静かなものだった。黙々と作業に勤しむ二人を周囲の若い弟子たちが遠巻きにしている。見慣れてはいるはずなのだけれど、どうにも違和感があって仕方ない様子だった。
 カロルとミスティだった。作業室で二人は向かい合って座っては手を動かしている。小さな宝石や貴石や。あるいは硝子玉。それらにカロルは呟きひとつ漏らさず穴を開けていく。魔法に違いはないのに、鍵語魔法とは思えない。
 ミスティの方もたいしたものだった。カロルとまではいかないものの、かすかな小声が聞こえるかどうかといったところか。ごく近くにいなければ聞こえないだろう。
「……最近どうよ」
 新しい宝石をひとつ、眼前に掲げて確かめつつカロルは呟くよう。ミスティに話しかけている、ようには見えない。
「まぁ」
 ミスティの方も作業を続けたまま答えるでもなく返答を。それからしばらくの間はまた二人が玉を手にするささやかな音がするだけ。
「そうか」
 思い出したかのカロルの、それは返事だった。黙々の上にも黙々と。視線も合わせず仕事を続ける彼らだ。確かに魔術師にとって飾り玉の作成は必要な作業ではあるのだが。だからこうして暇を見ては作るものではある、それが四魔導師であったとしても。
 もっとも、同じ室内で作業している他の弟子たちはたまったものではない。カロルの機嫌が悪いのか、ミスティはなんて横柄なのかとひやひやぴりぴりしどおしだ。
 そんな彼らに気づいたようカロルが顔をあげる。そのときにはきれいに揃って視線を外していた彼らだ。
 どことなく訝しいものを火系師弟も感じてはいる。本人たちはこれで楽しく一緒に作業をしているのだが。どうにもカロルという男、他ではぽんぽんと怒鳴るくせに相性のいい一番弟子とあるときには無言になりがちだ。それを受け入れているミスティだからでもあるのかもしれない。
「あぁ、作業中すいません。カロル師、うちの師匠見ませんでしたか」
 ひょいと入ってきたエリナードだった。周囲の若き弟子たちがぎょっとする。この緊張状態を前に何も感じないのか、と非難されているのはエリナードにも見て取れたのだが。
 ――普通にやってるよな?
 特に機嫌が悪いようにも見えないカロルであったし、ミスティも楽しげだ。それを言えば「目がおかしい!?」と言われるだろうことは想像にかたくない。エリナードにしてみればフェリクスを見慣れていて気にならないだけだった。
「あ? 知らねェよ」
 吐き出すカロルに弟子たちがほっとするのが面白い。カロルは罵詈雑言を叩きつけてこそ、とでも思っているのではないか。ミスティは内心でちらりと笑う。
「うーん、そうですか」
「またなんかやらかしやがったか、あの馬鹿弟子はよ。で、なにやったんだ? え?」
「別に探してるだけですよ」
「だからなんで探してんのかって聞いてんだがよ?」
「師匠いないなー、と思って」
 それだけだ。エリナードは笑う。さすがのカロルも毒気か抜かれたようぽかんとしてから、堪えきれずと笑い出す。ミスティなど長々しく溜息をついていた、これ見よがしに。
「ったく。テメェらは仲良すぎだっての」
「そうです? 師弟なんてそんなもん……でもないですね」
 にやりとしたエリナードがミスティを見やった。一緒にするなとばかりに嫌な顔をしているミスティを。結局のところカロルもフェリクスの居場所を知らないらしい。邪魔をしてすみませんでした、礼だけはきちんとして、だが明るくエリナードが出て行ったあとの作業室は再び静寂を取り戻し、さっさとエリナードがいる間に逃げておくのだったと弟子たちを後悔させた。

「ですからね、それでは食らってあげられません、私」
 にこにことしたリオンだった。満面の笑みとはこのことか。近衛の演習場で弟子を相手の訓練ではある。だがそれを見ている若手騎士たちは顔色なく。真っ青になっていまにも倒れるのではないかと思うほど。
「ほらほら、片手がお留守ですよ」
 軽々と振られたハルバードがそもそもおかしい。長柄武器であるハルバードは、あれほど簡単に振り回せる代物では断じてない。
 しかも手にしているリオンは衆に優れた体格を持っているわけではない。四魔導師の中と限定するならば確かに最も体格はいい。背も高いし肩幅も広い。けれど騎士と比べれば歴然と差はあった。その彼があまりに簡単に振り回す様。唖然では済まない。
「今度は脇がお留守ですって。言ってる間に右に飛ばない。その癖は直しなさいって言いましたよ、私」
 楽しげなリオンの攻撃は言葉の明るさとは裏腹に鋭く、まるでこれは殺し合いなのかと錯覚するほど。受けている弟子が信じがたい、と呆然とする騎士の目が地面を見る、ハルバードが掠っただけで抉れていた。
「だから左に飛んでどうするんです? 言われたままにしたら簡単に取れちゃいます」
 ひょい、と振られるのに風鳴りの音だけで身をすくめたくなる。が、それを受けたのもとんでもない。オーランドの作る魔剣は斧だった。戦斧と呼ばれる、こちらも長柄武器。ハルバードと噛み合えば岩でも砕いたかの音。実際に飛び散る魔力の滓といったら凄まじいものだ。
「そこじゃない。残念でした。でも、いまのはよかったですよ、オーランド。まだまだ惜しいといったところですかねぇ」
 ちょん、と跳んだリオンが自らの体重を乗せハルバードを叩きつける。それを受けるのは無理と踏んだのだろうオーランドは咄嗟に避けようとこちらも跳んだのだが。
「言いました、私。癖は直しなさいってね」
 先ほど指摘したばかりだ、笑ってリオンが叩き込んだハルバードにオーランドは大地にのめる。膝が笑って立てそうにない。
「終わりですか?」
