弟子の多くは十五歳ほどで星花宮に正式参入を果たす。二十歳を過ぎた程度ではまだ五年そこそこしか修行を積んでいないことになるのだが、エリナードはすでに十年を数えていた。さすがに市井の魔術師として身を立てられるほどではないけれど、魔術師を名乗れるくらいにはすでに使える。
「エリィ、お出かけするよ」
 なのに相変わらずのフェリクスだった。いつまで経っても子供扱いで嫌になる、文句を言うエリナードではあるけれど、本人含めて誰も本気だとは思っていない。
「へいへい」
 星花宮の食堂だった。小さな弟子たちが大勢いる中でそれはやめて欲しいな、とわずかに感じた程度でエリナードはその師をあえて止めることはしない。それくらいならばさっさと席を立った方がよほど話が早いと悟っている。
 そんなエリナードにフェリクスは目を細めていた。愛し児を見つめる眼差しにエリナードは気づいていたけれど無視をする。かまっていては出かけられない、間違いなく。彼の態度にフェリクスがぷ、と頬を膨らませた。
「そんな顔してもだめですからね。俺はタイラント師と違いますから」
「なんてこと言うの。本当に誰に似たんだか。僕じゃないよね?」
「タイラント師なら喜ぶでしょ」
 戯言をあっさり受け流し、自分は別に嬉しくもなんともない、エリナードは言い放つ、がその目が笑っていた。傍らを歩みつつ肩をすくめたフェリクス。それでエリナードも気づいてしまう、むしろ思い出してしまう。フェリクスは決してタイラントにはあのような態度は取らない、と。
 ――ったく、師匠どもめ!
「エリィ。聞こえたからね?」
「っと。すいません、緩んだかな」
「緩んではないね。あなたはよくやってるよ。ちゃんと制御してる」
 その年齢で大したものだとフェリクスはうなずいていた。魔術師の修行は年齢ではないけれど、積んだ年月はせいぜい十年、まだまだフェリクスには何もしていないと同義だ。
「……師匠」
「うん?」
「読みましたね?」
 にやりと見上げてくる眼差しに今度はエリナードが肩をすくめる。二人の間では日常茶飯事、許可なく互いの精神に接触し合う師弟だった。それにしても、とエリナードは首をかしげる。
「どうかした?」
「いま、気がつかなかったな、と思って」
 普段ならば接触されて気づかないエリナードではない。早、有能な魔術師の片鱗を見せはじめていると誰もが言う彼だ。もっとも、エリナードは十三歳にして転移魔法の大改革をやってのけている。あの偉業が偶然ではなかったと評価されはじめたのがこの時期だった。
「それはね、僕の腕」
「あぁ、なるほど」
「わかった?」
 発破をかけられたのを、エリナードはよくよく理解した。更なる高みへ、遥か遠くへ。自らが至ることができない場所まで進め、そうフェリクスが期待してくれているのを彼は感じる。負担には思わなかった。面映くは、あるけれど。
「こういう微妙な接触は経験しておいた方がいいんだよ。だから、やって見せた。わかる?」
「危険だから?」
「そう。僕ら星花宮はおそらくは大陸で一番の使い手の集団だよ。それは否定しない。でもね、可愛いエリィ。上はいる、そう思っておくのが安全なんだ」
「師匠より上、ですか? ちょっと想像しにくいな」
「カロルがいるじゃない?」
 だからいる可能性はあるのだ、フェリクスは言う。そしてその魔術師が敵にまわる可能性だとて。自分よりも技量優れる魔術師を敵にしたときの危険をフェリクスは言う。
「星花宮より上ってのが、やっぱり想像できないな」
「いるところにはいるよ、たぶんね。だいたいね、エリィ」
 言いつつ二人は王城をあとにする。正規の門など通りもしない。ひょいひょいと跳んで移動するのは魔術師ならでは。そしてエリナードの転移魔法改革のおかげ、王都中に張り巡らされた転移点があるせいだった。それらはもちろん城にも通じているが、城には四魔導師の結界があり星花宮の魔術師以外が使うことはできない。あえて試みれば結界に弾かれるだけだ。
「なんです?」
