星花宮に程近い中庭に王城に勤める侍女たちが集っている。何事かと視線を向けたシェイティは思わず顔をそむけた。 タイラントが歌っていた。歌っていることそのものに文句はない。侍女たちに囲まれてへらへら笑っているのが、気に食わない。 タイラントは意外とあっさり城の人々に受け入れられた。シェイティはそれを皮肉に思う。 「当然だよね」 王城には半エルフだの闇エルフの子だのがごろごろしているのだ。今更、多少外見が変わっている程度の「人間」が加わったことに脅威を覚えるはずもない。 ましてタイラントのあの美貌だ。黙っていれば立派に美貌で通る、とシェイティは思う。透き通る真珠のような銀髪。左右色違いの目だとて、迷信を捨て去れば美しい。 その上タイラントは吟遊詩人だ。歌と楽器はお手の物。シェイティにしてみれば下手この上ない話術も、侍女には新鮮なものらしい。 「ねぇ、ちょっと。そんなところで油売ってる暇があるわけ? 僕が出した課題はどうしたの。もしかしてできてるとか? あぁ、僕はなんて幸せなんだろう。弟子の出来がいいととっても楽だよね、タイラント」 つかつかと近づいて、一気にシェイティはまくし立てた。タイラントの歌声はぴたりと止まり、侍女が引きつる。 「えっと、その。実は、まだかなぁ、なんて」 「ふうん、そう。で? あなたは今ここでなにをしてるわけ? 休憩? たいしたもんだね、師匠の目を盗んで勝手に休むなんて、ほんといい度胸だ」 「いや、だから! ちょっとだけ!」 「ちょっとがどうしたの。あなた、確かに魔法は使える。でも基礎はぼろぼろじゃない。そんな魔術師、放り出せると思ってるわけ。僕の名前に泥塗る気?」 「だからどうして君はそうやってまくし立てるんだよ! 俺の話もちょっとは聞けって!」 「問答無用」 「シェイティ!」 悲鳴じみた声をあげ、タイラントは華やかに笑った。シェイティ一人が不機嫌だった。侍女など、とっくに全員が逃げている。 「ほら、逃げちゃったじゃんかー」 「別に僕に不都合はないけど?」 むっとしたシェイティに、タイラントは目許だけで笑った。そうすると一見、酷薄そうにも見えてしまう美貌が途端に人懐こいものになる。 「もしかして、シェイティ」 「妬いてないから。戯言ぬかさないでね、耳が腐る」 「って、君。そこまで言うか?」 「そこってどこ。僕はものすごく機嫌が悪い」 「それはわかってるけどー」 黙っていれば美しい、とシェイティが思うのはこんなときだった。見目形と喋り方にあまりにも隔たりがありすぎる。もっとも、それを好んでいることは口にしない。しなくともたぶん、伝わっている。 「なぁ、シェイティ」 「なに。たらたら喋らない。用事があるならさっさと言う。僕は忙しいんだ。あなた一人の面倒見てるわけじゃないんだからね」 「言う! 言うからまず! この、手を、どけろって!」 無自覚にシェイティが喉元に伸ばしてきた手を必死になってタイラントは振り払う。首を締めるシェイティ自身がきょとんとしているものだから、タイラントは呆れそうになる。 「あぁ……別に殺そうとは思ってないから」 「そんなことはわかってるよ!」 「どうして?」 「だって俺は君に愛されてるから……って、痛い痛い痛い!」 引き離した手が、離し切れずに頬の辺りにあったのが不幸だった。掴みかかろうとするシェイティの爪が思い切りタイラントの頬に食い込む。 「あんまりにも馬鹿なこと聞いちゃったから、つい」 「ついですますなよ!」 「だったら自覚的にやったほうがよかった?」 「それはそれで困る――って、そんな話してるんじゃないだろ。本題、本題!」 「僕はあなたが吐くのを待ってたような気がするんですけど?」 にっこり笑ってシェイティは言った。だったらおとなしく聞いて欲しい、とタイラントは内心で思う。