十三歳になったエリナードは王都の通りを弾む足取りで駆けていた。星花宮の弟子として既に業績を残しつつある彼だ。幼くとも魔法に邁進している。きらきらと輝いていた目が通りがかった人に手を振られるなり恥ずかしげにそむけられる。夏の陽射しに輝く金髪の含羞み屋。王都の住人にとってもう見慣れたものになりつつあった。
 正式な弟子とはいえ、いまだ幼い身だ、中々多くのことはできないし、何より強力な魔法になどとても手を出せない。いまは習い覚えたことの発展に苦闘している最中だ。
 もっともその「習い覚えたことの発展」と言うのが転移魔法なのだから四魔導師は総じて頭痛をこらえている。エリナード本人としてはフェリクスのよう、目標点をその場で設定する型の転移はいまだ不能、よって転移点型を突き詰める、と言うだけのこと。
「うん、もうちょっと」
 これを星花宮でやっていてはいくら広い離宮とはいえ場所が足らない。だから王都にまで出てきていた。一応はフェリクスの許可を得ている。無論、エリナードの知らないところでフェリクスが転移点を精査していた。
「全然ね、問題ないどころかね、あの発想力はなんなのさって言いたくなる僕の気持ち、わかってくれる?」
「それ、ただ溺愛してるだけにしか聞こえねェんだけどよ?」
「うるさいな」
 そんなフェリクスとカロルの会話があったなどエリナードは夢にも知らない。エリナードはいま現状の転移点を改革していた。いままでは地面に物理的に描いていた転移点を彼は魔法的に描こうとしている。幸い、いまのところうまく機能していた。
「あとは距離、かな」
 まったく同じものを魔法で描いているだけなのに、どうにもそこがうまく働かない。エリナードの手によって王都中に張り巡らされる結果になってしまった転移点だったが、この改善が機能すれば転移点の数は三分の一で充分だ。
「あそこの改良が機能するといいんだけど。とりあえずやってみるか」
 うん、と一呼吸。転移点、と言うことはここから魔術師が突如として出現する、と言うことでもある。常人に腰を抜かさせないためにもエリナードは人目につかない裏路地だの小道だのを選んで設置していた。
 軽く手をかざせば感じる魔力。いまのところ問題ない、とエリナードはうなずく。さすがに緊張はしている。物が転移だ、万が一、と言うことはある。とはいえ、こんなところで爆発四散の大事故など起こしてはフェリクスに顔向けができない、緊急時には星花宮に転移するよう設定済みだ。
「それは、恥ずかしいからな」
 絶対に避ける。ぎゅっと拳を握ってエリナードは詠唱をはじめた。裏路地の薄暗がりの中でも金髪が光るよう。それが一瞬後には掻き消えた。
 ほっと息をつく。周囲を見回すこともしない。実験中の転移点だ、エリナードは万が一のことを考えて一つずつ番号を振ってある。転移の成功と共にどこに跳んだかわかるように。いま、きちんと思った通りのところに跳んだ。それに思わず笑みが浮かぶ。が、しかし強張った。
「へぇ、あっちこっち周る手間が省けたぜ。なぁ?」
 突然に掴まれた細い腕。何事だと思う間もない。周囲を五人ほどの少年に囲まれていた。いずれも見覚えがある。星花宮の訓練生たち。
「何の用だよ」
 むつりとエリナードは言っていた。いずれ魔力の滞留でも追われたのだろう。王都中にある転移点の魔力を一つずつ見てまわったのかと思えばご苦労なことだ、と笑えてしまう。
 その笑みに少年たちがかっとした。握り潰さんばかりにエリナードの腕を掴む。それにも彼は顔色を変えない。本当は痛いのだとしても、断じて。
「お前、生意気なんだよ。礼儀作法ってもんを教えてやろうと思ってな」
 今度こそ声を上げてエリナードは笑ってしまった。七歳で星花宮に引き取られて以来、何度これを言われたことだろう。自分の態度に本当に問題があるのならばこんな少年たちではなく大勢の一人前の魔術師がたしなめてくる。少年たちに言われることはあっても大人の魔術師に言われたことはないエリナードだった。