 変わらぬ繁華な城下町はラクルーサの栄えを見る思い。エリナードはこの街で育ったも同然で、路地の一本まで熟知している。なにしろ転移点を作ったのは彼自身だ。数年前の成果がきちんと機能していることに感じたわずかな満足。まだ先へ、そう考えているエリナードにフェリクスが微笑んで、けれど恐ろしいことを言う。
「同じ魔術師って言ってもね、必ずしも真っ当である必要はないんだよ」
「……あ」
「そう。血の魔術師なんかは代表的でしょ? あとは……あなたは覚えてると思うけど、サガの大元の飼い主とかね」
 人目を気にしたらしいフェリクスの言葉にエリナードは身が引き締まる思い。まだ幼かった自分を助けてくれた子猫のサガ。元をただせば使い魔だったらしい彼。更に正体を暴けば大物魔族だったサガ。つまるところ、いつの時代かはわからないものの、サガ、否、悪魔フォルニウスを召喚し使役していた魔術師がいたという証左。
「そういう連中が相手だった場合、倫理も制限もない。正直に言ってなにしでかすか僕にも予測がつかないよ」
「そう……なんですか?」
「そりゃそうでしょ。人間の限界なんか余裕で飛び越してくるもの、その手の契約はね。血の魔術もそうかな。無制限の魔力を扱わせたらなにができるか、あなたは想像つくでしょ」
「……はい」
 背筋が寒かった。できるなどというものではない。魔術師が倫理を捨て去ったとき、出現するのは最悪の生き物だ。魔術師であるからこそ、エリナードはそう断言して憚らない。
「たとえば血の魔術師が敵だった場合、あなたはその場に存在するすべての生き物を守って戦うことになる」
 どことなく冷ややかなフェリクスの声音だった。弟子には嫌というほど甘い男だが、ひどい人間嫌いでもある。むしろ人間という種族に対して嫌悪感を持っていると言うべきか。それなのにフェリクスは宮廷魔導師として、人間を守らねばならない。矛盾だな、とエリナードは思うけれどフェリクスはそれを厭うことはしないとも知っている。
「そっか……血の魔術師ってことは、血の出所が人間である必要はないってことでもあるんですね」
「そうそう。犬猫牛羊、人間。全部だよ。血液が流れてればいいんだから」
「ん……ちょっと疑問なんですけど」
「なに?」
「赤い血じゃなきゃだめですかね?」
「さすがに僕も試したことないし――」
「試さないでください!」
「だからわからないよって言ってるんじゃない。想像だよ、想像」
 そのつもりで聞け、とフェリクスは笑う。質問したのは自分だが笑って話すような話題ではない、とエリナードは肩をすくめた。
「たぶんね、赤い血じゃなきゃだめだと思うよ」
「なんでです?」
「触媒効果、かな。象徴を利用するならそこは明確に決めた方が効果は出やすい」
「わかるような、わからないような……」
「だからね、可愛いエリィ。血に籠められた力を利用する、でしょ?」
 力そのものを利用し、更に増幅させるために触媒としても活用するのが血の魔術だとフェリクスは指摘する。
「なら力の根源とは何かって考えたとき、血液が象徴するのは?」
「生命力?」
 そう、とフェリクスが微笑んだ。よくできました、とばかりに背伸びをして頭を撫でてくれるのが嬉しくない。むつりとしたエリナードをフェリクスは大きく笑い、そして腕に絡んでくる。
 ――見せられねぇ。
 内心での呟きが聞こえたはずはない。いまエリナードは気をつけている。その上で接触に気づかないほど腕は悪くはなかった。それなのにフェリクスは感づいてはにやりと笑う。実に楽しげに腕に縋るフェリクスをエリナードは拒まなかった。無駄だと諦めている。
「そこから敷衍して、生命力は魔力って考えたときね」
 何事もなかったかのよう話し続けるフェリクスだった。エリナードも腕を組んでいるのは気にならない。いずれ浮気を疑われて長い。十代のころから言われているのだからいい加減に飽きている。
「人型の生き物としては、烏賊だの蛸だの蟹だのに血の色を感じるのは難しくない?」
「流れてますけどね」
「流れてるけど、よくわからないじゃない? そうすると、触媒としての象徴効果が薄れるんだと思うよ」
