神殿の用事があるから。そんな理由を作ってリオンは夜遅くになってから自室に戻った。カロルと二人で暮らす部屋は今夜も明かりが灯っている。扉から漏れ出す光に小さくリオンは溜息をつく。
「まだ早かったですかねぇ」
 神殿の用事などないに等しい。リオンの小さな神殿には、雑用と呼ぶほどの執務ですらないのだから。それでも彼が遅くに戻る理由。
 言うまでもなく、カロルだった。フェリクスが作ってしまった荒地を戻すための研究がはかどらない。全てを自分でやってしまえばもっと早い、とカロルは言うけれどそうとも言い切れないのではないか、とリオンは思う。
 自分で読んですら難解な魔道書を、さりげなくフェリクスに理解させるのは、カロルには苦痛らしい。理解を促す何かがないかと連夜にわたって研究をしている。
 あのままではカロルこそ体を壊しかねない、とリオンは思いはすれども、手も口も出せない。口は出したいが、弟子の罪は師の罪と言い切ったカロルのこと。たとえリオンであろうとも聞き入れるはずはない。そして出したくとも手を出せるほど魔法に熟練してはいなかった。
 長い溜息をつきかけ、リオンは顔を引き締める。これほど近くにいれば、カロルは気配を感じるだろう。きゅっと唇を噛み、そして何食わぬ顔をして扉を開けた。
「おや、まだやってたんですか?」
 さも驚いた、そんな顔をして見せたけれど、ソファに座ったままのカロルの目に射抜かれた。
「テメェな、わかってるんだからそういう顔すんなって」
「うーん、やっぱり気づかれてましたか」
「師匠を甘く見んなって」
 苦々しげに言い、なぜかそれからカロルの表情が曇った。膝に置いた魔道書をずらし、視線をそらして膝を叩く。
「こいよ」
 呟きの大きさ。リオンは空いたカロルの左膝に目を向ける。にこりと笑って隣に腰掛けた。
「どうしたんです?」
「それは俺が聞きてェことだ」
「え?」
「テメェなぁ……、自分でどんな顔してっか気づいてねェのかよ」
 呆れ顔で言われてリオンは瞬きをする。そんなものに騙されるカロルではないと知ってはいたが、できれば騙されて欲しい、そう願う。
「まぁ、自分の顔は見えないですし。あ、鏡でも覗いてきましょうかねぇ」
「リオン」
「はい?」
「俺を舐めるな」
 ぴしりと言われた。思わず肩をすくめれば伸びてくる腕。引き寄せられ、リオンは目を閉じる。待っていたくちづけは訪れず、更に強い力で引かれた。
「カロル! なにするんですか」
「いいから寝てな」
「だって……」
 カロルの膝に強引に甘えさせられ、リオンは横たわったまま唇を尖らせる。こんなことをしていては、心が零れてしまう。
「で、リオン。今度はなにがあった?」
 隠すだけ無駄だったか、リオンは苦笑して目を閉じる。硬い男の膝であっても、カロルのそれに頬を寄せれば安らげる。
「別に……何もないですよ」
「あのな」
「舐めてるつもりはないですって。宮廷って言うのは色々あるなぁ、と新鮮な気持ちでいるんですよ、私」
「ほんとかよ?」
「はい」
 疑わしげに言われてもリオンは何事もないかのよううなずく。実際は、いやな事だらけだ。目を閉じてカロルの温もりに包まれれば、心は静まる。
 そう思ったはずなのに、知らずうちにリオンは拳を握り締めていた。と、その手にカロルが触れた。
「あ――」
「ほらな? どこが何もないだよ、あん? ほれ、さっさと吐け。殴られる前に言ったほうが楽だぜ」
 戯れめいたカロルの声。握った拳に再び力が入る。その手を包まれて、リオンは歯を食いしばった。
「リオン」
 言えるのならば言ってしまえ。自分にできることならばどんなことでも力になる。声にならないカロルの声が聞こえ、リオンは横たわったままカロルを見上げた。
