「ちょっといいですかね?」 ふらりとアリルカにやってきたカレンにイメルはふと首をかしげてしまう。珍しかった。普段は何くれとなく忙しいカレンだ。しかも少し前にはリィ・サイファの塔の後継者、と公表もした。おかげで多忙に磨きがかかった、と文句を垂れている彼女だというのに。 それほど多忙を極めるカレンだ、普段はやっとのことで休暇を取って、あるいはよんどころない用事でアリルカを訪れる。彼女が一人で予告もなくこうしてくるのは珍しいを通り越して不穏ですらあった。 「ンな顔しないでくださいよ、もう」 小さく笑ったカレンにイメルは自分がずいぶんと緊張しているのに気づいて苦笑する。カレンは自分の後継者ではあるが、弟子ではない。長年の、兄弟のような親友の弟子であり、その後継者。身近にはいたものの、直接に導いたわけではないから、いま一歩勘所が掴めないでいる。 「どうしたのかなって。エリナードに用事ってわけでもないんだろ。その顔だと」 「師匠は関係ねぇ……とも言い切れないかな」 「なんだよ? 俺でよかったら相談乗るけど……って俺に用事なんだっけ?」 ですね、とカレンが笑う。いささか込み入った用事らしい、と見極めてイメルが茶を淹れに立とうとすれば、自分がやる、とカレンが立つ。 「なんかさー。こんなこと言うと気にするかもしれないけど」 「別になに言われても気にしやしませんが?」 「だからといって甘えるのもねー。ま、言うけど。なんかさ、お前がこうやって家にいるってのもいいよなー、とか思ったり」 「はぁ? 気にしないとは言いましたけど正気は疑ってますよ!?」 「馬鹿!? そうじゃないだろ!」 「誤解させたのはイメル師じゃないですか!」 イメルは塔の管理者、と言う意味ではあるけれど、自分の後継者がこうして側にいると言うのはいいものだ、と言いたかっただけなのだが。あわあわと言い訳をするイメルにカレンは男らしくにやりと笑うだけだった。とっくにわかっていてやっていたらしい。 「まったく。この師弟ときたらさ!」 「師匠と一緒にしないでください」 「なに言ってるんだよ! エリナードだけじゃないからな。フェリクス師込みだからな!」 「あー。そりゃ、なんつーか。反論がしにくいっすねぇ」 笑いながら茶が出てきた。以前からカレンが凝っている果物風味の茶で、いったいどこから、とイメルが首をかしげればイーサウから持参したのだ、と再び笑う。 「もしかしてお気に入りです?」 「うん。俺も結構工夫してるんだけどさ。お前ほど風味がはっきり出ない。出ると出すぎるし」 「加減が難しいですよね。わかります」 「お前は変なところで器用なんだよ」 「妙なところで女らしいとでも言ったらいいじゃないですか」 ふん、と鼻で笑うカレンにイメルは冗談半分、肩のあたりを打つ真似をした。 「こう言うのって性別関係ないだろ?」 「料理関係は女のほうが強かないですかね」 「それはさ、女の人のほうが台所にいる率が高いからだろ? まぁ……台所にいても全然うまくならないやつってのを俺も知ってるけどさ」 「師匠ですか?」 「フェリクス師もな。あとお前も」 「あー。好きずき、ですかねぇ?」 言った途端、カレンがそっと目を細めた。自分で言葉に気づいたのだろう。好きずき。正にそのとおりだ、と。今度はイメルの方がにやりとする番だった。 「お前にこういう基本を教導するのって、ちょっと楽しいかも」 「いまだ至らずですよ」 「うん、わかる。それは俺たちだって一緒。魔道を歩いてれば先が遠いって思うだけだし」 自らの道を顧みれば、遠かったような、近すぎたような。まだまだほとんど歩いていないような気すらする。あのタイラントに、自分は一歩でも近づけているのだろうか。イメルとて迷い続けている。 「その点、エリナードは強いなって思うよ」 「どうなんでしょうね? フェリクス師が元気に生き抜いて亡くなったなら、師匠だって迷う暇があったんでしょうけど」 かすかにカレンは肩をすくめた。あの当時をカレンも知っている。タイラントが暗殺され、フェリクスが象徴的な意味で死に、敵討ちをしたいのだ、と勢い込んでアリルカに乗り込んで行った自分の姿さえカレンは知っていると思うとイメルは身をよじりたくなる。 「恥じ多き若き日ってやつですよ、イメル師」 「それをお前に言われる俺がどうかと思うんだよな」 「その辺は諦めてください」 「とっくに諦めてるよ。なにしろエリナードの愛娘だからな」 「性格の悪さは折り紙付きってやつですね」 そうは言っていない、とにやにや笑うイメルにカレンはほんのりと頬を上気させてはそっぽを向く。そんなところが師に似なくともいいだろうに。思った途端、エリナードもこういうところはフェリクス似か、思ってイメルは内心で笑った。 「それで、なんの用なのさ?」 まさか雑談がしたいわけでもあるまい。