イメルがミスティと共にイーサウにやってきたのは、のちにアリルカ独立戦争と呼ばれる戦争が終結して間もなくのことだった。いまだ終戦調停すら締結していないほどの、ほぼ直後と言っていいほど。 「んで?」 イーサウは魔法学院でのことだった。ここには元星花宮の魔導師たちが集結している。相当数がアリルカに移住しているけれど、多くはいまもここにいる。学院の大講堂に集まり、彼らはイメルたちを待っていた。 その魔術師たちに、別けてもエリナードに報告をするためにイメルたちはやってきた。アリルカ独立戦での魔術師たちの活躍を。リオンの偉業を。何よりフェリクスの姿を。 「王城前の最後の戦闘は……正直、ちょっと酷かった」 顔を顰めたイメルにミスティまで肩をすくめている。これはよほどのことか、とエリナードの背後に控えていたカレンは内心で顔を顰める。そんな弟子の様子に気づいたエリナードは、けれど何も言わなかった。 「リオン師とフェリクス師と。なにしたと思う?」 はあ、と長いイメルの溜息。エリナードは思わずにやりとしてしまった。そんな彼にミスティがはっきりと嫌な顔をする。もっともそれは星花宮時代から変わっていない。彼らの親しさの表れでもある。が、そうは思わなかったものもいたらしい。 「二人一緒にイルサゾート撃ったんだ!」 信じられるか、との思いもあらわなイメルの叫び。エリナードは信じるもなにもない。あの男ならばやるだろう、と思っている。 「死人は?」 どれほど出たのか、という問いに聞こえた、カレンにですら。イメルはさすがだった。彼にはエリナードの問いがわかっている。肩をすくめた。 「なるほどな。さすが師匠、か……」 「師匠?」 「あの人は、できるだけ死人は出したくねぇんだよ。そういう男だ」 「……イルサゾート、ですよね? 流星雨ですよね? お星さまっすよ?」 カレンの唖然とした顔など中々見られるものではない。振り返ったエリナードは苦笑していた。それができるのがフェリクスでありリオンであると。 「イメル、それ見てたか?」 「見てたけど、俺はちょっと下がってた。戦闘あんまり得意じゃないし。ミスティは横で見てたよな?」 「見てたが、さすがの化け物だと思ったな。星花宮の四魔導師は伊達ではない、としみじみ感じた」 「まぁ、あの男だしな。――師匠、そのあと倒れなかったか?」 「な……!」 イメルが大きな声を上げ、愕然とした顔をする。ミスティもまた目を見開いた。同席していた魔術師たちもそれで知る、フェリクスは事実、倒れたのだと。知らず彼らはまじまじとエリナードを見ていた。イーサウ在の魔術師で驚かなかったのは彼に近しいものばかり。オーランドであり、フラメティス、セリスであり。 「なにがあった?」 淡々としたエリナードだった。カレンは実のところずっとはらはらとし続けている。フェリクスがほぼ暴走状態だ、というのはカレンも知っている。エリナードがその影響を被っているのも知っている。それを抑え込む努力もまた、この場ではカレンだけが知り抜いている。 「ラクルーサ王がね――」 気づかずイメルが眼差しを伏せて話し出す。ミスティが怪訝な顔をし、カレンを窺えばかつての弟子は無言でかすかに首を振った。 ラクルーサ王の無様さに顔を顰めるもの、フェリクスの惨状に青ざめるもの、魔術師たちも色々だった。エリナードはラクルーサ王に加えたフェリクスの最後の一撃を思う。 「そうか、殺っちまったか」 「お前は、やらない方がよかったと思ってる?」 「別に。どっちでも。あの人にとっちゃ、どっちでも一緒だ」 「でも――」 「王を殺してもタイラント師が生き返ってくるわけじゃねぇだろ」 だから同じだ、とエリナードは言い放つ。タイラントの弟子がそれに顔を歪めた。泣きそうな顔だ、とエリナードは思う。否、何度となく泣いたのだろう、イメルは。そういう男だとも思う。 「いや、エリナード。