「ヒデェ面してんぞ」
 魔道書を完全によけてしまってカロルはリオンの頬に手を添えた。微笑みに、炎の光を見た心地がしてリオンの心が零れた。
「……売名だって、言われたんです。陰口ですけど」
「売名? テメェがなんのだ?」
「私があなたなんかに本気になるはずがないって。ラクルーサへのエイシャ信仰の布教への足がかりだって」
「そんなことかよ」
「カロル、わかってるんですか。私はこんなにあなたを愛してます。あなたも同じだけ、返してくれてます。それなのに、そんな風に見えるなんて!」
「言いたい奴にには言わせとけ」
「でも……!」
「あのな、リオン。そもそもその陰口ってやつはな、テメェみたいなまともな神官が、俺みたいな暴走魔術師に本気になるかってとこだろ、問題は。根本的な問題として、テメェのどこがまともだ。な? 確かに俺は暴走しがちだがよ」
「そんなことはないですって是非とも否定したいところですが、……難しいです」
「別に、んなこたァどうでもいいんだって。宮廷雀には言いたいことを言わせとけ。実害なんざァねェよ。王もテメェのことは信頼してんだろ。話は聞いてんぞ」
 にっとカロルが笑った。ノキアス王の周囲に今までいたことがない型の神官だった、リオンは。もっとも、ラクルーサ王家はマルサド信仰が篤い。エイシャ女神の神官の考えに触れる機会などあろうはずがない。
 はじめは珍しいだけだっただろう。それでもリオンの人柄に触れ、ノキアスは次第に様々なことを語るようになった、とカロルは聞く。日々の他愛ない話ではあるのだが、ノキアスの心の支えの一つになるのならば、それは良いことだとカロルは思う。リオンとノキアス、双方にとって。
「それにな、リオン。メロール師がいる。アルディアがいる。勘定に入れていいかどうか俺も迷うがよ、まぁ……フェリクスもいる」
 今にも泣き出しそうなリオンの頬を指でたどり、カロルは微笑む。この男のこれほどまでに脆い部分を知っているのは自分だけだ、そう思えば口許がほころぶ。
「俺たちの身内はみんな、テメェがどういう男か知ってる。売名? 馬鹿馬鹿しいにもほどがあるな」
 微塵も気にかけていない、自分は。だからリオンも気にするな。カロルは態度で明確にそれを語った。リオンは唇を噛み、頬にあった彼の手を掴む。
「本当に、そう思ってくれますか、カロル」
「ちったァ、テメェの男を信用しろ。俺の耳にも届いちゃいたがよ、これっぽっちも気にしてねェぞ。それにな、リオン。テメェととっても仲良しのフェリクスまで鼻で笑ってたぜ」
「フェリクスには嫌われてた気がしますけど、私」
「そのフェリクスまでそれだぜ? テメェを知ってるやつらは誰もそんな噂話、信じちゃいねェよ」
 言い募られ、説得され。やっとリオンは理解した。万が一にも、カロルにこの陰口を知られてしまったら。更に万が一、彼がわずかで疑ったら。
 疑ったのは、自分だ。リオンは思う。彼を愛しているなど言う口で、彼を疑ったも同然。彼の手を握った自分の指から、温度が失われていく気がした。
「……おかしなもんだな」
「カロル?」
「テメェでも、迷ったり悩んだりすんだな。……ちょっと、ほっとした」
「え?」
「テメェもただの人間だって思うと、なんかほっとするな」
 カロルの本質たる炎に触発された。リオンには確かにそう思えた。自分の心に燈る熱いもの。握り返した自分の指に、熱意があった。
「普通ですよ、私」
「それはどうかな?」
 悪戯めいたカロルの声に、リオンも悪戯に睨み返す。手を握り合うだけではもどかしくて、伸ばした腕で首を掴めば、カロルのほうからかがんできた。
「カロル……」
 艶めいた己の声に羞恥を覚えるより先、カロルに唇を塞がれた。塞いだ唇が、笑みを形作ったのを感じ、リオンは彼の背を叩く。
