ラクルーサの王城だった。更に言えば王の私的な居間だった。サイファは疑問に思う。ウルフがシリルと剣の手合わせをするのだというから送ってきたはずなのに、なぜ雁首揃えて茶など飲んでいるのかと。 「なによ、ご機嫌斜めなの?」 しかも立派な王衣に身を包んだ男が目の前で可愛らしく女言葉で首をかしげている。慣れている自分がいやになりそうでサイファは額を押さえた。 「よせ、それを」 「あら。いい加減慣れなさいよ」 「慣れている自分を認めたくない」 ぶっきらぼうに言い放てばウルフが忍び笑いを漏らす。それだけならばまだしも、シリルは後ろを向いて笑いをこらえるし、メロールとアルディアまで下を向いた。 「貴様ら――」 低く恫喝するのにもメロールは首をすくめただけだった。どうやらまた一人、女装の国王に感化されたものが生まれたらしい。 「それで。アレク、なんの用だ」 「ご挨拶ね。何も用がなかったらお茶に誘っちゃだめだって言うのかしら。無粋な男ね」 「……いいから本題に入れ」 軽い頭痛が本格化するのを見越してか、シリルが新しい茶を淹れてサイファに差し出した。どうやら薬草茶らしい。 「気遣いはありがたいがな、シリル。その前にお前の兄をなんとかしろ」 「お言葉ですけどね、サイファ。僕でなんとかなると思いますか?」 「……なって欲しい、切実に」 「ご期待に沿えず申し訳ありません」 にっこりと笑って言うシリルをウルフが盛大に笑う。思わずサイファは隣に座った男を殴りつけていた。 「痛いじゃんか! 何で俺を殴るかなぁ」 「そこにいるからだ!」 「ねぇ、サイファ。本題、入ってもいいかしら?」 元凶がなにを言うか、と言いかけてサイファは口をつぐむ。下手なことを言えばまた本題が先に伸びることは明白だった。そんなサイファを賢明だ、と言わんばかりにシリルがうなずいている。 「ちょっと質問があったのよ、アンタに」 「質問?」 「魔法がらみの、ね」 ぱちり、とアレクが片目をつぶった。そんな仕種に騙されるサイファではなく、不思議そうにメロールを見やる。 「メロールには聞けないわ、いくらアタシだって」 「どういうことだ?」 「だって、考えても御覧なさいよ。ねぇ、魔法で最も効率よく人殺しをするのに、アンタだったらどうする? ……だなんて、アタシ、メロールにはとても聞けない。可哀想で」 「……ちょっと待て」 「同感。俺も聞きたい」 「あら坊やまで? なぁに?」 「あのさ、アレク。メロールが可哀想だってのはわかるよ、俺もそう思う。でもサイファならいいって、どういうこと?」 ウルフがにこやかだった。が、右手は剣の柄に伸びている。笑顔のぶん、少しばかりアレクでも腰が引けそうだった。 「ウルフ。兄さんを脅さないで」 「兄さんって言わないで!」 「だって僕の兄さんでしょ。ね、アレク兄さん?」 ついでにシリルまで加わった。サイファはゆったりと椅子に腰掛けたまま膝の上で手を組んで彼らを悠然と眺めている。 「あの、リィ・サイファ」 「うん?」 「止めなくても?」 ずいぶん慣れたようだが、まだまだメロールは彼らに対する認識が甘い。おかげでどうやら本気の喧嘩がはじまりかねない、と懸念したらしい。 「放って置け。気にするな。それより――」 「はい。しばらく前に、宮廷魔導師団でちょっとした効率が話題になったことがあって」 「魔法の効率?」 そうだ、とメロールはうなずく。道理で、とサイファにも納得がいった。人殺しのなんのとは言葉が過ぎるが、極論すればそういうことにもなりうる。 「人間の魔術師たちは火の魔法がどうの、天候がどうの、と言っていましたが……」 「あぁ、なるほどな」 人間と半エルフの違い、でもあった。