それより! なんでお前、知ってるの!?」 フェリクスが倒れたと。あっさりと感情を元に戻し、話まで元に戻ったイメル。さすが風系、と誰かが笑った。エリナードとしてはあまり笑う気分でもない。 「舐めるな。俺は師匠の弟子だって言ってんだろうが?」 ふん、と鼻を鳴らせば講堂の隅から上がる声。エリナードへの不満がぼそぼそと聞こえた。ちらりとオーランドが何をするでもなく黙って眺めただけで消える声ではあったが。 「それにしても――」 「なんかでかいのがどんと来たからな。それがラクルーサ王をぶち殺した一撃だったんだろうさ。そのあとしばらくして気配が薄れたから、まぁ……死んではいねぇな、とは思ってたけどよ」 「お前は――」 ミスティが唖然と声を上げる。言葉が続かないのだろう。カレンを見やれば、ここぞとばかりにずっとこんな調子でした、と告げ口をしてきた。エリナードは嫌な顔をするものの、本気ではないらしい。 ずいぶん前になるが、エリナードはフェリクスに救われている。暴走し、そのまま死に逝こうとする彼を救ったのはフェリクスだった。己の精神の中にエリナードを抱え込む、という暴挙をもって。イメルもミスティもそれを知ってはいる。その後遺症とでもいうべきものも心得てはいる。けれど、それにしても。 「――元々だ」 珍しいオーランドの発話に最初に笑ったのはミスティだった。ついでイメルが。怪訝そうな顔をするカレンと、次々上がっていく魔導師たちの笑い声。 「だよな。そう言えばお前、ずっとフェリクス師に覗き見されてても気にならないって変態だもんな」 「俺だけ変態にするんじゃねぇよ。師匠もだっつの。俺が勝手に覗いてもあの人、全然平気だったからな」 肩をすくめるエリナードの眼差しの奥、ちらりと痛みがよぎったのにイメルは後悔をした。軽々しく言うことではなかったかもしれない、いまのエリナードには。そんなイメルに気づいたエリナードこそが気にするな、とかすかに笑った。 「そんであとは?」 「報告するようなことは別にないかなー。政治方面だったらあとで書面で出すよ」 「あー、見たくねぇ」 「ってわけにもいかないんだろ?」 イメル自身、政治方面は疎いなどというものではない。実際に書面を作ったのはアリルカの半エルフ・エラルダで、助言をしたのはミスティだ。が、エリナードはそうも言っていられないのだろうとイメルは思う。ちらりと講堂を見渡した。ここにいる、かつての星花宮の魔導師たちを。 「じゃあ、まぁ……あとはなんかあったら、知らせてくれよ。特にあの男がなんかやらかしたら……わかるけど、とりあえずな」 にやりとエリナードが笑った。ラクルーサとイーサウに離れていてすら感応した彼ら師弟。イメルは感嘆するより切なくなる。その思いを破った声。 「なんでそんなことを知りたがるんだ?」 「――どうせ見捨てたくせに」 小声ではあった。が、生憎とイメルもミスティも耳は悪くない。イメルは愕然と、ミスティは鷹揚と、声の方を振り返る。すでにオーランドがじっと見つめていた。 「どう言う意味だ?」 問うたのはミスティ。口では色々言いながら、それでもミスティはやはりエリナードを庇うのか。カレンがエリナードの背後に立ったまま胸を熱くしていた。否、熱気を幻視した。はたと気づく。ミスティの怒りであるのだと。 「なに熱くなってんだかな」 ちらりとエリナードが笑った。以前の彼ならばミスティを氷水漬けにでもするところ。いまはただ笑うだけ。それで彼らにも察しがつく。オーランドを見やればエリナードがずっとこの手の暴言にさらされてきたのだと知れた。 「オーランド!」 珍しいな、とエリナードはミスティを見ている。あまり声を荒らげる男ではなかったし、このようにわかりやすい形で庇われた覚えがついぞない。思い至って顔を顰めた。それほど酷い状態に見えているのだと。 