「痛ェだろ」
 笑みを含んだ声。耳許で聞こえた。囁きが、痛みに代わる。甘い疼くような痛み。耳たぶを軽く噛まれてリオンは目を開く。
「おや。いつのまに」
 膝枕をしていたはずが、くちづけの間にソファに組み敷かれていた。ぼんやりとしたリオンの声にカロルが吹き出す。
「テメェな、もうちっと緊張感ってものを持てよ」
「なんのことです? どきどきしてますけど、私」
「嘘つけ。その余裕面。泣かせんぞコラ」
「それは楽しみですねぇ。やっていただこうじゃないですか」
 笑みに、リオンの回復を見た。ほっと息をつき、カロルも不敵に笑う。首筋に顔を埋め、舌先でかすかに触れる。リオンの体にまたがって、けれど触れるのはその舌だけ。もどかしげにリオンが身じろぐ、その一瞬を捉えて唇を貪った。
「は――」
 唇を離せば、熱に浮かれたリオンの声。わざと彼の目を覗き込めば、そらされた。
「余裕、剥げてきたな。うん?」
 爪の先端で、頬をたどった。ひくりと跳ねそうになる背中をリオンが耐えたのを感じる。
「まだ平気ですよ、全然です」
 あなたを愛撫する余裕がある、そう示すようリオンは手を伸ばしてくる。カロルの肩を捉え、片手で胸をまさぐった。見つけ出したそこはすでに尖ってリオンを喜ばせる。
「あなただって、いつまで持ちますかねぇ」
「テメェを泣かすまで、だ」
 その精悍な笑みに、思わず見惚れた。手が止まったのは、呼吸を忘れたせい。今度は反対にカロルの手が伸びてきた、同じ場所に。衣服の上から愛撫されるもどかしさに、動くまいと思っても身じろぎは止められない。
「もっとして欲しいんだろ、あん?」
「意地悪を、言いますねぇ……」
 乱れた呼吸を隠そうとするリオンをいたぶるよう、カロルは爪を立てる。布越しのせいで、痛みはなかった。刺激だけが、強くなる。
「なに言ってんだコラ。こっちは本職だぞ」
 冗談だとわかってはいた。それでも見過ごしにできずリオンは彼を見つめる。
「元・本職です」
「わかってらァ」
 過去の傷に自ら触れたカロルと、それがどうしたと笑い飛ばすリオンと。互いの目と目がかわされる。くちづけは、だから互いに引かれたも同じこと。
「テメェが……」
「カロル?」
「テメェが気にしねェなら、俺も気にしねェ。だからな、リオン。腕によりかけて可愛がってやる。せいぜい楽しめ」
「……はい」
 うっとりと、囁かれた。だからリオンの言葉は本心だ。少しだけ、ためらいがなかったわけではない、カロルにも。
 遥かな過去に仕込まれた男娼としての腕を披露するのは、カロルにためらいを持たせるに充分だった。おかしな神官ではあるが、普通の男。その彼が、このような寝室での技術をどう思うか。
「俺も馬鹿だったな」
 はじめから、気にしないと言ってくれていた。カロルはカロルと言っていた。今更気づく、リオンの深い心に。
「カロル……?」
「何でもねェよ、ここ。いいだろ」
 いつの間にか入り込んだ指がリオンの胸の尖りを弾いた。息を飲んだとき、自分がそうしたのを知った。いつもならば、これほど感じないものを。カロルになにをされたのかわからない。
「焦らされてから触られんの、実はテメェ好きなんだよな」
「そんなこと」
「舐めんなって。テメェの体の隅々まで、俺は知ってる」
 さぁ、どうしてくれようか。カロルの弾んだ心の声が聞こえた気がして、リオンは思わず笑みを浮かべる。
「もっと、楽しませてください」
「おうよ」
 にやりと笑ったカロルの翠の目。それに映った蝋燭の明かりにリオンはどきりとする。
「明かり、消してくれませんかねぇ。ちょっと明るすぎます。恥ずかしいです、私」
「可愛いこと言うもんだ」
「だって」