イメルとしてはそれでも充分に歓迎すべきことだが。とはいえ、カレンが雑談だけをしに来るとなるとそれはそれで何か空恐ろしいような気がする。なにしろ師弟揃って研究だけが人生だ、と思っている節がないとは言い切れない。 「塔のことですよ」 そうだろうな、とイメルはうなずく。師弟ではなかったし、そもそも魔術師としては系統が違う。風系のイメルに水系の深奥は掴み切れない。研究に風系の要素が必要ならば、カレンはもっとさっさと切り出していることだろう。 「もしかして、辞退したいとか?」 「それはないっす。お受けしたんですから、全うしますよ」 「じゃないと色々困るけどさ」 二人揃って苦笑をかわす。そしてイメルはそれとない促しの意味も込めて首をかしげた。カレンも悟ったと見え、小さく唇を歪ませる。 「水盤、お借りしていいっすか?」 「いいよ、その辺になんかあるだろ?」 「これでいいな。お借りします」 水盤、とは言ったもののカレンは台所から盥を持ってきただけだった。それに気づけば水が満ちている。相変わらずの腕の冴えだ、とイメルは内心で感嘆していた。師であるエリナードに一歩でも近づきたいカレンの精進の結果がここにある。たかが水を満たす、それだけの行為ではある。どうでもいいような魔法の行使ではあっても、カレンは無詠唱化していた。 「こういうところにさ、鍛錬の成果が出るんだよな」 「ん? なんです?」 「無詠唱化。普段からやってるといざって言うときにすぐできるじゃん?」 「あー、それはそうですね」 肩をすくめたカレンではあった。が、イメルは見てとる。むしろ、カレンではなく、エリナードのおかげで気づいた。彼もまた、こういうときには照れるがゆえに無造作になる男だからこそ。 カレンは気づかないふりをし続け、水を張った盥を一時的に魔法具化する。これで盥は魔法具としての水盤だった。 「なにするの?」 見ていればわかるだろうけれど、イメルはつい問うてしまう。子供のころからの癖だった。エリナードは逆にじっと待つ。すぐにわかることを問うのは無駄だと言い放つ。お互いの性格の差だな、と子供のころから言い合っていた。 「肖像なんですけどね。ちょっと素案を見てもらえませんかね」 「はい!? 肖像って、塔のだよな!? お前、準備がよすぎだよ!」 「準備はやっとくに越したことはねぇんですよ」 にやりと笑ったカレンにイメルは唖然としていた。ふと笑いが漏れる。 「イメル師?」 「つくづくお前たち師弟には敵わないなぁって。ほんと、お前たちはすごいよ」 「はい?」 「俺はそういう事前準備とか、死ぬほど苦手で、考えもしなかったし」 「さすがに肖像の素案作りくらいはしたでしょうに」 「しなかったわけじゃないけどさー」 「だったら一緒ですよ。いつやるかの違いでしかねぇですし」 それを言えるカレンが素晴らしい、イメルは思う。このような魔術師を育て上げたエリナードが素晴らしいとも。さすがに羞恥が勝って口にはしなかった。 「んで、見てもらってもいいですかね?」 「うんうん。見せてー。――ってカレン!? お前、これ、どういう!? ちょっと待て、待って、待って!?」 「って、そこまで驚きます?」 若干ならず呆れたカレンだったが、イメルとしてはそれどころではない、が正直なところ。塔の居間には歴代管理者の肖像が浮かびあがる水盤がある。カレンもまた、イメルの後継者として、塔を引き継いだ暁にはイメルの肖像を手掛けることになる。それは当然の理屈で、わかっていることだ。だが、しかし、これは。 「俺はいいよ!? でもなんでエリナードと一緒なんだよ!」 さすがカレンの腕だった。素案とはいえ、ほぼできあがっているも同然の肖像は生気すら窺えるかのよう。その自分の隣に、なぜにエリナードが。 「んー。イメル師だけ一人ってのも、なんか寂しいかなっと」 「だって!」 「いままでの管理者はみんな連れ合いと一緒じゃないですか? だったらイメル師だって独りっきりってのもこう……隣が寂しくって」 「あのな、カレン!? 誤解される余地はない。それはわかってる! それでもな! エリナードみたいないい男の隣に並ばざるを得ない俺の立つ瀬はどこにある!」 「さぁ? 浮かぶ瀬くらいはあるんじゃないですかね?」 にやにや笑いのカレンにしみじみとエリナードの弟子だと感じるイメルだった。がっくりと肩を落とせば晴れやかに笑うカレン。嫌がっているわけではない、とは気づいているらしい。 「それともあれですかね。やっぱ連れ合いじゃないと問題があったりします?」 「ないけどさー。別にあれだって最初はサリム・メロール師の悪戯だって聞いてるし」 カレンも仄聞している話ではある。その程度のことで代々続いてしまっていいのだろうか、と思うものの魔術師などそんなものでもある。続いているのならば伝統だ。