長く人間と共にいたサイファには飲み込めていることでも、隔絶した暮らしをしてきたメロールには理解しにくいことだろう。 「それよそれ! それをサイファにって言うか半エルフならどうするか聞きたかったのよ」 「念のために聞くが――」 「あらやだ。単なる好奇心の問題よ? まだアタシって人間をよく知らないメロールに聞くには残酷じゃない? だから、アンタ。ね、サイファ。アタシとアンタの仲じゃない。教えてよ」 ものすごく、言い返したかった、サイファは。だがここで言い返せば、なにがはじまるかわかったものではない。 だいたい、とサイファは思う。メロールには聞けない、と言っておきながらいまここで、彼らがいる目の前で質問すれば同じことではないのか。 あるいはそれはアレクなりの自分を理解して欲しい、と言うメロールたちへの願いであるのかもしれない。 思わず天を仰げばすかさず茶の器が差し出された。見ればいつの間にかウルフが隣に戻っている。 「大丈夫、サイファ?」 もしここで機嫌が悪い、話をしたくないと言えばウルフはすぐさま塔に戻ろう、と言ってくれるだろう。自分の目的など、どうでもいいからと言って。だからサイファは溜息一つで押さえ込む。茶を受け取り、あおった。 「いやな仲もあったものだが、質問には答えよう。効率的にやるならば、最も効果的なのは精神を接触させることだな。やりたくはないが」 「リィ・サイファ!」 悲鳴はメロールのものだった。アルディアまでもが息を飲んでいる。同族にサイファは小さく微笑んだ。 「なにもそういう意味ではない。人間を相手にしたことは……あるわけはないな。が、想像はつくだろう?」 「――だいたいは。彼らは、脆い」 「そうだ。すぐに壊れる」 「ちょっとサイファ、説明してよ」 「僕も聞きたいです」 兄弟が揃って身を乗り出してくる。こういうところだけはよく気の合う兄弟だ、とサイファは内心で小さく笑う。 「そうだな。例えば、だ。小さな硝子の飾り玉を積み上げる。金箔を振りかけてみたりするのもいいな」 サイファの言葉に従って、彼らの目の前にその情景が現れる。サイファの幻覚だった。魔法の鮮やかさにメロールが息を飲む。 「観念的に言うならば、これがアレク、お前だ」 「アタシ!?」 「ここに手を触れたら、どうなる?」 サイファは幻覚に手を触れはしなかった。結果のわかっていることなど、表現するには及ばないというのだろうか。煙のよう、幻が消える。 「サイファって、優しいよな」 ぽつりとウルフが呟く。幻覚であったとしても、アレクと表現したものを壊したくない、その意図を一番に理解したのは驚くことにウルフだった。無論、直後に無言で殴られたが。 「人間の精神は我々半エルフからすればこれほどに脆い。触っただけで壊れかねない。壊れた結果、命を奪うことになるか、心を破壊するに留まるかはわからんが、その意図で触れたならばたいした問題でもないな」 その人間が壊れてしまったと言う意味において、違いはないと半エルフのサイファは言う。硬い表情になってしまったシリルに、サイファはふと笑いかけた。 「だが、やりたくないという訳はな。アレクがあれならば、壊したいと願うほどの人間と言うのは……そうだな」 少しばかり考える風になったあと、再び幻覚が現れ、悲鳴が上がった。 そこには数多の害虫やら汚泥やらが積みあがった、けれど脆さでは先ほどの硝子細工と変らないものが現れていた。 「ちょっと、サイファ!」 「なぁ、アレク。お前ならばそんなものに手を突っ込みたいか? 私はごめん被る」 「わかったから、ちょっと、これ!」 とことん、この手のものがアレクは苦手らしい。そのくせ顔をそむけながら横目で見ているのだから、どうにも人間はよくわからない、とサイファは笑う。 