 口を塞いだカロルがしたこと。それは一つを除いてすべての明かりを消すことだった。そして残った光源は、リオンの最も近くにある角灯。
「カロル!」
「これが一番明るいだろ。なんなら魔法の明かりで照らしてやろうか?」
 ゆっくりと、肩から胸をたどるカロルの手。体をずらし、足の間に入り込んで腰を落としてはリオンの足をくつろがせる。
 そこでカロルは自らの衣服に手をかけた。見せつけるよう、目で楽しませるよう、ゆっくりと脱いでいく。普段の無造作はどこに行ってしまったかと目を疑うほどに。それから愛撫のようにリオンの服を剥いでいく。
「よく、見えんだろ」
 剥ぎ取ったリオンの脚衣を放り投げ、カロルは内腿に指の爪先で触れていく。角灯が、リオンの腰の辺りを照らし出した。
「見てェだろ、リオン?」
「なにを……っ」
 上がった息を隠せず、リオンは首を振る。カロルは触れてもいない。正に、焦らしているだけ。それなのに呼吸も熱も上がり続ける。
「俺が舐めてるとこ、見てェんだろ?」
 言って舌で己が唇をカロルは舐めた。たっぷりと、眼差しで犯せとばかりにいやらしく。そんな仕種にもカロルの清々しさは失われない、そう思ったときリオンは首を振っていた、縦に。
「言えよ」
 腿に置かれていた手が、すでに充分に勃ち上がった場所を弾いた。それから、そんなことは忘れた顔をして手は内腿に戻っていく。
「――舐めて、カロル。あなたが舐めてる顔を私に見せて」
「あっさり言われたんじゃつまんねェだろうがコラ」
「全然あっさりじゃないです。もう、結構切羽詰ってます」
「まだまだ余裕って感じだな。さぁ、どうしてやっかな」
 嘘偽りのないリオンの言葉をカロルはいなして笑う。立てたリオンの膝にくちづけて、戯れる。
「カロル……」
 リオンから視線を外さないまま、膝にくちづけ、その唇が次第に進んでくる。腿へ、内腿へ。それから。その間も翠の目はリオンに据えられたまま。
「カロル」
 返事の代わりとでも言うよう、カロルは内腿に歯を立てた。痛みが、甘い刺激となってリオンの背筋を這い登る。
「お願いですから」
 続きを言えと目が語る。それでは聞いてやれない、と目が語る。笑みを含んだままの唇が、再び肌に吸い付く。
「焦らさないで。して」
「どこを? なにを?」
「あなただって――」
 膝を抱いていたカロルの腕を掴んだ。それからカロルを引き寄せる、そこに。熱いものがカロルの目の前にあった。
「したいんでしょう? 舌なめずりしてますよ、カロル。だから、あげましょうね」
 強引に、唇に含ませた。カロルが真剣に嫌がるとは思ってもいない。互いに合意の上での戯れ。
 嫌がる素振りをして、カロルはもがいた。唇を硬く引き締め、容易に含もうとしない。半身を起こし、カロルの肩を首を胸を愛撫する。ようやく彼が含んだとき、それだけで達しそうだった。
「まだイかせねェからな」
 吐き出して、カロルはリオンを足の間から見上げた。先端をちろりと舌先で舐め、窪みに舌を突っ込む。
「顔を上げて」
 根元を押さえられたリオンは今にもカロルを振りほどきたくなる。それでも耐えた。カロルの上気した頬があまりにもリオンの目には美しかった。
 赤い唇から出入りするものが、自分の体の一部とは思えない。カロルを汚しているようで、ぞくぞくするほどの快楽に襲われる。その瞬間、翠の目に射抜かれた。
「あ――」
 ぎゅっと、体中が引き締まる。カロルの腕を掴み、衝動に耐え、けれどリオンは力なく首を振る。
「カロル……」
「うん?」
 赤い唇から、更に赤い舌を覗かせカロルが笑う。
「どうしよう……」
「だから、なんだって」
「お願いがあるんです、聞いてくれますか。だめならだめで――」
「さっさと言わねェと噛むぞコラ」
