それを告げられたとき、タイラントはなにを言われているのかさっぱりわからなかった。と言うよりもむしろ、理解したくなかった。 「……はい?」 思わず間の抜けた返事をしたのをカロルに思い切り睨まれる。ついつい下がりかけた背中をシェイティにきつく叩かれた。 「痛いよ!」 「叩かれるようなことする方が悪いでしょ。少しは考えて返事をしたら。あなた、馬鹿?」 「馬鹿じゃない! ……いや、馬鹿かもしれないけど! でも馬鹿じゃ――」 「いいから人の話を聞け、馬鹿ども」 シェイティとタイラントをひとまとめにしてカロルは叱りつける。怒鳴る気力もないらしい。それに弟子は憤然と顔をそむけ、弟子の弟子はすまなそうに眉を下げた。 「いいか、派手野郎。もう一度だけ言うからきっちり聞いとけ。テメェを宮廷に伺候させる。伺候って言ってもまぁ、あれだ。披露目みてェなもんだな」 「それって世界の歌い手がラクルーサにいるってミルテシアに誇示するってことだよね」 「そういうこったな」 「ねぇ……」 「馬鹿弟子。わかってんだろうな。腹立ってんのはテメェだけだと思うなよ」 「ちょっと! 何年前の話してるの!」 つまりはこういうことだ。もう数年前のことになる。カロルの所有する魔法具がミルテシアで悪用された。それに巻き込まれたのがタイラントで、さらに巻き込まれたのがシェイティだった。カロルとしてはミルテシアに報復の一つくらいはしなければ気が済まない、と言うところだろう。 「だいたいあなたの勝手でそんなことしていいと思ってるの。陛下はなに言うだろうね! 考えたこと、あるよね。カロル」 「テメェこそなに言ってやがる。国王陛下はとっくにご承知だ。つか、あれだ。宮廷で披露目をしちまえって言ったなァ陛下の方だぜ」 「……あの馬鹿。少しは考えなよ。もう」 タイラントは背筋が冷えた。とことんまで冷えた。シェイティが評した馬鹿、が誰のことかわかってしまった。ついでに彼が国王からの信頼も篤いのだとわかってしまった。色々としでかしたことを思えば寒くなる。首筋のあたりが特に。 「ねぇ。そっちの馬鹿。今ろくなこと考えてないよね」 「な、なんのこと!? 気のせいだよ、気のせい!」 「……馬鹿で通じるのもどーかと思うがな」 「人のこと言えるわけ、カロル?」 冷ややかに言う弟子にカロルは小さく笑って見せ、それだけですませた。 それにタイラントは師の情を強く感じる。カロルはこの弟子をいったいどれほど慈しんできたのだろう。それを思えば自分がどれほど責められても当然の気がした。 「タイラント」 「うん?」 「いやだったらいやって言いなよ。僕はあなたがいやがることをやらせたりしないから、たとえカロルの命令でも」 「うん……。わかってる。大丈夫。それに、弾くのは好きだし、歌うのも。だから、大丈夫。ちょっと驚いただけだよ、うん」 本当か、と視線が疑っていたがタイラントはあえて笑みを返すだけにした。かえってそれで納得したのだろう。シェイティが小さくうなずき返した。 「つーことで、いいな? 二人とも。きっちり武装を整えとけ」 にやりと笑ってカロルは背を向ける。タイラントは騙された気がしているのだが、なにをどう騙されたのかがわからない。 「……はい?」 ぽかんと呟いたのはカロルが部屋を出ていったあとのことだった。 「さぁ、いくよ」 「ちょっと待って! シェイティ!」 「なに」 「いったい何がどうなってるの! 武装って何! 俺、宮廷で演奏しろって言われたんじゃなかったの!」 「そう言われたんだけど?」 きょとんとしつつも退くことをしない彼だった。さっさと一人歩きはじめている。あるいはタイラントならばちゃんとついてくるはず、と信じているのかもしれなかった。 「だったら!」 「いちいち怒鳴らないで。鬱陶しい。今から説明するから。とにかく、あっちについたらね」 シェイティはそう告げて足早に星花宮の中を進んだ。ここに暮らすようになってタイラントも少しは慣れたつもりだった。が、やはり行き倒れそのものの魔術師に出くわすと驚く。 「また転がってるの。いい加減にしなよ」 呟いてシェイティは廊下に倒れ伏した魔術師を抱き起こして壁により掛からせる。タイラントにはその魔術師が彼の同輩なのか後輩なのか、いまだ区別がつかない。 ただ、彼にはここでの当たり前の生活があったのだ、とこんなときに気づく。壊してしまったのも、変えてしまったのも自分だった。 「シェイティ。君が好きだよ」 それですべてが許されるなんて思っていない。ただそれしか言えないだけだった。 「はい? なに言ってるの。知ってるんだけど? 頭の中身は大丈夫。起きてるの、寝てるの」 「寝言で言ったら殴るくせに!」 「今まで殴ったことなんか一度もないじゃない」 さらりと言われてタイラントは気づかなかった。少なくともすぐには。足早な背中を追って、やっと理解する。 「……言ってるんだ、俺」 眠るシェイティの傍らで。