「ずいぶん大掛かりだね」 星花宮の一室、カロルの部屋だった。苛々と歩き回る彼を半ば呆れた目で見やりながらのんびり茶を飲みつつメロールが言う。 「……理由は、わかってんでしょうが」 「まぁね」 今日の星花宮は、宮内にある呪文室と言う呪文室が使用禁止となっている。リオンの最終試験だった。 「短すぎる。そりゃ、俺だってわかってますよ。ただね、年月じゃない。あの男はこの十年足らずの間に一人前になってる。そうでしょう、師匠」 「わかってるよ、私はね」 「問題は、わかってねェ馬鹿弟子どもが多いってことなんすよ」 「だから大掛かり?」 「これだけ大掛かりな試験を突破すりゃ文句もねェでしょうよ。ついでに途中にゃ神聖呪文を使わなきゃならない罠も仕掛けてありますしね」 「……それはまた本気で大掛かりだ。どうするの?」 メロールの疑問はリオンに対するものではない。星花宮の最終試験は、試される者の試験終了後に開放されるのが常だった。 挑戦したいと思う弟子は誰でも試すことができる。だからこそカロルはかつてないほど大掛かりな試験をしている。リオンの技量を疑うならば、自らの身をもって試せと無言のうちに言う。 「マルサドの神官の手ェ借りましたよ。神聖呪文の魔法具を作ってあります。希望者にはそれを貸すってことで」 「リオンは自分の力だけで突破するのか。なるほどね。それだったらぐうの音も出ないね」 「そう願ってますよ」 吐き出すように言うのは、リオンがいまだ戻らないせいだ。そう簡単に突破されては師匠として困る。だが、心配は心配でもある。それが苛立ちとなって歩みに表れる。 呪文室と呪文室をつなぐものは単なる転移魔法ではない。発動させる条件も、発動させ方そのものもすべてが異なる。 「……ちょっとやりすぎたか」 さすがのカロルがそう思うほど、難しい。自分の試験と比べてみれば厳しすぎる気がするほどだった。 「ねぇ、師匠。ちょっと相談なんですがね」 「なんだい? あんまり殊勝げだと気持ち悪いよ」 「人がぴりぴりしてるときになに言ってんですか! ッたくこのクソ爺め」 「なにか言った?」 にっこり笑う半エルフをどうしてくれようかとカロルは思う。が、ぐっと拳を握っただけで耐えた。 「名前のことですよ」 「名前?」 「……考えてたんです。俺は直系の一番弟子にだけ、俺の名前を許そうと思ってます」 「他は? どうするの?」 「他はカロルを名乗りゃいいんですよ。俺が許したやつだけ、カロリナを名乗らせる」 「あぁ……なるほどね」 「ま、問題はリオンですがね」 肩をすくめたカロルにメロールは視線を据える。話が食い違っている気がしなくもない。 「どういうこと?」 「まず、俺の提案を許してもらえますか、師匠?」 「別にいいんじゃない? 問題はどこの誰かってことだから」 魔法とは、大きな力だった。通常の人間が扱いうる力とはかけ離れた巨大な力。それを扱うことができるものを野放しにはできない。それが魔術師を育てるものの責任だ。 それに、メロールは思う。昔とは違うのだ。かつて、例えば自分。例えばリィ・サイファ。彼らが魔術を修めたころは魔術師の数そのものが少なかった。一人前の魔術師が師の名を名乗ればたちどころにどこの誰かがわかる。 今現在、この星花宮では違う。一人の師匠が数多くの弟子を育てている。全員が独立後、師の名を名乗れば混乱が起きかねないほどに。 カロルの決断は妥協案とも言えたが、現状では最適とも言える。師の名を与えないと言えば、いまだ若い弟子たちは落胆するだろう。 「お許しいただけてよかったですよ、俺は――」 ひくり、とカロルの肩が震えた。メロールは微笑んでいる。当代随一と言うもおろかな魔術師だ。なにが起こっているかメロールはつぶさに感じ取っている。 そのメロールが感覚する手間もなかった。不意に空間が歪み、景色が霞む。瞬きをしたとき、男が立っていた。 「あぁ、もう! カロル、ちょっと聞いてもいいですか」 「お? おぉ……?」 自分の苛立ちなど可愛いものだと感じてしまうほど苛々としたリオンだった。いまだ手に握ったままのハルバードを室内で振り回すものだからメロールが嫌そうに顔を顰めている。 「あなた、私のこと嫌いになりました?」 「なに言ってやがる!」 「愛してます? ほんとに? ちょっと消しちゃおうかな、とか思いませんでした?」 「うっせェぞコラ! 