 足の間でそれを言われてはぞっとする。苦笑がもれて、少しだけリオンの呼吸が定まった。
「こっち、きてください。恥ずかしい」
 カロルに反論させる間もなく、リオンは彼の腕を引き寄せて抱き合う。いつもとは違って、リオンがカロルの腕に包まれていた。
「言えよ」
「笑わないで、聞いてくれます?」
「だからさっさと言えって言ってんだろうが。笑わねェよ。なにして欲しい?」
 最後だけは、少しだけからかうような口調だった。カロルの体にしがみつき、リオンは呟く。
「……どうしましょう。抱かれたくなっちゃいました」
「リオン?」
「あなたが嫌じゃなかったら、その。ですね」
 心底から驚いた、そんな顔のカロルから目をそらし、リオンはよけいなことを言ってしまったものだと自らを嗤う。
「寄越せよ」
「カロル?」
「油。ずいぶんしてねェんだろ。慣らすのに時間かかんぞ」
「あなたは――」
「ご期待に添えるようあい努めましょうかね。ほれ、寄越せ」
 冗談のよう笑ってカロルはリオンの手から香油を奪った。蓋を開け、油を手に取り、肌に馴染ませていく。自分の指にも、リオンの後ろにもたっぷりと。温度が上がり、香りが立つ。カロルを抱くときには感じないその香りが、奇妙なほどの羞恥を呼んだ。
「なんか変なもん入ってんじゃねェだろうな」
「なにを……。いつもあなたに使ってるじゃないですか」
 言い返せばカロルの唇がつりあがる。くっと笑ってカロルは言った。
「そんな赤くなってるテメェ、はじめて見た」
 言葉に、羞恥が強くなる。身をよじりかけたリオンをカロルは許さず押さえ込む。その力の強さにもリオンは背筋をわななかせる。快楽に。
「もういいな……」
 呟きは、聞かせるためのもの。緊張しそうになったリオンはあえて体の力を抜く。カロルの含み笑いとともに、指が後ろに入り込む。
「は……」
 思わず盛れた吐息が喘ぎに変わる前、リオンは自らの腕を噛む。
「そんなもん噛むんじゃねェよ」
「だって……」
「俺の腕でも噛み付くか、うん?」
 そんなことはとてもできない。リオンはカロルを軽く睨んで息を整える。整った途端、指が蠢く。
「カロル……、だめ」
「動かさなかったらほぐれねェだろうが」
「そんなにしたら」
「痛てェか?」
 少しだけ心配そうな顔をしたカロルに首を振れば、それでも彼は覗き込んできた。その唇を求めれば、甘い。
「指でいかされるのは、いやです」
 囁きにカロルはうなずく。彼の腕の中に抱きすくめられたまま、リオンは喘ぎをこらえていた。香りがいっそう、立ち上る。
「増やすぞ」
 いやだとリオンが首を振る。途切れ途切れに漏れ出している声にももう彼は気づいていないだろう、そう思えば楽しくて仕方ないカロルだ。そして楽しいとは違う、と内心で笑った。むしろ、嬉しい。こんな自分の愛撫の手を喜んでくれる、それが歓喜とともに快楽を強めている。
「カロル、もう、平気ですから。だから――」
「まだダメだってーの。野郎に抱かれんの、何年ぶりなんだよ、あん?」
「そういう意地悪を言う……」
「怪我させたくねェんだって。俺のどこが意地悪だって?」
 意地悪とはこういうことではないのかといわんばかりにカロルは指を一息に引き抜き、リオンの嬌声が止まるより先に指を増やして後ろに埋めた。
「リオン」
 とろりとした視線。呼べば自分に向けられるその目が、カロルはいつも好きだ。今夜は殊の外、好きだ。
「あんまり抱かれたことねェだろ」
 こくりとうなずく。反論する気力もなくなったかのように、ただ指を貪る。カロルの唇がほころんだ。
「こっちは本職だからな。お見通しってやつだ」
「元、です……」
「うん?」
「いまは、私のあなたです。カロル……」