 やって見なければわからないけれど、フェリクスは言い足す。顰め面のエリナードに彼は目を細めて微笑んだ。やらないから安心して、と。
「やっちゃだめですからね?」
「やらないよ」
「本当に?」
「だって、そんなことして発覚したら可愛いエリィと一緒にいられないじゃない?」
「問題はそこじゃねぇよ!?」
 自分にとっては大問題だ、言い放つフェリクスにエリナードの冷ややかな目。さすが氷帝、気にした素振りもなかった。もっともエリナードとしても見慣れた師の姿でもある。
「ほんっと、もう」
 それでも一応は文句を言うのは、万が一にもそのようなことをして欲しくないせい。フェリクスはあのように言うけれど、エリナードにとっても同じこと。師の背中だけを追いかけていたい彼だった。
「あなたは、本当に」
 そんな彼をフェリクスはくすりと笑う。タイラントに見せればいいのに、いつもエリナードは思うけれど師は断固として伴侶にこの顔を見せるつもりはないらしい。腕を組んで、寄り添って。時折顔を近づけて。星花宮の面々だけではない、誰が見ても仲のよい恋人同士のよう。それでいて本人たちは師弟以外のなにものでもないと断言する。
 あるいは、だからかもしれない。フェリクスはこうして街に出てくるとき、幻影をまとっている。闇エルフの子の特徴を緩和するためだけのものであって彼本来の容貌は変わっていない。だからフェリクスを見知っていれば闇エルフの子、とわかる。その男も、そうだったのかもしれない。
「けっ、闇エルフの子が」
 すれ違いざまに吐き出していった男にエリナードの険しい眼差し。フェリクスは慣れていてどうも思わなかった。
 またか、程度のものだった、フェリクスには。けれどエリナードはそれがもう許しがたい。フェリクスが慣れている、その事実が。
「おい、待てよ」
 呼び止めれば舌打ちをして止まる男。止まるということは、すなわち悪いとは微塵も思っていないのだとエリナードは思う。現にふてぶてしい表情だった。
「なんだよ。堂々とそんなモノ連れて歩きやがって。あぁ、貸してくれるってか?」
 さっとエリナードの顔色が変わった。ちょうど近道をしようと路地に入ってしまっていたのも都合が悪い。フェリクスはそっとエリナードの腕を引いたけれど、彼はにこりと師に微笑む。笑顔で腕を外し背中に庇う。
「あんた、なに言ってんのか、わかってんだよな?」
「わかってるぜ。だからなんだってんだよ。やらせてくれんならさっさと寄越せ――」
 確認などしなければよかった。エリナードは笑みを浮かべたまま一歩を踏み出す。闇エルフの子にとって、これは日常のことなのかもしれない。だからこそ、許せない。
「てめぇなんかに触らせるか!」
 言葉で嬲られるのすら忌々しい。フェリクスへの暴言は我が身に加えられるより遥かに気分が悪い。距離を詰めたエリナードだったけれど男は冷笑するのみ。細身の若い男になにができるとばかり。
 男は知らなかったのだろう、星花宮の魔術師は肉体の鍛錬も積むのだとは。一瞬で喉元を掴まれ締め上げられた男の目が見開かれる。
「どうせ……っ、闇エルフの子なんか、やらせる、しか。能がねぇってのに! なに庇ってんだかな、青いもんだ……!」
 だがしかし、男は止めなかった。息苦しさを振り払うよう、暴言を繰り返す。フェリクスはその時点で訝しく感じていた。この顔を見て星花宮のフェリクスと知った上で暴言を吐く、それがまず怪訝なことでもあるのだが。
 ――王城出入りの商人かなにかってところかな。それが出入り差し止められて腹立てたって感じだとすると納得がいくんだけど。
 八つ当たりの対象としては相手が悪いとしか言いようがないが、城の関係者として悪口の一言くらい言いたくなったのでは、とフェリクスは想像する。のんびりと考えごとをしているのは、あまりにも慣れすぎているせい。
「……いい覚悟だ」
 その慣れが、油断を生んだ。はっとしたときにはエリナードが拳を握っていた。締め上げられ、動けない男をエリナードは力の限り殴り飛ばす。細身の青年の拳と侮った男は、けれど路地の奥の壁まで吹き飛ばされていた。強烈に打ちつけた背中に呼吸が止まる。
