星花宮は宮廷魔導師を育成する。国王の剣であり盾であれとされる魔術師たちは決して触媒に頼るな、と教えられる。万が一の際に触媒がないので魔法が発動しませんでは話にならない。 ――って言ってもな。 用途が限定され、普遍性のない魔法ならば作業の簡略化のためにも触媒の利用は間違っていない、とカロルは考える。 フェリクスのためだった。結果的に彼が起こしたことにもなる塔の迷宮事件、最後には塔は破壊され、暴走した魔力のせいで付近は死の土地だ。フェリクスは努力を重ねているけれど、いまだ解決の目処は立っていない。 カロルもリィ・サイファが残した魔道書の研究を続けてはいるのだが、いかんせんあちらは真言葉魔法時代。鍵語魔法への適応が難しい。なんとか読み取り工夫した策を試すため、カロルは触媒の使用を選ぶ。メロールの了承も得てあった。 そしてカロルはいま、城下町の酒場に。星花宮にも様々な触媒の用意があるが、希少なものはさほど蓄えがない。このようなときに頼るものといえばやはり冒険者だった。シャルマークの大穴が消えても冒険者たちが失業しないのは、こうして頼まれごとをするせいもある。 「あんたが依頼人さんか」 ほどよく混んだ酒場だった。すでに席についたカロルは冒険者を待つ間エールを飲む。ふくよかな丸みのある香りが特徴の、この店特製エールだった。これを飲むためにこの店を指定したと言ってもいいくらい、カロルは気に入っている。 「あぁ、そうだぜ」 振り返りつつ、カロルの眉根は寄せられていた。どこかで聞き覚えのある声なのだが印象が薄い、否、遠い。さて、と考え込むより先に思い出す。 「あんたらか!」 「……は?」 「ほれ、覚えてねェか? 塔の中で会ってんだろ」 「待て、記憶にない。人違いではないのか」 カロルの相手をしているのは精悍な戦士だった。鎧の傷も勇ましい歴戦の戦士風。その傍らに並ぶのはもう一人の戦士。こちらはすらりとした体つきから敏捷性に自信がある型の戦士と見える。彼らの後ろには神官と魔術師。カロルはにやりと笑う。 「おい、あんた。火傷はよくなったか?」 細身の戦士に言えば顔色が変わった。初対面の男に揶揄されるほど噂になっているはずはない話、塔の中での失敗談。羞恥が呼ぶ怒りから彼は剣の柄に手をかけ。 「わかんねェか?」 そしてカロルは顔の半ばを手で隠す。平服姿のカロルの印象ががらりと変わった。それに、最初の男が息を飲む。魔術師が悲鳴を飲む。 「あんた、あのときの!?」 「おうよ。無事に戻れたんだな、あんたらもよ」 「あ、あぁ。いや、だが――」 座れば、とカロルに促され、一行は呆然としたまま席につく。彼らの驚きも無理はない。周旋屋からは宮廷魔導師よりの依頼と聞いてやって来たのだから。酒場を待ち合わせに指定されたときに訝しいものを覚え、いま塔で出会った相手と知り、とにかく彼らは混乱の只中にいる。 「とりあえず名乗っとくか? メロール・カロリナ。宮廷魔導師だ。カロルと呼んでくれ」 周旋屋は真実を語っていたらしい、冒険者たちはぽかんと口を開け、見開いた目の玉が落ちそうな有様。はたと気づいた魔術師がカロルに指を突きつけんばかりに絶叫しかけ、人目があると思い出したか掠れ声。 「こ、黒衣の魔導師!!」 「おうさ。俺のことだぜ。あんときも黒いモン着てただろ」 「わかるかぁっ!」 「別にわかられてェと思ってねェもん」 ふふん、と実に楽しげなカロルだった。たかだかすれ違っただけの名前も知らない赤の他人。一瞬の交錯ではあったけれど彼らが無事に生きていたと知るのはやはり、嬉しく思うカロルだ。 「で、依頼してもいいかい? 冒険者さんよ」 にんまりとしたカロルに彼はいまだ復調ならず、呆気にとられたままうなずいた。