黒衣の魔導師、メロール・カロリナの気晴らしは、魔術師らしいとは言いがたいものだった。ふらりと外に出た彼は魔術師のローブを身につけてすらいない。
 ごくあっさりとした形の胴着を着ていた。華やかな栗色だったが彼がまとうとよく似合う。素顔をさらし、魔法の使い手とは見えないなりで彼は遊んでいた。
「やってますねぇ」
 近衛騎士団の、若い騎士たちがいた。実際は、騎士ではない。中には叙任を済ませた者もいるにはいるが、いまだ大半は従士の身分。そんな彼らに混ざってカロルは剣を交わしていた。
「あれで魔術師だって言うんだから、やんなっちゃいます、私」
 演習場の端でリオンが呟く。彼を探してはいたのだが、用事があるわけでもなかった。ただ、彼のそばにいたいだけ。
 本当は、休めと言われていた。いまリオンは彼の元でカロルを師とし、魔法の訓練をしている。元々持っていた神聖魔法と混じり合わせるのが中々に大変で、だが楽しかった。
「そう、思ってるんですけどねぇ」
 体力を使い過ぎるな、とカロルは言った。そんなこと、フェリクスにも言ったことはないのだと言いながら、リオンには忠告をした。それだけ難しいことをしている、と彼は言う。
 リオンも頭では理解している。が、一人で休むのはつまらない。彼がそばにいてくれるならば、どれほどでも休んでいられる、そう思う気持ちの一方で、二人で過ごしていたら「休憩」にはならないことも理解は、していた。
「まぁ、だからだって言うのも、わかってはいるんですけどねぇ」
 いまだ知人が多いとは言えないラクルーサの王城。メロールやアルディアとはうまくやっていたし、ノキアス王も目をかけてくれている。フェリクスとは。
「うまく行くはずがないんですけど。もうちょっとなんとかしたいものではありますねぇ」
 長い溜息をつきながらリオンの顔は笑っていた。フェリクスの師を奪ってしまった自分。カロルとフェリクスはそのような愛情を交わした仲ではない、と互いが言いながら、それでも横から出てきたリオンをフェリクスは決して快く思っていない。
「あぁ、いい腕だな」
 カロルが若い従士の剣を弾き飛ばす。楽しげで、明るくて正に彼にとっては気晴らしだろう。やられた従士のほうも、悔しそうではあるが遺恨があるようには見えない。それにリオンはほっとする。
 元々カロルはメロールの擁護者、アルディアより剣の手ほどきを受けているという。アルディアを仕込んだのはあのシャルマークの英雄であるサイリル王子だというから、彼の腕は本物だ。
 カロルの腕のよさもそれで納得していいものかどうかリオンとしては悩む。魔術師は本来ならば剣を持たない。そのような気もないし暇もない。が、カロルは剣を選ぶ。
「あの子は物理的に自分の身を守る形が欲しかったみたいだからね」
 こっそりとそう教えてくれたのはメロールだ。それがなぜか、誰も口にしない。リオンも問わない。それでもすでに理由を知っていた。
 また一人、カロルが従士を抜いた。二人がかりで飛び掛ってきたのをひらりとかわし、振り向き様に剣を振る。練習用に刃を潰した剣だとは言え、まともに食らった彼はさぞかし痛いことだろう、とリオンは顔を顰める。
 大地にのめった従士に目もくれず、もう一人とカロルは対峙する。そんな彼らを若い騎士たちが、次を待つ従士たちが、そして練習風景を見物に来ている乙女たち、若き貴婦人たちが明るく眺めていた。
「いいですねぇ」
 彼らのよう、あからさまにカロルを見つめることができたなら。できないわけでもなく、してはいけない理由もたぶん、ない。
 星花宮界隈ではすでに二人の関係は公然としたものだった。が、いまだ騎士団の辺りには知れ渡ってはいない。それでリオンはためらう。
「気にしすぎですかねぇ」
 ぽん、と一つ己の肩を叩いたとき、カロルが剣を弾いた。鮮やか過ぎて、いっそ魔術師にしておくのはもったいないほどだ、とリオンですら思う。
「おいコラ、ボケ坊主」
 振り向きもせずカロルが罵声を飛ばした。小さく悲鳴を上げたのは、彼に慣れていない乙女たち。リオンは苦笑して進み出る。
「テメェ、こんなとこでなにやってやがる。休めって言っただろうがよ」
「言いましたけど。一応、これでも休んでるつもりですよ、私」
「どこがだよ」
 言って嫌そうに、言うなと続ける。にっと笑ったリオンになぜかカロルは目を細めた。すうと息を吸い、額にかかった淡い金の髪を首の一振りで払いのける。
「なら、ちょっと遊んでやる」
「カロル?」
「意識を集中しろ。テメェの中にあるハルバードを呼べ」
「はい?」
「ハルバードだ、ハルバード。テメェの得物だろうがよ。具体的に、詳細に思い描く。それを呼ぶ」
「ですが……」
「テメェのハルバードは女神の祝福を受けてる。んなこたァわかってる。愛すべきエイシャの許しがあれば、それは現れる。テメェの力は足りてるはずだ。やってみな」
 投げやりに言われた。が、リオンは惑わされない。カロルは能力は充分だと言った。ならば、試すまで。
 不敵な笑みを浮かべ、リオンは意識を凝らす。目は、閉じなかった。敵を目の前にしていると考えるべき。ならば視覚は閉ざすべきではない。それにカロルが小さくうなずく。
 リオンは自分の魔力を感じていた。両手の間に育っていく。長く、細いものを心に描く。それからはっきりとハルバードの形を。
「やりゃあできるじゃねェか」