「うるさいな、修行の邪魔だから帰って」
 嘆かわしげに言うのが十三歳の子供でなかったのならば。少年たちはここまで激さなかったかもしれない。
 元々エリナードが癇に障る、と思っていた彼らだった。たかが十三歳の子供が星花宮の弟子。自分たちは十五、六歳になってもいまだ訓練生。こんな子供が星花宮の弟子を名乗り、自分たちは違う。それが不快だった。
 正式な弟子ともなれば式典の際には弟子としての衣装をまとい、宮廷に列する。これで実はすでに宮廷の一員でもあるエリナードだった。本人にその自覚がないのだとしても。そんなことはまるで名誉にもなんとも思っていないのだとしても。少年たちは違う。
 圧し掛かるよう、路地の奥に引きずり込んだ。転移点から出現した場所があまりよくはなかった。人目につかない場所、を選んだために治安も最高とは言い難い。さすがに総がかりで引きずられてしまってはエリナードにもなす術はない。
 それがまた、不快だった、少年たちは。これほど小さなエリナードだった。顔を覗き込むのに腰をかがめねばならないほど。同年齢の子供と比べてもエリナードはなお小柄だった。フェリクスの肩までもない。そんな彼がフェリクスと並んで歩いている姿。慈しまれ、弟子と呼ばれる姿。少年たちには間違っているとしか思えない。
 ましてエリナードはフェリクスの弟子。星花宮の弟子、とひとまとめに呼ばれてもそれは制度上のことであって、実際は星花宮に在籍する魔導師の弟子として導かれる者が多数だ。四魔導師の直弟子など数えるほどしかいない。その直弟子に幼くしてエリナードは選ばれた。
「お前は自分が間違ってるんだってことがわかってないのか」
「なにがだよ」
「フェリクス師をどうやってたらしこんだ、え?」
「フェリクス師は闇エルフの子だもんな。そっち方面で蕩かしてたりしてー?」
「闇エルフの子でも堕ちるような体ってのを見せてもらおうじゃないかよ」
 ひどく下卑た声だった。エリナードは自分のことをどう言われようが、究極のところどれほど反感を食らおうがどうでもよかった。ただ一点、彼らは許されないことをした。
「――師匠のことをどうこう言うな。お前らが口にしていいことじゃない」
 一瞬だけ少年たちは気を飲まれた。エリナードがイメルとじゃれている場面を彼らは見ている。普段は引っ込み思案なくせ、友達といるときだけは口の悪い子供。そのエリナードにどれほど罵られようが気にしないだろうと思っていた彼ら。いまのエリナードは罵るでもなく静か。氷のように。
「はっ。うるせえな、やっちまえ」
 首謀格の少年が顎をしゃくる。かすかに強張り引き攣った口許。恐ろしかったのかもしれない、彼が。けれど、否、だからこそ、彼らは動く。エリナードを両側から拘束し、にやにやとその前に立つ。エリナードは真っ直ぐと見つめ返した。
「ほらよ!」
 藍色の眼差しが貫くようだった。ただエリナードは見ていただけだ。それなのに。恐怖に駆られた一人がエリナードの着衣を引き裂く。耳障りな音がした。それでもエリナードは動かない。
「へぇ、コドモの体ってのも悪くねぇよなあ」
 現れた素肌にぬめぬめと手が這う。わずかに顔を顰めてしまった。それに少年たちが嬉しそうな歓声。エリナードは感触が嫌だったのではない、いまだ幼い自分を情欲の対象にされたことが不快。
「すべすべじゃん。お前だって悪くねぇんだろ? キモチイイことしてやるからよ」
 両腕を拘束している二人から伝わってくる羨ましそうな気配。吐き気がする、とエリナードは内心で舌打ちしていた。
「おら、しっかり掴んどけよお前ら! 脚もだ! 手伝えよ、そっち。ぼけっとすんな!」
 首謀者がエリナードを撫でまわしながら命じていた。期待に目を輝かせた別の二人が今度は足を掴む。さすがにエリナードも強張った。