 優しい声音だった。オーランドは動かない体を叱咤し、リオンを見上げる。微笑んでいる師の姿。呼吸を深く。そしてオーランドは立ち上がる。まだだ、視線だけで回答した弟子にリオンの笑みが深くなったその隙を狙うよう、演習場にかけられた声。
「リオン師、うちの師匠見ませんでしたか?」
 長閑なエリナードの声に騎士が飛び上がりそう。この緊張がわからないのか、と驚いていたけれど、エリナードは隙を探っていただけあって嫌というほど感じている。いまならば、とかけた声だった。
「おや。また行方不明なんですか、彼は。仕方ない人ですねぇ。見かけたらあなたが探していたと言っておきましょうか?」
「たぶん俺が見つける方が早い気がします」
「でしょうねぇ。では頑張って探してくださいな」
「うい、ありがとうございます。邪魔してすみませんでした」
「いいえ。オーランドの味方をされてしまったな、なんて思ってませんよ、私?」
 にやりとしたリオンからエリナードは素早く飛び退いていた。いまの時間に呼吸を整えたオーランドは軽くエリナードへと黙礼を送り、同時にフェリクスを見ていない旨を目顔で告げていた。

 賑やかなものだった。周囲に人だかりがないのが不思議なほど、わいわいがやがやとやっている二人だ。星花宮の中庭だった。タイラントが低音の竪琴を担当し、イメルが高音を担当する。そうして合奏をしていた二人。いまは掛け合うよう言葉をかわす。
「ほら、またー!」
「でも師匠!?」
「だからさぁ。なんで君はそうやって頑張ろうとするかなぁ」
「頑張ってるつもりはないって言うか。頑張ってはいますよ! でもそうじゃなくって!?」
「君は頑張り方を間違えてるんだって。何度も言ってるだろ」
「言われてますねー。覚えてはいるんです。ほんとです! 覚えて」
「いても実践できなきゃ一緒……うぐ」
「師匠?」
「自分の発言が我が身に返ってきただけだよ!」
 フェリクスにでも言われたのだろう。イメルはにやりとしてしまってから慌てて表情を取り繕う。もっともタイラントには見られていたが。
「もう、いいからもう一度やるよ。やらないのか?」
「やります、やります。お願いします!」
「はいはい……って返事はひとつだよな、うん。っていいからやるよ!?」
 なんだか一人で悶絶しているタイラントだ。嘆かわしいのだか微笑ましいのだか、イメルには見慣れた師の姿ではある。
 余人にとっては素晴らしいとしか言いようがない合奏だった。片や世界の歌い手、片や若き吟遊詩人。だがしかし、これはただの演奏ではない。呪歌の訓練でもあった。
 いまもって不安定な呪歌という魔法系統、タイラントは確立したとは言えない、そう思う。自他共に一番弟子であるイメルに早く自分のところまで来てほしい、タイラントが願うのもそのせいか。
 ――なんて。
 それなのについ、イメルはタイラントの演奏に聞き惚れる。惚れるな、という方が無理だと思う。清々しく優しい。それなのに雪のよう。暖かくはないのに、甘い。タイラントはこのように世界を認識しているのだろう。そのイメルの額、ぴょいとぶつけられた小さなもの。どこからともなく飛んできた小石だった。
「だからな、イメル! 合奏中に! 君が! 聞き惚れて! どうするんだよ!!」
 演奏しながらも魔法を操ることなどタイラントには造作もない。たかだかこの程度のことならばなおのこと。そうできる自分が、そうしてくれた彼が誇らしくなる瞬間だった。
「だって師匠! 聞き惚れるなって、無理です!!」
「合奏だぞ? わかってるか? 合奏なんだって!」
「でも師匠」
「なんだよ?」
「聞かないと、怒るじゃないですか」
「偏るなって言ってるんだって。わかるか?」
 あっとイメルが声をあげた。思うところがあったのか、タイラントの示唆に彼は気づく。それがイメルの成長だと思えばタイラントはこれまた誇らしい。
「偏らない。平衡を取る。魔法も一緒だよな、イメル?」
「……はい」
「演奏だってそうだ。聞くだけじゃだめだ。聞かなくてもだめだ。君がするのは、聞いて選んで動くこと。人生はそういうものかもしれない、魔法もな、世界もな。これは俺の認識で、君が同じことを感じる必要はない。君は君で自分の音と魔法と世界を掴めばいい」
 それができる君だと信じているよ、タイラントの優しい笑顔にイメルは励まされる。そして笑みのままのタイラントが唐突に硬直するのも、実は見慣れているイメルだ。それもまた我が師らしいとイメルは笑って振り返った。
「あれ、なんだエリナードか」
「おうよ」
「いまの師匠の顔、絶対フェリクス師だと思った」
「お前な、イメル! 師匠をなんだと思ってるんだよー!」
「フェリクス師には絶対的に弱い師匠、ですね」
 真顔で言う弟子にタイラントは溜息をつく。反論のしようがないのだから致し方ない。ちらりと見やったエリナードはからりと笑っていた。
「ほんとタイラント師、なんて顔してるんですか」
「いや、別にさ、うん」
 イメルはフェリクスと誤認したけれど、タイラントにとっては真正面から歩いてきたエリナードだ、間違えるはずもない。そしていまのこの返答。エリナードがにこりと笑った。
「し、知らないから!?」
「へぇ。そうなんです? ふぅん?」
「脅すな! 怖いから!?」
「師匠の真似してみました」
 ふふ、と笑ったエリナードだ。そこまでフェリクスにしっかりと似ていてタイラントは身を震わせる。横目で見たエリナードは、まだ笑顔。
「だからな、エリナード! 言ったら俺が怒られるんだよ!」
 その瞬間だった。イメルの悲鳴とエリナードの突進、どちらが早かったか。詠唱ひとつ聞き取らせず瞬時に現した魔剣を手にエリナードは座したタイラントへと。
 ――やめっ!?
