カロルが城中で素顔をさらすようになってずいぶん時間が経っている。それでも誰しもが一瞬立ち止まっては彼の横顔に視線をすえた。
 冷たく淡い金の髪が肩先で揺れる様、きつく結ばれているわけでもないのに引き締まった赤い唇。鮮烈な翠の目。一度はその目に留まりたい、と男女を問わず彼を追う。
「鬱陶しいですねぇ」
 隣を歩くリオンがぼやく。カロルはそれに舌打ちを返すだけだった。答えるまでもない、そういうことかもしれない。
「もうちょっとなんとかなりませんかねぇ、あれ」
「なるんだったらとっくになんとかなってんだろうがよ」
「あなた、なんとかする気。ありません?」
「……していいのかよ、あん?」
 翠の目が閃いてリオンを見上げた。射抜かれたようリオンは立ち止まり、すぐさま足を進めなおす。カロルに実力行使を許しては死体の山が量産されるだけだ、と気づいた。
「無視しとけ。それに限る」
 言ってカロルは一人うなずいている。その背を視線の波が追いかける。溜息の風が追いすがる。
「見た目って恐ろしいですねぇ」
 思わず呟くリオンだった。カロルがどういう男か知っての上で憧れるのならばまだいい。城中に伺候する男女のほぼすべてが彼と言う人を知らないまま、その姿形にだけ憧れを抱いている。リオンにとっては不快なことだった。
「テメェも最初は見た目に騙された一人だろうが」
「そうでもないですよ。言いませんでしたっけ?」
「この面が好みだとかぬかしやがったのはよく覚えてんぜ」
 小声で交わす会話が他人に聞こえなくて幸い、と言うべきだろうが、いっそこれが聞こえてしまえばカロルに幻滅してくれるのではないかとまでリオンは思ってしまう。
「おいコラ、ボケ坊主」
「なんです?」
「なに苛ついてやがる」
「え――」
 普段どおりのつもりだった。少なくとも、普通を演じているつもりだった。
「カロル……」
 それでも彼には無駄だった。自分のことを理解してくれている、それがこの上なく嬉しい。思わずほころんだリオンの口許にカロルは舌打ちをする。
「なに気色悪ィ顔してやがる!」
 城中だということを忘れたカロルの拳がリオンの脇腹を打つ。乾いた音を立ててリオンの片手に防がれた。
「痛いじゃないですか、もう」
「あたってねェだろ」
「手が痛いです」
 実にもっともなことを言い、誰かが聞きつけてはいなかったか、と辺りを見回すリオンだったが、不幸なことにいまの場面を目撃したものはいなかったらしい。知らず溜息が漏れた。
「おいコラ」
「はい?」
「あのな……」
「だから、なんです?」
 珍しい性急な問いかけにカロルが苦笑を漏らす。それに自分で思っているよりずっと苛立っていることを知るリオンだった。
「テメェ、どうしたい?」
「なにを、です?」
「この状況を、だ。それくらいわかってんだろうが。ウゼェ野郎だな」
「そう言われましてもねぇ」
 その実、考えていることはある。のらりくらりと言い逃れているより、いっそ言ってしまえばいいのだが、それはそれでカロルを怒らせそうで気が気ではない。
「さっさと吐け」
 にやり、見上げてきた翠の目が笑っていた。この色合いを見ることができるのは自分ひとり。そう思えば満足だ。だが、そう思った途端に視界に人影が入り込む。まるでカロルのような舌打ちをした。
「言うだけ言ってみていいですか」
「だからとっとと吐きやがれって言ってんだろうが、このうすらボケが!」
「わかりましたから、そう大きな声を出さず。ね、カロル。私と結婚してくれませんか」
 言った瞬間だった。あたかも城中の物音すべてが絶えた気がする。カロルがぴたりと足止めた。言うまでもなくリオンもそれに従う。
 にこり、と笑ったカロルを見れば彼の本質たる炎に焼き殺されるかと思った。
「テメェ、正気か」
「少なくとも自分で気が違ってる自覚はないですねぇ」
「んなもんあったら、おかしくなってるたァ言わねェんだよ!」
「もっともです」
 飄々とうなずくリオンの襟首を掴みカロルは彼を睨み据えた。いつもどおりの彼だった。少なくとも他人の目には。カロルにはこの数日でリオンの苛立ちが頂点に達しているとわかっている。夜空のように煌いている黒い目も、今日は淀んで濁っていた。
「結婚って言ってもね、他に言い様がないからそう言っただけで、別にあなたにウェディングガウンを着ろ、とかそういうことじゃないですから。そんな趣味はないですし」
「誰が着るか!」
「だからわかってますって。一言うんって言ってくれればそれでいいんです。気が休まります、私」
「つまりあれか。俺はテメェのもんだから手ェ出すんじゃねェって宣言したいってことだな?」
「そこまで贅沢は言いません。あなたに対して所有の宣言をするなんて……そんな恐ろしい」
 からりと笑って言うくせに、リオンの声には苦痛が滲む。そこで我慢をするくらいならばいっそ言えばいいと思うのだが、カロルもまた本心、というものを表現することが苦手なのはリオンと同じだった。
「おいボケ」
「はい」
「言いたいことがあんだろ。全部言っとけ」
 いまだ掴まれたままの襟首を揺すられた。呼吸の苦しさにうめきつつ、リオンは笑っていた。完全に見抜かれていた。
「言うだけですよ? 贅沢だなぁと思うんですが。一緒に我が女神の前で愛を誓ってくれたりすると、とっても嬉しいです、私」
「そんなこと――」
「しなくっても、愛されてるのはよく知ってますよ。だから言ったじゃないですか、贅沢だって」