 口笛でも吹きかねない様子でカロルがそう言ったとき、リオンの手には彼の愛用のハルバードがあった。
「そりゃあな、テメェの武器の精髄だ。そのものの形じゃねェ。わかるか? あとで女神にお伺いを立てとけよ、それ使い続けていいかってよ」
「――はい」
 リオンの声が震えた。それをカロルはかすかに笑う。深い呼吸を繰り返すリオンに、カロルは口許をほころばせた。
「つれェだろ、それ。物質で、物質じゃねェ。わかるか。維持しろよ、それで、俺の相手しな」
「待って、カロル――」
「誰が待つか、よ!」
 にっと笑ってカロルが打ちかかってきた。いつの間に出現させたのか、彼の手には愛用の炎の剣。青い炎をすんでのところでリオンは交わした。
 つらい、などと言うものではなかった。魔法を維持するのもいまのリオンにはかなり大変な部類なのだ。
 それなのに、魔力を物質の形にし、それを維持し、動き回るなど言語道断としか言いようがない。だが、できないとは言いたくなかった。
 カロルはできると信じてくれた。だからそれに応える。リオンの目が一度細められ、そして戦う顔になる。
「それでいい」
 満足そうに言い、カロルは剣を構える。隙だらけだった。それが隙なのかどうか、いまのリオンには判断がつかない。冗談のようだった。エイシャ女神の神官が、青春とは戦いの連続だと言い、だからこそ武器を取る神官が。
 それを思ったとき、リオンの心に炎が宿る。必死だった。カロルの剣を交わし続けること自体、生易しいものではない。一矢報いたい。思いはすれども、ぶるぶると手が震えた。
「維持しろ!」
 制御が緩みそうになった途端、飛んでくる罵声。リオンははっとしてハルバードを握り締める。それがここ確実にあるという事実を己の心にしみこませるために。
 観衆は、声もなかった。みな息を飲んで彼らを見ていた。カロルの剣が魔法の産物であることは、誰も疑いはしなかっただろう。が、リオンのハルバードはどうだろう。
 いずれにせよ、ありえないものを見ているのだということだけをなぜか誰もが納得していた。
「ここまでだな」
 あっという間に迫られた。カロルの剣先が、喉元にあてられている。青い炎を固めたくせ、少しの熱気も感じない彼の剣が。
「いいぞ」
 魔法の解放を許す声。リオンは膝をつきかねない有様でやっとのことで彼に従った。肩で息をするリオンをカロルは淡々と見つめている。
 リオンが見上げたときもまだ、そんな顔をしていた。それが一瞬のうち、いつもの表情になる。ふとリオンは首をかしげたくなった。
「どうだ、感触はよ」
「悪くは……ないです。尋常じゃなく疲れますけど」
「慣れだな、その辺は。鍛錬しな」
「はい」
 カロルの、リオンの師としての言葉。リオンはうなずくより他になかった。きゅっと唇を噛みしめれば、ようやく辺りの声が耳に届く。
 若い女の声がした。男の声もした。誰もが歓声を上げていた。リオンは気づかない。それがカロルを賛美したものではないことに。自分たちの熱戦への歓声だとは、いまのリオンは気づかない。
「メロール・カロリナ、是非一手!」
 叙任したばかりの騎士が進み出る。カロルは相手をしてやるのだろう。ぼんやりと思ってリオンは演習場から退こうとした。
「おいコラ、ボケ」
 それを止めたのはカロルの声。振り返るのもつらかった。体も疲労していたし、何より心が痛い。それでも強いてリオンは振り向く。カロルは騎士に向かってはいなかった。
「なんでしょう?」
 何事もなかったよう言い、リオンは微笑む。彼の背中に向かって。休憩は終わりなのだろう、カロルはリオンとは逆の端に向かって歩き始めていた。
「テメェな、自信持てよ」
 リオンに背を向けたままカロルは言う。首をかしげて背中を見つめれば、かすかな舌打ちの音。
「あのな、ボケ坊主。俺はテメェが思ってるよりテメェに惚れてんぞ」
 呆気に取られて言葉をなくした。リオンは立ち尽くし、思わずまじまじとその背を見る。カロルは苛立たしげに自分の髪をかき回していた。
「つーか、むしろベタ惚れ? テメェがいなきゃ夜も日も明けないって感じ?」
 茶化した言葉に真実が滲む。リオンは気づけば彼に向かって歩いていた。
「だからな、リオン」
 背後から近づいてきた彼にカロルは首だけ振り向ける。それからにやりと笑った。
「自信持てよ。テメェは俺の男だろ。辛気くせェ顔してんじゃねェよ。俺はテメェがいい。わかるか。テメェでいいんじゃねェよ。リオンがいい」
「……はい」
 きゅっと唇を噛んだリオンにカロルはめったに見せないほど優しく笑った。それから人目もはばからずリオンの頬に音を立てくちづけた。
「カロル!」
 ぷいと顔をそむけて去って行こうとするカロルの背中にリオンは呼びかける。
「なんだよ」
「あなたが好きです!」
「知ってらァ」
 片手を上げ、カロルは仕事に戻っていく。そむけた頬にあった赤味をいまのリオンは見逃しはしなかった。一人演習場に置いていかれた。それでもリオンは先ほどまで感じていた羨ましさが、きれいに心から消えていることに気づいている。
「あなたが、好きです」
 もう遠くに行ってしまったカロルの背中に呟けば、聞こえるはずがないのに彼が振り向いた気がした。慌てて走っていくリオンを、若い騎士たちが呆気にとられて見やっていた。




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