人造湖の落成式をしよう、ということになった。イーサウ連盟二代目議長、サキア・ヘラルドの提案ではある。イーサウ初の魔術師による闘技会を成功に導くため――そもそも開催にこぎつけるため――エリナードが学院の仕事、として受注した人造湖だった。
「盛大に祝う、というのも悪くはないでしょう?」
 それで魔術師の成果が宣伝されるのならば。サキアは言うが、エリナードとしてはあまりうなずけない。常人と魔術師の格差が生まれるのは望むところではない。
「だったら時期もいい。アリス祭の前夜祭、みたいな形にしないか?」
 かつて小さなイーサウ村を襲った悲劇に救いを求め、ラクルーサまで走った一人の少女。その名を冠したイーサウの祝祭だった。いまでもイーサウはシャルマークの四英雄を模した仮装行列をする。四英雄に扮するのは子供たち。半エルフの魔術師リィ・サイファは町一番の美少女が務めることになっていて、少女たちはもう時期が近づくとそわそわ落ち着きがない。
「それでいいのですか?」
「いいだろ? なんか問題あるか?」
「――いいえ?」
 にやりとしたサキアにエリナードもまたにやりとする。互いに信用はし切れない。立場が違う、守るものが違う。それでもこうして時折は手を取り合うことができる。それで充分だ、と互いに知っている関係とはいいものだった。
「では、せっかくです。祝祭の菓子でも作りましょう。なにか案があれば」
 街の人に配るのか、とエリナードが尋ねれば、何を言っているのだとばかり呆れられた。当然にして売り物だ、と言う。
「綺麗な菓子と言うのは気分も盛り上がりますし。なにより菓子はいい儲けが出るのですよ」
 菓子屋でもあるまいに、サキアはそんなことを言う。エリナードとしては苦笑するばかりだった。確かに甘いものは貴重な材料をいくらでも使う。そのぶん値が張り、結果として技術料も加味するとかなりの高値になる。それでいて、職人の儲けも相当に出るのだ、とは後で親しい常人に聞いた。
「で、どうよ?」
 エリナードは家事が得意ではない。台所仕事となるとさっぱりだ。それを言えばライソンは怪訝な顔をするのだが。
「あんた、ちゃんと強壮薬とかは作るじゃん?」
「それを台所仕事に数えんな!」
「だったら台所でやるんじゃねぇよ」
 笑いながら言い返され、言葉に詰まったエリナードをカレンが笑う。とっくに隣に自宅を建てたカレンであるのに。いまでも頻繁にこうしてエリナードとライソンの家にいる。「隣なんだからどちらでもいいだろう」とは彼女の発言だ。
 そのようなエリナードの弟子であるからなのか、カレンもまた料理の類があまり得手ではない。師弟揃って食べられればよし、と思っている節が無きにしも非ず。結果として、エリナードが相談したのは無口の権化、オーランドだった。
「案、あるか? ん、そっか。じゃあ、頼んでいいか。よろしく」
 ちょうどその場で見ていたカレンですら苦笑した。オーランドは結局ただの一言も喋らなかった。一方的にエリナードが要求を突きつけたかのよう。以前ある常人がこの景色を見てエリナードを非難した、というのもうなずけてしまうな、とカレンですら思う。
 もちろんオーランドには案があった。それを無言のうちに提案し、エリナードはそれを無条件で受け入れている。どんなものができてくるのか楽しみにしている。仲のいい同期、というものがいないカレンにとっては少し羨ましい情景ではあった。
「師匠、あれでよくわかりますね」
 実はカレン、最初のころはオーランドは接触によって会話をしているのだ、と思い込んでいた。それほど無口で、しかしきちんと意思の疎通が図れている。
「そりゃ、長ぇ付き合いだからよ」
 星花宮の少年時代からの付き合いだ。オーランドが何を考えているか、ある程度は理解ができる。肩をすくめた師にカレンもまた同じ仕種を。
「あぁ……なるほどな。俺の弟子は少ねぇからな」
 決して少なくはない。フェリクス・エリナードと言う一人の魔術師が手塩にかけられる限界までいる。が、そこが星花宮とは違うところだった。あの離宮には一人前の魔術師がごろごろと掃いて捨てるほどいた。それも属性特化できるだけの魔力と技術を持った超一流の魔術師が。必然的に弟子の数も増え、最盛期にはいまの学院より多数の子供がいた。
