ハァハァ。
 誰からか逃げ出そうとでもいうのか、駆け抜けていく人影が見える。
 きつそうな顔をした少年は、不意に足元の感触が変わったのを知っては周りを見まわした。
「え……」
 うっすらと霧がかかった、森。
「嘘、だろ」
 つい先程までは煌々と陽が照っていたのに、なぜかほの暗い。
 深い森のせい。
 そう思おうとしたけれど、理性が違うと告げている。「今」は確実に黄昏だった。
 もう一度回りを見れば、現実にはありえない形をした木々。
 あるいは。
 色も形も見慣れているはずなのに、なにかが違う。その違うなにかがあることが恐ろしい。
 いっそまったく見たことのないものに囲まれているほうがどれだけ安堵できることか。
 きらり、なにかが光った。
 ふらふらと少年、篤史(あつし)の足はそちらに向かう。
 何故、というわけではなかっただろう。たぶんきっと、いまいる場所に立っていたくなかっただけなのだ。
 それが、間違いのもとだったのかもしれない。
 なぜならここは。
 妖狐の森だから。



「よかった……」
 つい、らしくもない呟きが彼の唇からもれる。
 見えた光は泉の反射だった。
 見た目も、また触ってみてもごく普通の泉。
 振り返りさえしなければ逃亡の途中でめぐり会えた休憩所だと思える。
 逃げてきた。逃げている。だからここが、現実でないならば。
 そのほうがずっといい。
「残念だったねぇ」
 音も立てずに後ろに立って存在から、声が。
「なっ」
 振り向きざまに突き出した拳はあっさりとかわされ。
 かわされたその姿のまま、篤史は硬直した。
 長身の、青年。銀の長い髪。
 それだけならば図抜けた美貌を別にするなら、いても不思議では、ない。
 けれど。
 髪と同じ色をした尻尾に、狐の耳。
 細められた目は金色だった。
「妖狐だ。ここは私の、森」
 にやり、笑った。
「篤史……」
 妖狐のなにがそうさせたものか、彼はつい名乗っていた。
 もしかしたら名乗った事すら気づいていないのかもしれないが。
「珍しく、毛色が違うのがきたねぇ」
「え……?」
「逃げているんだろう?」
 笑い顔に。
 初めて不審を感じ、篤史は身構える。
「逃がしてあげようか?」
 そう言われてありがたく申し出をいただくほど、のんびりと暮らしてきたわけではなかった。
 とっさに走り出そうとした体は。
 動かなかった。
「なにを!」
「別に。お前の返事が聞きたいだけ」
 さぁ、どうする。
 妖狐が笑う。楽しくて、楽しくて、たまらないように妖狐が笑う。
「じょ、条件は」
 言葉がもつれ、その屈辱に頬が紅潮する。
 それを慈愛あふれる目つきで見て妖狐は言ったのだ。
「難しい事じゃないんだけどねぇ」
「言えっ」
「なに、この泉を向こうに渡ってくれればいいだけさ。水は深くない。せいぜい胸までだろうよ」
 できたらそのまま逃げていい。力も貸す。
 そんな条件とは言えない、条件。
「さぁ、どうする?」
「そ、んな事をさせてあんたになんのメリットがあるっていうんだ」
「やらせてみたいだけさ」
 するり、逃げられた。