その途端シェイティの目が険悪になった。 「未熟者」 「え?」 「あなたが僕のそばにいたいのはよくわかってる。僕にべったりへばりついてたい気持ちもまぁ、理解してあげるよ」 さも嫌そうにシェイティは言う。だからタイラントは彼自身も同じように感じていることを悟って緩む頬を抑え切れなかった。 「でも! 自分の感情を垂れ流さない! あなたの考えてること僕に筒抜けなの、ものすごく恥ずかしい。それに僕に聞こえたってことは星花宮の魔術師って名乗れるような腕を持ってるやつら全員に聞こえてる。それっていいこと?」 魔術師同士ならば、精神の接触によって意思の疎通を図ることが可能だ、とはタイラントも教えられている。かつてシェイティに聞いたことを、いまこの自分ができる、それを嬉しくも思ったものだが、これが意外と難しい。 難しい、と言うより人生最大級の難事だった。そもそも吟遊詩人に感情を制御しろ、と言うのが間違っている、とタイラントは思わなくもない。が、それを言えば今のお前は魔術師でもある、と反論されるのは目に見えていた。そしてシェイティの言葉の意味に気づいてタイラントは顔を青ざめさせる。 「……それって、もしかして、カロル様にも?」 「完全に聞こえてるね。あの人、耳がいいいから」 「耳の問題なのか?」 小さく呟けば罵倒された。シェイティの口の悪さは確実にカロルの悪影響だ、とタイラントはちらとり思って慌てて否定する。これもカロルに聞こえてしまっては後が怖い。 「もうちょっと自制してよ。別に僕は世界中に愛を叫ばれなくったって、あなたが僕を好きなことはしみじみよくわかってるから」 「あのさー、シェイティ。ものすごく嬉しい言葉なんだけど、それならそれでもうちょっと嬉しそうに言ってくれない? 溜息交じりで言われると、ちょっと……」 「溜息つきたくなる僕の気持ちのほうを察して欲しいもんだね。それで、また本題がどっかにいってる気がするけど?」 そう言ってシェイティはあからさまに長い溜息をついた。話が長くなる、と理解したのだろう、ようやくタイラントのそばに腰を下ろす。 「あのさ、君に聞きたいことがあって」 「そんなもん、ためらうようなこと? 早く言いなよ」 「そりゃ、俺だって悩みもあれば戸惑いもあるし」 「すごいね、タイラント」 「なにが?」 「悩むような高等な頭を持ってたんだ! びっくりしたよ、僕」 「さすがにそれって酷くない?」 うなだれて見せたのが吟遊詩人の演技であることなど見通すまでもない。それでもシェイティは小さく笑ってタイラントの髪を撫でる。 「早く言いなって」 シェイティの声音にタイラントは上目遣いに彼を見上げた。その顔が笑み崩れる。とろとろに蕩けきって、美貌も台無しだった。 「君はさ――」 口を開いたタイラントの表情が引き締まる。シェイティの手を握り、なだめるよう自分の手の中に包み込んだ。 「俺が歌うの、嫌い?」 「は? なに馬鹿なこと言ってるの。頭に虫でもわいてるんじゃないの。それとも変なものでも――」 「食べてないって! それに、頭に虫もわいてない。あのさ、シェイティ。さっき俺が歌ってたときもそうだった。前もそうだった。何度も見てる。一度は見間違いかと思ったけど、でも」 「だから、どうしてあなたの話はそうまどろこしいの。そういう面倒くさいのはリオン一人で充分。要旨をさっさと言う!」 「君は俺が他の人に歌ってるとき嫌そうな顔をする!」 悲鳴のようなタイラントの叫び声だった。そんな風に叫んだりしたら大事な喉を痛めるではないか、そう思うのに言葉には出せないシェイティだった。 「嫌な顔、するよな。別に確かめようと思って歌ってたわけじゃないけど。でもやっぱりさっきも嫌な顔してた。だから、シェイティ。