ふっとエリナードの目が真剣な色を宿す。じっと見つめられたカレンは緊張を隠せなかった。
「お前はどうしたい?」
 あまりにも真っ直ぐな問いにカレンは言葉がない。なにをどう言えばいいのか、こんな思いは修業時代以来だ、と思う。
「どうって……イメルさんは、師匠に……」
「お前は俺の娘だからよ、イメルは筋通しただけだ。あとはお前がどうしたいかだぜ。決めるのは俺じゃない、お前だ、カレン」
「そんなこと、急に言われても!」
「たいていの物事ってなぁ急にいきなり起こるもんなんだぜ?」
 にやりと笑うエリナードにカレンが救われたよう息をついたのをデニスはまじまじと見ていた。カレンがこのように取り乱したところなど見たことがない。
「いまさー、エリナード。さらっと娘とか呼んだよな。カレン、気がついてる?」
「うっせぇ、イメル。黙れ!」
「言ったのお前だろー」
 にんまりとするイメルに顔を赤くして怒鳴るエリナード。くすくすとファネルまで笑っていた。深刻な問題のはずが、なぜかどうでもいいような気がしてきたのだろうカレンが、肩を落として深呼吸をする。
「こんなクソ親父、要らねぇですよ?」
 精一杯虚勢を張ったカレンを、エリナードどころかイメルまで、のみならずファネルまで高らかと笑った。
「知っているか、カレン。エリィはずっとフェリクスをそう呼んでいるぞ?」
「あ――」
「似たもの親子、と言うことだな」
「ファネル。それをあんたが言うのか?」
 諸悪の根源は誰なのだ、と言わんばかりのエリナードにファネルは微笑む。悪口を垂れているようで、それがエリナードの心根の優しさだとファネルは知っている。フェリクスの血筋が、その思いが、たとえ一滴の血も受け継いでいなくとも繋がっているのだと、ファネルが信じられるように。
「なんか物凄いとんでもねぇ血筋な気がすんですけどね、イメルさん?」
「大丈夫。星花宮の魔導師はそう言うものだったし。いまの時代になっても、魔術師なんてけっこうそんなもんだろ。問題ない問題ない。で、カレン?」
 一度カレンは深く息を吸う。デニスが隣でわなわなと震えているのを感じている。だからこそ、落ち着いた。
「謹んで、お受けします」
「うん。ありがと。あ、でもそんなにすぐって話じゃないし。まだまだ時間はあるからさ、そのときには頼むねってこと」
「はい」
「俺としては後継者決めるなんてまだ先だよねって思ってたんだけどさ。周りがそわそわしてるし。これも時代かなぁ」
 にこりとカレンが微笑んだ。デニスにはわからないだろうイメルの言葉の意味が彼女にははっきりと理解できる。ファネルを思いやったイメルの言葉が。塔の後継者を定めると言うことは、もしかしたらイメルは自らの寿命を思うのかもしれない。そしてイメルが思うのならば、さして年齢の変わらないエリナードもまた。ファネルがそう思っても不思議ではない。一人残されて行く神人の子を慮ったイメルの言葉。カレンは師のために微笑んでいた。
「さぁ、坊主。すげぇことになったな、え? お前は塔の後継者の弟子だぜ。どうするよ?」
 からかうエリナードの声にファネルはかすかな吐息を漏らす。イメルにとってそれは嘘ではないのだろう。けれど定命の子ら。ファネルにとっての先はもうすぐそこに。それでも先のこと、としてくれている愛しい者が、友がありがたい。切なさだけは、薄れなかったけれど、それでもなお。
「……無理、です。そんな、無理です」
「ん、何がだ?」
「僕は、そんな! カレン師、どうか僕を余所にやってください! 僕は!」
「あのなぁ、馬鹿弟子よ。別にイメル師の跡を承けたからってな、私のなにが変わるわけでもねぇだろうが。私は私、お前はお前。柄の悪い魔術師とクダ巻く馬鹿弟子ってだけだろうがよ」
「でも!」
「お前ね、肩書に囚われすぎ。それ、師匠に直されたんじゃねえのかよ?」
「俺になに求めてんだよ。無茶言うんじゃねぇよ。そのお子ちゃまの矯正すんのはお前の仕事だろうがよ」
 舌打ちをして、けれど微笑むカレン。デニスは震える拳を握りしめ、誰でもいいから逃げさせてほしいと願う。ふ、とファネルが笑った。
「お前は一応はエリィが認めた。カレンは元々お前を導く気でいる。ならば、師たちの思いに応えるよう努力してみてはどうだ?」
「でも――」
「まず、それをやめることからだ、デニス。でももだってもない。聞く耳と見る目が欲しいのだろう?」
 はっとしてデニスは魔法とは関係がない神人の子を見つめる。それなのに、なんと言う助言をくれたのだろう。
「さすが長生きだよねぇ、ファネル。子供の扱いがけっこう巧い」
「私の周りは手がかかるのが多くてな」
「――そりゃ、俺のことか?」
「誰、とは言っていないがね」
 顔を見合わせて言葉を交わす二人にデニスは気づけば微笑んでいた。自ら浮かべた笑みが力になる。希望になる。到達できないかもしれない高みにいる魔術師たち。越えることなどできないかもしれない魔術師たち。それでも、努力することはできる。いまから、ここから、まず一歩を。
「その意気だぜ」