もっとも、その伝で行けばかなりなところであまりよろしくない伝統も続いてしまっている気がするのだが。 「だったらいいですよね? 嫌だったら考え直しますけど」 「嫌じゃ……ないけどさー。エリナード、知ってるんだろ? なんて言ってた?」 「イメル師。わかってませんね? 私は親不幸なんです。一世一代の親孝行ですよ? バラすわけねぇでしょうが」 「それで親孝行とかって言っちゃうお前は立派だよ!」 「イメル師だってほんとはちょっと考えてたでしょ?」 あ、とイメルが口許を押さえた。それにカレンは意外なほど優しい笑み。もうとっくに冷めた茶を口にして、イメルは口許の笑みを隠した。 カレンの言う通りだった。真実の塔の管理者、魔術師の最高峰と言う意味での管理者はエリナードだとイメルは信じて疑わない。だからこそ、いずれ何らかの形でエリナードの肖像を塔に残そうと目論んでいたイメルだった。それをこんな形で実現されるとは。 「ま、あれですよ。師匠に並ばれたくないんだったら、塔の引継ぎまでに連れ合いでも見つけてください」 「無理言うなよー」 「なにもいまだに清い体ってことはないんでしょうに」 「そういう問題!? いや、俺は、その……」 「……もしかして、本気で清らかだったりします? 前も? 後ろも?」 「カレン!!」 真っ赤になったイメルの真実がどちらだったのか、カレンはあえて問わないでおくことにした。彼に恋い焦がれる男女が数多いることはカレンだとて知っている。イメルの方にあまり興味がないだけだとも。そう言う意味でイメルの伴侶は魔法なのだろう。 「ほんっとにさ! お前ら師弟ってやつは!」 「師匠がどうかしました?」 「その下品な突っ込みは俺がまだ若いころにあいつに言われたことなんだよ!」 「うわ……ヤなとこ似たなぁ」 「まったくだ」 深くうなずくイメルにカレンは頭を抱える。似たくないところほど似る、とは常人の親子の間でよく言うことだが、魔術師師弟でも当てはまるらしい。 「ほんっとに、もう。せめて品位は保てよ。お前だってちんぴらじゃないんだしさ」 「似たようなもんだとはイーサウでもっぱらの噂ですが」 「……嫌な噂もあったもんだ」 「否定しにくいのが困りものなんですよねぇ。ま、とりあえず素案はお見せしたんで、この線でいいですかね」 あっさりと話を戻したカレンにイメルはにやにや笑い。どうやらまたも何かに照れたらしい。すぐ、気がついた。彼女は師との相似を一つ、また見つけたらしい。 「うん、いいよ。まぁ……エリナードの隣ってのはあれだけどさ。できればいい男に描いてよ」 「無茶言いますね? 実物再現が精一杯ですって」 「とか言いながらエリナードはきらきら王子様に描くんだろー」 「なにか、言いました?」 にっこり笑う悪魔の微笑を久しぶりに見た気がするなぁ、とイメルは少しばかり遠のきかけた意識の片隅で思う。師匠筋の人間に魔法を飛ばすなだとか、ここまでやるなだとか、抗議をする気は不思議となかった。 「イメル師? やっといて言うのもなんですが、抵抗されないと止め時を見失いますんで」 「うん……どこまでやるか、ちょっと興味があった……」 「それ、かなりヒキますよ?」 被虐的な趣味でもあったのか。伴侶が見つからないのはそこが原因か。ぼそぼそと言うカレンにイメルの反撃。気づけば自宅で魔法戦をやらかす羽目になった。さすがに互いに腕はいい。家そのものにも家具にも被害は出さなかったが、衣服と自身は見られたものではない。 「カレン! ここまで、ここまでな! エリナードが跳んでくると面倒くさいよ!」 「あ、確かに。じゃここまでっすね。ご指南ありがとうございました」 「……俺、指南したつもり、なかったんですけど」 「でも楽しかったですし」 それでいいのか、と思ったけれどカレンは楽しそうにしていたからいいのかと思う。思った途端、脳裏に浮かんだエリナードの皮肉な笑み。親馬鹿を謗られた気がして、お前ほどではないと脳内に言い返す。 結局カレンは本気でエリナードには黙っているつもりらしい。イメルもカレンの意を汲んで秘密にしている。あれ以来、何度か素案に手を入れるたびカレンは見せてくれている。少しずつ完成に近づいて行く無二の親友との肖像。面映ゆいような、身震いするような。 ――隣に並ぶお前に恥ずかしくないように、俺はまだまだ進むよ。 思えば自分の進む道には常に彼がいた。エリナードがいたからこそ、ここまで来た、イメルはそんな気がする。互いにそう思える友であることが誇らしい。イメルの唇に小さな笑みが浮かび、思いが次第に形になる。 「うん。そう、だよな――」 いずれ時が至ったそのときには。イメルはエリナードに一つの提案をすることになる。いまはまだ、形になっていないぼんやりとした思いでしかない提案ではあったけれど。 |