少し前からシェイティが愛らしい格好をしていた。もっとも、そう見えているのはタイラントだけであってたいていの人はなぜかいっそう冷たく恐ろしく見えているらしい。
「可愛いんだけどなー」
 当のシェイティからこっそり隠れてタイラントは呟く。いま彼は花壇の手入れ、ではなく薬草の具合を見ているようだ。冬場でも葉を茂らせるもの、寒さにそれほど強くないもの。シェイティは一株ずつ草花の様子を確かめていく。
 その背が防寒用と言うには頼りなさそうな、毛糸で編んだケープで飾られていた。

 少しばかり時間は戻る。
 シェイティがメグのところを訪れたのは偶然ではなく彼女に呼び出されたからだった。
 メグはシェイティの星花宮帰還より先にここで働き始めていたから、すっかり馴染んでいる。むしろ星花宮の影の主とでも言った方が正しい。
 元々下働きの居つかない星花宮だ。ごく当たり前の人間にとってはわけのわからないことばかりをしている魔術師たちの住処に彼女はあっという間に馴染み、そして支配した。
 数少ない料理人を指揮し、侍女たちを監督する。下男に薪割りをさせていたかと思えば、厨房の傍らで繕い物をしていたりもする。とにかく老齢とは思えないほどよく働いた。それも実に楽しそうに。
「メグ。何か用?」
 ただでさえ広い上に召使いの数が少ない星花宮だ。メグはその働きにより私室を与えられている。はじめて持った自分の部屋に、それでもメグがいることは少ない。
「あぁ、用があるから呼んだんだよ、そこにお座りな。あんたもだよ、可愛い子」
 だから彼女の部屋に呼ばれるのは珍しいことだった。不思議そうに部屋の中を見回すシェイティと共にタイラントもいる。少しばかり疲れた顔をしているのは修行が忙しいせいか。
「ありがと、メグ。呼んでくれるのって嬉しいな」
「ほんとはねぇ、あんたがたを呼びつけちゃあ、いけないんだろうけどねぇ」
「なに言ってるの、メグ。僕は別にそんなこと気にしないし、たぶん誰も気にしないけど?」
 これで一応はシェイティも王家の臣だ。それも星花宮は国王直属の組織でもある。と言うことはつまりシェイティは国王の親しい臣下でもある。メグのような庶民にとって、爵位こそ持っていないもののシェイティは貴族と似たようなものだった。
「うん、メグ。よくわかる。俺もすごい気になってたんだけど、観察してるとさ、誰も気にしてないんだよね、そういうこと」
「だからメグが気にすること、ないと思うけど? だいたい恩人に敬われたりするのって、ぞっとしないよ」
「あんた、まだあたしを恩人だなんて言うのかい?」
 わずかばかり興味深そうに、それよりいっそう楽しそうにメグの老いた目が煌いた。
「言うよ。死ぬまで言うよ。僕の一生を変えてくれたのはメグたちだからね」
 彼女とミルテシアの居酒屋の主人に商家の老人とその孫。それからもちろんタイラント。
 シェイティは忘れていない。決して忘れることはない。あのとき彼らが助けてくれなければ、いまのこの幸福はないのだと。
「義理堅い子だねぇ。そう思わないかい、可愛い子?」
 茶化すように言ったのは、タイラントの目が潤んでいたせい。感情過多でいつもシェイティを怒らせてばかりいる吟遊詩人を力づけたかった。こんなにも愛されている、と。
「さてと。とはいえね、忙しいあんたたちをいつまでも引き止めておくわけにもいかない。用事ってのはこれだよ」
 今にも泣き出しそうなタイラントを少しばかり放っておいてやることに決めたメグは腰掛けたまま体をひねって何かを取り出した。
「こんなもの、作ってみたんだけどね。もらってくれるかい?」
「なに、これ!」
「見てわかるだろう? ケープだよ、ケープ。あんた、ちょっと外に出るときなんか寒そうな格好してるじゃないか」
「僕は魔術師なんだよ。多少の気温には左右されないの」
「そういうことを言ってるんじゃない、見てるあたしが寒いのさ」
 肩をすくめたメグが言う。だからたぶんそれは、言い訳なのだ。シェイティに何かを贈ってくれる、行為そのものに対する言い訳。本心は、聞かなくともわかった。
「……わかった、もらっとくよ」
 隣でタイラントがまた目を潤ませていた。喉に詰まる声をなんとか飲み下そうとしているのがよくわかる。
 メグに案じられていた。実に孫のように。否、孫たちのように。シェイティだけではなく、タイラントも。
「メグ……」
 喉に絡んだ声のままタイラントが彼女を呼ぶ。聞こえなかったふりをして老女はシェイティにケープを広げて見せた。
「中々いい出来だろう?」
「ねぇ、もしかしてメグが編んだわけ?」
「他に誰が作るって言うんだい?」
 茶目っ気たっぷりに言って、それでもメグは自慢げだった。少しばかり胸をそらしたメグに、いま泣きそうだったことも忘れてタイラントが驚きの声を上げる。
「すごいよ、これ! 何、どうなってるの!」
「……ほんと、驚いたときのあなたって頭悪そうだよね。もうちょっとなんとかならないわけ?」
「ならないよ! だって、すごいよ! ほら、シェイティ、この模様!」
 タイラントがケープに編みこまれた模様に感嘆していた。手仕事、と言うことに馴染みのない彼にとってそれは複雑怪奇な文様だった。いったい何をどうしたらこうなるのか見当もつかない。まるで呪紋だ、と思う。そう感じた途端、清々しい風を感じた。