 カレンも少女時代を星花宮で過ごしてはいる。が、イーサウに移り、エリナードの下で研鑽を積むことになったおかげで、逆説的に同期が少ない。星花宮の仲間とも離れ、イーサウの魔法学院出身でもない。
「師匠の背中ばっかり追っかけてるってのは、あんまりいいことじゃねぇんだけどな」
 視野が狭くなる。というより、若いうちには悪戯でもして充分に遊べばいい。いまだにエリナードも同期の仲間とはそうして遊ぶ。それがどれほど魔道の発展に繋がってきたことか。思いを馳せるエリナードの隣、ぷ、とカレンが吹き出していた。
「なんだよ?」
「そりゃ、あんたが言うなの見本みたいなもんでしょうが?」
「……反論しにくいよな、やっぱ」
 珍しくあっさりと認めた師にカレンは内心で眉を顰める。また疲労が募っているのではないだろうか。フェリクスの寿命が近い。そのために、一歩でも進んでいく己の姿を見せようとはじめた事業。闘技会開催までエリナードは休むことをしないだろう、とカレンは感じているから止めてはいない。とはいえ、闘技会の終了と同時に同盟が立ち上がることになる。それでまた忙しくなるのは自明というもおろかであったから、カレンはどこかで釘を刺すべき、とは思っていたが。
「あのな、カレン」
「なんすか」
「顔が怖ぇんだよ。そんなに睨むなっつーの。ちゃんと考えてるわ、俺だって。倒れるような無様は誰がするかってんだ」
「限界が近かったら、イメルさんに頼みましょうかね」
「――二度はやるなよ?」
「やられないように気をつけるんですね」
 以前、睡眠さえ疎かにしていたエリナード。それ以前の問題としてフェリクスの魔力の暴走に巻き込まれ、制御に手一杯であった彼を同期の仲間たちが「手助け」したことがあった。不意打ちで魔法の眠りに落とし込み、外部から魔力制御をする、という暴挙。あれにはいたく誇りを傷つけられたのではないか、とカレンは思っている。話題に上せるだけでいまだに嫌な顔をするエリナードだった。
 アリス祭の前夜祭にしよう、と言ったのはエリナードだ。前夜祭ならばさほど大袈裟な騒ぎにはならないだろう、という目論見。仰々しく「魔術師の為した偉業」などと言われては困るエリナードであったのに、結局は盛大なお祭り騒ぎの予感。
「いいんじゃないんですかね? アリス祭しかり、今度のことしかり。イーサウの人たちは楽しめればよしってところもあるみたいですし」
 肩をすくめたカレンにエリナードは苦笑する。大人になってからこの街に来たエリナードと違って、カレンはほぼこちらで育ったようなもの。そのカレンの言ならばそう言うものかとも思う。
「前夜祭とは言いましたが、昼間のうちに式典はしたいですね」
「やっぱ式典、するのか?」
「しないわけにも行きません。それほどの大事業でしたから」
 議長執務室でサキアとの打ち合わせだった。式典は避けたかったエリナードだ。何よりそう言うものが得手ではない。偉そうな顔をして取り澄ますのが苦手だった。それと気づいたかサキアがにやりとする。
「その美貌を生かさない手はないと思いますが、フェリクス・エリナード」
「使えるのがわかってるから使いたくないってのを理解してほしいもんだがな」
「そこまで屈託なく言われるとからかうのが馬鹿らしくなりますね」
 さては彼女の冗談だったのか、エリナードはようやく気づく。子供のころから可愛いのなんのと言われ過ぎて、生憎と慣れ過ぎた。なんとも微妙な空気になったところに戸を叩く音。訪問客らしい。
「どうぞ?」
 サキアが不思議そうな顔をしたところを見れば予定されていた客ではないらしい。自分は留まっていていいのか、エリナードが尋ねようとしたところ、客の顔が目に入る。
「なんだ、お前か」
 留まっていていい、というより留まらなければならないだろう。サキアと彼に会話が成立するとは思いにくい。オーランドだった。
「オーランド師。いかがなさいましたか」
 無頼紛いのエリナードであるせいか、サキアはエリナードと話す時には多少は砕けている。が、さすがにオーランドには丁重だった。彼の方がそれをどう思っているのか、彼女に通じているとは思えなかったが。