最終試験だって言ってんだろうが! 手ぬるいことができるか! それとこれとは別問題だろうが!」 「だって本気でちょっと死ぬかと思いました」 「生きてんだろうが」 「だから――」 「愛してるって言ってるんだろうがよ。何度も言うぞ、それとこれとは別問題だ!」 頭痛をこらえかねたようメロールが頭を抱えていた。その頬が赤くなっているのに気づかないカロルではなかったが、リオンの上気した顔のほうがずっと見ていて目に楽しい。 「で、突破できたわけだ。これでテメェも一人前ってことだな」 楽しいことは楽しいが、リオンの可愛い顔を人目にさらすのが少しばかり悔しくなってカロルは話を元に戻す。 こんなときは半エルフの感情が少しだけ、わかる気がする。恋人は、伴侶は、自分だけのもの。誰の目にも触れさせたくない。あるいは半エルフは独占欲が相当に強いのかもしれないとも思う。 「それで、どうするの?」 なんとか立ち直ったメロールが頭を振りながら問うた。先ほどの話の続きだろう。わからないリオン一人、首をかしげる。 「名前のことだ」 短く言えばリオンが莞爾とした。あまりにも嬉しそうで、困ってしまう。幸せそのものといった顔でハルバードを解放する。それもすでに手馴れた仕種だ。 さすがにこの男だ、とカロルは思う。自分が選んだ男だと言う以上に、神聖呪文の使い手として、魔術師として。弟子の能力と、その努力に賞賛を惜しまなかった。 「あぁ、そうですねぇ。一人前になりましたし、私。と言うことはあなたの名前をもらうわけですよね、魔術師として? うーん、なんだか本当に結婚したみたいですね、私たち」 にっこりと言われてしまった。メロールがまた呻いたが、カロルは真顔でリオンを見つめている。それにリオンは小首をかしげた。 「そのことだがよ……。師匠、ちょっと外してもらえますか」 眩暈と頭痛に襲われていたメロールは一も二もなく退出した。その際カロルとリオンを睨んでいくのを忘れない。 「どうしました、カロル?」 「……ちょっと座れ」 「ではお茶でも淹れますか」 最終試験を突破してきたばかりとは思えなかった。足の運びも確かだったし、気力も満ちている。自分のときのことを思えばカロルこそ呻きたくなってくる。あれでもこの男には簡単な試験だったかもしれないと思えばこそ。 リオンが淹れた薫り高い茶を並んですすった。リオンはカロルを急かすことはしなかった。言いにくいことならば、決心がつくまで放っておけばいい。待つでもなく、放り出すでもなく。 「……あのよ」 「はい」 「……いずれ、フェリクスも一人前になる。技量的にはすでに問題ない、がよ」 問題は政治的なことだった。塔の迷宮事件の、事実上の主犯だ。彼の理由に正当性を見たからこそ、公にされなかっただけの事。 「最低限、ダムドのクソ野郎がくたばるまで、馬鹿弟子にゃ、俺の名をやれねェ」 「まぁ、そうでしょうねぇ。もう少し、かかるかもしれませんねぇ」 事件が人々の記憶から風化するまでは。リオンはそう言う。カロルも黙ってうなずいた。 「あの馬鹿は……技量は一人前だ。それは俺も認める。だがよ、独り立ちを許すにゃ、あんまりにも不安定すぎる」 「そう……ですか?」 「おう。おいボケ。こっからは生涯口外無用だ。テメェの女神と俺への愛にかけて誓え」 「誓います。あなたへの愛と、我が女神にかけて」 にっとリオンが笑った。からかわれているようでわずかに癇に障る。もっとも、先に言ったのは自分だった。 「確かにこれが私の最も大切なものですからね。これにかけては、違えられません、私」 実にもっともらしく言ってリオンはまた笑った。隣に腰を下ろしたカロルの髪に手を滑らせて、顔を覗き込む。心配は要らない。信用しなくてもいい。ただの事実だと目が語る。カロルは口許をほころばせて肩の力を抜いた。 「あの馬鹿弟子はな、リオン。確かなものがなきゃたぶん、生きてることすらできねェ」 「と言うと?」 「俺から認められた、最も優秀な魔術師だっていう確信だな、あいつの場合」 「それは……また」 うなるリオンにカロルは微笑む。リオンが自分の言葉の意味を勘違いしているとは微塵も思わなかった。 「そんなに、自信ないですか、フェリクスは」 やはり、リオンは誤解しなかった。普段が普段だ。リオンがそう思うのも無理はない、とカロルはうなずく。 「あいつの態度の悪さは俺の口の悪さみてェなもんだな。