「びくんってしたよな? ご期待に添ってやるから、よ!」
 一息に脚衣を裂かれた。見ればいつの間にか手には短刀がある。道理であっさりと切られたわけだ、と妙に納得するエリナードだった。
「ほら、怖いだろ? おとなしくしてりゃ気持ちよくなるからよ」
 ぴたぴたと短刀の刃で頬を叩かれた。これが星花宮の訓練生かと思えば泣けてくる。町の無頼のほうがまだ上品だ。溜息をつくエリナードの頬、うっすらと刃が薙いだ。皮一枚だけ切られたのだろう、ほんのりと熱い。血が滲んだのを感じる。それでもエリナードは怯みもしない。再び溜息をついては言い放つ。
「変態どもめ」
「なんだと!?」
「変態だって言ったんだ。子供の俺になにするつもりだ、え? こんなガキに欲情してはぁはぁ言って。変態以外のなんだって?」
「てめぇ!?」
 引き裂かれていた服が更に裂かれる。これで往来に出られない有様だ、思った自分を小さくエリナードは笑う。その笑みに少年たちは更に煽られる。
「ガキに欲情するようなド変態だとしても、言っていいことと悪いことの区別くらいつけろ。ばーか」
「な……!」
「師匠がなんだ? 闇エルフの子だからなんだって? それ、師匠の前で言えよ。ほらよ、言ってみろよ。言えねぇんだろうがよ!」
 言い様に腕を振りほどく。あっと思ったときには振りほどかれてしまった少年が愕然とした顔をする。無論、幼いエリナードが力ずくでしても敵わない。魔力を上手に組み合わせていた。わずかな畏怖が彼らに浮かぶ。だからこそ、彼は星花宮の弟子なのだと。
「い、言ってやるぜ! あぁ言ってやるぜ!」
「馬鹿じゃねぇの? それ言ったらお前、叩き出されるだけだぜ? お先真っ暗だな、訓練終了もせずに放り出されたら」
 はん、と鼻で笑った。その言葉に二人ほどが青くなる。ちらちらと首謀者格を窺う眼差し。エリナードは突破点はあそこか、と思い定める。腰が定まっていないのならば突き飛ばしてでも逃げられそうだ、と。
「馬鹿にしやがって――!」
 その一瞬を突かれた。はっとしたときには短刀が目前に。咄嗟に魔法を発動。するはずが、わっと少年たちに取り押さえられる。後年の彼ならばともかく十三歳の子供には荷が重い。
「いまだ!」
 引き裂かれた衣服をまとわりつかせたエリナードをよってたかって拘束していた。ぐい、と顎が持ちあげられ、喉が露出する。
「離せ!」
 ぬかった、エリナードは臍を噛む。さすがに恐怖を覚えていた。おかげで声に魔力が乗る。喉に達する刃の感触。消えた。
「……そう。いい度胸だね、あなたがた。何をしているか、わかってのことだね?」
 かつんかつん、と足音。姿より先に魔法が飛んできた。フェリクスの魔法によって弾き飛ばされた短刀。からからと路地の奥で音を立てた。
「あ……」
 みるみるうちに青くなっていく少年たち。よもや見つかるとは思ってもいなかったのだろう。見つかって怒られると思うくらいならばやらねばいいのに、とエリナードは顔を顰める。
「僕らはあなたがたに善悪を叩きこんできたつもりだ。やっていいこと悪いこと、十五歳にもなって判断がつけられないとは言わせない」
 ゆっくりとした足取りのフェリクス。ぴたりと止まった、少年たちのだいぶ前で。いまだエリナードを拘束していた彼らが悲鳴を上げて手を離す、フェリクスは何もしていなかったにもかかわらず。
「今更だね。見つからなかったらどこまでしていた? 小さな子供に何をするつもりだった?」
「ぼ、僕は――」
「言い訳無用。そこにそうして在る、と言うだけですでに罪はある。脅された? 冗談でしょう。進んで仲間になったはずだ」
「ちょ、ちょっと――」
「痛い目にあわせるだけのつもりだった? 刃物を持ち出した時点で言い訳はきかない」
 フェリクスの冷たい眼差し。こんな目で子供を見る人ではない。少年たちははじめて怒り狂うフェリクスを目の当たりにしていた。
