文句を言いたいが、今更このような場所で声高に罵るわけにもいかない。ただひたすら黙ってむっつりしているよりないサイファは壁際に一人佇んでいた。
 ラクルーサの、王城だった。何度となく訪れてはいるが、そう度々入ったことのない部屋にいる。部屋、と言ってしまうのがためらわれるほど広い。なんのことはない、舞踏室だった。
 アレクサンダー王主催の舞踏会に、なんの因果か引きずり出されてしまったサイファとウルフは、だからいまここにいる。
「面白くない――」
 何かにつけて、色々と面白くない。まず、人間が大勢いる。それが嫌だ。舞踏会の華やかな音楽は嫌いではなかったが、ウルフが他人と、見ず知らずの女と踊っているのが嫌だ。半エルフの自分は誰から誘われるでもなく誰を誘うでもなくじっとしている以外に何もできないのが嫌だ。
「誘いたくもないが」
 皮肉に呟いてサイファは冷えたぶどう酒を煽った。さすがに国王ともなるといい酒を出す。他愛もないことに感心して、褒める筋合いでもないことに気づく。
「面倒な」
 いっそ一人で塔に帰ってしまおうかとも思う。ウルフならば宴が果てたあと、馬でも借りて勝手に帰ってくるだろう。
「それもいいか」
 小さく言って横目でウルフを窺った。また見知らぬ女と踊っている。腹が立つが、別に嫉妬しているわけではない。一人で放っておかれるのが面白くないだけだ。
 そう、サイファ自身は思っている。アレクに語れば焼きもちだ、と笑うことだろう。くるりと回ってウルフが微笑む。ここではウルフではなくカルムと名乗る。そう言ったのはいつのことだっただろうか。まだ先王が生きていたころのこと。
「懐かしいと思うほど……」
 時が経っているわけではない。少なくとも半エルフの自分にとっては。そう思うのに、やはり懐かしかった。
 ウルフが軽く一礼して女の手をとる。胸がむかついて、新しい酒を煽る。酒ばかり飲んでいる、そう嗤う。酒もある意味では毒の一種と言うことか、半エルフに酒は効かない。軽い酔いを感じはするが酩酊はしなかった。いっそ人間のよう、酔ってしまえればいいのに。詮無いことを思う自分をおかしくも思うから、多少は酔いがまわっているのかもしれなかった。
 どうせだったら、メロールたちも出席させればいいのだ、と思う。同族がいれば気が紛れるなどと言うこともないのだけれど、一人だけ異種族の自分がさらし者になっている気がして、面白くない。
「巧く、やってはいるようだな」
 若い同族が、上手に舞踏会を回避したと言うのに、自分は断りきれなかった。ウルフがいるからだとも思う。少しだけ、恨みたくなった。
「馬鹿な」
 すぐさま撤回する。そしてそんな自分にサイファは顔色ひとつ変えないまま慌てていた。だから、気づかなかった。
「ただいま」
 ウルフが、すぐ目の前にいた。どうやら一通り踊り終わって戻ったらしい。
「退屈だったでしょ。踊る?」
「私に、何を、踊れ、と?」
「ちょっと待った! いまここで殴んのは、やめて」
「殴られるようなことを言うな!」
「だから、俺がなに言ったっていうんだよ」
 心底呆れた。一応、退屈しているのを慮ってくれたらしいのは、評価する。ありがたいと思うし、嬉しくもある。だがいうに事欠いて踊るか、とは。
「若造。よく考えて物を言え」
「できるだけそうしてんだけどね」
「どこがだ! お前と一緒に、人間の舞踏曲を踊るということはだな――」
「あぁ、そっか。あんたが女のステップ踏むことになるのか。それはちょっと……」
「見苦しいにもほどがある」
「え? 俺、凄い可愛いかもって思ったんだけど。ちょっと見たいなって」
 サイファは手を握り締めた。ふるふると拳が震える。うつむき加減の彼の表情は窺えなかったけれど、明らかに怒りを耐えているのはウルフですらも理解できる。そっと一歩下がった。
「……逃げるな」
「ここで逃げなかったら、俺って本物の馬鹿だと思うんだけど」
「本物がなにを言うか。殴ってくれる。顔の形が変わるほど殴ってくれる!」
 さすがに人に聞かせられる会話ではないことくらい、サイファにもわかっていたから、ずっと小声で話しては、いる。そのぶん押し殺した怒りの声が恐ろしい。
「……サイファ」
「なんだ!」
「あとでね。帰ったら、いくらでもやっていいから。今は、ほら。アレクの顔立てないと!」
 引きつり加減のウルフにサイファが微笑む。艶然と、この上もなく獰猛に。下がりかけたウルフの背が、何かに当たった。否、支えられていた。
「あら、アタシがなんですって? アタシの顔立てるのどうのって聞こえたけど?」
「……よせ」
 怒りが、急に萎んだ。代わってどうしようもない虚脱感に囚われる。国王の、立派で大袈裟な正装に身を包んだ男が女言葉を使うのは気色悪くてかなわない。
「いつもだったら逆なのに。どうしちゃったのかしら、サイファったら。ご機嫌斜め?」
 問いはウルフに対して。困り顔で彼がうなずいているのが視界の隅に映っていた。
「んー。たぶん一人ですることなくってつまんないんだと思うよ?」