 きゅっと後ろが窄まった。束縛するかの仕種に、カロルの笑みは大きくなる。
「テメェは俺のもんだ」
 囁きにリオンの口許も一瞬ほころぶ。すぐに噛みしめ、そして開く。覗いた舌をカロルは捉え、深いくちづけに酔う。互いに。
「お願いですから、カロル」
 唇と唇を繋いだ糸のような唾液をリオンに見せ付けるように舐め取れば、含羞の目。カロルは答えず体をずらして足の間に入り込む。
「期待してんな? まだだめだ」
 埋めた指を蠢かし、さらに増やせば息さえ止まったかのよう。角灯の明かりにリオンの体がさらされる。今度息を飲むのはカロルの番だった。
「テメェってやつは」
 受身に立たされ、愛撫の手で攻め抜かれていてさえ、そこにあるのは男性美。みっしりとついた筋肉が、身をよじるたびに陰を作り、消え。掌で肌に触れれば汗の滲んだそれは柔らかくはない男の肌。
「カロル……?」
「参ったな。それなのにテメェがこんなに可愛く見える」
 笑ったカロルの声をリオンは聞いていたのだろうか。聞こえていないかもしれないと思えばカロルは高ぶる。
 今までとは違った荒い動きで埋めた指を蠢かせれば悦楽の声。それでも嬌態とは言えず、カロルはそれを満足そうに見やった。
「リオン」
 視線がこちらを向いた。思わずカロルの動きが止まる。じれったそうにリオンが身じろぐまで、動けずにいたほど。
 流れたきた視線。その眼差しの色気に撃ち抜かれた。仄かに開いた唇よりも、快楽を伝えてくる喘ぎ声よりも、その眼差し一つ。
「カロル?」
「ちょっと我慢できなくなってきた」
「早く」
 リオンがカロルの腕を引き寄せる。最後まで、指は抜かなかった。目の前で、引き抜かれるリオンの顔が見たかった。
「いい顔すんな」
「だって、あんまり……」
「いいか?」
 戯れに問えば、わずかに目元の赤を強めてリオンがうなずく。瞼にくちづけ、カロルは戸惑う。
「あなたが欲しいです」
 ぎゅっとしがみついてくるリオンの腕にカロルは彼を抱き返す。この男の、こんな仕種もはじめて見るものだ、そう思いながら。
 覚悟を決めて、腰を進めた。入りにくくて、脱ぎ捨てた服をリオンの腰にあててみる。そんなことができる過去の自分の経験を嗤い、けれどそれでいいと言ったリオンを思う。
「カロル……!」
 つらいのか、とは聞けなかった。カロルのほうこそ、つらかった。熱い内部が、痛いほどの快楽を呼ぶ。深く呼吸をして、リオンの腕を振りほどく。
「いやです、カロル」
「抱き合ってちゃ、すぐイっちまう」
 肌を求めてくるリオンにすげなく言うのは、カロルこそが耐え切れそうになかったせい。それを悟ったか、リオンの口許が笑みを刷く。
「笑ったな、テメェ」
 なじっておいて、リオン自身を掴んだ。声も上がらずリオンは喘ぐ。深く腰を穿ったまま、カロルは動かず手だけを動かす。
「だめです、カロル。そんなことされたら……!」
「痛いくらい、いいだろ?」
「苛める気ですか、まだ?」
「冗談。可愛がってんだろ」
「だって、カロル……ん――」
「いい声で鳴くよな。想像したこともなかったけどよ。もっと鳴かせようか」
「泣きますよ」
「泣かせてやろうか? そんなテメェも可愛いかもしれねェな」
 言葉を交わすのは、最後を求めたい気持ちを抑えたいから。大きく開かせたリオンの膝に音を立ててカロルはくちづける。
「嘘だよ。泣かせたりしねェ」
 喘ぐリオンの目許に笑みが浮かぶ。わかっているとでも言いたげで、カロルも笑う。
「カロル」
「なんだよ」
「動いて。我慢できない」
 じっと繋がったまでは、じれったくて、もどかしくて。動きそうになるリオンの腰を、カロルはいままで阻んできた。カロルも蠢くリオンの中から加えられる快感が、耐えられなくなりつつあった。