さすがに一行を率いている戦士は立ち直った模様、カロルはそちらに概要を語る。 「周旋屋からだいたいんとこは聞いてるか?」 「植物採集だってのは聞いている」 「場所は」 「右腕山脈だとは」 「そこまで伝わってりゃ話は早い」 ちらりと周囲を見回しカロルは口中で呟く。魔術師が身を乗り出さんばかりに耳をそばだてるが、その間もない。カロルの手の中には紙片に保存された押し花標本が。 「見本だ、持っていってくれてかまわねェよ」 「……お預かりする」 丁重に受け取った戦士はそのまま魔術師へと紙片を渡した。彼の方がこのようなことは得手だと、戦士は知っている。それからふと笑みを見せた。 「まだ、名乗ってもいなかったな」 「ん? あぁ、確かに」 気にした風もないカロルに彼は苦笑し、ジョンと名乗る。ついで神官が月神サールの神官ジャックと含羞み、火傷をしていた戦士がジャンだと無愛想に。 「ちょっと待て。なんだあんたら!? わっかりにくいわ!」 「よく、言われる。意図したものではないんだがな」 「わざとだったら頭の中身を覗いてみてェよ。で、そっちの同業者さんまで似たような名前ってこたァねェよな?」 同業、と言われて魔術師の顔が真っ赤になった。ラクルーサが誇る宮廷魔導師団、中でもその名を轟かせるメロール・カロリナからそのように言ってもらえるとは。 「デクストラ一門の」 緊張に魔術師の声が震える。それで仲間たちは納得した、それほどの相手なのだと。到底そうは見えなかったが。当のカロルはデクストラと聞いたときに目を輝かせていた。 「ほほう、デクストラ一門は実践的だよな。ちょっと興味あったんだ」 「ありがとうございます。その、シモウネイ・ジェリーと、言います……」 「お前もか! お前もかよ!」 魔術師の名は師より与えられるもの、紛うことなき偶然に過ぎないのだけれど、よくぞここまで判別しにくい連中が集まったものだとカロルは大きく笑っていた。 「仲間うちでは別に問題が起きることはないからな」 「ジャック宛の伝言をジャンに伝えちまったとか、ねェの?」 「案外ないものだ」 落ち着いたジョンの笑みにカロルは彼らの間に満ちる信頼を見たように思う。手間もかかり、危険でもある探索。彼らならばやり遂げてくれるだろう確信が湧いた。 「参考までに伺っても?」 あのときの口が悪いわりにこちらを案じてくれた男がかの黒衣の魔導師と知ったジェリーは彼からの依頼に興味津々といった顔をしていた。これだから魔術師は、仲間たちが笑うのもよい雰囲気。 「なんに使う触媒か?」 「はい。差し支えなければ」 「別にいいぜ?」 カロルはこのような雰囲気が嫌いではない。いままでは星花宮内でもあまり仲間を作ってこなかった彼だった。ひとえに出自の暴露を嫌ってのこと。離宮の中では顔を晒していることもあった彼だけれど、親しく交わる兄弟弟子はいない。 ――ちったァ変わるかな。 隠すべきものはすべて消し飛び、いまではカロルが何者であったのか、宮廷でも知らないものはいないほど。面倒事は増えたが案外と悪い気分でもない。 「結局はあの塔になるんだけどよ」 「待て、それを俺たちに話していいのか」 話しはじめたカロルを慌てて止めたのはジョン、さすがまとめ役だけはあるとカロルはにやりと笑っていた。その眼差しにほんのりとジャンが目許を赤くする。あのときには見えなかったが、こうして素顔を見ればカロルはとんでもない美貌だった。 「それでこそリーダーだぜ。なぁ、どうせ知ってる話だろ?」 にんまりとするカロルに逆にジョンが渋い顔。宮廷の秘密を明かすなと言いたいらしいが、彼らは冒険者。知らないはずがないとカロルは思っている。 「まぁ、な」 「だったら隠す意味もねェ。