「真実の愛だ他人のためだとふざけたことぬかしてんじゃねぇぞ。その腑抜けた根性、師匠んとこで叩きなおされてきやがれ!」
 師に怒鳴られた言葉がデニスの中で何度となくこだましていた。毎日毎日、足を進めていても眠っていても。
「でも、僕は悪くない」
 そのたびに呟いてしまう。真実の愛のなにが悪いのか。他人のために尽くすことのなにが悪いのか。デニスにはわからない。
「だって」
 故郷には、そのように生きた英雄がいたのだから。デニスの英雄。人々の英雄。もういなくなってしまった故郷の英雄。
 そのようにして生きたいと望み、その姿を目指して努力に努力を重ねてきた。それなのに師は言う。間違っていると。
「魔術師が目指す道ってのはそんなもんじゃねぇんだよ、ガキが」
 態度も柄も悪い師にデニスは反発しないでもない。が、偉大な魔術師だとは思っている。その師に導かれる自分は幸運だとも思っている。
「でも、納得できない」
 日々呟きながら歩いて行く。決して師に放逐されたわけではない。
「――と思うんだけどな」
 追放されたわけではない。追い出されたわけでもない。言ってみれば師の恩師の下で研修をしておいで、と送り出されたのだろう、とデニスは解釈している。いささか甘い見通しかもしれないけれど。
「失望してらっしゃるのかなぁ。でも、やっぱり僕は悪くない」
 正しいものはいつどんな世の中でもどんな種族でも正しい。人間として生まれ、魔術師として育ちつつあるデニスは思う。
「ここ、だよな?」
 遠くにあった森の影がいまはもうすぐ目の前だった。霞んだような、けれど夏の陽射しに美しく輝く森の木々。鬱蒼と茂っているのに明るかった。
 デニスは恐る恐ると森の中へと足を進める。一瞬なにかわからないけれどぞくりとした。これが師の仰っていた結界か、と後になって気づく。
 ゆっくりと警戒しつつ歩き続けても人の声が聞こえなかった。だんだんと不安になってくる。ここに行け、と言われたのだがあっていたのだろうか。あるいは別の森だったのか。
 デニスが真剣に疑いはじめたころ、目の惑いのよう森が開けた。それなのに、そこも森の中だった。わけがわからず瞬きをすればようやく聞こえる人声。あっと息を飲む。そこかしこに半エルフたちが笑いさざめていていた。
「おや、お客人だ」
 立ち尽くすデニスの元、人間族の男が笑いながら近づいてくる。神人の子らを間近に見たものはたいてい呆気にとられるから見慣れたものだとデニスを笑っていた。
「申し訳ありません」
 礼儀正しく礼をする若い男に相手は好感を持ってくれたのだろうか。デニスの問いにも易々と答えてくれた。
「そこの道を上がってお行きなさい。少し行くと滝があるから。その脇の道をのぼると湖につく。わからなかったらまた誰かを掴まえてお尋ねなさい」
 朗らかな男に礼を述べ、デニスは言われた通りの道を探した。探すまでもない、と言ったほうがよかったかもしれない。すぐに見つかった道は整備もされていて道の両側に綺麗な花が咲いていた。
「これって自然のものじゃないよなぁ」
 誰かが種を蒔き、手入れをして咲かせているのだろう。そう思うと少し不思議な気がする。このアリルカと言う国に相応しくはないような、そんな気がしたせい。
 デニスはこの国を神人の子らとその子ら、そして魔術師と人間の国、この世界の人型の種族すべてが集まった多種族の国、と聞いている。それでも元々は半エルフとその子らが作ったのだとも。あっているかどうかまでは知らない。所詮は噂話なのかもしれない。それでもそう聞いているからこそ、人の手で園芸植物を育てる、と言うことが不思議な気がしてしまう。
「神人の子らって、そう言うこと似あわない気がする」
 呟いてしまって身をすくめた。遠いイーサウの地から、師に怒鳴られた気がしてしまった。それは偏見だ、と言って。魔術師たるものすべてを平らかな眼差しで見ることが大切だと。
「偏見じゃないよ、こんなの。ただの感想じゃん」
 この世の生き物とは思えないほど美しい種族がいる。その手はきっと土に汚れるより楽器を奏でるほうが似合うし、口も飲み食いするより歌う方がいい。そう思う。別に間違ったことは言っていない、そう思っている。
 けれど神人の子らにはそれ以上行き会わなかった。そうこうするうちに滝の音が聞こえ、新しい道もすぐにわかった。のぼると言うほどでもない道をのぼれば眼前に開ける澄んだ湖。
「あれは――!」
 湖の中ほどにぽっちりとした小島があった。大人が五人も立てば肩が触れて息苦しいだろう程の土の盛り上がりのような小島。けれどそれはこの世の不思議だった。奇跡だった。その小島の中心に立つ物こそは。
「リオン・アル=イリオの杖……」
 真の銀の透徹な輝きも目に優しいあの杖が、このアリルカと言う国を守っている。森の中で感じたものこそ、この杖の力だった。そしてそのとき耳に届く涼しげな音色。はっとして振り返ればそこに人影。
 デニスは息を飲む。湖のほとり、何重にも積み上げたクッションの上に体を休めつつ、それでも手仕事に励んでいるのだろう人の姿があった。夏の陽射しを避けようと木陰にいてすら、その鮮やかな金髪が光るよう。