「本人の意志だ」 短すぎるオーランドの答えに、ミスティの眼差しが音がしそうな勢いでエリナードに。なぜ放置をした、と今度は責められた。 「害はねぇだろ? 俺が今更なに言われようがどうでもいいわ」 「よくないだろうが! お前が悪意にさらされると言うことは、延いてはフェリクス師がさらされる、ということでもある。そのあたりをどう考えている、フェリクス・エリナード!」 そのとおりだね、聞こえた声はセリスのものか。重々しくフラメティスもうなずいていた。先輩格の魔術師の同意にミスティは意を強くし、更に言い募ろうと。 「だいたい……なんで偉そうにしているんだ? 四魔導師みたいな顔をして」 ぽん、と放り込まれた声。フラメティスが笑顔のまま歯を剥いている。怖いからやめてほしい、エリナードは肩をすくめた。 「いま言ったの誰……でもいいか、別に。あのな、なんで偉そうかって簡単だろうが? 偉いんだよ、俺は」 「なんの根拠で――!」 四魔導師のような顔をする。もう一度言おうとした誰かの声は途切れる。エリナードの藍色の眼差しに撃ち抜かれ。 「根拠? 俺は学院長だっての。このイーサウの魔法学院のてっぺんは俺だろうが? 学院長の権限で、お前らを保護してんだっての。――あのな、偉そうだって文句垂れるんだったらせめて自活してから言えよ。俺に腹立てるんだったら俺に養われるなっつの」 長々しい溜息。からりとイメルが笑う。そのとおりだよね、と周囲を見回す。今更気づいたのだろう数人が身を縮める。星花宮の魔導師という、宮廷魔導師たちにとっては自分の手で稼ぐ、という考え方が浮かばなかったのかもしれない、いまに至るまで。 ――あんまり人のこと言えないよなぁ。俺だってこっちに残ってたらそうだったかも。 ぽつりとしたイメルの精神の声。聞こえているぞ、とエリナードに唇で笑われ、イメルは慌てて引き締めを図る。 「まったくもってそのとおりであるな。以前にも増して偉そうではあるが、実際エリナードは偉いのだから致し方あるまい」 「だよね。養われてる身が文句言っちゃだめだろう」 「あー、フラン師、セリス師。俺はお二人を養っちゃいませんが」 「酷いこと言うなよ、エリナード。学院長先生だろう? 我々教師はお前を頭と仰いでいるんだよ?」 くつりとセリスが笑う。それに驚いた顔をする魔術師がいるのだから、確かにエリナードも放り投げたい気分になるだろう、とイメルでも思う。同じイーサウに暮らしていて。同じ学院に起居していて。朝晩エリナードを見ていて。それでいて、彼らは何も見ていなかったのだろう。彼を非難し続けていたのだろう。ただフェリクスの傍らにいない、というだけのことを。 「お二人に仰がれるのは正直たまったもんじゃないんですがね」 エリナードは言いつつ苦笑していた。本当は、助かっている。いままでの学院はほぼ自分一人で運営してきた、とエリナードは振り返る。カレンは助けの手になってくれてはいるが同じ水系。アランと言う暁の狼所属魔術師は腕はいいが汎用型魔術師。全属性を教導するにはどうあっても無理があった。 星花宮崩壊で、四属性が揃うことになった。フラメティスとセリスは戦後真っ先に学院の教導をする、と申し出てくれた。オーランドに至っては無言のまま、気がついたら学院で子供に混ざっていた。 戦時の混乱で、暫定的にイーサウに迎えられただけだと彼らは理解している。エリナードの負担を減らし、イーサウに受け入れられるためにはどうすべきか、考えてくれている。 ――おんぶにだっこの連中が文句垂れるのは物の道理ってな。 エリナードは彼らに視線を向けなかった。こんな連中でも、フェリクスが守り続けてきた星花宮の弟子たち。フェリクスが「子供たち」と呼んで庇い抜いてきた魔術師。思うところはないわけではない。が、フェリクスが守ってきたものを自分の感情ひとつで放り出す気は毛頭なかった。 「でも――」 意を決したかのような声。