「痛かったら、言えよ?」
 こくりとうなずくリオンを信用できなかった。最後まで、あるいは傷を負ってもリオンはその瞬間だけを待ち望んでいる。
 自分もかもしれない、とカロルは少しだけ思った。リオンが苦痛を訴えようとも、もう止まれる気はしない。
 ゆっくりと動き、リオンの顔を見つめる。仰け反って、舌なめずりをするリオンなど、はじめて見た。深く穿つ。呼吸を止めて唇を噛みしめるリオンも、はじめて。
 彼自身を掌で包み込み同時に腰を動かせば、つらいのだろう、上がる声。たまらない気持ちだった。
「カロル……。手加減なんか、しなくていいです。平気ですから。だから……!」
「そんな余裕もうねェよ」
 返事をして、リオンに覆いかぶさる。歓喜の声とともにリオンの腕がカロルを包む。しがみついてくる腕の強さ逞しさ。冗談のようで、酷く嬉しかった。

 いつの間に寝台にもぐりこんだのか、そもそもどうやってたどり着いたのか、少しも覚えがなかった。喉が渇いて目覚めれば、まだ夜明けには少し早い。いつもとは逆に、リオンが腕の中にいてカロルは小さく笑う。
「カロル……?」
「悪ィ、起こしちまったか」
「いえ……。平気です」
 その返答に、異変を感じたのはカロルならではだった。表情を窺おうとすればリオンは胸に顔を埋めた。
「こっち向けよ」
 半ば強引に仰のかせれば、苦悩の顔。一瞬のうちに引き締めて、何事もないかのようリオンは微笑む。
「テメェな、いい加減そんなことで誤魔化せる俺じゃねェって気づけよ」
「……誤魔化されてくださいよ」
「やだね。で、どうした?」
 枕元に置いたままの水差しからじかに水を飲む。もう一度含んでリオンに口移しで飲ませた。
「隠し事はなし、だ」
 言えば先ほどのよう、リオンがしがみついてきた。まだ何か悩み事があるのか、と思えばカロルは微笑ましくなる。自分を頼り切らないリオンと言う男が、嬉しくなる。
 宮廷でのいざこざなど、カロルの名声を持ってすればあっという間に一網打尽にできるのは明白。それでもリオンはカロルを頼らない。自分にできること、なすべきことをすべてやった後、それでもどうにもならなくなってはじめてリオンはカロルを頼るだろう。誰が知らなくとも、カロルはそれを知っていた。
 この男のどれを見て、なにを聞いて売名だなどと言うのか、そう思えば馬鹿馬鹿しい。何も見ず聞いてもいない輩の言葉など、放っておけばいい。
「……昨日」
「おう」
「ごめんなさい」
「なにがだ?」
 本当に、カロルにはわからなかった。きっと噂話のことだろうと思い込んでいたせいもある。だが珍しくリオンが落ち込む理由がわからない。
「抱いてくれなんて、言わなきゃよかったと思ってます」
「おい、ちょっと待て」
「いやじゃ、なかったんですか、カロル?」
 まるで嫌々抱いたかのような言い振りに、さすがにカロルもむっとする。それでも罵声を思いとどまったのは、リオンの腕。しがみついてくるその腕。
「嫌々に見えたかよ?」
「だってあなた、私の望みだったら叶えてくれちゃうじゃないですか。あなたが考えたことないようなことでも、想像したことさえないようなことでも!」
「だからなんだよ?」
「だから、いやでもあなたは――」
「テメェの望みだったら俺が嫌でも叶えるってか? そこまで優しかねェぞコラ」
「嘘。あなたは優しいです、とても」
 なにがどうしたのか、リオンの中では嫌々であったと確信してしまっているらしい。困りきってカロルはリオンを抱きすくめる。
「だって、あなた。戸惑ってたじゃないですか……」
 それにカロルは思わず天井に視線を泳がせる。その仕種も悟られるとは思ったけれど、ばつが悪かった。
「ほら、いま……」
「あのな、リオン」
「……なんですか」
