ざわり、ざわり。 木々のざわめきの中、一際高く鳴る梢。 「おや喉が乾いたかねぇ」 ぱさり、銀の尻尾を揺らめかせ、楽しいことでも見つけたように妖狐の耳がうごめいた。 「水が欲しい?」 応えるように、葉を鳴らした樹木の肌に妖狐はそっと手を当てる。 撫ぜる、というよりはむしろ愛撫するように。 「――!」 声にならない感情の衝撃が空気を揺らした。 「ほら……」 妖狐が笑う。指で木肌をなぞる。爪で軽く引っかく。 堪えかねたように。 ずり、根が抜けた。 「おいで」 笑う妖狐のあとを慕うかに、イチイの木がついて行く。 人里では見ることのできないほど大きく育ったイチイの木。 妖狐の森だからこそ存在できる巨大な。 それが根を抜きずしり、ずしりと大地をゆるがせて「歩く」さまは圧巻だった。 からかうように樹木の肌を時折尻尾で嬲りつつ先行する妖狐の後ろを、「木」とは思えない速さでイチイは追った。 ざわざわと体いっぱいにつけた赤い実までが、騒いでいた。 「ほら、たっぷり飲むといい」 妖狐は言って後ろのイチイの肌をやはり尾で撫で上げる。 ――ざわ。 応えるべき声を持たない樹木は体を震わせ、歓喜を示す。 それが水を与えられることへの歓喜なのか、それとも妖狐に触れられる快感なのかは、知れない。 ひとつ笑って身を翻した妖狐の向こう側、湖があった。 この森にあるいくつもの湖のひとつ。ただそれがどこなのかはわからない。 イチイは周りのことなど構いもせず性急にその根を水に浸し、 「っ」 空気に驚愕の感情を乗せて叫んだ。 「あぁ、塩水だよ。お気をつけ」 樹木に対してとんでもないことをさらり、妖狐は言う。 イチイの枝がするりと伸びては妖狐の頬を撫でた。 妖狐に対しての無礼の詫び、ともとれる動作を彼はたしなめるでもなく黙ってさせる。 再びイチイが根を水に浸し始めた時、すでに妖狐の姿は見えなかった。 しかしそばにいることは間違いない。 これから起こるはずの何か、を楽しみにしているその「思い」が大気にぼやけて漂う。 さわさわ葉を揺らしてイチイが湖に入っていく。 「塩水だ」 そう言われているにもかかわらず、樹木にためらいはない。 塩を含むか否かは単純な好みの問題で生き物としての樹木に害のあるものではないのかもしれない。 妖狐の森ならばそんことも充分にありえた。 ぴしゃり。 イチイが動いていないのに水音がした。 あれだけ動いてきたのにイチイはその赤い実をただのひとつも落としてはいない。 不思議といえば不思議。 今の水音はだからイチイの実でもなかった。 樹木に視線があるとするならば。 イチイが「見た」その方向に人影が。 湖の中央で夢見るように浮かぶ美しい、男。 両の手を広げ、漂う。 半身だけを水に浮かべた男は長い黒髪を藻のように水面に広げ、蜜でも含んだように唇はかすかに笑う。 「視線」を感じた男がゆっくりと目を、開いた。 「お客さん……?」 珍しい。 笑う。 華やかに、笑う。 水の中で器用に反転した男がするするイチイに寄ってきては樹皮に触れ。 「あぁ……妖狐の……」 呟いてはその肌を撫ぜた。 ぶるり。木が震え。 突如あのすばやさで細い枝が降りてくる。 枝、とは思えない柔らかさでしなったそれはすでに触手、と言ったほうが適切な形をしていた。 「あ」 驚いてもいないくせに驚いた声をあげ、男はそのまま触手に絡みつかれる。 震えたのは。 イチイの木だった。 「暇つぶしを見繕ってって言ったら、ずいぶん珍しいものを寄越してくれた……見てるんでしょう? 妖狐」 遠くとも近くとも。 どことも知れないどこかから聞こえる妖狐の哄笑。 