同じように夢の中で。彼はその声を聞いているのだろう。淡いまどろみの中で。そう思うとひどく安からな気持ちがした。 「ちょっと! どこいくの、こっち。ここ」 幸福に包まれて歩いていたタイラントはうっかりシェイティを追い越し、追い抜き、突拍子もないところへと進みかけていたらしい。 「ぐ……!」 突然、喉元が絞まって息ができなくなる。空気を求めてもがき、シェイティを振り返る。と、そこで気づいた。これは彼の魔法。呆れてゆっくりと呼吸をする。 「あのな、シェイティ。俺の首に縄つけるのはやめて」 「つけられない程度に起きてたら?」 実にもっともなことを冷ややかに言い、シェイティは目の前の部屋の扉を開けた。突如として飛び込んでくる色また色。タイラントは呆気にとられて立ち尽くす。 「何これ! すごいよ、シェイティ!」 「驚いたときのあなたって、本当に馬鹿みたいだよね、反応が」 「うるさいな! だってこれ、すごい……」 実際のところシェイティは喜んでいた。これほど驚いてくれるならば黙ってつれてきた甲斐があるというもの。一人、喜びを胸の中で噛みしめる。 「それで。何色がいいの」 色の洪水の正体は布だった。ありとあらゆる色の布がこれでもかとばかりに棚に詰まっている。壮観を越えて恐怖すら覚えるほどに。 「まず、説明してほしいなー、なんて」 情けなさそうな顔を作ったのはシェイティに見せるため。それを悟らない彼でもない。唇の端をつり上げ、意地悪そうに笑う。 「シェイティ」 さらなる懇願。シェイティはちらりと視線を室内に走らせる。それからつい、と近づいてきては盗むようにくちづけた。 「何色の服がきたいの。伺候するときの衣装だよ」 「だって、カロル様、武装だって……」 「うん、言ってたね。あのね、タイラント。魔術師が軽装でどこにでも行かれるのって、どうしてだと思う?」 「え……?」 「服に呪紋を描くんだよ。敵意をそらしたり、恐怖させたりね」 「そんなことが!」 「あなたにもできると思うけど? 呪紋はこっちで教えるから。まず、何色がいいの」 「魔術師、なんだよな……」 様々な色を見回してタイラントは溜息をつく。そもそも魔術師らしい色合いがどんなものなのか見当がつかない。 「別にいわゆる魔術師らしいローブをきろとはカロルは言ってなかったし、僕もきない。あなたはとにかく竪琴、弾くんでしょ。だったら腕が楽な胴着とかでいいと思うけど」 「いいの、そんなんで? あ、もしかして俺が魔術師の弟子だってわからないほうが――」 言った途端だった。くちづけの距離にいたシェイティの拳が腹にめり込んだのは。息を吐くこともできずにタイラントは悶絶する。最近わかりかけてきたことがあった。彼の拳はどうやら師匠譲りらしいと言うこと。できればこれ以上暴力的にはならないでほしい。リオンはつくづく偉大だとも思う。 「あなた、真正の馬鹿? 一度死んでみる? 馬鹿は死んでも治らないらしいけど。試す価値くらいはあるんじゃないの」 「そんなこと言って……」 「何、言い訳?」 冷たく言い放つシェイティをタイラントは抱きしめる。抱くと言うよりすがりつくような形になってしまったけれど、彼に真意が伝わらないはずがない。 「俺が死んで悲しむのは君なくせに」 耳許で囁く。今度の拳は背中にきたけれど、先ほどとは比べものにならない可愛いものだった。そのまま背を抱くシェイティの腕を感じる。 「だったら少しは賢くなりなよ。馬鹿」 軽い痛みを首筋に感じた。シェイティが噛みついていた、あのときのあの傷跡に。はっとしてタイラントは彼を強く抱きしめる。それなのにシェイティは笑って抜け出した。 「それで。何色がいいの」 悪戯のように、楽しそうにシェイティは問う。それでいてふい、と顔だけはそむけているのがなんとも彼らしかった。照れているのだ、と思えばこそタイラントも恥ずかしくなってくる。 「えっと、そうだな。うん」 適当に辺りを見回す。何でもいいから言ってしまえ、と思うのだがここまで様々に取りそろえてあるといい加減なことを言うのが申し訳なくなる。 「あ……」 「ふうん。いいんじゃない」 タイラントの視線の先を追ったシェイティがうなずく。それは夜明けの鮮やかな青紫をしていた。タイラントの銀髪がさぞ映えるだろう、と思ったことで頬に上る血。 「胴着だよね。ちょっと華やかにいこうか。飾り帯なんかあるといいよね。こんな感じの」 動揺を隠そうとして言葉を繋ぐ。普段と変わらないはずの言葉選び、声音。それでもタイラントは違いを理解する。彼は世界の歌い手なのだから。その耳はありとあらゆるものを聞く耳でもあるのだから。 「ちょっと派手じゃない?」 だからこそ、何も言わずにいつもどおりに話しかける。シェイティの気恥ずかしさを独り占めしたくて。熟れた杏のような赤紫の布を手に取る彼に軽くくちづければ非難の目。それがいつもの当たり前。今のシェイティはその目に仄かな甘い色合いを浮かべて隠した。 |