フェリクスが魔術師たちを集めたのはある午後のことだった。それも、星花宮の弟子たちばかり。アリルカ建国以後の魔術師は一人もいない。
「フェリクス師――」
 それに不安を覚えたのだろう、カロルの弟子であったミスティが片手を上げる。
「なに」
 いつもどおりのフェリクスだった。肩には常と変わらぬシェリの姿もある。彼の気に入りの場所なのか、議事堂裏手の木立の中だった。
「あぁ……」
 フェリクスはようやく気づく。どうやら場所の選択がよくなかったらしい。ここは確かにあのとき、悪魔召喚をしかけた場所だった。
「まぁ、いいよね」
 肩のシェリにだけ、フェリクスは語りかける。それでいいとばかり、真珠色の竜が長い首をうなずかせた。
「それで。ミスティ。言いたいことがあるならさっさと言って」
 自分で話を聞く態度を見せなかったくせに、とはさすがに誰も言わなかった。殊勝なのではない。フェリクスが恐ろしいだけ。いまだにそれなのだから、フェリクスも小さく溜息をつきたくなる。全員が、独り立ちを許した魔術師だと言うのに、師匠相手に怯えてどうすると言うのか。
「いえ、なんの集まりかと。アリルカ以後の魔術師は、いないようですから」
「そうだね。本当は、入れるべきだとは思う。けどね、技術差がありすぎる。あなたがたと彼らとじゃ比較にならないからね」
「それは――」
 ふっと場に熱気が漂った。同時に背筋を凍らせるようなものも、また。
「そう。気づいたね。僕は後継者を選ぶつもりだ」
「そんな、フェリクス師!」
「いやです、まだそんな!」
 動揺もあらわに叫ぶ弟子たちにフェリクスは眉を顰め、仕方ない子達だと竜が吼える。突如として声が静まった。
「あのね、勝手に殺さないでくれる。僕自身の希望としてはさっさと死にたいところではあるけどね――」
 言った途端、竜が今度はフェリクスに向かって吼えた。その背をなだめるように撫で、フェリクスは竜には何も言わない。それでもシェリには、伝わる。
「とりあえずまだ死ぬ気はない。問題は、あなたがただ」
「それは、どういう……」
「あなたがたと、僕の技量差、かな」
 フェリクスは一度言葉を切った。考えろ、と言うことかもしれない。弟子たちが揃って目に真剣さを浮かべる。
「僕とカロルは、ある意味で対等だった。師弟だけどね」
 それを見澄ましたよう、フェリクスは言う。弟子たちがうつむいた。
「カロルは、その身の内に真言葉を持っていた。あの人の弟子は、知ってるよね」
 ミスティがはっきりとうなずいた。それにフェリクスは珍しく、うなずき返す。
「僕は、闇エルフの子だ」
 直属の弟子が抗議の声を上げようとするのをフェリクスは一瞥で黙らせた。事実だ、と。
「そのせいもあるのかもしれない。僕らの魔力はあなたがたとは桁が違う。だったらリオンはって言いたくなるけどね」
 死んでしまったリオン。彼はカロルと対等かつ、フェリクスとも互角。ごく当たり前の人間として生まれ、神官となり、魔術師となって死んだ男。
「問題は、あなたがただ。僕の後継者に、相応しいだけの魔力と技術。自信を持って自分こそって言える人、いるの」
 いるわけがない。揃ってうつむくその姿にフェリクスは失望を覚えなかった。感じたのはむしろ、切なさかもしれない。もっとずっといつまでも弟子たちを教え導いていけたならと。
 あるいは、かつてのフェリクスならばそう感じたのであろう感情の残骸のようなものだけが、ここにあった。知らず押さえていた胸。銀の竜がたしなめるよう、鳴いていた。
「だから僕はいま、選ぶ。僕の後継者だって言う意味、わかってるよね。この中の誰かは、リィ・サイファの塔を継ぐことになる」
 いままでだとて、静かだった。いまこの瞬間、針が落ちても聞こえるほどの静寂。それでいて、熱気。
「僕が言うんだから、本当だ。あの塔の維持は、生半では足りない。あなたがた、信じるかな。どうか、わからないけど。あの塔を僕がカロルから引き継いだ瞬間、僕は三日くらい身動きできなくなった」
 淡々とした言葉。だからこそ滲む真実。弟子たちの表情が硬くなる。目だけは爛々と輝かせたまま。
「あえて言おうか。この僕ですら、そうなった。さて、あなたがた。自信は」
 ある、と言えるものがもしもいたならば。どれほどフェリクスは気が楽になるだろう。強張った表情の弟子たちを見回す。
「だから、いまなんだ」
「それは――」
「僕が元気で監督して手伝ってやれる時間があるってことだ。察しな」
 弟子の言葉に無造作に放つ声。言葉の刃に切られたよう、弟子が仰け反った。
 その語調にではない。叩きつけられた声音にでもない。その、内容に。弟子たちがフェリクスに残された時間を思う。ぞっとして身を震わせた。