はっきり言って」 「なにをさ」 むっつりと言うぶん、自分の本心が透けそうでシェイティ唇を噛む。その本心とやらもいったいどこにあるのか自分自身でわからないというのに。 「嫌だったら嫌って言えよ。俺は君のために歌うのが一番好きだ。君が好きだ。君しか要らない。だから、君が嫌なことは、したくない」 とんでもなく華やかな言葉。タイラントと言う男を知らなければ、たちの悪い冗談にしか聞こえない。 「言葉の選択が悪いよ、頭痛がしてきた」 タイラントの言いたいことはシェイティにはよくわかっていた。それでもそんな風にしか茶化せない自分が少し、もどかしい。 「シェイティ!」 案の定タイラントは声を荒らげた。吟遊詩人の大事な喉に負担をかけさせたくなどないのに。それを言うことも伝える術もなくてシェイティはタイラントに寄り添う。ほっとタイラントが息をついた。だからきっと、伝わった。 「あのね、タイラント。なに馬鹿なこと言ってるの」 「だって!」 反論しようとするタイラントの手を掴み、無理やり自分の体にまわさせた。そうしておいて彼の腕の中にもぐりこむ。胸に抱えられて、子供のようだと自分で自分がおかしい。が、こうして包まれるのが好きだった。 「いくら歌うからって、あなた鳥じゃあるまいし。鳥籠にいれて飼う気はないよ」 「でも」 「別にいいよ、歌いたければ歌えば。嫌な顔、してたかな? あんまり自覚してなかったけど。嫌な顔だって言うならたぶんね……」 「やっぱり妬いてたんじゃないか」 言葉を濁したシェイティの髪にくちづけ、タイラントは顔を埋める。からかう口調がわずかに濡れた。 「そこ、追及しない。僕はあなたが僕じゃない誰かに囲まれてへらへらしてるのを見るのが癇に障るんだ、たぶんね」 「だったら――」 「それも、気にしなくていい。僕が慣れるべきことだから」 「シェイティ! 言ってるだろ、俺は」 「だから、言ってるでしょ。僕はあなたを鳥籠に閉じ込める気はないの。吟遊詩人には聴衆が必要って言ったの、誰? あなたが聴衆に囲まれたいって言うなら、否定はしない。それに僕は知ってるし」 「……なにをさ」 不機嫌な声はまるでシェイティの声をうつしたかのよう。密やかに笑ってシェイティはタイラントの胸に寄り添う。 「あなたの歌が違うことを、だよ」 腕の中から見上げた。タイラントは驚くでもなく微笑んでいる。細めた色違いの目に見惚れ、シェイティは慌てて視線をそらした。 「あなたの歌、違うよね。僕に歌う歌と、他の人に聞かせる歌。同じ世界の歌い手の歌かもしれない。でも、僕に聞かせるのは絶対違う。それだけは、わかってる」 「それを、わかっててくれれば、充分かな」 「そこまで舐めてたわけ?」 「まさか。……ほんと、楽しいよな」 「なにが?」 「君がいて、俺がいて、それで充分かなって思うのって、すごく幸せだよ」 痛いほどきつく抱きしめられた。軽やかに言ったつもりの声は吟遊詩人らしくなく震えていた。 「あんまり――」 「幸せで怖いなんて陳腐なことぬかしたら、絶縁してやる」 「ちょっと待て、それって酷くないか、シェイティ!」 高らかに非難しながら、タイラントはやはり幸せだった。シェイティがそう言ったということは、彼もそう感じていると言う明らかな証拠なのだから。 声高に叫ぶ吟遊詩人の目が笑っているのをシェイティは今だけは見咎めずにいてやる、と心に呟く。一度視線をそらしてそれからタイラントを見やる。 その意味を、タイラントが間違うことはなかった。そっとついばむようにして触れられた唇。恥ずかしいよりもどかしい。腕を伸ばしてタイラントの頭を抱え込む。深いくちづけに酔う寸前。 「そーゆーことは部屋でやれ、馬鹿弟子ども!」 思い切り頭をはたかれたシェイティはカロルの姿を見る。こちらは蹴り飛ばされたのだろう、タイラントが地べたに這って呻いていた。 |