その間にも向かい合って立つ師弟は魔法を紡いでいた。片手をカレンの頭に置き、反対の手はいつの間にか宙に浮かんだ水盤に。かすかに目を伏せたエリナードは詠唱を続けている。カレンのほうもじっと佇み、両手は自然に垂らしたまま。即応の体勢だった。 そしてある一瞬を境に次々と何かが出現しはじめる。いくつかは床の上に積み上がり、けれど大半はカレンがおそらくは魔法でだろう、受け止めて行く。 日常の無頼同然の様が信じがたいほど端正な師弟の姿だった。ライソンは客と会話を続けつつそれを見ている。カレンが軽く片手を伸ばすなり、出現した箱が宙で動きを止める。そのままそっと下ろされたかと思えば今度は水のクッションで衝撃を緩和しようと言うのだろう、支えて行く。次々と現れる物に客たちは訝しそう。気づいたのはコーネリアだった。 「兄様、見て!」 あ、と声を上げて指し示したもの。見慣れたコーネリアの宝石箱だった。逃亡に際して携えては来られなかった屋敷の荷物がそこにはあった。本箱であり、家宝を納めたと思しき箱であり。 「よし、これで最後か」 そしてエリナードは小さな小さな小箱を受け止める。その眼前でカレンが渋い顔をしていた。思わず笑い出したくなる表情に、更に彼女の顔が苦くなる。 「――四割だな」 「うん?」 「成功率! なんだこれ!? 私が受け止めたからいいようなものの、ほとんど座標間違ってんじゃねぇか!?」 「そうは言うけどよ? ラクルーサからここまでどんだけ距離あると思ってやがる。俺だってこんな長距離はじめてだっつーの」 「……はい?」 「はじめてでこれだったらまぁまぁだろうが。この部屋に限定できただけまだマシだわ」 肩をすくめるエリナードにカレンは呆然としていた。師は、こんなことは何度もやっているのだとばかり、思い込んでいた。 「しかもだぞ? こっちはブツが何かも知らねぇ、場所もわかんねぇ。正確性は二の次だっつの」 「わからない!?」 「当たり前だろうが。俺は差し押さえられたブツがどこにしまってあるのかまでは知らねぇよ」 「だったらどうやって!?」 「オーランドだな。あいつが目印打ってたんだ。一応の重さやらなんやら、目印と一緒に仕込んどいてくれたからよ。それを頼りに転送だ。まぁ……隣の部屋から持ってくんのと理論的にゃ変わらねぇわな」 「理論しかあってねぇわ!?」 カレンの怒鳴り声にエリナードは顔を顰める。きっとカレンは考えている。自分ならばその情報だけでどう呪文を構成するか。実力と、技術と。自分のたどってきた道のようで知らずエリナードはにやにやとしていた。 「ま、理論が同じって理解できんだったらそのうちできる」 「あのな、師匠。わかるとできるは違うだろうが!?」 どこかで吼えたような言葉だな、とエリナードは笑っていた。師弟と言うのはこのようなものなのだろうか。ついフェリクスに聞かせたくなる。彼自身にも表しようのない感情の表出のよう、気づかず拳を握っていた。 「いいぜ、もう。狭苦しい思いさせましたね」 言うなりコーネリアが嬉しそうに自分の宝石箱に駆け寄り、箱のまま抱きしめて涙を浮かべていた。よほど大事なものだったのだろう。 「これは、お前のだな」 小箱を開けもせずエリナードは断言し、エルサリスの元へと。そして中身を確かめては小さく微笑む。 「あ……」 「まだ大事にしてたのかよ?」 あの夏霜草の飾りだった。襟に留めてやればエルサリスまで涙ぐむ。飾りをそっと手で押さえ、そしてエリナードに微笑んだ。 「ずっと……大切にしてきました。何かがあれば、きっと兄弟たちが助けてくれる。だから、頑張れる。そう思って、いままで。ずっと。……支えに」 色々ありましたから。エルサリスは呟く。その肩に手を置いたイアン。幸福なだけではなかっただろう。それでも隣に伴侶がいる。彼に微笑むエルサリスは幸せそうだった。 「オーランドが適当に選び出したんだと思うんで、俺にもなにが転送できたか、ちょっと。