斉藤一彰は起きた時から嫌な予感がしていた。
 彼は東山流、という日本舞踊の一門でも特に重きをなしている東山扇弥(せんや)という舞踊家の内弟子をしている。
 それだけで随分名誉な事だ、人は言った。

 内弟子の朝は早い。
 年が明けたばかりの今ごろはまだ夜も明けないうちから起きだして、舞台の雑巾がけから一日が始まる。
 湯を使うような贅沢が弟子の身分に許されるわけもなく、冷たいバケツの水でする掃除にきりりと指先が痛む気がしてすっかりと目が醒めた。
 冷え切った部屋の中、恐る恐る寝間着代わりのくたびれた浴衣を肩から落とし、稽古着の着物に袖を通した。
「……くぅっ」
 冷たい。
 洗濯がきくようにと木綿で作った長襦袢が温まるまでには随分時間がかかりそうだった。
 それでも動き始めてしまえばぐすぐすしている時間はない。
 舞台の掃除が終わったら朝食の準備。その頃には師匠も起きてくる。
 そうしたら朝食の前にまず稽古。びっしょりと汗に濡れた着物を干しておいて朝食を済ませ後片付けをしたと思ったら乾く間もないそれをもう一度着て稽古をつけてもらう。
 そうこうしているうちに通いのお弟子さんたちがあらわれ、お茶汲みに奔走。
 一段落すれば見るのも稽古のうちと見学だ。当然正座で何時間も座っていることになる。これが最初は辛かった。
 午前中だけでもこれだけ忙しいのだ。午後はおして知るべき。

 けれど今日はもっと忙しい。
 一月四日、だからだ。
 この日は踊り初め、と言って弟子たちはそれぞれ煌びやかに装い、年始の挨拶も兼ねて今年最初の稽古をする。
 実際は主だった数人がさらりと稽古をつけてもらうだけだからいわば儀式のようなものだ。
 が、これが内弟子の身になればとんでもなく忙しいのだった。
 稽古が終わった後の宴会の手配に始まって、茶菓子も湯飲みも普段の倍は用意しておかなければならないのだ。
 いつもは曜日を決め時間を決めしてきている弟子たちが勢ぞろいするのだから湯飲みの数だけでも圧巻だ。
 これが一彰ひとりの身に降りかかってくる。
 ぐすぐすしている時間はなかった。
 なのになぜか嫌な予感は離れなかった。

