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イーサウ連盟には道路網と共に転移点も敷設されている。ニトロの腕ならばアーロンとダモンを抱えていてもこれがあればセヴィルまで一気に跳ぶことも可能だ。 が、それはしない。直接セヴィルに乗り込むつもりはなかった。まずは山に。だから出現したのはイリオ隧道を抜けたあたりの転移点だった。 「このまま山に?」 山の中に跳べれば便利なのだが、とニトロは溜息をつく。さすがに用事もないから転移点など作っていない。目標一つなく、しかも見知った土地でもない場所に転移するのはまず無理だ。 「あぁ」 歩くしかなかった。ダモンは昔の稼業が稼業なだけに苦にもしていない。街育ちのアーロンの方が肩をすくめた。ニトロも念のために、とマーテルとの連絡用魔法具を耳に飾る。二人が足ごしらえをし、それで出発だった。 もうとっぷりと陽は暮れている。こんな時間に山に入るなど正気の沙汰ではない。が、ニトロは魔術師。魔法灯火を灯せば足下にも不安はなかった。 「もっと明るくした方がよくないか。アーロンが危ないかもしれない」 「いや……。夜の山は獣の領分だ。不法侵入してるのはこっちだからな。遠慮しながら行こうぜ」 ニトロは魔術師でありながら氷帝派という武闘派に属しているせいで体さばきにも自信がある。それはダモンの目から見ても確かなほど。ならば自分がするのはアーロンの補佐か、とダモンは彼の傍らへとつく。 「アーロン」 ついでだ、とダモンは話しかけた。ニトロは黙っていろとは言っていないし緊張もしていない。いまのところ誰かに見られている気配もない。 「なんです?」 お節介だな、と思うダモンの口許に小さな微笑。薄暗くてアーロンには見えなかったかもしれない。 「あんまりキアランを挑発するものじゃないよ」 なんのことだ、と怪訝そうなニトロがこちらを向いた。まるでそんなことをしていたのかと言わんばかりの眼差し。気づいていなかったとはいかにもニトロらしい。アーロンはにやりと笑った。 「だってダモンさん。私のニトロをあんな男にさらわれたくないんだよ」 「どういう意味?」 「そのまま。あんなぼうっとした男がニトロに相応しいとでも? 私のニトロだよ?」 長々しい溜息。反論する気力を根こそぎ奪われていたニトロだった。何をここで呑気な会話をしている、と言いたくなってしまう。止めなかったのは自分だが。 「私のニトロは――」 「俺は俺のもんだ。誰のもんでもねぇよ」 アーロンが言葉を続けようとするのを遮った。それをちらりとダモンが笑う。意味がわからなかったニトロだったけれどあえて何も言わなかった。 「キアランにとって君は何者なんだろうね」 「はい? なんだよ、急に。本人は群れの長って言ってるぜ」 「長、ねぇ……」 思わせぶりなアーロンの相手をニトロはしなかった。物心ついたころからずっと同じことを繰り返しているのだ、いい加減相手をする気にもなれない。それを言えばいい加減に本気にしてくれ、と言い返されるけれど。 「それよりシアンだろ」 さすがに二人の神官が黙る。彼らもシアンの問題は重々承知。むしろニトロよりなお否応なしに理解しているのではないだろうか。 「君は……キアランには?」 「言ってねぇし、言えねぇ」 「――言った方がいいとは、思うけどね。僕が言う勇気はないから、君に強いることはできないかな」 「……放置もまずいとは思ってんだがよ」 「シアン君本人の意志はどうなんだい、ニトロ」 アーロンの難しげな声。真剣になろうと思えばいくらでもなれる男とニトロは知っていた。そちらでいてくれればもっとずっと付き合いやすいのに、とも。 「内緒にして。――だ、そうだ」 「だろうね……」 シアンと遊んでやっているのはダモンの方。ティアンは武骨な剣の使い手、と考えすぎて子供の相手がしにくいらしい。神官でもあり、「常識外れの子供時代」という意味では似たものを過ごしてきた二人。ダモンはシアンを楽しませようと日々心を砕いている。 「とりあえずは呪いの解呪、なんだけどな……」 それをしてもいいものかどうか。事態はそこまで単純ではなくなってしまっている。ただ呪われているだけであったのならばこんなに楽な話もない、とニトロは内心で溜息をついた。 アーロンの息が上がりはじめていた。慣れない山道、それも夜とあって仄明かりはあれどほぼ闇だ。街育ちで山野を巡ったこともない、しかも双子神の神官だ、中々に厳しいものがある。それでも彼は弱音を吐かない。なにもニトロが見ているから、ではなくおそらくはシアンのために。神官として、救うべき人のために。 その彼がさすがにそろそろ息を入れたい、と言い出そうかというころだった。半ば朽ちた小屋が見えてくる。 「あれだな」 キアランの道順は中々正確だった。人間の足で登ったのか、狼のそれだったのかは微妙なところだと思いつつ、ニトロは特に問題を感じてはいない。道はあっていた。それでいい。 「ご在宅かな?」 