「そ、そいつが生意気で……! 僕たちはまだ訓練生なのに、そいつばっかり……!」
 首謀格の少年の叫び。本心だっただろう。かつてイメルも幼いころにいじめを受けていた。境遇の変化や、魔力への戸惑い。なぜ自分ばかり。そう思う気持ちはフェリクスももちろん理解している。だが十の子供が八つの子供をいじめていたのとはわけが違う。
「そいつがフェリクス師に贔屓されてるから、だから――!」
「贔屓? そう思っているからあなたがたは訓練を終えられない。あなたがたは何を学んだの。何を見て、何を聞いてきたの」
「だって!」
「羨むなら、見返す努力をしたらいい。他人を妬む前に自分を省みたらいい」
 それができるくらいならば彼らはこんなことはしなかった。冷静にエリナードは見ている。それだけ、彼は正しく「星花宮の弟子」だった。狂乱する少年たちと、静かな師。その間でエリナードはじっと見つめていた。
「悪戯は奨励している。どんどんやったらいい。なぜか、わかるか。そこから善悪を学んでほしいからだ。エリナードが目障りな気持ちも理解はしよう。少々の嫌がらせは見逃す。本人も気に留めないだろう。でも、これは違うね?」
 普段のフェリクスならばここでふっと微笑む。いまはただ静かな表情。少年たちをじっと見据えていた。単に静かなのではない、その怒りの大きさ。傍らで彼らが震えているのをエリナードは感じる。
「あなたがたはエリナードの努力を知っているの。知らないでしょう」
 吐息のよう、フェリクスが首を振る。これ以上怒りを見せてはならない。少年たちのために、何より暴走しかねない。エリナードに無様を見せたくはない。その思いだけでフェリクスは呼吸を整える。
「エリナードは血の滲むような努力をしている」
「だって、こいつは……。いっつも浮き浮きしやがって……努力なんか……!」
「努力は他人に見せるものじゃないでしょう。人に見えないところで重ねるものだ。見せびらかしてどうするの。これだけやったんだから評価してくださいとでも言うつもり?」
 息を飲んだ少年の一人、ちらりとエリナードを見やってきた。エリナードはどうしたものか、と困っている。ここまで褒められるとどうしていいかわからない。ほんのりと頬を染めたエリナードに少年たちが愕然としていた。理解ができないと。何か別の場所を歩いているのだと。
「努力に努力を重ね、エリナードは血塗れになりながら魔道を歩いている。血塗れになってることにすら気づかない困った子でもある。――あなたがたにその覚悟はあるの。それが魔道を歩むと言うこと。その覚悟がなく他人を羨むから、あなたがたは訓練を終えていない。それでこんなことをしでかしてくれたとはね……」
 幼いころから手元に置いて導いてきた子供たち。魔道を歩かずとも真っ直ぐと生きてほしいと願うからこそ育ててきた子供たち。幼いエリナードが高みにひとり上って行く、その嫉妬はわかる。けれどその表し方だけは、受け入れがたかった。
 ふっと彼の口許に笑みが浮かぶ。冷え冷えとしたそれに後ろに下がりかけ、いまだエリナードを取り囲んだままだと気づく。慌てて服を直してやろうとしても切り裂き引きちぎられた服だった。それにフェリクスが目を眇め、息を吸う。そのときだった、エリナードが走り出したのは。
「師匠!」
 ぼろ屑同然になってしまったものをまとわりつかせ、エリナードはフェリクスに駆け寄る。助けを求めてのことではなかった。半裸のままフェリクスに飛びかかる。
「師匠、俺なら、大丈夫です。ちょっと気分の悪いことされた、それだけです。大丈夫」
 背伸びをしてフェリクスの首に腕を投げかけては抱きしめる。フェリクスは無言のまま。小さな手が師の頭をぎゅっと抱いた。