 舞台の雑巾がけが終わった頃には冷え切った指が真っ赤になってじんじんと痛んでいた。
 はぁ……息を吹きかける。
 冷たい指にそれぐらいのことで感覚は戻らない。
「おはよう。一彰」
 彼も名取りで「扇彰」という名取り名を持ってはいるのだが、師匠は彼を本名で呼ぶ。特に師匠が、ということではなく近しい人はみなそう呼ぶのだが、一彰は師匠にそう呼ばれるのが苦手だった。
「あぁ、真っ赤な手をして」
 扇弥はそういうと舞踊家らしい綺麗な手で一彰の手を挟み込み、笑う。
 扇弥はまだ青年と言っても通るような年だった。
 その年で重きをなしているのは宗家の外孫だからだ、という人もあったけれど、それは僻みだろう。
 次の宗家はおそらく彼になる、それほどの腕は確かに持っていた。
 すらりとした長身は女をやらせて良く、二枚目はふさわしく荒事をやらせても光った。
 ぬけるように白い肌は化粧を任せる顔師たちに歓喜の涙を流させる。
 宗家が顔をしかめるのも知らぬ顔で伸ばした髪は背に流れるほどで目の色共々漆黒だ。
 稽古着の渋い藍色をした紬がぞっとするほどよく似合う。
 男にしておくのがもったいない、弟子は皆言う。
 だが一彰だけは彼が紛れもない征服欲をもった男だと知っている。
 わかっているのにその白い手に挟まれた自分の手が酷く無骨な気がしてひとり、恥じた。
「お、おはようございます」
「おはよう」
 弟子の誰もが熱望するその笑み、莞爾。
 背中がぞくりとしたのは綺麗だからではなかった。
 怖かった。
「冷たいねぇ、一彰」
 ふいに後ろから抱きすくめられ。
 こんなたおやかな容貌のくせ彼は一彰よりも頭ひとつ分背が高かった。
「お師匠さんっ!」
「一彰」
 耳元で名を呼ばれる。
 冷たい体に温かい彼の息が吹きかかる。
「なんて冷たい体だろうねぇ」
「ひっ……」
 一彰の指の冷たさの移った彼の手が襟のあわせから喉もとをさすった。
 ぴくり。身をすくめるのが楽しいのか扇弥は鳩のような笑い声を立てぐっと手を差し込んでくる。
「や……」
「冷たいのなら温めなさい」
 そう唇に指先を押し当てられた。
 弄るように柔らかい肉をつぶして戯れる。抵抗の間もなく指は口の中に押し込まれていた。
 逃れようとしても口には指を入れられ手は軽くひとまとめにされているのに振り解けない。
 無理にほどこうとしたならぎりり、握られ。
 容貌からは図れないちからだった。
「お師匠さんに逆らうのかい。一彰」
 言葉と共に指が喉の奥にまで入ってくる。
 苦しさに首をふり諦めて指をしゃぶった。
 冷たさが口中にあふれる。
 抵抗を止めたと見なしたのか彼のもう片手が崩れた襟をさらにはだけて、胸の敏感なあたりを彷徨った。
「んっ」
 触れるか触れないかの所を冷たい指がさすっていく。
 その刺激に突起が充血していくのを一彰は感じ、かぁっと頬に血が上った。
 くすり後ろで笑う声。
 口の中の指はまるで深いくちづけを交わすように勝手気ままに動き回る。
 舌の裏側をこすり舌先を爪で弄う。
 いつのまにか指とのくちづけに夢中な自分に一彰は気づかない。
 ぴちゃり。
 わざと水の音を立てる。
 扇弥に仕込まれた、技巧。
 彼が喜ぶから一彰はすぐにそれを覚えた。やらなければ怖いから、そんな風に自分をごまかしながら。
「んんーっ」
 ふさがれた唇から甘い鼻声が、もれる。
 彼の指が胸の突起に触れていた。
 こすりあげる。爪で引っかく。やわやわと弄る。
 そのたびの声にならない声が冷たい舞台の上、響いていく。
「あっ……」
 唇から抜かれた指が裾を割る。
 真っ白い足袋ときれいなふくらはぎが、のぞいた。
「い、いや……お師匠さん。やめて……」
 裾を割られた内腿を扇弥の指が愛撫する。
 ぞく。背中に快感が、走った。
 軽く爪を立てられては、喘ぎがもれる。
「は……んっ」
「一彰」
 名を呼ばれ振り向けば甘い舌をさしこまれ。
 ぴちゃぴちゃと淫靡なくちづけを交わすあいだも指は快楽を与え続けている。
 期待に高まった中心は恥ずかしいほど、震え、下着の中で解放を訴えていた。
「一彰、下着」
 彼の冷ややかな、声。
「あ……」
「あ、じゃないだろう? 下着をつけてはいけない、と言っておいただろうに」
「でも……」
「お師匠さんの言いつけだよ」
「……はい」
 悪い子には罰が必要だね、扇弥は嗤う。
「自分で脱ぎなさい」
 ふいに離れていった彼の体。
 言いなりになったのは寒かったからだ。一彰は頭のどこかで、思う。
 おずおずはずした下着をあっという間に取り上げ、扇弥はそれを舞台の端に放った。
「あっ」
「罰は……これからだ」
 いきなり腰を抱かれ奪うような、くちづけ。
 噛まれた唇に甘い痺れが走り、それから一彰はなにも考えられなくなっていた。
「向こうを向いて手をつきなさい」
 獣の格好をさせられる屈辱にも諾々と従う。
 そんな一彰を見る扇弥の目になにか嗤いだけではないものが、よぎる。
「肩をついて。腰を高く上げなさい」
 まるでねだるように。欲しがるように。
 はぁ。熱いため息が一彰の唇からもれた。
「自分で裾をめくってごらん」
「や……っ」
「やりなさい」
 涙ぐんだ目で振り返れば端然と師匠は笑っている。
 冷たい舞台に頬をつければ熱い吐息に磨かれた舞台はすぐに曇った。
 ひくり。体の奥が震えた。
「あぁ……」
 ため息と共に着物をめくっていく。
 薄い長襦袢越しに腰の形があらわになる。
 ひくり震えたソコが今度は扇弥の目に、触れた。