「ん? あぁ、できたのか」
 ゆっくりとうなずき、オーランドはサキアに箱を差し出した。何ができて、なにを持ってきたと言うのか。怪訝な顔をするサキアにオーランドが手振りで開けろ、と示す。
「……まぁ。素敵」
 まるで少女のような歓声だった。このサキアにしてこんな声を出すのか、とエリナードが呆気に取られたほど。が、箱の中身を覗けば当然、という気がした。
 両掌に乗るほどの箱だった。中は細かく区切られ、一つ一つ綿が敷き詰められている。その綿に守られ鎮座するのは様々な宝石だった。赤いの青いの黄色いの。磨く前の結晶状態のまま、それでも美しく収まっていた。
「これはいったい……?」
 まさかオーランドからの贈り物、ということはないだろう。箱から顔を上げたサキアの前、オーランドの手が伸びてくる。一つの宝石を摘まみ、そして。
「あ――」
 ぽん、とオーランドは自分の口にそれを放り込んだ。唖然とするサキアにオーランドがにやりと笑う。なるほど、とようやく納得がいったエリナードだった。
「食っていい?」
 目を輝かせるエリナードにオーランドは鷹揚にうなずいた。どれにしよう、と選び出す様はまるで子供だ。箱を覗き込むエリナードの姿にサキアも驚いている。
「これにするか。――あ、林檎味だ!」
 薄紅色を選んだエリナードだった。サキアはいまだ怪訝なまま。魔術師は宝石を食用にするのかと言わんばかり。
「菓子だよ、菓子。あんた言っただろうが? 祝祭用の菓子だよ、これ」
「お菓子……なんですか!?」
「いくら魔術師でも石は食わねぇって。試食してみろよ」
 先ほどのエリナードと変わらないサキアだった。あちらも綺麗、こちらも楽しい、そんなサキアの目にオーランドが満足げ。サキアが選び出した黄色は。
「なんておいしい。桃味かしら」
「他には何が?」
 そこにひょい、とオーランドが紙を出してきた。作り方一式、すべてが書き出してある。さすがだ、とエリナードは笑いだす。
「へぇ、果物だけじゃなかったのか。茶色いのは、酒か! あと香草? 青臭くねぇの? ふうん、その辺が腕かなぁ」
 確かに緑色がある。疑わしい顔をしつつ口に放り込んだエリナードはオーランドに賛辞を惜しむ気にはならなかった。しゃりしゃりとした砂糖の結晶が、菓子を鉱石に見せている。噛み切れば口の中でほどけ、ぷりんとした柔らかな歯ごたえとそれぞれの風味。面白く、そして美しい菓子だった。
「この、石花菜、というのはなんですか。聞き覚えがありませんが」
 オーランドの書きつけに目を通していたサキアだった。手は菓子を摘まんでいるが、目は真剣。果物や香草、すべてがイーサウ連盟の産だとサキアは見てとる。意外な心遣いを見た気がした。
「んー? 海藻、だな。石花菜から取れる抽出物がこのぷるっとしたやつなんだよ。害? ないない。昔から使われてるもんだって」
 菓子職人に聞いてみろ、とエリナードは言う。あっさりとした言いぶりにサキアはうなずく。自分は菓子職人ではないのだから、原材料まで知ることはないのも当然だ、と思い直したらしい。
「量産できて、手間もそれほどかからない。日持ちもする。いいんだろ、オーランド?」
 またも無言のままオーランドはうなずく。なんのことだ、と首をかしげるサキアにエリナードはこの処方一式をイーサウの菓子職人に提供する、と言った。その唖然とした顔。よほど驚いたらしいが、そこまで驚くようなことだとオーランドこそ思っていなかったらしい。
「ま、祝いだしな?」
 エリナードの一言でサキアの悩みは吹き飛ばされた。魔術師に何か見返りを、そう思ったのだけれどいまは必要ない、とエリナードが言葉の外側で笑ってくれた。そんな二人にオーランドが目を細める。菓子の箱に手を伸ばし、ぱちりと割ってはおもむろに食べた。
「って、そっちも菓子かよ!?」
 気づけばサキアもころころと笑っていた。オーランドに倣って箱を割る。甘い甘い飴細工だった。




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