 淡々とした呼吸が耳元で聞こえていた。ただ、それだけ。エリナードは必死になってフェリクスを抱き続ける。いくら弟子として認められているとはいえ、いまだ十三歳の子供でしかない。フェリクスがいま何を考えているのかまで察することはできない。
 その怒りの大きさも、理由も。本当のところでは理解できない。それでもただ一つ、わかっていることがある。心のままに暴力を振るって後悔するのはフェリクスだと。
 少年たちは動けもせずそれを見ていた。フェリクスの伏せられた眼差し。向けられてもいない視線を感じては震えが酷くなる。その中で思う。自分はあのようにフェリクスを止めることができるかと。四魔導師の前、体を張ってその怒りを止めることができるかと。ぞくりとした。ざわつく身のうちに一人が口許を押さえる。あっという間に嘔吐は連鎖した。
 それにも気づかずフェリクスは佇み続けている。エリナードは腕が痺れるのもかまわずフェリクスを抱き続けた。普段の彼ならば子供が吐いていて心配しないなどあり得ない。いまの師は少々怒りが激しいだけ。冷静になればきっといつもの師に。
「そんなに怒らないでください。俺なら、大丈夫だったんですから。師匠、言いましたよね? 俺は自分が血塗れになってても気づかないって。たぶんきっとそのとおりです。だって、触られて気分悪いな、くらいにしか思ってませんから。こいつら馬鹿だなぁ、くらいにしか思ってませんから」
 だから心配しないで。本当になんでもなかった。言い募るエリナードの声をフェリクスは聞いていた、ただ、聞いていた。いまのエリナードにはなぜ自分がこれほどの怒りを見せたか理解はできないだろう。いずれ話す日が来るか。そう思ってはそっと目を閉じる。温かな弟子の腕。不安になっているのだろう、心の奥にまで届けと言わんばかりの声。未熟な弟子の身とあっては制御ができなかったのだろうエリナードの魔力を全身に感じていた。
「師匠?」
 ふっと緩んだ呼吸。エリナードは感じる。ようやくぽんぽん、と背中を叩いてくれた師の腕。エリナードも息をつく。
 少年たちは見ていた。間違いなく殺される、そう思っていた。フェリクスの怒りを眼前に、彼らは命の恐怖を覚えていたものを。エリナードがフェリクスに呼びかけるにしたがって、すう、と静まっていくフェリクスの気配。ぴりぴりと肌が痛むほどの殺気が消えて行く。和らぎを取り戻したフェリクスの目、けれど厳しいままに少年たちを見やった。
「師匠!」
「過激なことはしないよ、大丈夫。って、これじゃどっちが師匠かわからないじゃない? 心配しないでいいよ、可愛いエリィ」
 言いながらフェリクスはどこからともなく取り出した上着でエリナードを包む。ずいぶんと大ぶりだったから彼のものではないだろう。
「あのねぇ、フェリクス。人の物を持って行くなら行くで理由くらいおっしゃい。……おやおや? なるほど、理由を言っている暇はありませんでしたか」
 のんびりとした声だった。優しい声音だった。目だけが酷く冷たい。リオンがそこにいた。エリナードの惨状と少年たちの姿に何があったか察したのだろう。
「大柄な男に当てがなくてね」
 ふん、と鼻で笑いフェリクスはきっちりとエリナードを包み上げてしまう。リオンの上着であってもさすがに完全に包む、とはいかない。それでも無惨は隠せた。
「ねぇ、リオン。僕はとても怒っている。だからあなたに任せてもいい?」
「つまりそれは自制心に自信がない、と言う大変気分の良い表明、と言うことですね?」
「言ってろ。エリィの前で大虐殺は避けたいだけ」
 はっきりと殺す、と言われた少年たちにエリナードは視線を向ける。真っ青になって震えていた。顔を戻してはちょいちょい、とフェリクスの袖を引く。
「ん、なに?」
「あの……それは、ちょっと。気持ち悪かっただけですから。大丈夫でしたから」
「そう言う問題じゃないんだよ、エリィ。今回のあなたは、大丈夫だったとしても、次の誰か、が大丈夫な保証は? ないでしょ」