イアン卿、確かめてください」 「ありがたい。なんと感謝したものか」 「気にしないでください。エルサリスが言ったじゃないですか。兄弟の手助けしただけですよ、俺もオーランドも」 きっとミスティやイメルもいま動いているはず。彼らは彼らでエルサリスを助けようと。 「こいつはな、俺の同期にほんとに可愛がられてたんだぜ? うちのガキどもの中じゃ図抜けてまともだったからな」 「そういう、なに言えばいいのか困るようなこと言うなよな」 「でもな、ライソン。考えてもみな。俺とイメルが揃ってるだけでどうかしてると思うだろ? そこにまともなエルサリスがいたんだぞ? そりゃみんな可愛い弟ができたって喜ぶわ」 星花宮とはそんな場所だった。いまもきっとそうある。エルサリスも懐かしそうにうなずく。イアンは当時を思い出すのか苦笑気味。色々あったのだな、とライソンは思うに留めた。 「にしてもエリンさん、ラクルーサからここまで? それってあんた一人じゃ無理?」 「無茶言うな。根本的な問題として、だ。向こうでオーランドが魔法的に目標を作っといてくれたからこそ実現可能ってやつだな。エルサリスが持ってきた指輪からして長距離転送用の魔法具化されてる。対になってるんだろ、向こうでオーランドが同調してたのは感じた」 ぎょっとしたカレンだった。互いに連絡の取りようのないこの距離。打ち合わせすらできない究極の即興術式。それなのに二人の魔術師は同調していたと。確かにカレンも感じないではなかった。けれどそれは指輪にこめられたオーランドの魔力の残り香とでも言うようなものだとばかり思っていた。そんな彼女にエリナードはにやりとする。 「しかもカレンがいた。こいつがいたから俺は厳密に座標を考えなくていい。それだけでけっこう楽ができた」 「んー、だったらさ、たとえばお嬢じゃなくてうちのアランだったら?」 「無理」 即答するエリナードにカレンは喜ぶかと思った。師に認められているのだと。だが彼女は苦い顔。それにエリナードはうなずく。 「正直に言ってアランと組んだ方が楽だぜ? あいつの技術は一流だからな。ただ、俺が渡す情報量をアランじゃ処理しきれねぇ」 魔力の差だった、それが。カレンが苦い顔なのはそれが原因。カレンの修行が進んでいるのではなく、単に体質上の問題とでも言うべきもの。 「ま、処理しきった手際は褒めてやるよ」 そんなカレンの短い髪を乱暴にエリナードは掻き回す。やめろと怒るカレンの頬、少し赤くなっていた。師の言葉に彼女は一層の奮起を誓うのだろう。いずれ誰よりも先に行くのだと。 「エリナード、改めて礼を言う。持ち出せなかった大切なものばかりだ……なんと礼を言えばよいのか」 すべての物を確かめたのだろうイアンだった。かすかに赤くなった目。慙愧の念を抱きつつも、生命の方が大切と置いてこざるを得なかったものばかり。 「この本も、あの標本も。みな思い出深いものばかりだ」 「私のヴィオールも。イアン様に何度も弾いて差し上げた」 「セシルとあなたの合奏はとても楽しいものだったよ、エルサリス」 「また、合奏を致しましょう。セシル様と、コーネリア。クラーク、あなたもですよ」 「僕は上手ではないから」 「イアン様はそれでも楽しく聞いてくださいますから。きっとそうしましょう?」 はい、と嬉しげに返事をする青年にエルサリスは微笑む。線の細い、体の弱い子供だった。いまでも彼は家の中で過ごすのを好む。イアンと共に勉学をしていた子供時代、エルサリスは懐かしく思い出す。 それを再び取り戻せる。ラクルーサを発ち、家族の命が助かったことだけを喜ぶべき。そればかりを唱えてここまで来た。 「エリナード」 赤くなった目をしたエルサリス。エリナードは何も言わない。ただ照れくさげに肩をすくめていた。そんな師の横でカレンが少しばかり誇らしげ。ふとエルサリスは思いたつ。