 声を出すことはイメルにはできなかった。下手をすればどちらかが怪我を。否、エリナードが危険だった。イメルは信じているのではない、知っている。いま危険なのはエリナードであると。
 そしてひと呼吸とおかずタイラントの眼前に風が巻き起こる。微風のようでいて、鋼よりなお硬い。剣が激突した瞬間には鋭い音が響きわたったほど。
「危ないなぁ、もう」
 にやりと笑ったタイラントだった。イメルが知るよう、タイラントは決して負けない。弟子と師の差という以上の差がまだここにはあった。陽気で生きるを楽しむとしか見えないタイラントにしてこの技量、彼は星花宮の四魔導師だった。
「あぁもう! まだまだだな、俺も」
「いい腕にはなってきたよ、エリナード。さすがの鍛錬をしてるよ、君は」
「戦闘の腕だけ褒められても」
「そこに気づくんだからたいしたものだよ、うん」
 にっと笑ったタイラントだ。ご指南ありがとうございます、など飄々としたエリナードだ。イメルとしては驚かされた詫びにどちらかを殴りたいくらいの気持ちなのだが。
「俺、怒られたくないから言わないからな、エリナード!」
 言いつつタイラントの手指がページをめくるように動いていた。ご褒美、といったところか。にやりと笑ってエリナードは黙って頭を下げる。そこにかけられるイメルの怒声。
「お前な!? 寿命が縮んだだろっ!」
「んー? 能天気は長生きだって聞くぜ? ちょうどよくなっただろ」
「お前、エリナード!!」
 なんてことを言うんだ、酷い、心配した。最後はそこに至るイメルにエリナードは小さく笑う。くすぐったそうな笑みだった。

 星花宮の書庫はいくつか存在している。訓練中の子供たちでも利用可能なものから、四魔導師の許可がないと入室さえできないものまで。フェリクスがいたのはその中間といったところか。
 ――師匠。
 書架の前に佇む彼だった。少し上を見上げたまま、けれどフェリクスが見ているのは書籍だろうか。エリナードは何も見ていない、そう思う。
 時折そんな目をするフェリクスだった。たとえタイラントと共にあったとしても。それを見せるのを嫌ったか、こうしてタイラントすら側に置かずひとりを選んだフェリクス。エリナードはかすかに微笑んで近づいた。そして手を伸ばしては高すぎてフェリクスの手が届かない本を取る。
「はい、師匠」
「エリィ? よく、わかったね」
「わからないと思います?」
「そうだね」
 ほんのりと笑ったフェリクスだった。そしてそのときには彼の目は現実を、いまここにいるエリナードを見ていた。遠いどこかではなく、目の前の彼を。
「ねぇ、あれも取って」
 甘えるようなフェリクスにエリナードは肩をすくめる、仕方ない人だなと言いたげで、それでいて満足げ。
「どれです?」
「わかるんでしょ」
「ったく、しょうがねぇなぁ」
 言いながらエリナードはフェリクスの腰に手をまわす。そのまま軽々と抱き上げた。書架の前に差し上げられ、フェリクスの目が丸く大きく。それからついには笑い出す。
「ありがと、可愛い僕のエリィ」
 抱かれたまま強引に振り返ってはエリナードの首に冗談のよう腕を投げかける。そんなことをされても小揺るぎもしないエリナードだ。師の悪戯は誰より見ている。
「こういうことはタイラント師にやってくださいって」
「やだよ」
「ったく。ほら、あとはどれ?」
 文句を言いながらエリナードは助けてくれる、仕事も自分も。フェリクスは最愛の弟子のぬくもりの中にいてこの上なく幸せだった。




トップへ