「もう……アンタって過激よね」 やっとのことで消えた幻覚を確かめ、アレクが息をつく。シリルがそっと茶を差し出した。 「どこがだ?」 「アンタ理解してないわけ。自覚しなさいよ」 「人殺しの方法を魔術師に聞いておいてか? その質問自体を自重しろ、と私は言いたいが」 「だって、その。ねぇ?」 「私はかまわんがな、アレク。お前の好奇心のなせる業だということを、私は、理解している。だがな、さて、アレクサンダー王? 隣国の国王はどう思うかな?」 アレクの眼前で満面に笑みを浮かべた半エルフが恫喝していた。思わずぞっとして、そしてアレクは気づく。 「ちょっと、聞いてもいい?」 「なんだ」 「さっきの汚いの。もしかして、想定人物がいたり、するの」 「ご想像にお任せしよう」 にこやかな半エルフの笑顔など、できれば見たくなかった、とアレクは心から後悔する。サイファの答えで見当がついてしまった。先ほどのあれは、間違いなくウルフの父たるミルテシア王を想定している。 「あの、リィ・サイファ」 「なんだ」 「アレク王は、隣国での動きを懸念されています。あちらでも宮廷魔導師団が増強される動きがあるとかで」 「……なるほどな」 だからこその、噂話が盛れるのを見越しての物騒さ、と言うわけか、とサイファは納得し、けれど自分が利用されたようで気分が悪い。 「ちょっとサイファ。誤解しないでよ? アンタへの質問はただの好奇心。半エルフならどうするのかってそれだけよ? この話を外に出す気はさらさらありませんからね」 ふん、と鼻を鳴らして機嫌を損ねたアレクはそっぽを向く。勘違いをすまなく思ったサイファが頭を下げる前、シリルが肩に手を置いた。 「アレクの言い方が悪かったんですから、気にしないでください、サイファ」 「そうそう、アレクって非道だよね。メロールたちもさ、苛められてない? 大丈夫?」 ここぞとばかりにウルフが言い立て、直後にアレクから逆襲を食らう。国王が室内で戦士と追いかけっこをする様など、とても臣下にも見せられない、とシリル共々サイファまで溜息をつく。 そんな彼らを見つめるメロールとアルディアの目は柔らかかった。やり方は無謀だが、どうやらアレクの願いは通じたらしい。ふ、とサイファの口許に笑みが浮かんだ。 「そうだ、サイファ。もう一つ質問」 ウルフを追いかけながら器用にアレクは片手を上げた。反撃を試みたウルフが、すぐさま撃退される。 「なんだ?」 「さっき、アタシのこと、とっても綺麗なものに喩えてくれたわよね、サイファ?」 にんまりとアレクが笑った。いつだっただろうか、サイファは思い出す。彼のことをシャルマークの魔族のように思ったことがあった気がした。そのときとアレクは同じ表情をしていた。 「だったらね、サイファ? きっともっと綺麗で貴重なものでできてるのよね」 ウルフを捕まえ、アレクが思い切りよくその背を殴りつける。咄嗟に身をひねってウルフがよけ、そのまま反動で蹴りを放つ。国王はさらりと回避し、ウルフの首根っこを掴んだ。 「この坊やは?」 笑みを浮かべたまま、悠然とサイファは立ち上がる。思わず逃げかけたメロールとアルディアがシリルの必死の形相に留まる。 「二人がかりでいいから! サイファを止めて! 部屋とアレクが壊れる!」 「ちょっと、シリル。アタシより先に部屋なわけ?」 不満を言いつつ、アレクは掴んだウルフを突き放す、サイファに向かって。サイファが受け止めるまでもなく体勢を整えなおしてウルフがアレクに向かう、サイファと共に。 「さぁ、アレク。どうしてくれようかな?」 この喧嘩に半エルフが参戦した瞬間だった。シリルは天井に長い溜息を叩きつけ、味方につけたもう一方の半エルフを見やる。どうやら仲裁は無謀な気がした。 |