「襦袢も、だ」
「はい……」
 するり、襦袢をあげていく。藍色の木綿から肌がのぞいていく。
 きわどい位置にきたときに一瞬それは止まり、それから一気にめくり上げられていた。
 ぽたり。先端から滴が垂れる。
 苔色の着物の背に藍の襦袢が乗り、上気した足があらわになっている。
 自分では目にすることのない、場所もまた。
 恥ずかしさにきりり袖口を、噛んだ。
「自分の手で慣らしなさい」
 びくっと一彰は身をすくめただ厭々と首をふる。
「一彰」
 名を呼ばれただけだった。
 けれど。
 その声は彼に圧倒的な支配力を持つ。一彰は、逆らえない。
 片手を己の唇で濡らし、高く掲げた腰の下から怯えるようにソコに、触れた。
「ひっ……」
 指が触れた瞬間冷たさにソコは震え、けれど中はじゅん、熱を持つ。
 指の腹で円を描くように自分の後ろを自分の指で弄っている。
 その事実が一彰の体を蕩けさせ、息は弾んでいった。
「は……んっ」
 指がもぐりこんだその先は想像以上に熱くなっていた。
「きも、ちぃ……っ」
 快楽に溶けた頭はもうそれを追うことしか考えていなかった。
 見られている。
 そう思うだけでまた、体は熱さを増す。
 とろり。触ってもいないのに中心からはまた、滴が落ちる。
「もっと良く、見せてごらん」
 言葉に一彰は悦んだ。
 悦んでその悦んだ、ということが恥ずかしさを呼び、快楽に変わっていく。
 空いた片手を体の下から通し、己の指でソコを広げ師匠の目に、さらす。
「あ……あぁ」
 苦しい姿勢はより高く腰をあげさせる。
「はずか、しぃっ」
「でもイイだろう?」
 嗤う扇弥の声に彼はがくがくとただ肯くだけ。
 無理にふった首に頬が舞台と擦れ、痛い。
 くちゅ。
 ソコが水音を、立てた。
「女の子みたいに濡れてる」
「や……っ」
「欲しい欲しいって、言ってるな」
「いや……ぁっ」
「触って欲しいんだろう?」
 言葉で辱められはちきれそうな中心が舞台を濡らす。
「あぁーっ」
 一彰の指は無理に引き抜かれ、それからすぐに扇弥の指が中を貪り始めた。
 あの綺麗な指に蹂躙されている。
 一彰はまた中を熱くした。
「いや……お師匠さんっ……やめて……」
「上のオクチは嘘つきだね、一彰」
 ぐい。言葉と共にイイ所をえぐられた。
 ひくっ。喘ぎにもならずに不自由な体は弓なりにそる。
「こんなに舞台を汚して……悪い子だね」
 欲情に、かすれた声。
 扇弥の声にまた悦楽は増し、逃れようと身もだえすればソコにうがたれた指から快楽がさらに増すだけだった。
「恥ずかしい……っ、やめて……っ」
「一彰は恥ずかしい事されると気持ちイイ。違うか?」
 扇弥のもう片手がつぅと腿をなでおろし足首をつかむ。
 それで今どんな格好をさせられているのか思い出してしまった。
 男の言いなりになって着物も足袋もつけたまま、ねだるように腰を高く掲げてソコだけをさらしている。
 扇弥がのどの奥で、嗤う。
 嗤いながら一彰の腰の柔らかい肉に軽く歯を立てる。
「あ……っ」
「違うか、一彰」
 こんな事をされて悦んでいる。
 違わない。全然違わない。
 そう思ったときにはもう言葉が口をついていた。
「違わない……っ」
 気にいった答えを褒めるかに彼の指は一彰の好きな所を弄る。
「あ、いや……」
「待っていなさい」
 抜かれた指を追うように振り向けば扇弥の指が体液に濡れていた。
 羞恥に顔が染まる。
「さぁ舞台を汚した、罰だ」
 その手の中にはちりり鳴る、鈴。
 扇弥が帯からはずした根付の鈴。
 それを。
「はあ……んっ」
 やわやわと中心に絡ませられた。
 扇弥の手が、触れる。それだけで達してしまいそうなそれが鈴の音でさらに煽られていく。
「一彰のココ、物欲しげだ」
 弄り言葉に身を震わせれば。
 ちりりん。
「いやぁ……っ」
 快楽に反応すれば鈴が鳴る。鈴がまた、快楽を掘り起こす。
 ちりん。ちりん。
 もう、我慢できない。
「い、れてっ」
「なにを」
 意地悪く問う彼はただ見ているだけ。
 嗤いながら、見ているだけ。
「お師匠さんの……っ、挿れてっ」
 これかな、まだ嗤いながら扇弥はその指を中にもぐらせる。
 狂気のように一彰は首をふる。
 また、鈴が鳴る。
「もっと、熱いの……」
 喘ぎ喘ぎ誘うように振った腰はただ鈴があるばかりに自分を追い詰めるだけだった。
「……いい子だ」
「あ、あ、あ……っ這入ってくる……っ這入ってくるよぅっ」
 腰から背中に駆け上がる、悦楽。
 引き裂かれてしまいそうな快感と、ただ鈴の音。
「あつ……いっ」
 扇弥が腰を進めるたびに鳴る鈴。
いやらしい水音。
喘ぎ声。
「うわぁ……あ、あ、あぁっ」
 ひときわ高く鈴が震え、中に熱いものを感じた時一彰もまた舞台に精を、吐いていた。



 ざわめいていた稽古場もいまはしんとして着飾った弟子たちが一彰の踊りを、見ている。
 差す手。引く手。踏む足に。
 しん、と見入っている。
 枯竹色の着物の裾からのぞく鮮やかな山吹の裾回しにぎょっと目を奪われながら。
 三味線の音のあいだにふと。
 鈴の、音。
 扇弥の手で絡み付けられたままの鈴が中心で、鳴る。
 差す手。引く手。踏む足に。
 鈴が、鳴る。
 欲望の後など微塵もうかがわせない目で踊りを見ていた扇弥の手がそれとなく自分の帯に、触れた。
 根付のあった、場所に。
 一彰の羞恥など知らぬげに弟子たちは舞台を眺めている。
 扇弥の目が、嗤った。




モドル