「いまならまだ僕は手伝ってやれる。権限委譲はするけどね。さぁ、誰か。自薦する人、いないの。僕の後継者だ。リィ・ウォーロック直系の一門の後継者だ。いないの」
 水のように流れる言葉。以前ならば。今は清水の冷たさと、氷の棘が潜む。言葉もなく硬直する弟子たちをフェリクスはじっと見ていた。
「……僕にも、考えがないわけじゃない。でもね、僕らの弟子に期待しちゃいけないわけ? 我こそはって名乗り出る馬鹿、いないの」
 それじゃよけいに言いにくいだろ。肩の竜ではない男の声が聞こえた気がしてフェリクスこそ、体を震わせた。心配して上げた竜の声に応えるべく上げた手は、ぎこちなく強張っていた。
「――が」
 フェリクスが、シェリを肩から抱き下ろしたとき、声が上がった。小さすぎてなにを言っているのか聞こえもしない。それでもフェリクスは鋭くそちらを見た。
「もう一度。なに言ったの、聞こえない」
「私が、自薦します!」
 座っていた弟子の一群から、一人が立ち上がる。立ち上がったくせ、がくがくと膝が震えていた。
「そう……奇遇だね。イメル」
 フェリクスはじっと弟子を見つめる。イメルもまた師の目に自らをさらした。
「僕も実はあなたを考えていた」
「そ、そんな……!」
「なに、不満なの。自分で手を上げたのに。何か言いたいことがあるならいまのうちに言っておきな」
「ないです、いいえ、ありません!」
「そう。なら、いいけど。で、他に自薦する人は。いないの」
 全員が、こくりとうなずいていた。悔しさもないわけはないだろう。だが全員が以後イメルをフェリクスの後継者として、星花宮の、リィ・ウォーロック直系の魔術師の長として仰ぐに異存はないと表情で語る。
「そう。わかった。だったらさっさと済ませようか」
「え……フェリクス師……」
「塔だよ。あっちに行かないと、委譲ができない」
 言葉を切り、フェリクスは辺りを見回した。ほっとしている弟子たちにはもう目もくれない。傍らまで歩いてきたイメルの及び腰にも視線を向けない。
 悪魔召喚をしかけたあの日以来、着かず離れず遠くから見守ってくれている眼差し。いっそ煩わしいと思えたならば、どれほど。
「あなたもだ、ファネル」
 すらりと、木の影から現れた闇エルフに弟子たちのいくたりかが驚いていた。そこにいるとは気づいていなかったのだろう。
「私が。なんの用だ」
「僕の個人的な用事だよ。あなたも同行して」
「……かまわんが」
 目を白黒させているイメルなど、見たくない。思い出したくない男を思い出す。あるいは、瞼の裏から決して去らない面影をまざまざと見せ付けられる。
「いくよ」
 だからフェリクスはそう言った。何も問わず。何も語らず。肩のシェリにだけ、手を置いて。それで余計なことまで伝わってしまう竜だから。許してくれると知って。
「追尾しな。できないとは言わせないよ」
 イメルに言い捨て、フェリクスはファネルに手を伸ばす。指先が触れた瞬間、フェリクスの転移魔法が発動していた。

 あっという間、と言うも愚かしかった。いったい何度フェリクスに転移させられたことか。多少は慣れたファネルであっても少しばかりは眩暈がする。
「ここは」
 辺りを見回せば、落ち着いた調度に囲まれた居間。フェリクスに相応しいとは思えない品の数々。
「人の話、聞いてなかったの。リィ・サイファの塔だよ」
「あぁ、なるほど」
 そのときになってやっとイメルが転移してくる。遅い、と昔のフェリクスならば罵ったのだろうか。
 疑問を感じたファネルはシェリを見やる。肩の竜は黙って首を振った。色違いの目に浮かぶ誇らしげなもの。
「そうか。早いのはフェリクスの技量か」
 だから自分に劣る者をフェリクスは咎めない。精進しろと叱咤することはあってもなぜできないとは決して彼は言わない。竜の眼差しにそれだけの物を見て取ったファネルは静かにうなずいていた。
「なにか言った、ファネル」
 聞こえていたはずなのに、フェリクスはそのようなことを言う。話題に加わるつもりはない、との断固とした表明だった。
「――権限委譲をする前に」
 ちらりとイメルを見て、フェリクスは少し待つように言う。いったいなにをしようと言うのか不思議だろう、イメルは。それでも何も問わずに黙って待った。それが、わずかに癇に障った。まるで、あの。
「なに」
 シェリが鋭く声を上げていた。背を撫でれば、まだ気が立った風に睨んでくる。フェリクスは戸惑って何度も撫でた。
 ファネルは、気づいた。フェリクスに余計なことを考えさせないためにシェリが鳴きたてて見せたのだと。小さく溜息をつき、居間の装飾を見る。
 不思議なものがあった。魔術師の塔なのだから、さほど不思議ではないのかもしれない。それは水盤だった。




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