「でも――」
「繰り返す可能性の高い愚か者への処置なんて一つだけだ」
 大人になったエリナードならばそれはフェリクスの演技、とわかっただろう。少年たちに聞かせるための言葉、と。公式な処刑ですらできれば避けているフェリクスだと、いまのエリナードはまだ知らない。
「ま、とはいえ一応は前途ある年齢ですからね。こちらで対処しましょうか?」
「……あなたが責任を負えるの。そいつらが何をしたか、わかってて言うの」
「はいはい、わかってますよ。とんでもない愚か者が我々の支配下にいたものだと頭痛がするより先に涙が出そうですよ? ですのできっちり痛い目は見せておきましょう。それでだめならばあとはまぁ……ね?」
 ふふ、とリオンが笑った。震えて互いに誰かを押し出しあっている少年たち。リオンが見るなりぴたりと止まった。
「そう。じゃあ、任せるよ。頼むね、リオン。エリィ、帰るよ」
「ちょっと師匠!」
「なにさ?」
 フェリクスの、正直に言えばほっそりとした腕にエリナードは抱き上げられていた。成人男性としても小柄なフェリクスだ、いくら平均より小さいとはいえ十三歳の少年を片腕で抱き上げるには無理がある。
「こんなことに魔法使わなくっても」
「こんなことだから魔法を使うの。帰ってお風呂入るよ。隅々まで洗うからね」
「自分でしますから!」
「うん、できるのは知ってるよ。そこまでちっちゃな子供じゃないものね、あなた。でも僕がいや。師匠の我が儘だと思って我慢しなよ」
「なんて言い分でしょうねぇ? エリナード、あんまり無理をすることはありませんよ。――ほら、珍しくあなたから依頼の言葉までもらいましたからね、さっさとお行きなさい。こちらはもういいですから」
 物言いたげなエリナードをリオンが笑う。なんとも言えない表情の弟子をフェリクスはちらりと見やる。もう乾いている頬の傷を指で拭えば照れた眼差し。息をつく思いでフェリクスは星花宮へと帰還する。
「さて、あなたがた。覚悟はできていますね?」
 呼吸の合間にすらなっていない素早さでリオンが少年たちを拘束した。そのままリオンもまた星花宮へと。
「ま、あの場でしてもよかったんですけどね」
 転移したのは星花宮ではあるだろう。けれど少年たちにはわからない、使っていない部屋らしいとしか。温顔のままのリオンが一言でハルバードを出現させ。
「これで命を刈り取ろう、なんて思ってませんよ? ご心配なく」
 もっと酷いことをする、リオンはにこにことしたまま言った。震える少年たちに容赦はできない。
「なに、簡単です。あなたがエリナードにしたことをそのまま体験していただきますよ。あのような暴力がどれほど恐ろしいものなのか、自分で味わうといいです」
「あ、あいつは……怖がってなんか……!」
「なるほど、言い返しますか。反省の色はなし、と。では、さようなら。元気で再会できることを願っていますよ」
 微笑みつつリオンは詠唱した。魔法で拘束された彼らは動けない。ハルバードを一振り。そして絶叫。身もだえる少年たちをリオンは冷ややかに見下ろす。
「自分がやったことを体験しているだけでしょうに。そこまで怖がりますかねぇ?」
 首をかしげリオンは部屋を後にした。扉には厳重な封印を。義憤に駆られた誰かが解呪したりしたら目も当てられない。かえって危険なことになってしまう。溜息まじりリオンはカロルへと報告に向かって行った。
 その頃、星花宮の共同浴室で悲鳴が響いている。石造りの浴室だけに殊の外よく響く。
「師匠! 大丈夫ですから! 自分でできますから!!」
 ちょうど身体の鍛錬を終えて戻った訓練生がおろおろと浴室の前で困っていた。さすがに中に誰がいるか見当はついている。そこに踏み込む勇気があるものはいなかった。




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