自身の宝飾品を納めてある箱から耳飾りを一つ。 「エリナードはお礼をすると言っても受け取ってはくださらない。だからというわけではありませんが、これをあなたに。気品のあるお顔をしているから、よくお似合いになるはずです」 「え……いえ、その……」 「エルサリス殿、女の口説き方がなっていないな? カレンと言ったね。あなたは可愛い乙女というよりは美女だな。まぁ、いずれは、だが」 にやりと笑うセシルにエルサリスが呆れ顔。そんな顔ができるようになっていたのか、とエリナードは感慨深い。慌てふためく弟子ににやにや笑いは崩さなかったが。 「うわ、ちょっと……待ってください!? って、師匠!?」 「もらっとけ、もらっとけ。あー、似合う似合う。はいはい」 セシルに手ずから耳飾りをつけてもらったカレンだった。黒髪に映える青い石。銀の細工もカレンによく似合う。だからこそ目をそらすエリナードだと知るのはライソン。喉の奥でこらえて笑っていた。 「ライソンさんまで、酷いですよ!」 勘違いしたカレンがぷりぷりと怒り、けれどセシルたちに礼を言っていた。身を飾ることを好まない娘だった。それをすれば男性魔術師に馬鹿にされる、とでも思いこんでいるかのように。いまはその思いはずいぶんと薄れたとはいえ、ばつが悪いのか髪飾り一つ欲しいとは言わない。 「……これは俺がもうちっと考えてやるべきことだったかな?」 呟くエリナードにこらえきれなくなったライソンが大きく笑った。その目が一瞬のうちに引き締まる。さすがカレンだった。すぐさまそれと気づいて表情をを変えた。 「師匠」 真っ直ぐな声音。エリナードは口許だけで笑う。それにカレンが目を険しくさせた。こんなとき師が何を言い出すかカレンは知っている。 「お前は留守番だ。ライソン、付き合ってくれ」 「あいよ。お嬢、ここは頼んだからな?」 「……ライソンさんまで、酷いです」 「エリンはお嬢を頼みにしてんだぜ? 大事な人たちだからお嬢に預ける。それにな、お嬢。エリンはお嬢に汚れ仕事はさせたくねぇんだよ。わかるか?」 「まだ早いってだけだ。使えるんだったら使うぜ?」 「言ってろ。あんたがなに言おうと本心を知ってんのは俺のほうだからな」 ふふんと誇らしげに笑うライソンにエリナードは言い返さない。軽く肩をすくめて地下室を二人で出て行った。 「彼らは……?」 イアンに問われてカレンは戸惑う。話すなとは言われていないが、貴族相手に言葉を発したことがそもそもない。どう話せば礼を失さないのかがわからない。 「カレンって呼んでいいかしら? 私たち、同じくらいの年じゃないかと思うの。それとも、魔術師は見た目が変わらないって言うから、違うかしら?」 「あ、いえ。たぶん、同じくらいだと、思います――」 「だったらそんなに緊張しないで。お友達になってくれると嬉しいな」 コーネリアの言葉にカレンは目を白黒とさせている。貴族の令嬢とはこう言うものなのだろうか。そんな二人にセシルが笑う。 「そう性急にしたものではないよ、コーネリア。この娘はどうにも気が早くて困る。色々と手間だとは思うが、相談に乗ってやってくれると嬉しい」 「と、とんでもない!」 「ねぇ、カレン。あのお二人はどこに行ってしまったの?」 屈託のないコーネリアと戸惑い続けるカレン。娘たちの姿にみなが微笑みを浮かべていた。それがカレンの一言で凍りつく。 「師匠とライソンさんは、追手を倒しに行かれたんだと思います」 「な……!」 「フェリクス師がお嫌いになりますから、たぶん……殺しはしないんじゃないかとは思いますが。それでも師匠なら自宅に入り込んだ不埒者を痛めつけて何が悪い、くらいは言うんじゃないかと」 呆れた口調で師を語り、カレンは少し落ち着いた様子だった。反対に腰が落ち着かなくなったのは客人のほう。 「なに、自宅、ということは――」 「はい。いま上に」 イアンが絶句した。