触手に絡み取られ、水からあげられた男の下肢は、人ではなかった。 上半身にふさわしいだけの大きさを持つグロテスクな触手。 血のように赤い、とも赤褐色、とも言いうるそれに備わった吸盤。 腰に近づくほど大きく、先端に行くほどちいさな吸盤。 それが見惚れるほどの美貌の半身についているのだからこれ以上ないほどの、異様。 巨大さを除けば見覚えのある形態。 半身半蛸の、怪。 「見てるんだってよ、妖狐……」 ささやき、そのしなやかな腕を樹木にまわす。 滑らかな肌に、繊細な腕。厚くはないが薄くもない「男」の胸にたくましくはない腰。正しく足のあるべき場所だけが醜い、触手。 水が滴る髪が体に張り付く。 のけぞって首を晒したまま小枝を唇に。 イチイの触手と化した枝の強張りが増す。 そのイチイの体に醜怪な多足を怪は絡みつけ始めた。 ぬるぬると粘るものを分泌しながら樹木に絡み付けば、瞬く間に木肌はじっとりと潤む。 「んぁ……」 その行為そのものが快楽を与えるのか、形のいい唇から声が漏れ。 「ふ……っ」 吐き出した息、吸い込む息とともにイチイの枝が唇を割った。 ぬちゃり。音を立てて怪はそれを飲み込んだ。 目が笑う。笑って目の前の圧倒的な質量の樹木を見る。 じっと見据えたまま、木ではない食感の枝を唇でねぶる。 「は……ぁ」 苦しげに息をつき、怪は一度呼吸する。 と。 イチイが突然その赤い実を怪の唇に押し込んだ。 「なッ」 吐き出そうとするも触手で唇をふさがれ喉をさすられては果たせない。 「お前さんの余裕っぷりが気に入らないとさ」 妖狐の声が風に乗って流れて消えた。 「あぅっ」 嚥下したものを吐き出そうとした体をすでにたくさんの触手と化したイチイの枝に阻まれる。 触手はそのまま怪の体を持ち上げ、引き離し、うつぶせにしては空中に止めた。 体の中心線にあたる部分に堅くて太い枝があてがわれる。 ちょうど木の上でうつぶせに昼寝でもするような格好だった。 「あぁっ」 触手が怪の腕を取る。 大きく広げて縛める。 「やめッ」 そしてまた怪の下肢の触手も。 淫靡な触手となりながら枝の形を失わないイチイのそれが、怪の足をとらえる。 ぬたり。 触手同士が絡み合う。 イチイの葉が足の吸盤をこするたび、悲鳴に似た嬌声をあげた。 「う……あ……だ、めッ」 言葉にイチイが反応する。 葉先で一層吸盤をいたぶった。 「ひぁ……っ」 たまらず首を振っては悦楽から逃れようとする、怪。 ぼやけた頭はけれど、それを欲しがった。 「あ、あ、あ」 吸盤を嬲っていたイチイがふと動きを止め、再び動き始めた時、恐ろしいまでに襲ってきた、快感。 「うぁぁぁッ」 器用に赤い実を触手でつまんだイチイが吸盤にそれを押し込んでいる。 赤い実がつぶれて白い吸盤を汚す。 「だ……」 だめだ、とも言えなくなっていた。 ぬっぷりとなぜか吸盤の中に実は押し込められ。 ひとつ、またひとつと増えるたび、怪の頬が紅潮し。 「あぁ……」 人の世で毒を持つイチイの種。甘く赤い実に隠されたそれも妖狐の森では違う「毒」になる。 人ならざる身でさえ狂わせる、毒に。 「ん……あぁッ」 目にすることなどない後ろの場所にも実は押し込められ。 不意に。 体を支えていた太い枝が消える。 「ひっ」 慌ててつかまろうにもなにもない。 体を支えるのはいやらしくうごめく触手だけだった。 「や……あぁッ」 怪は見た。 水面に映る自分の姿を。 イチイの触手に戒められて、気づかぬうちに高く掲げられた、腰。 絡み付く触手が太く、あるいは細く、全身に這いまわる。 