魔力暴走で荒地んなっちまってな。その回復作業に勤しんでんだがよ」 これが中々難しい、カロルは顔を顰める。難しいという問題なのだろうかとジェリーは呆気に取られるばかり。それは無理難題を言い換えただけにしか思えない。 「こっちにゃ使える手があるからよ」 「それは?」 「リィ・サイファの塔だ。あそこにゃ読み切れねェほど魔道書がごろごろしてるからな」 ジェリーには憧れと言うもおろかな星花宮。だがはじめて自分がかの魔導師団の一員でなくてよかったと思う。畏怖にも近いその眼差しに仲間が首をかしげた。 「ジェリー?」 「いや……一言に魔道書の研究って言うけど、それがまず無理。現代魔法とすり合わせるのが無理」 「そこまで違うもんなのか? 魔法だろ」 「違うんだよ!」 「そうそう。魔法舐めてっと火傷するぜ?」 塔でのことをからかわれたジャンのさも嫌そうな顔を魔術師二人が笑い合う。依頼の話もひと段落し、彼らはこの奇妙な縁に乾杯していた。 「うまいだろ、ここのエール」 「普段はこんな店にはこないからな」 「宮廷魔導師がくるような店かよ」 ジョンとジャンが口々に言うが、カロルもさほど通い詰めているわけでもない。たまに外で飲みたくなるとこっそりくる、そんな店だ。 「でも製法は興味あるな……」 小声で呟いたのは神官のジャック。月神は酒と関係ないだろう、仲間に笑われていた。単なる酒好きらしい。わいわいがやがや、仲間うちに混ぜてもらったような気がしてカロルも楽しい。このところずっと魔道書と格闘していたからよい気晴らしだった。 リオンが見たのは、そんなカロルだった。見知らぬ男たちと酒杯を重ねて笑い合う彼。用事もないのに探しにきた身とあれば黙って引き下がるべきか。苦笑と共に踵を返そうとしたそのとき。 「ん?」 カロルに気づかれてしまったリオンの苦笑が深くなる。手で招かれ、致し方なく彼の元へと。そのリオンの表情にカロルは首をかしげていた。 「こちらも宮廷魔導師さんか?」 一行の長と思しき男に問われ、リオンはどう答えたものかと迷う。正確にはまだ、宮廷魔導師ではない。が、星花宮の一員ではあるリオンだった。 「当たらずといえども遠からずってとこかね。――俺の男だよ」 にやりとしたカロルにさっとリオンの頬に赤味が差した。あまりにも鮮やかなその表情。ぷ、と吹き出したのはジャン。ついでジャックが。漣のよう広がっていく笑いの波。 「さぁて、お迎え来ちまったからな。帰るとするか」 「カロル、そんなつもりじゃないです、私」 「気にすんな、依頼は済んでんだ」 「あぁ、確かに承った。連絡は周旋屋にすればいいか?」 「それが通例だろ? 直で連絡くれてもいいけどよ」 「……お城じゃ面倒そうだ。遠慮しとこう」 肩をすくめたジョンを仲間もカロルも笑い、そしてカロルは席を立つ。店員に金貨を指で弾き彼らの分もついでに支払う。 「奢ってもらった分は仕事に反映させとこう」 偉そうに言うジャンをたしなめるジェリーに軽く手を振りカロルとリオンは店を出た。傍らの男を見上げカロルは小さく笑う。 「部屋帰って酒盛りするか?」 「はい?」 「めいっぱい焼きもち妬いてましたって面してやがんだからよ」 「待ってください、カロル! そんな!」 「してたしてた。ほら戻るぜ」 言い訳無用とばかりカロルが笑っていた。足早に並びかけ、リオンは内心かすかに笑う。気づかれていたな、と。その心の声すら聞き取られ、しかしカロルはまだ笑みを浮かべていた。 結局その触媒が役に立つことはなかった。だがしかし別の魔法の触媒として有用だと後にわかる。魔法とはそのようなものだった。そして有用性を発見したリオンにフェリクスが苛立ったとは言うまでもない。 |