エリナードはそちらを見やり、つい苦笑する羽目になった。その口許の歪みに目を留めた声の主がむっとする。それで心が決まったか、言葉を続けた。 「お前が――。師匠の浮気相手とまで言われたお前が。どうしてここにいる。なんで師匠の側じゃなくて、ここにいる。何もかも失った師匠の側にせめてと、どうしてお前は思わない」 ぐっと唇を噛んだのはチェスターだった。星花宮の青年時代、よく絡まれた覚えがある一つ下の世代の魔術師だった。カレンがチェスターの発言に腹を立てたのをエリナードは感じる。が、イメルをはじめとした仲間たちは苦笑するだけ。 「またお前か!」 くっとエリナードは笑った。カレンの不思議そうな気配。思わず進み出てきては師の顔をまじまじと眺めている。 「なんだよ?」 「……あそこまで言われて笑ってる意味がわかんねぇんですよ」 「チェスターにはずっといちゃもんつけられてたからな。慣れたもんだ」 「誰がいちゃもんだ!」 お前がだ。エリナードはあっさりとそう言うだけ。腹立たしい素振りを隠しもしないチェスターではあったが、周辺の同意している魔術師たちと違うところが一つある。 チェスターは、すでに学院で教導をはじめている。何かと多忙なエリナードに代わり、年嵩の学生の指導をしているのは彼だった。あまり折り合いがいいとは言えなかった青年時代。だがその上で彼はエリナードを見定め、魔術師たちの行く末を考え、学院で教鞭を取る。文句を言っているだけの連中とはそこが違う、エリナードは内心で小さく笑った。 「なんでだ、エリナード。どうしてお前は」 「わかってもらおうとは思ってねぇよ」 「またそれだ! 理解させる努力まで放棄するな。わかり得ないことでもせめて説明くらいしてくれたっていいだろう!」 なるほどもっともだ、とエリナードも思わないでもない。そんな彼をイメルたちが無言で見ている。彼らはたぶん、わかっている。言葉にしても伝わらないものがあると、彼らはわかっている。エリナードはそっと溜息をついた。 「……タイラント師が殺されたとき、師匠の最良の部分はタイラント師が持って行った」 そんな部分があったらば、だとエリナードは言い足す。あると、この場のすべての魔術師が知っている。だからそれはエリナードの何らかの思い。言葉にできようもないもの。 「だったらな、チェスター。残りはどこにある?」 「はぁ? それは……当然、いまも師が。アリルカで師が、何はともあれ生きていらっしゃると言うのは、そういうことだろう」 「違う」 断言するエリナードに不快な顔をする魔術師が数人ばかり。ミスティがかすかに鼻で笑った気配にカレンがうつむく。浮かんでしまった笑みを隠しきれなかったらしい。 「師匠の残り滓はな――俺が持ってるんだ。ここに」 強すぎるエリナードの拳が自らの胸を打つ。痛いだろうに、顔を顰めるカレンにエリナードは目も向けない。爛々とチェスターを、他の魔術師たちを見ていた。 「わかるか、チェスター。師匠はアリルカにいるんじゃねぇよ。あれはただの肉体だ。師匠はここにいる。俺があの人の残りの全部を持ってる。――だから、俺が生きてる限り、俺が生きて立って魔道を歩き続ける限り――あの人は何も失ってねぇ」 胸元で握られた拳。痛そうだ、とチェスターは視線をそらした。長年、フェリクスの浮気相手と揶揄されてきたエリナード。その真の意味の片鱗をチェスターはこの瞬間、理解した気がした。 「俺は希望だ。師匠の夢だ。俺が立ち続ける限り師匠は何一つ失ってない。フェリクス・エリナードの名にかけて、俺が潰れるわけにゃ行かねぇんだよ」 だからここにいる。ただの肉体の傍らなどではなく、フェリクスが夢見た魔道の先へと歩くために。エリナードの握った拳がわずかに震えた。 「師匠」 目敏い弟子もいたものだ、とエリナードは苦笑する。一人前の魔術師たちですら気づかなかったものを。