よもや、と思ったのだろう。が、カレンは知識としてならば彼らよりは多くを知っている。追手はつかず離れず一家を追ってきていたのだろう。そして小さな家に入ったと見て、襲撃してきた。ここがエリナードの、あの氷帝フェリクスの後継者の家とは知らずに。 ――知っててやってる可能性もあるって、ことかな……。 カレンは内心で呟く。ラクルーサがこれからどうなるのか、正直に言えば不安だった。正確を期すならば、それを不安視するエリナードがどう動くのかが。いまでも多忙を極める彼だというのに。 一晩、一家はここで過ごした。朝になって何食わぬ顔のエリナードとライソンが戻る。血の汚れどころかかすかな疲労すら窺えない彼らだった。カレンの勘違いだと断言してしまいたいほどに。 「エリナード……」 「一応な、殺してはいない。お前は知ってんだろ、エルサリス? 昔、騎士団に出向してたからな。あいつらがどんだけ幻覚系の呪文に弱いか俺はよーく知ってんだ」 その言葉にセシルの夫ジョエルが吹き出す。彼は思うところがあったのだろう。それで妙に場が和む。 「騎士団、ですか?」 「えぇ。竜騎士団に、訓練に行ってました」 「なんと! 私も竜騎士団で書記の技を磨いたのですよ。エンデ団長には本当にお世話になりました。――団長がもうこの世におられないことで、少し安心もしています」 こうして魔法が排斥されて行く世の中を彼は見ずに済んだから。呟くジョエルにエリナードは天を仰ぐ。 「てことは……ワイルド隊長、ご存じですか?」 「いや、私が入団する少し前に亡くなったと聞いています」 「なるほど。だったら俺と入れ違いだったんですね。ほんと妙なところで妙に縁が繋がってるもんだ」 くすりとエリナードは笑った。どこかくすぐったそうで、彼にとっては懐かしい思い出なのだとわかる。そこにイアンの硬い声。 「エリナード、話がずれています。あなたはそうしてわざとずらしているのだろうが」 「そのとおりですよ、イアン卿。詳細は知らなくていいんです。対処はした、それだけ理解してくださればいい。これは俺が片付ける問題です」 「我が家の問題だ」 「いいえ、イアン卿」 魔術師の問題だ、エリナードは言い切った。ライソンは黙って彼の傍らに。うなずくでもなくそこにいてくれる。それがこんなにも心強い。 本当ならば今すぐラクルーサに、星花宮に飛んで帰りたいエリナードだった。それをしないのはイーサウで地盤を築くことこそが師の助けになると理解しているせい。 「巻き込んだのは、俺だってことですよ。イアン卿」 「そんなことはないと言っているだろう、エリナード!」 「イアン様? エリナードの言うままでよいかと存じます」 「そんな、エルサリス。あなたは――」 「イアン様は今後もしエリナードを助けられることがあったならばそのときに手を貸して差し上げればよろしいかと。エリナード、私たちは生きています。この私が生きている、と言うのですよ? あなたにその意味がわからないとは、私は思いません。だから、後悔はしないで」 黙ってエリナードは肩をすくめた。ここまで言うようになったエルサリスが嬉しくはある。けれどいまはそれ以上に不安が勝る。 「ま、俺はしがない傭兵隊長ですが。協力できることならしますよ。イーサウの上層部に顔も利きますしね」 片目をつぶったライソンに、エリナードの口許がほころんだ。エルサリスといいライソンといい。こうして強くなっていく。自分も立たねば。強烈に感じた。 それからエリナードは魔法学院の運営に更に力を入れることになる。連盟議長と会談を重ね、着実に足場を固める。 ジルクレスト一家はほどなくイーサウの中心部に居を構えた。ラクルーサの屋敷に比べれば二回りは狭い家。それでも一家揃って新たな生活を楽しんでいる。イアンとエルサリスは写本と育種で身を立てた。殊に薬草類はアリルカ独立戦争時の戦需物資として非常な貢献をすることとなる。 |