。
「これは、呼ばれてるね?」
 くすりと笑って覚悟を決めたのはトリム・アイフェイオン。若き――と言うほど若くもないが――水系魔術師の雄だ。
「行きましょうよ、チェスターさん」
「俺もか!?」
「エリナードさんが呼んでるって、わかってるでしょう?」
 行ってくるよ、とトリムはカレンに微笑みかける。師が手間をかけます、と頭を下げるカレンにトリムは笑い、チェスターは肩をすくめる。
 エリナードの花火の意図はカレンにもわかっていた。人造湖作成にかかわった魔術師たちの頭上で開いた魔法。自分一人の功績ではない、ここにいる魔術師たちに賛辞を。そんなエリナードの声なき声。
 ――ほんとはめんどくせぇから巻き込んだだけだろうが。
 ――聞こえてるからな、カレン?
 ――聞かせたんだっつの。
 カレンの呟きにエリナードが反応した。湖の中央に立ち、観客のためにいまも魔法を操りながらだった。
 カレンが食い入るように見ているのにエリナードも気づいている。学ぼう、進もうとする彼女の眼差し。一歩でも、遠くに。彼女のために、エリナードは一歩でも進もうと思う。あとに続く娘のために。
 ――こんな気分だったんですかね、師匠。
 エリナードのためにフェリクスもまた、魔道を歩み続けた。半ばで途切れた彼の道。けれどエリナードは信じている。二度と会うことはない、そうわかっていてもフェリクスが自分を見ていると。存在すらも抹消されて、しかし師の目は必ずこちらを見ていると。こんな姿からでも何かは学べ、フェリクスの声が聞こえる気がする。その声に従って進んできた道。
 わっと歓声が上がった。多くの魔術師たちが湖に立ち、次々と噴水が増えて行く。吹き上がり、花開き。観衆の上にも注がれる水飛沫。夏場とあって、彼らは大喜びだった。
 ――ま、ちょっとは見栄えのいいこともしとくかね。
 口許で笑ったエリナードがカレンには見えたかもしれない。ちょうど沈み込んだ噴水の一つ、エリナードは手を触れる。あっと息を飲む声、声、声。再び吹き上がる水と共にエリナードもまた空へ。ふわりと水の柱の上に腰かけ手を振る。そのままきらきらと水を操る美貌の魔術師にイーサウの住人は大興奮だった。
 その制御が一瞬、緩む。下にいたチェスターが介入して事なきを得たが、思い切り睨まれた。
 ――何やってるんだ!
 精神の接触にエリナードは答えない。目だけで笑って詫びに代えたが、再び睨まれただけ。
 だがエリナードはいまとても応えられる状況ではなかった。ほとりでカレンがはらはらとした眼差し。正直、それどころではなかった。
 ――なんでいるんだよ!?
 エリナードは観衆の中に一人の少女を見つける。目を輝かせ、魔術師たちの噴水に憧れて。小麦の髪の少女はエリナードの視線に気づき、口許を押さえておしゃまに笑った。




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