「エリィ、その辺にしときなよ」
 まだも男に向かおうとするエリナードの背中に言うフェリクスだったが、可愛い弟子は聞こえた素振りも見せない。本当は、少し嬉しくも思ってしまっていた。この自分をこうして庇って怒ってくれるエリナードが。
「てめぇのイロかよ。どうせ闇エルフの子は――」
 蛙を握ったような音がした。エリナードば男の腹を踏んだだけ、それも軽くにしか見えない。重みがかかっているなど、とても。それなのに男は身じろぎ一つできず呻くだけ。
「リオン師って葡萄酒お好きでしたよね」
 その男を見据えたままのエリナードだった。口許には笑みさえ浮かんでいる。はじめて男は正気になったのかもしれない。額に滲む脂汗。
「だと思うけど、どうしたの」
「この前キャラウェイ卿からいいのを頂戴したんですよ。それ持ってお詫びに伺うことにします」
「よせエリナード!」
 フェリクスが彼の名を正しく呼ぶのはよほどのことだった。エリナードはフェリクスを振り返ることはせず、踏んでいた足を上げる、逃れようと男が動く一瞬前、振り下ろされた足は過つことなく男の股間に。悲鳴も上がらなかった。それでもエリナードは止めない。喉首を掴み、頬を張り飛ばす。
「誰が逃すかよ」
 白目を剥いて失神した男を回復させ、エリナードは笑っていた。許さないと。フェリクスに対する暴言をこんなことで許す気は更々ないと。その腕、フェリクスが触れた。師の手が男の近くにあるさえ不愉快で、エリナードは舌打ちして男を放り出す。
「エリィ」
 軽く腕を引き、エリナードの注意も引く。男にはわからない。フェリクスには、わかっている。エリナードはいま軽い暴走状態だ。未熟な若き魔術師としては感情の制御がうまくできなかったのだろう。
「可愛い僕のエリィ」
 振り向いたエリナードの頬、背伸びをしたフェリクスが両手で包んだ。痛みに冷たい汗を滴らせる男は逃げられない。そんな余裕はないと見定めたフェリクスの笑み。真っ直ぐとエリナードただ一人を見ていた。
「そんなに怒らなくていいんだよ。僕なら平気なんだからね。もう大丈夫だよ、可愛いエリィ」
「怒ります」
「僕は慣れてるからね、気に――」
「しないわけないでしょ」
 言葉を奪って、しかし少し冷静さを取り戻したエリナードだった。それと見てとったフェリクスがほっと息をつく。心配させてしまったと苦笑するエリナードの魔力が男を地べたに押さえつけていた。
「ほんと、そういうとこばっかり器用になって」
「腹が立ってますから」
「こんなこと一々気にしてたら身が持たないよ」
 フェリクスには、そのようなものなのかもしれない。それが腹立たしい、否、哀しいエリナードだった。目の前で微笑む師の小さな手、愛しげに髪を梳いてくれた。
「あなたがね、こうして僕のために怒ってくれる。それは……あんまり言うべきじゃないとは思うんだけど。想像以上に嬉しいよ」
「……師匠」
「だけどね、可愛いエリィ。それであなたが犯罪者になったら、僕は悲しい。わかる?」
「……わかりますけど。だからといって放置はできない」
 唇を引き締め、エリナードは男を見下ろす。苦痛に蒼白になった男。今更ながら誰に喧嘩を売ったか理解したらしい。エリナードは物も言わずに股間に踏みにじる。
「だからエリィ!」
「こういう屑がいるから、世の中はよくならない。いや、世の中がどうのなんて知ったことか! 俺の大事な師匠になにほざきやがったてめぇ!」
 暴走は収束し、そして新たになったエリナードの怒り。痛みに失神することもできなくなった男こそ哀れ、とはフェリクスも言わなかった。
 ――慣れちゃ、だめなんだね。
 人間の暴言を聞き流してきたから、エリナードがいまこうして怒りを見せていると言っても過言ではない気がした。彼を守りたいのならば自分が変わらねばならない。フェリクスはそっと内心に誓う。世の中など、変わるものではなかったけれど。それでも少しは。
「おやおや、とんでもないことになってますねぇ」