「いーこと教えてやる」
 事ここに至っては致し方ない。長い溜息をつくのは、照れ隠しだとリオンに通じるか。いずれ、今日のことを思い出して理解するだろう。
「昔の商売が商売だからな、テメェは俺のはじめての男じゃねェ」
「そんなこと、今更――」
「最後まで聞けって。テメェははじめてじゃねェけど、はじめてでもある。わかるか?」
「どう言う……え?」
「まったくよ、生きてりゃ面白れェこともあるもんだぜ。この年になって男にされるとは思ってもみなかった」
 呟くよう言い、カロルは小さく笑う。受身に立たされたことしかなかった自分だから、どうしていいか戸惑った。言葉の向こう側からカロルの声が聞こえた気がした。
「だいたいよ、テメェも俺も突っ込むもんも突っ込まれるとこもあるじゃねェか。別にどっちがどっちでも同じじゃねェの。気にするようなことか、それ? 抱かれる方が性にあうってのも新発見だがな、抱くのも悪くなかった」
 まるで新しい魔法理論でも見つけたかのような言いぶりに、リオンの理解が遅れる。カロルが嫌がっていなかったこと、機会があればまたしてもいいと言ったことだけが、わずかに遅れて染み込む。そして、驚いた。
「カロル……、ちょっと待って……!」
「まだわかんねェのかよ、面倒くせェ野郎だなコラ。だからな、昔の商売柄ってやつかね。実のところ童貞だ。だったって言うべきか、うん? 俺を男にしたのはテメェってわけだ」
 茶化した言葉に、一気にリオンが体を起こす。信じられないとばかりの顔をしているかと思いきや、紛れもない歓喜ばかりが顔いっぱいに。
「私が、あなたの……?」
「おうよ。嬉しいか?」
「こんなに嬉しかったのって、いったいいつ振りでしょう。最愛のエイシャに司教の位をいただいたとき以来かも」
 一緒にするなと叫べばよかったのか、その程度かと罵るべきか一瞬迷ったカロルは力なく笑ってリオンを抱き寄せる。
「……自分でもちょっとおかしいと思うくらい嬉しいです、私」
 無言のカロルの耳許に囁けば、照れたような仕種でカロルがうなずく。それで心が満ち足りてくる。嘘のような充足だった。
 いままでは、人生と言う名の長い道をお互いがそれぞれ歩いていくのだと思っていた。隣で、手を携えながら。それでもそれぞれの別の道を。
 いま知った。長い道のりを、カロルと共にしていく。震えるような、その思い。
「ずっとあなたと一緒にいたいです」
「なんだよ、急に」
「あなたが、好きです。どうしましょう、こんなに好きで、どうしたらいいんでしょう」
「惚れ直したか?」
 笑って言うカロルの目を覗き込めば、意外と真摯な光。昨夜のくちづけを思い出してリオンはカロルの瞼にくちづけを返す。
「我ながら、今更どうやって惚れ直せるのか、疑問で疑問で。いつもこれ以上ないってくらい、カロルが好きですよ」
「言ってろ」
 けっと吐き出しカロルは笑う。その笑みを、怒りも悲しみも歓喜も何もかも。人生と言う長い道程を彼と共に。
「ところでカロル」
「あん?」
「いま、体力不足ですか」
「いや……別に?」
「だったらやっぱり私、上が好きです。たまにはいいですけど。昨日はさんざん可愛がってもらいましたからねぇ。今度は私の番かなぁ、と言うわけで」
 悪戯っぽく言ってリオンはカロルに圧し掛かった。
「ちょっと待て!」
「と言われて待つ人はいないですねぇ、普通。では」
 肌に触れられ、あっけなく上がってしまった自分の嬌声に、カロルは思い出す。リオンは最後まで乱れきりはしなかったと。次は絶対泣かす。そう決めたカロルは組み敷かれたまま小さく笑った。




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