もっともさすがに同期の仲間たちには見抜かれていた。 「大丈夫、エリナード?」 「……まーな」 「なにがだ。どう言うことだ、エリナード。だから隠し事は」 「畳みかけんな、チェスター! そういうのはガキのときだけにしてくれ。絡むな!」 笑って言うエリナードだからこそ、チェスターは疑わしいと感じる。このような形でいなす男ではなかった。 「エリナードはさ、フェリクス師の暴走の影響をもろに受けてるんだよね」 肩をすくめたイメルに唖然とする魔術師たち。チェスターはやはり、と納得した顔をした。フラメティスとセリスなどそれで当然と笑顔でうなずきあっている。 「いまもだろ?」 「あの人が生きてる限り引っ張られ続けるだろうよ」 「その、さ……エリナード」 口ごもったイメルにエリナードは眼差しを向けるだけ。それで彼は黙ってしまう。代わってチェスターが険のある眼差し。 「お前はそれを無効化できるはずだ。あの天才エリナードにその程度のことができないとでも?」 「率直に言おうか? やってできなかねぇよ。手間と暇と労力が半端じゃなくかかるけどな。相手はあの氷帝だぞ? いくら俺でも障壁の厚さが並みじゃ無理だ」 それでもやろうと思えばできなくはない。嘯くエリナードの凄味がわかるのはイメルたちだけ。さすがにフラメティスたちの方はエリナードならば、と納得した笑み。 「……ただ、俺はやらねぇよ。やる意味がねぇし」 その胸の中で荒れ狂うフェリクスの気配。それを感じている間は師が生きている証。エリナードはそこまでは言わない。が、カレンには通じてしまった。 「ま、鍛錬にはなるしな」 ふん、と鼻を鳴らすエリナードの努力をカレンだけは知っている。時間を作ってはタウザントの森の泉に出かけ、エリナードは魔力を練っている。ただ、とカレンは思う。彼ほどの魔術師が、相性のいい水という媒体を利用せねばならないほど、魔力が荒れているのだと。それが少し、怖かった。そこにふと触れてくるもの。ちらりと彼らを見やる。 「とはいえさ、お前に倒れられると俺たちも困るんだよね」 「だから倒れねぇっつーの。そんな暇ねぇわ」 「だよねー」 くつりとイメルが笑った。ミスティまで珍しく声を上げて笑っている。そちらに気を取られた瞬間。 「な――。お前、ら――」 首だけ振り向けイメルを睨む。彼は笑顔を張りつかせたまま、魔法を紡いでいた。ゆっくりと崩れ落ちるエリナードを無言のままオーランドが受け止め。 「助かったよ、カレン」 「いえ……その……」 「俺だけじゃ無理だった。ほんっとにこいつの魔法抵抗の強さってなんなんだよ、もう! フェリクス師とは血なんか繋がってないって、あれ嘘だよ!」 ぷりぷりと怒るイメルだったけれど、目だけは切なげにエリナードを見ていた。 「いま……なにを――」 「なんだ貴様ら、わからなかったのか。イメルの眠りの魔法にカレンが同調していただけだぞ。たいした手間でもない。見てわからないものでもない。修行が足らん」 からからと笑うフラメティス。それだけ、と言われたけれどカレンは青くなっている。当然かもしれない。師の意識を無理に奪ったのだから。 「ごめんな、カレン」 「あ、いえ――」 「俺だけじゃ無理だって言ったけど。カレンだったらこいつ、怒らないだろ。だからさ」 「オーランドにやらせるわけにもいかん。意外とこれで気を使わないわけでもない男ではあるからな。オーランドには怒りにくかろう」 「ミスティ、面倒くさいよ?」 セリスのからかいに彼が顔を顰める。本心だ、と言いたいのだろうが、先輩には反論しかねる、そんな顔。 「お前がやればよかっただろうに、そこまで言うのならばな」 「フラン師。私はエリナードに殴られるのは御免こうむりますが」 「なるほど。もっともだ。が、イメルは」 「喜んで殴られてやる、とまでは言いませんけどー。まぁ、一発二発くらいなら甘受しますよ。