 のんびりとした声にエリナードもさすがに振り返る。ちらりと師を見れば、致し方なくリオンを呼んだとその目にあった。
「あー、リオン師。その」
「なにがあったんです? あなたのことですからねぇ、どうせフェリクスが何か言われたんでしょうけれど」
「反論がしにくいです!」
「おっと、そのままでしたか。それは予想外です、私」
 にこにことした神官の温顔。口から泡まで吹いている男は神官服を着た男性の登場にかすかな希望を持っただろうに。神官は男を気に留めもしていなかった。
「それで、これ。どうするんです?」
 フェリクスに向けリオンは言う。そこに割って入ったエリナードだった。師は悪くない、怪我をさせたのは自分なのだからと。それにはリオンも苦笑していた。
「あとできちんとお詫びは持参します。非常に不本意なんですが、治癒をお願いできませんか」
「ん? 治すんです?」
「……個人的には治さなくてもいいと思いますけど! 師匠が治せって顔してるんで、致し方なく!」
「いまざっとフェリクスから概略だけは聞きましたけど。別に治さなくていいんじゃないですかねぇ。こういう輩は」
「……リオン師」
「なんです?」
「神官がそれ言っちゃだめでしょう!?」
 人間の善なるものを信じるのが神官だろう、慌てるエリナードにリオンはにやりとして見せた。またかと呆れたフェリクスの冷ややかな眼差し。
「とりあえず、この男はフェリクスをフェリクスと知っていて暴言吐いたわけですよね?」
「じゃなかったらあの言葉は出てこないはずです」
 幻影をまとっていたフェリクスなのに闇エルフの子、と言ったのだから。エリナードの険しい顔におっとりとリオンは微笑む。
「なら、そうですね。フェリクスは宮廷魔導師ですし、宮廷魔導師は国王陛下のものですし。つまりこの男は国王陛下に対して暴言を吐いたも同然なのですよねぇ」
「さすがにそれは言いすぎだよ」
「そんなこともないですよ? もう少し穏便に済ますにしても陛下の剣に唾吐いたも同然、程度ですね」
「まぁ、それなら許容範囲かな」
 リオンとフェリクスのやり取りに男は紙より白くなっていた。闇エルフの子にちょっと嫌がらせを言っただけであったのに。
「なぁ、あんた。あのな、自分がやられて嫌なことは人にするなっておふくろさんに言われなかったか?」
「う、うるせ……っ」
「そりゃな、師匠は人間じゃねぇよ? 闇エルフの子なのは間違いねぇわ。だけどな、人間とおんなじように腹も立つし笑いもする。この人を侮辱されりゃむかつくやつだっている」
「あなたを筆頭にねぇ」
「一番はタイラント師でしょうが!?」
「リオンが正しくない? タイラントよりあなただと思うよ」
「これはまた珍しい。あなたが率直に同意するとは。雪でも降りますかねぇ」
「降らせるよ?」
 この時期にやめろ、エリナードの呆れた声音。それに微笑んだフェリクスだった。ちょんとエリナードの裾を引く。なんだと思う間もない。実に嬉しげに腕を組まれてしまった。
「ねぇ、リオン。あとは頼んでいい?」
「さて。どうしましょうかねぇ」
「お土産くらいは買ってきてあげる。僕はいまとても機嫌がいいからね」
「はいはい、わかりましたよ。あとは承けましょう」
 ひらひらとリオンが手を振る。さっさと行けと言っている様子だがエリナードは釈然としない。首をかしげている彼にリオンは笑う。
「逢い引きの続きをするといいです。止めません、私」
「リオン師!?」
「じゃ、頼むね」
「って師匠!? 否定しろよあんた!?」
 くすくすと笑うフェリクスに半ば引っ張られ、エリナードは路地を出て行く。仕方ない人たちだな、微笑むリオンの目が一転、男を見やる。神官の目ではなかった。
 エリナードは男がどうなったか、知らない。だが少し、フェリクスが変わった気がする、暴言には慣れていると肩をすくめるけれど、それでも少し。ほんの少し、彼の心持ちが変わったような気がして。エリナードはそれが嬉しかった。




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