 何事もなかったかのよう、リオンが足を進めようとする。咄嗟に袖口を掴んで引き止めてカロルは無様さに赤面したくなってきた。
「カロル?」
 この掴みどころのない淡々とした表情が、温和な笑みが許しがたい。きゅっと唇を引き結び、カロルは笑った。
「求婚するってんなら贈りもんの一つも持ってきやがれ」
「え……」
「俺が欲しいもん、わかるよなァ? 見事当てて見せたら、女神の祭壇の前でもなんでも一緒に行ってやる」
 せいぜい意地悪く言ったつもりだった。が、リオンの目が煌いたのを見てしまっては、意地悪だったのかわからなくなる。その目がとても、嬉しかった。

 それから数日と言うものリオンは悩みに悩み抜いた。カロルが欲しがったものが何か、見当はついている。見当どころではない、わかっている。
「本当にこれですかねぇ」
 それでも自信がなかった。万が一違っていたとしてもカロルは笑って受け取ってくれるだろう。嫌味のひとつも言いながら。
「それでもねぇ」
 リオンは手の中の小瓶を弄びつつカロルを探していた。決して間違えているとは思っていないが、この上考え続けていては袋小路に嵌るだけだと自制して部屋を出てきたのが数時間前。
 カロルがいる場所がわからないわけではなかったけれど、リオンの足は王宮をさまよい続けている。
「これではいけませんねぇ。行きますか」
 ぼんやりときっぱり言う、と言うリオン独特の口調もいまは聞くものがいない。一度小瓶を握り締め、リオンは目指す場所へと歩いていった。
 遠く風に乗って聞こえていた音が、だんだんと近くなる。程なく激しい剣戟の音が響いてきた。王城内にある近衛騎士団の練習場だった。主に剣の稽古をする場所で、演習場と言えるほどの広さはない。三々五々、組になって若い騎士たちが鍛錬に励んでいた。
 その中に異彩を放つ一人の青年。言うまでもない、平服に身を包んだカロルだった。気晴らしの意味もあるのだろうが、こうしてカロルは騎士の鍛錬によく混ざっている。魔術師のローブをまとっていないカロルはまるで美貌の放蕩息子のようだった。
「おう」
 若い騎士の剣を軽く跳ね飛ばし、リオンに気づいたカロルが手を上げる。それに応えて曖昧に微笑ったままリオンも練習場へと入っていった。
「どうした」
「なにがです?」
「なんか変な面してんぞ。なんかあったか」
 酷い言われようだった。普段ならば何事かを言い返しただろうが、今日はどうにも巧く言葉が出てこない。無言でカロルに小瓶を差し出す。
「ふん……。なるほどな」
 緊張に震えかねないリオンを若い騎士たちが遠巻きに見ている。カロルはそんな彼らの視線など気に留めた風もなく小瓶の蓋を引き抜いてうなずいた。
 香油だった。フェリクスを救出に向かった塔の中、まったき闇に包まれたあのときにリオンが出現させた香り。リオンが作り出した幻の橋を渡るとき、カロルが自覚的に眠りの魔法を受け入れると言ってくれたときに作った香り。
「あの……カロル」
「うっせェ。黙れ」
 気に入ってもらえたのだろうか。間違っていないと思う。彼が欲しかったのは、これだと。それでも不安が付きまとう。
「カロル……」
「手ェ出せ」
「はい?」
 突然の言葉にきょとんとしつつリオンは片手を差し出した。それにカロルが莞爾とする。リオンが出した手は、武器を取る手ではなかった。左手にちらりと目をやり、カロルは目を細めた。
「目ェつぶれ。歯ァ食いしばれ」
 厳しい声に、リオンは従った。思いめぐるのは間違っていた、ただそれだけ。悄然としたリオンが目を閉じるなり、カロルの手が差し出されたままのリオンのそれに触れる。
 何かが、手ではない何かが触った。咄嗟に探る間もなかった。リオンの唇にある柔らかいもの。カロルの唇。
「あ……」
 衆人環視の中、カロルがくれたものはくちづけだけではなかった。
「やる」
 ひらりと片手を振ったそこにあるもの、その指が指し示したもの。リオンの指にカロルの指に。
「もしかして、作ってくれたんですか。カロル?」
「うっせェぞ。黙んな」
 照れ隠しのよう吐き捨ててそっぽを向いたカロルをきつく抱きしめれば罵り声。聞くに堪えない罵詈雑言がこんなにも愛おしい。
「なんだ……あれ――」
 不意に言葉が止まり、カロルは空を見上げる。どこからともなく響く音楽。爽やかな風の音のようなそれが練習場を包み込み響き渡る。
「おやまぁ」
「おい」
「どうやら女神ご自身から、祝福されちゃったみたいです、私たち」
「なんだと!?」
 唖然とするカロルが空を仰げば、音楽が降ってくる。それはいつしか煌く光となり、様々な色合いを宿しては二人を包む。
「なんだって、こんなことしやがんだ、テメェの女神様はよ!」
「それはねぇ。やっぱりあれでしょうねぇ」
「はっきり言いやがれ、このボケ坊主が!」
「うん、やっぱり話の種になるからじゃないかと思いますよ。我がエイシャ女神はお話がお好きですから、ね」
 意味ありげな視線にようやくカロルはここがどこだか思い出したらしい。口を極めて罵る有様に、リオンは目を細めて笑っていた。
 噂はあっという間に王城のみならず街中までをも駆け巡り、以後リオンは大変心安らかな日々を送ることができるようになる。




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