 まるでファネルのような優しい笑みをしたエリナードがそこにいた。頑張れよ、と目で励ましてくれるイメルがいた。女とは思えない力で思い切り背を叩くカレンがいる。
「あぁ、そうだ。師匠。魔術師同盟が、名前変えるらしいっすよ。なんてったかな。大陸魔導師会だっけ。組織も少し変えるみたいだ。四導師制は変えないみたいですけどね」
「へぇ。そうか……」
 デニスの心を見届けた、と言うことなのだろう。彼を追い払うことなく魔術師たちはそんな話をはじめる。一度考え込んだエリナードがつい、と目を上げてカレンを見据えた。
「お前な、カレン。今後いやでもイメルの跡継ぎだってのは公表することになる。だったらな、その魔導師会か? それからは手を引け」
「なんでです? いや別に権勢欲なんざねぇですし、別にいいんですけど。後学のため」
「元々俺はな、イメルが四導師に入ってんのも問題だと思ってたんだ。同盟締結直後はイメル以上の風系魔術師がいなかったからしょうがねぇ。イメルの名声は捨てがてぇってのもあった。でもな、リィ・サイファの塔の管理者は、別格であるべきだな。世俗にかかわる必要なんざねぇんだ。魔術師が目指す最高峰であるべきだ。違うか?」
 エリナードがイメルを見つめた。眼差しを受けたイメルは苦笑して肩をすくめる。自分はそのようなものにはなれなかったとばかりに。
「俺はね、エリナード。そう言う意味では真の管理者はお前だったと思ってるよ。俺はお前にあらゆる意味で勝てない。技術も、情熱も、希望も、全部な」
「だからお前は俺の上にいるんだ」
 そのようなことを言えるイメルだから。衒いなく言われた言葉にイメルがさっと頬を赤らめる。これ以上ない賛辞だった。
「ちなみに、カレン。俺もエリナードの案には賛成だ。四導師に混ざってると、いろいろ面倒くさいよ? 俺が一番偉い、みたいに思い込んでるやつらがかなりいたからね。そんなことないのにさ」
「四導師に管理者兼任じゃあな、そんなことが起こるのは自明ってやつだ。だからな、カレン。手間と暇が惜しかったらやめとけ。ろくに研究の時間が取れなくなるぜ」
「そりゃ大問題っすね。管理者だけでも手に余るだろうになぁ」
「そりゃそうだ。イメル、何日かかった?」
 悪戯のようなエリナードの声にイメルが天を仰ぐ。過去を思い出して身震いをしていた。両手で己の体を抱えまでしている。
「五日! ほんっとに、丸五日かかった! 身動きできない、息するのがやっと! それが五日!」
「だよなぁ。それ師匠が手伝ってだろ?」
 そのとおりだ、とイメルはまだ震えていた。なんのことだ、と言うようなカレンをエリナードは小さく笑みを浮かべて見やる。
「塔の権利委譲さ。ありゃ、ほとんど外殻以外は魔法空間だからな。管理者交代するにゃ再構築が不可欠だ。それも空間維持したまんま」
「……無茶だ」
「って言っても、物を外に出すわけにもいかねぇんだっつーの。その方が時間かかるわ。だからしょうがねぇからな、カレン。俺が手伝ってやるよ」
「ほんとすか。すげぇ……安心」
「よかった、エリナード! お前なら絶対そう言ってくれると――」
「待て、エリィ。お前は」
「負担はかかる。でもな、カレンをほっとくわけにもいかない。その辺、わかってくれよな?」
「あ……」
 カレンとイメル、二人の声が重なった。そして互いに目を見つめ合い、心のぬくもりを共有する。あるいはこの瞬間、カレンはイメルの後継者になったのかもしれない。
「カレン」
「最善は尽くします、ファネル。信じてくれなくていい。でも、私にできるすべては注ぎこみます。師匠に無理はさせないとは誓えないけど」
「それで充分だ。ありがとう」
 微笑む神人の子にカレンがほんのりと頬を染めた。隣で見ていたデニスまで胸が痛くなるほど美しい笑みだった、それは。
「さて、んじゃあ。とりあえずイーサウに帰りますわ」
「うん、あとのことはまた今度ね」
「はい。師匠――。色々とお手間を取らせました。ありがとうございました。ほら、デニス! ぼうっとしてねぇでお前も頭下げろ、ちゃんと!」
「え、あ! 色々ありがとうございました!」
「へいへい。面倒事は一度で充分だからな。次に来るときにゃちったぁマシな魔術師になってるって期待してるぜ?」
 投げやりなエリナードの言葉ではあった。けれどそこにあるのは本心からの期待。デニスははっきりとうなずく。裏切りはしない、と。それにエリナードは小さく笑うだけだった。



 エリナード・カレンがリィ・サイファの塔を委譲されて数年。フェリクス・エリナード死去の報を受けた。彼に縁のあった二人の弟子と共に急いでアリルカに跳べば。
「師匠……」
 眠るよう、寝台の上に休むエリナードだった。その胸の上、まるで一輪の花のように。満天の星空よりもなお美しいひと房の黒髪が。愛した人の髪を胸にエリナードは眠る。あるいは声を殺し、あるいは激しく弟子たちが泣いていた。
 だから、気がついたのはカレンだけ。エリナードの鮮やかな金の髪もまた、ひと房切り取られていると。誰も知らず、誰にも知らせず、闇エルフのファネルは旅立っていた。




モドル   オワリ   トップへ