何かで世界と壁を作ってねェと不安で不安で仕方ねェ。俺はいい。それを口にできるだけのことが今じゃできるからよ。でもあいつにゃ、テメェがいない。わかるか、リオン」 「とっても暑苦しい愛の告白をされたことはよくわかりますよ」 「おいコラ、ボケ坊主!」 「いえいえ、他にもお話の趣旨はよく理解しましたって。だからそう怒らず」 「怒りたくなること言わせんなって」 力なく肩を落としてカロルは長い溜息をつく。酷く緊張していたのが馬鹿らしくなってくる。と同時に、リオンがなにをしても許してくれることをも、理解した。 「……だからよ、俺はさっき師匠にも言ったんだがよ。直系の一番弟子にだけ、カロリナの名前をやることにした。他はカロルを名乗らせる」 「と言うことは、私はカロルのほうをいただくことになりますね?」 「……悪ィな。それもやれねェ」 唇を噛みしめ、許してくれるとわかっている男の許しを請う。リオンはにこやかな笑みを崩さないまま話の続きを促した。 「ちょっとでいい。あいつの身になって考えてやってくれ。あいつにカロリナの名を許した。お前にカロルをやる。それであいつはなにを考える? 俺がテメェに譲らせたんだと疑うに決まってやがる」 吐き出すと言うには、溜息が多すぎた。根本のところで他者を信じることができないフェリクスと言う弟子。信じられないのは自分自身だとカロルはわかっていた。たぶん、フェリクスにもわかっている。わかっているだけで、心底から納得していない。それを理解しているのはカロルだけだった。 「うーん。そこまで疑うかって言いたいところですけど、フェリクスだったら充分にありえますねぇ」 「だろ? だから、テメェには俺の名前はやらねェ」 決然とした声だった。先ほどまで迷っていたのが嘘のような。しっかりと前を見据え、顔を上げる。そしてリオンを見た。 「だめか」 「いいですよ、私は。別に名前がどうのって、ちょっと楽しみにはしてましたけど、さほど気にしません」 「悪いなと思っちゃいるんだがよ」 リオンは溜息をつくカロルを愛しげに見ていた。嬉しかった、本当は。ここまで、カロルが自分を信頼してくれている。自分ならば譲ると信じてくれている。それが嬉しくないはずがない。 「でも、一ついいですか?」 「おう」 「それ、他人には言えない理由ですよね。だったら対外的にはどうするんです、ちょっと例外的すぎませんか」 さらりとリオンが流してくれた。図らずも彼が口にしたとおり、楽しみにしていたはずだ。いつかカロリナの名を名乗ることを。それなのにかまわないと笑ってリオンは引いてくれる。 「……ありがとな」 ぽつりと呟くよう言ってカロルはリオンの肩に額を預けた。神官のものとは思えない、まして魔術師のものでは決してない逞しい腕が背を抱いてくれる。自分だけの安らげる場所だった。いつかフェリクスにも自分だけの場所を見つけて欲しいと心からカロルは願う。 「他……な。テメェが言ったとおりだ。テメェは例外的すぎる。正にそのとおり。神聖魔法は使うわ鍵語魔法は十年足らずで覚えるわ。こんな変態ほかにゃいねェからな。だからあえて師匠の名を名乗らせるまでもないって言や納得すんだろ」 肩から顔を上げ、リオンの顔を至近で見た。わずかばかり驚いた顔を作って見せたリオン。カロルは騙されることなくその唇をついばむ。 「こんな変態ごろごろいねェし。なんか肩書きみてェなもん、師匠が考えてくれるだろ、そのうち」 「あのね、カロル」 「んだよ」 「そう変態変態と連呼しないでください。ちょっと照れます、私」 「照れんじゃねェ! このうすらボケが!」 「でも、こんな私でも愛してるでしょ、カロル?」 「おうよ、テメェだけだ」 愛しく思うのも、わがままを言えるのも。それを許してくれるのも。 言葉にしなかったカロルの声が聞こえたかのようリオンは微笑んだ。あまりにも、綺麗な笑顔だった。息を飲むカロルに向かって腕が伸びてくる。 その夜。最終試験突破の祝いは二人きりだけでした。翌日からメロールは頭を抱えることになる。試験の詳細を知るカロルは現れない。 「ちょっと、手加減しそこないました。壊しては、いないと思うんですけどねぇ」 虚ろに視線をさまよわせながら顎の辺りを指でかきつつ言うリオンの言葉を、メロールは聞かなかった。たとえ全身が染め上げられたかのよう赤くなっていたとしても、決して聞かなかった。 |