 ウルフが言うと、なぜこんなにも大したことでないように聞こえてしまうのだろう。嫉妬していた自分が馬鹿らしい、と先ほどまで焼きもちなど断固として妬いていないと固く信じて疑わなかったサイファは思う。
「うん。そうだ。シリルもいるよね?」
「あっちでご婦人にとっ捕まってるわよ」
「もてるねぇ」
「そうよ。焼けちゃってかなわないわぁ」
 軽やかに言ったアレクに我が耳を疑う気分でサイファは彼を見る。呆れたことにアレクは片目をつぶって見せていた。溜息が出る。
「ねぇ、やっぱサイファ。踊ろうよ」
「……若造」
「だから! あんたに女のステップ踏めなんて無茶は……」
「言うんだろうが!」
「言いたいけど我慢する」
 これには、敵わなかった。ウルフが笑っていた。こんな顔でにっこり笑われたら、なぜかはわからないけれど、サイファには逆らう術がなくなってしまう。溜息は、同意だった。
「それで。お前はなにをたくらんでいる?」
「そんな人聞きの悪いこと言わないでよ」
 さも心外だという顔をして見せるウルフ。あまりにも嘘くさくて溜息すらついてやる気になれない。
「アレクもさ、シリルと踊りたかったりするよね?」
「あら。踊っていいんだったらドレス着てくるわよ」
「アレクはそれでもいいだろうけどね」
 サイファにそんなこと言ったら殺されちゃう、嘯いてウルフはまた笑った。むっつりと機嫌悪くサイファは黙っている。が、一人きりでいたときのどうしようもなさはもう感じていなかった。
「楽団。なんでも演奏できる?」
「たいていのものは平気よ」
「じゃ、頼んでこよ。あ、俺が行っても平気?」
「いーわよ。アンタ、とりあえず賓客だもの」
 とりあえず、と言うあたりにアレクの本心が透けている。彼もまた、この舞踏会を楽しんではいない。それがわかるからサイファは嫌々ながらもここにきている。
「坊主、なにしでかすつもりだろうな?」
「……よせ」
「アンタな。俺にどっちで喋れって言うんだよ?」
 茶化した口調にアレクを見やれば悪戯めいた紫の目。呆れるより、笑ってしまった。強張っていた肩から力を抜いて、舞い踊る人々を見やる。新鮮な目で見れば意外と綺麗なものだった。
「なるほどね」
 曲が終わり、新しい曲がはじまる。くっとアレクが喉を鳴らして笑った。
「これだったら、俺たちもアンタたちも踊れるわけだ」
 何かわかるか、とアレクは目顔で言う。無論だった。サイファは呆れて笑うしかない。
「春でもあるまいし」
「春?」
「お前たちはどう思っているのか知らないが、元々は春の祭りの舞踏曲だ」
「元々?」
「半エルフの、と言う意味だな。春と言うよりは、我々の時間感覚だから、百年単位の新しい季節の初め、ぐらいの意味だが」
「どこが春なのよ」
 また女に戻ってころころ笑うアレクに頭痛を覚え、けれど嫌な気持ちはどこかに行った。舞踏室の中央でウルフが呼んでいる。いつの間にかシリルも進み出た。兄を手招き、微笑む。
「せっかくのお誘いですもの、応じなくっちゃ女が廃るわー」
「誰が女だ誰が!」
 小声で罵りつつサイファは笑い、やはりウルフの元へと足を進めた。
「ほら、これだったら古い曲だから、あんたも知ってるでしょ。それに、これは――」
「男女の組で踊る決まりはないからな」
 あるはずがない。サイファの同族は女性体では生まれない。
「そうそう。やっぱ知ってた。よかった」
 あんただったら絶対知ってると思ったんだ。ウルフはそう言ってのサイファの手をとる。握られた手を振りほどいてウルフのそれと打ち合わせる。それが決まりだった。少しずつ、進み出てくる組が多くなった。同性同士、あるいは異性で。サイファが春の祭りといったよう、華やかな旋律に乗ってあるいはまわり、あるいは離れ。
「サイファ」
「なんだ」
「巧いね」
 にっとウルフが笑う。軽い足取りで背を返してすぐに顔は見えなくなる。サイファもまわる。顔を合わせて手を打ち合う。
「誰に習ったの?」
「さて。なんのことだ?」
 そ知らぬ顔をしてとぼけたサイファにウルフが少しだけ寂しそうな顔をした。唇の端を吊り上げてサイファが笑う。意地の悪い顔だった。それでもウルフの表情は輝く。
 もう少しだけ、意地悪をしてやればよかった、と思った。あんなに面白くない思いをしたのだから、疑うくらいさせればよかった。実際、サイファにこの踊りを教えたのは同族だったが、最も多く踊ったのは同族ではない。
 けれど――。ウルフの笑顔を見た瞬間に、そんな気は消し飛んだ。
「間抜けな顔をしてへらへら笑うな。みっともない」
 踊りながら罵られてもウルフはこたえない。まるでへこたれずに、またもへらりと笑った。
「だってあんた、けっこう嫌いじゃないでしょ」
 こんな顔が。俺のことが。ウルフの口にしなかった言葉にサイファは赤面し、顔をそむける代わりもう一度くるり、まわった。




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