――カレン、こいつ、ろくに寝てないだろ、いままで?」 「忙しかったですし……なにより、暴走のあおりを制御するのに手いっぱいだったかと」 「だよね。だから……せめて、俺たちがここにいる間だけでも外から魔力の制御くらいは手伝うよ。その間ちょっとでもさ、寝かしてやろうよ」 オーランドの腕の中、眉根を寄せた苦悩の表情のまま目を閉じるエリナード。これでは休むことにはならないのではないだろうか、カレンも思わなくはない。が、最低限、肉体の疲労だけは多少の回復をすることだろう。 「イメル。どうした?」 じっとエリナードを見つめている彼だった。周囲の魔術師たちの騒めきなど、耳にも入っていないらしい。一連のやり取りで、セリスたち――実はチェスターが一番の助けになるのではないか、とミスティは疑っているが――が文句ばかりの魔術師たちをどうにかしてくれることだろう。そちらに心配はたぶんない。 「イメル?」 再度ミスティに呼びかけられ、イメルは顔を上げる。ミスティが驚くほどの顔をしていた。そっと息を飲んだカレンにイメルは気づかない。 「こいつのさ、こういうとこ。ほんとは見たくないなって。黒髪だったころを、思い出す」 ぽつんとした呟きの意味がカレンにはわからなかった。ミスティたちに問う気もなかった。いずれ師が話してくれるだろう、その気があれば。 「あのときもそうだった。ライソンのことだってそうだ。あのとき、もっと真剣に止めればよかった。俺が歌ったりしなかったら、追放なんかされなかった」 後悔ばかりだ、イメルは呟く。ミスティもオーランドも何を言ってやることもできなかった。 「イメル師? あの、生意気ですし、事情もよくはわかりませんが。――でも師匠、けっこう元気に生きてます。いまはちょっと忙しすぎですけど、ライソンさんがいて、イーサウで子供たちを教えて。悪くないって言ってます。だから、その」 「ありがと、カレン」 子供にするようイメルに頭を撫でられ、カレンはうつむく。ひどく恥ずかしかった。差し出口をしたのだと、わかっている。それが一番恥ずかしい。たぶんきっと、そんなことはイメルも言われなくとも知っているのだから。 「まぁ、なんだ。カレン、ライソンを呼んでくれるか」 「え、あ。はい。なんでです?」 イメルの沈みゆく心を焼き払うようなミスティだった。こんなときばかりは火系だな、とイメルも笑う。オーランドがかすかに吹き出した。 「お前な。オーランドにエリナードを運ばせるつもりか? これを抱いて運ぶのもなんだろうが」 「別に師匠は気にしないと思いますが。ライソンさんに抱かれて帰ってくること、けっこう頻繁にありますし」 「……それは相手がライソンだからだ!」 「なるほど。気づきませんでした」 ぽん、と拳を反対の手に当てて納得したカレンにイメルがはっきりと吹き出す。向こうの方で豪快な笑い声が聞こえたと思ったらやはりフラメティスだった。 「いいよ、俺が担いでいくからさー」 オーランドからエリナードを受け取り、肩に担げば重たい。エリナードの重み、というより星花宮の魔術師の重みだと思った。彼の肩に乗っている元星花宮の魔導師すべての命の重み。 「ちょっとくらい、軽くできるよう、俺も頑張るからさ」 苦悶の顔で眠るエリナードの耳にイメルの囁きなど聞こえない。それでもよかった。ちらりと周囲を見渡せば、早速とフラメティスに叱られている魔術師たち、まだ不満げなもの。納得したもの。様々だった。 それでもきっと、エリナードの負担は減る。少しは減る。イメルはそう思う。減らなくとも、気にもしないエリナードだろうけれど。 ――フェリクス・エリナードの名にかけて、か。 タイラントの名を名乗ることはないイメルだった。淡い笑みを口許に刻んだまま、講堂を出て行こうとするイメルの背中にミスティとカレンの言い合う声が聞こえる。悪い気分ではなかった。 |