 結局、篤史は泉を渡る事に同意した。
 これ以上化け物と問答を続けたくなかったのもあるが、それより逃亡に手を貸す、という言葉の威力が大きかった。
 ちゃぷり。
 裸足の足を泉につけた。
 それほど冷たくはない。
 なにがあるかわからないから、と後はすべて身につけたままだった。
 濡れていく服が体の自由を多少奪うのは仕方ない。
 早、水は腰を超えた。
「だまされた?」
 不安になってちらり、岸を見れば大丈夫だとでも言うように妖狐が手を振っている。
 けして心慰められる情景ではなかったけれど、そのまま進む。
 歩くたびに触れる石はどれも適度に細かく、そして丸い。その感触が心地よかった。
「ひゃっ」
 不意に水中の裾から、なにかが入り込んだ気がした。
 動いている。
 そこは泉の中心部。
 ざわり、水が波立ち始めた。
「届けたぞ」
 岸辺から、妖狐の声が聞こえる。
 届けた、とはこの自分のことか、どこかぼんやりと篤史は思っている。
 水が割れた。
「ひ……っ」
 あげたはずの悲鳴は凍りつき。
 そこに現れたのは白い蛇。巨大な、篤史の胴ほども太さのある、水蛇。赤い目が笑った気がした。
「これはアンタのだろう? 水蛇よ」
「感謝しておこう」
 声ならぬ声が、言った。
「なぁに、見学、というのも悪くはないねぇ」
 笑って妖狐は尻尾をひとつ、ふった。
「勝手にしたがいい」
 どこからか響いてくる声が言っては、赤い目が篤史に視線を当てる。
 ふと、細められた。
「ひぁっ」
 それが合図だったように裾からもぐりこんでいたなにかが動き回る。
 からみ、のたくり。
「面倒だねぇ」
 妖狐の呟きに水蛇が応えたのか、どうか。
 体が軽くなったと思った瞬間、足をすくわれて。
 息の詰まる感覚に水の中だと気づいては、必死に水面を探した。
 ざわり。
 その体に。
「……っぁ!」
 無数の小さな水蛇がまとわりついていた。
「うわぁぁぁ」
 今度こそあがった悲鳴。
 むしりとっては投げ捨ててもまた、器用に泳いではまとわりつく小蛇の数は減らず。
「んっ」
 痛みを感じてそこを見れば、肌が露出している。
「傷つけると主にしかられるよ」
 妖狐が楽しげに、言っている。
 なにが起こっているのか、わからない間に小蛇は今度こそ肌を傷つけることなく、着衣をむしっていった。
「なっ」
 篤史が我に返った時にはすでにそれは着衣の残骸、とでも言うべき物になりはて。
「さぁ、始まりだねぇ」
 誰の、声か。
 そして気づいた。
 泉の中にへたり込んでいられるような場所はなかったこと。
 座っていたのは、水蛇の太い胴の上だった。
 その水蛇の顔が近づいて、くる。
「な、に……」
 赤い目が笑った気がして。
 ちろり、二又の舌が篤史の頬を、舐めた。
「やっ」
 逃げようとした体は。動かなかった。
 妖狐にどうかされた時のように。意思の自由はあったし、逃げる以外の行動ならば、できた。
 ただ、逃げる事だけができなかった。
 ぴちゃん。
 小蛇が跳ねる。
「あ……っ」
 ぼろぼろの服からのぞく、胸に小蛇が這う。
 気持ち悪さに身をすくめれば
「動くとうろこが刺さるよ」
 忠告めかした妖孤の声が。
 睨みつけようとそちらを向いたならば水蛇にあっさり戻され。
 その舌が、口の中に。
「んぐっ」
 這入ってくる。
 二又に割れた舌が篤史の舌をねぶる。
 座っていた胴が蠢き、不安定に姿勢に篤史は胴をまたいだ。
 小蛇がちろり、内腿を舐め。
「あ……っく」
 沸きあがってしまった快感に呆然とすれば見透かしたかのように小蛇の攻勢が始まった。
 割られた足の間にもぐりこんではちろちろとその細い舌で肌を嬲る小蛇。
 胸を、脇腹を、腕足頬。
 いたるところに。
「や、やめさせて……っあんたわかるんだろっ、やめ……さ、せてっ」
 水蛇に。
 訴えても無論それは止まることはなかった。
「や、だ……ぁっ」
 ぞくぞくと、駆け上がってしまう快楽が。
 それがこの人外の、蛇に与えられている事実。
 おぞましかった。
「なにがいやなのかねぇ」
 嘲笑。
「そんなにしている、くせに」
 妖狐が嗤い、それに視線を落として目に入ったのは自分の、中心。
「そっちは泣いて悦んでるみたいだねぇ」
 嗤い声など耳にはいらなかった。
 そこが先走りを、流している。
「や……」
 ちからなく上げた自分の声に、篤史は敗北を悟った。
「んっ」
 小蛇が中心に、絡みつく。
 柔らかい舌が、先端をねぶり。
「は……ぁ」
 左右から一匹ずつからんだ小蛇が、かわるがわる舌を出しては篤史の透明な粘液を舐め取った。
「じらすなよ、水蛇」
 妖狐の声は楽しげで。
 それに水蛇が応えたのか、声は聞こえなかった。
 けれど。
「ひゃっ」
 足の間に、また小蛇が。
 ずるり、水蛇が体を動かしてはそこに、篤史の後ろに小蛇が入りやすい体勢を作る。
「な、なにっ」
 なげた問いはしかしすぐに喘ぎに消えた。中心に絡んだ小蛇はその責めを止めない。
「あぁ……っ」
 なにをどうされたのか。
 ぬめりを持った小蛇が。
「這入ってくる……っ這入ってくるぅっ」
 中で小蛇がのたくっているのがわかる。
 まるで篤史の体を知り尽くしたように悦楽を掘り起こす、蠢き。
「や、やっ……やめ……っああっ」
 思わず身をよじれば中心の小蛇が責めを厳しくし。
 のたり、小蛇が動いては先端に巻きつき、そこで体を動かす。
「あ……んあぁっ」
 敏感な部分を冷たい蛇の体がこするその刺激に、快楽だけが頭の中を支配した。
 ずるり。
「やっだめ……っ」
 中の小蛇が抜け出そうと、する。
「だめ……っ、刺さる、うろこが、さ、さるぅっ」
 その言葉がわかったかのようにまた、小蛇が中にもぐっていく。
「あ……ぁっ」
 また、抜け出す。
「だ、め……」
 柔らかい、篤史の内部に、小蛇のうろこが逆立っては、刺さっていく。
 痛みはなかった。
 むしろそこから蕩けるような快楽が広がって。
「だ、だめ……っ」
「なにが、だめ、なのかねぇ?」
「イかせ、てっ……もっと、もっと……足らない……ぃっ」
 妖狐の問いだと、気づきもせずに篤史は水蛇の体に腕を巻きつけ。
 懇願するように。
「もう、イかせて……っ」
 見上げた篤史の頬をちろり、水蛇は舐め。
 小蛇が、体中で蠢いた。
「あぁっイく、イく……っイくぅ……っ」



 たぷん。
 篤史は水面に浮かんでいた。
「動くとうろこが刺さるって、教えてあげたのにねぇ」
「喜んで見ていたのは誰だ」
「媚薬だって、はっきり教えてやればよかったか?」
 笑いあう、声が聞こえる。
 もう、そんなことはどうでも良かった。
 まだまとわりつくように泳いでいる小蛇を引き寄せて篤史はそっと頬ずりを、した。



モドル