逃れようと動き回る己のグロテスクな下肢の一本一本にまでイチイの枝触手は絡み付いては嬲っている。 体はつぶれたイチイの身で真っ赤だ。 「んんっ」 顔を背けた怪の唇に触手が入り込む。 胸を葉先でいじられる。 快楽に下肢が跳ね上がり、抑えつけたイチイの枝がさらにそこにも快感を与えた。 ぬちゃぬちゃと、己の下肢が分泌する粘液のせいでいやらしい音が響く。 水面に反射して否応なしに怪の欲望を煽る。 互いの触手が絡み合う淫靡な音に、イチイの実に頭がぼうっとする。 「ひっ」 それを覚醒させたのもまたその悦楽だった。 伸びてきた触手が怪の中心をようやくに捕らえる。 細い、ごく細い小枝がそこに絡みつく。 「や……や……だ……」 高く腰をあげられたままの姿勢では逃れる術もなく。 小枝触手が根元を締め付ける。 「ひゃっ」 そのまま萌え出たばかりの先端の芽で中心を密やかに愛撫する。 「く……うっ」 じれったい感覚に知らず腰を振り。 と。 いつしかあてがわれていた太い触手が後ろにあたる。 「……ッ」 驚愕に身を引くにも引けず、半人半蛸の男はのたうった。 それを見逃すはずもなく、中心に快楽を与えられ、瞬く間に彼はおとなしくなる。 ため息、吐息。喘ぎ。 充分な時間を見計らってイチイは後ろに触れていただけの触手の活動をはじめた。 「あっあっあ……ッ」 樹木にして触手が自身の体内に戻りこんでくる感触。 触手であるのに確かに樹皮の肌触りを持ったものがもぐりこむ。 「ひ……ぃっだめ……だめ……ッ」 がくがくと首を振るのに己のソコは確実にそれを飲み込みたがっている。 ひくひく震えて…… 「欲しがってるじゃないか」 乱れに乱れる姿を喜ぶ妖狐の声。 聞こえた気がした。 「あ……い、い……ッ」 口に出した。 「気持ち……い、あ……ぅっ」 後は際限がなくなった。 飲み込む触手の熱。 中心に絡みつく触手はすでにどろり、自分だけ粘液を吐いている。 「んぁ……ッ」 さらに欲しくて腰を振る。 締め付けられた中心はいまだ達する事も許されず、代わりに新たな触手が襲い掛かってはこすりあげ。 「はぁぁぁッ」 体内に入ったものがうねり、内壁を摩擦する。 「も……も……」 嘆願する彼の声など聞かぬげに、イチイは彼の下肢の一本ずつに何本もの枝を絡ませた。 「あ、あ、あ……」 全身に絡みつく、体の内外に絡みつく樹木の触手。 つぶれた実の匂い。イチイの匂い。 「もう……もう、だめ……イかせ……ッ」 そう請う怪の体中をイチイはいっせいに締め始め。 「ひっ」 どくり、脈打つ。 「う……あぁ」 全身に吐き出される粘液。どくどくと息づくイチイの触手から吐き出された透明なそれに彼の体がぬらぬら光る。 「ん……っ」 あえぎ声を上げる唇のあたりに先端をこすりつけていた触手もついに粘液を吐き、彼の美貌を汚した。 ちろり、それを舌で舐めあげる。 たまらなかった。 青臭い樹液のような粘液の滴りを口にして、それは一層耐えがたく。 「ひっ」 締め付けていた触手が緩み、そして。 残っていた最後の触手。 体内のそれが動きを早め。 「あ……あ……あ、あ、あッ……いく、イくぅッ」 内壁に熱い粘液を感じた瞬間、中心の触手が解け、彼もまた勢いよく精を吐いていた。 ばしゃん。 用は済んだ、とばかりに戒めの解かれた体が水面に落ちる。 衝撃に失いかけていた意識を取りもどいた彼は水の中、ひとつ体をゆすった。 イチイの粘液が、赤い汁が水に溶けていく。 頭までもぐって残滓を落とした怪が水面に再び顔を出してはぬたり、笑った。 「また暇つぶし、貸してもらうよ」 視線の先には妖狐が、応えて笑った。 |