「あの……! フェリクス・エリナード師でいらっしゃいますか!?」
 駆け寄って、息を弾ませてしまった。そんな自分が恥ずかしい。が、彼こそはデニスの英雄。故郷の大英雄。大陸中の魔術師を結集させた同盟最大の功労者。
「おうよ」
 顔を上げたエリナードのその深い藍色の目に吸い込まれそうになった。かの大英雄が、こんなにも美しい男だとは思ってもいなかった。どぎまぎとするデニスの前、エリナードは手仕事を続けている。
「あの……」
「ちょっと待ちな。切りのいいところまでやっちまうからよ」
「え、あ。はい……」
 ぎょっとした。こんなに綺麗な唇から出るとは思えない柄の悪い言葉だった。まるで師のように。思ってデニスは首をかしげる。師は、エリナード師に影響を受けたのだろうかと。
「悪いな、待たせた」
 ぽん、と傍らの箱の中に何かを収めていた。いままでしていた手仕事の成果だろう。見れば最高傑作にしか見えない首飾りや髪飾りの数々。先ほど聞こえた音色はこれらがぶつかり合って立てた音かと思う。そのような乱暴な扱いが信じられない素晴らしさ。
「いえ、あの……」
「あぁ、これか? 無駄飯食らうわけにもいかねぇだろうがよ。飯ってのは働いて食うもんだぜ」
「でも、師は! どうしてです!? 偉大な魔術師でいらっしゃるのに、こんなものをどうして!?」
「偉大だろうが何だろうが俺だって生身だってーの。食わなきゃ死ぬわ。死なねぇように稼ぐんだっての。ちょうどいいだろ? 綺麗なもんってのはよく売れるからよ。イーサウで見たことねぇか? まぁ、ねぇだろうな。値は張るからよ」
 肩をすくめてエリナードは言う。デニスは呆気にとられて言葉もなかった。故郷で聞く偉大なフェリクス・エリナードが、こんなところで細工師の真似ごとをしているとは。
「イーサウにおいでになれば……」
「あ? やっと逃げてきたんだ。誰が戻るか。あんなとこにずっと住んでたら研究がはかどらねぇっつーの」
「研究、ですか」
「それが魔術師の本分だろうがよ」
 あっさりと言うエリナードにデニスは驚いていた。なにがなんだかわからない。研究がしたいのならばイーサウにいてもよかったではないか。設備は整っているし、人手もある。なにより食のために稼ぐ必要などないはずだ。
「で、それより。お前、誰?」
 にやりとされ、デニスは顔色を失う。恥ずかしくて血の気が下がるなどというものではなかった。おろおろとする自分をエリナードが楽しげに見ているその眼差しから逃げ出してしまいたい。
「あの、申し訳ありません!」
「名乗れねぇのかよ? どう見ても同業者なんだがよ?」
「同業だなんてとんでもない! 僕はまだ修行者です。その、カレン師の下で修業中のデニスと言います」
 ようやくなんとか名乗ったものの、通じただろうかと不安になってしまう。それくらい泡を食っていた。が、伝わりはしたらしい。ふ、とエリナードが目を細める。
「カレンの? ほう。あのガキ、俺になんの用だ。つーか、なんか厄介ごと押しつけやがったな」
 ぼそりと言いつつ軽く手を閃かせた。たったそれだけで目の前の湖の水が立ち上がる、鏡のように。その鮮やかな魔法にデニスは目を見開いた。
 自分はいつかここまで到達することができるのだろうか。デニスは思う。彼はいまだ修行者階級。ようやく魔法学院を卒業し、師についたばかりだ。いずれ師範になり、そしていつかは探究者と呼ばれる最高位につくことができるのだろうか。わくわくとする思いで考えていたそれも、いまこうしてエリナードを前にすれば萎んでいくよう。あまりにも格が違った。
「よう、師匠。着きましたか。うちのガキ」
 慌てて声の元を探ればなんのことはない、水鏡。そしてそこにくっきりとイーサウのカレンが映っていた。
「いまここにいるぜ。で、なんだよ? 俺のご機嫌伺いってわけでもねぇんだろ。なんの用だかさっさと言いな、クソ弟子が」
「あー、はいはい。久しぶりっすね。私も会えて嬉しいですよ、懐かしいですね、師匠」
「んなこたぁ俺は言ってねぇだろうが。カレン、本題!」
 からりと笑ってエリナードがカレンに向かって目を細めていた。だから「そんなこと」を言っていたのだろう、とデニスは思う。不思議な師弟だ、とも思った。
「まだ話、聞いてません? あぁ、やっぱりね。なんかそのガキ、師匠のことを史上最高の大英雄ですっごい偉人で完璧超人みたいに思ってんですわ。だったらいっぺん実物見て現実に叩きのめされたほうがよろしかろうと言う師匠の親心っすね」
「お前なぁ……」
 嫌な顔をするエリナードがデニスは不思議だった。からかうカレンが悪いとすら思う。茶化すようなことではない。なぜならばカレンの言葉どおり、エリナードこそが大英雄なのだから。
「俺が英雄だ? この世の終わりだな、そりゃ」
 唖然として、肩をすくめたエリナードを見つめる。何度も瞬きをして口まで開け閉めする。そんなデニスを憐れむよう、エリナードは見ていた。




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