「いらっしゃっても……夜中なんだが。起こしてしまうのはためらわれないかい?」 なんだったらここで夜明かしをするか、とアーロンが顎先に指を当てて考える。引き返そうとは言わない。なぜこんな夜中とわかっていて来たとも言わない。ニトロに全幅の信頼を置いていた。 それが感じられるぶん、ニトロは居心地が悪いというのに。気づいたのだろうダモンがそれとなく肩を叩いてくれた。返答をするでもなくほっと息をつく。ダモンにはそれで感謝と伝わると知っていた。 「起きてはいると思うがな。つかな、キアランの婆様だぞ。普通は寿命だとかお前ら、思わねぇのかよ」 「君という例外がいるからね。魔術師の寿命が長いんだったらキアランたちがそうでもいいじゃないか」 「ニトロがいると言うなら、いらっしゃるんだろう。私はそれを信じるだけさ」 口々に言われてニトロは肩をすくめる。いるとは言っていないのだが。そもそもキアラン自身、祖母は「生死不明ということになっている」と言っていた。二人の神官ほど大雑把――というわけではないとニトロも理解はしているが――な感覚を持つものはそうはいない。いかにも長すぎる寿命があれば人々は疑いを持つものだ。 「ま、一応――」 傾きかけた小屋にいるとは思わなかったが、絶対にいない、とも言いきれない。念のために、と戸を叩こうとしたニトロが凄まじい勢いで振り返り、咄嗟にアーロンを背後に庇った。そのときにはすでにダモンは暗器の留金を外し、いつでも攻撃に移れる体勢。 「……クレール刀自か? お孫さんのキアランの知人でニトロと言う。話がしたいんだが、いいかな?」 ゆっくりと紡ぎ出されるニトロの言葉。ダモンはそれに緊張は解かないまでも武器は納める。そこには白銀の狼がいた。 ――でかい。 キアランより大きいのではないだろうか。月光も射していないというのに輝く体。爛々と見つめてくる大きな目。口からだらりと長い舌が覗いていた。 「改めて。カレン・ニトロだ。イーサウ連盟に住んでる魔術師」 どかりとニトロがその場に座った。足を組んですぐには動けない体勢をあえて作る。すぐに従ったのはアーロン。ダモンはそれからゆっくりと。二人ともに足を組んで座っていた。 「双子神の神官、アーロンと言います。どうぞよしなに」 優雅な、それでいて壮年の男らしい色気のある挙措。目の前にいるのが狼である、とアーロンは思ってはいないのかもしれない。そこにいるのはキアランの祖母。 「青春の女神エイシャの神官、ダモンです。刀自殿にはご機嫌麗しゅう」 優しく頭を下げる神官らしい姿。これでただの狼だったら大笑いだ、とニトロは内心で肩をすくめる。もっとも疑ってはいなかったが。その瞬間。 「ニトロ!」 アーロンの声。ダモンが羽交い絞めにして止めていた。ニトロは微動だにせず。耳元で狼の吐息。巨大な狼に瞬きする間もなく圧し掛かられていた。 「話ができるかな、刀自殿」 ふん、と鼻を鳴らした気がした。さすがに年経ている。キアランのよう思考が漏れては来なかった。そのまま狼はニトロを放し、朽ちかけた戸を鼻面で押す。一度振り返り、首を振った。 「ついて来いってこと……かな?」 「みたいだな。ちょっと待ってから行こうぜ」 「どうしてだ、ニトロ?」 アーロンが息を整えていた。さすがにダモンは驚愕から立ち直るのが早い。そちらを見つつニトロはダモンに返答をしていた。 「女性の着替えを覗くのは失礼ってもんだろうが?」 「あ……。そうか。キアランが着替えてるところ、見たことなかったから」 「隠れてるんだよ、あいつだって。恥ずかしいだろうが。真っ裸だぞ真っ裸」 「……言うな、ニトロ。緊張感が消え失せる」 頭痛をこらえるような顔をしつつ、まだ青ざめているアーロンだった。ニトロが食われるか、と心臓が止まるような思いをしたものを。ダモンもニトロも気にした素振りさえない。鍛錬が違う、場数が違う。久しぶりにそんなことを感じた。 頃合を見計らい、三人は小屋の中へと入っていく。灯りもない暗がりだった。ぽ、と灯ったのは魔法灯火。同時に魚油の臭いと共に燈明が灯る。 「……あんたが魔法を使うのは確からしいね」 姿を見せたのは白髪の老婆だった。だが肌には張りがあり、矍鑠とした身体。何より目が違った。老人の目ではない、もっと遥かに生気に満ち溢れた。 「クレール刀自でいいのかい?」 「そうだ。あたしがクレールだ」 どん、と自らの胸元を叩く。その間にも彼女の目はニトロからそらされない。体の裏側まで見通さんばかりの強い眼差しだった。 「まずはキアランからご挨拶、がいいかな?」 気にもしない様子でニトロが微笑む。そっと懐に手を入れて彼の尻尾の毛を壊れかけの卓に置く。無言のままクレールが手に取った。そのまま鼻先に。 「……ふん。恐怖の臭いはしないね。あんたがあの子の知り合いだって言うのは、信じよう」 「そりゃよかった」 淡々としたやり取りだった。アーロンは実のところやきもきとしている。もっと言葉を尽した方がいいのではないかと。それをダモンの微笑みが止めていた。 |