「わかる、タイラント? これ、半エルフの模様だよ」
「あぁ……そうか……それでなの、かな? とても気持ちのいい風を感じるよ。まるで深い森にいるみたい。それなのに空は開けてるんだ。それで小さな泉があって、鏡みたいに凪いでるんだ。そこにちょっとだけ風が吹く……」
「ほんとそういう勘だけはいいよね」
 むつりと言ったのにメグが笑ってしまって台無しだった。シェイティは小さく彼女にだけ笑って見せる。
「さすがだねぇ。この前アルディアに習ったんだよ。せっかくだからやってみたくってねぇ」
「これって、あの人たちはレースに編むよね?」
「なんてこと言うんだい。こんな年寄りにあんた、これをレースに編めっていうのかい。無茶言いなさんなよ」
「言ってない。よくレース編みの模様を毛糸でやったなって思ったの」
 その言葉にタイラントが愕然とした。よくよく思い返せばシェイティはメグとちゃんとした会話になっているではないか。自分は何がどう編まれているかわけがわからないと言うのに。
「……シェイティ?」
「なに?」
「もしかして、君って……編み物、できたりするの?」
 恐る恐るの問いにシェイティの目許が険悪になった。慌ててできるだけメグの周囲の壊れ物を避難させて、けれどタイラント自身は逃げなかった。
「ねぇ、あなた。僕をなんだと思ってるの?」
「えー、それは、その! 俺にとってはすごい可愛い人なんだけど、でも魔法の師匠としてはとんでもなく怖いって言いますか!」
「どういう意味。それ」
「そのまんま! て言うか! 君が器用だということ自体が信じがたい事実って言うか! むしろ手仕事ができるならなんで料理ができな――」
 最後まで言うことはできなかった。無言で喉を押さえて悶絶するタイラントにシェイティは溜息をつく。
「あれまぁ、可哀想にねぇ」
 実にのんびりとメグが言った。だからメグには見抜かれている。間違いなくタイラントもさほど苦しくはない。そしてわかっていて、彼はもがいて見せている。
「ちょっとしばらくそうしてる?」
 あんまりにも癪でシェイティはそう言って唇を尖らせた。
「シェイティ! ごめん、許して!」
 つまり喋れる程度でしかないのだ。シェイティが真面目に魔法を放てば、瞬きの間に喉は潰れる。いまタイラントの喉にはやんわりと綿でも触れている程度の魔法がかかっているだけだった。
「ねぇ、タイラント。僕は魔術師なんだ。自分の着る物くらいは自分で整えるのが当たり前。縫い物も編み物も一通りはできるけど? もちろん、魔法でね」
 にっこり笑ってシェイティが言う。その笑顔がどうしてこんなに怖いのだろう、とタイラントは思う。最愛の恋人で、なにをおいても愛しい人で、たった一つの宝物のはず。それなのに。
「なんで怖いんだよー!」
 思わず絶叫したタイラントにシェイティは笑みを向け続けていた。
「そんなの僕の知ったことじゃないね」
 笑みが更に深まる。さすがにメグも椅子を動かして避難した。
「あなたが僕を怖がるのはあなたのせい」
「ごめん、訂正!」
「なにを?」
 いっそ優しいくらいの声だった。タイラントは必死になって自分の声を整える。それから軽くかかっているだけの魔法を振り払う。合わせて解除してくれたのだろう、喉が楽になった。
「君が怖いんじゃない。君があんな風に笑うとき、俺は間違いなく君を怒らせてる。だから、怒らせちゃったことが、怖いんだ」
 嫌われるかもしれないから。今度こそ愛想をつかされるかもしれないから。
 言葉の向こうの声がシェイティにも聞こえた。長い溜息を一つ。こうやって何度も繰り返す。
「僕っていい加減馬鹿だと思うよ、あなたを許すんだから」
 それでもこんな自分が嫌いではなかった。タイラントも嫌いではなかった。むしろ。
「おやおや、ただの痴話喧嘩だってわかっちゃいるけど、相変わらず派手だねぇ」
「まぁね、こいつの呼び名は派手野郎だしね」
「あぁ、カロルかい?」
「うん。いっつも派手だの鳥だの罵ってるよ。反論しにくいのが一番、癪だよね」
「できれば反論してくれると嬉しいんだけどな」
「反論できる程度に賢くなりなよ」
「……善処します」
 しゅんとうなだれて見せたタイラントにメグが笑う。シェイティもまたつられたように笑った。
「ありがと、メグ。大事に使わせてもらうよ」
 ケープそのものも嬉しい。けれど彼女のその心が。
 メグは気づいていたのだろう。何かと騒がしい、けれどいままで彼の生活になかった星花宮の環境に、タイラントの心が疲労していることに。だからほんの少し彼を楽しませてくれた。その心が尊かった。

 再び時間は進む。そしていま、そのケープはシェイティの背にあった。柔らかな薄青は砂糖菓子の色味。それでもほとんど灰色に近いような色合いのせいで甘くはなかった。冷たさと甘さのぎりぎりのせめぎ合い。まるでシェイティのようだとタイラントは思う。
 ふと風を嫌ったのかシェイティがケープをかき合わせた。緩く作られた背はそのままフードにもなるよう編まれている。フードの縁でもあり、いまは喉元にかき合わされている襟元でもある部分だけ、メグは毛皮で縁取っていた。ふさふさとした兎だろうか、純白の毛がシェイティの頬に触れていた。
「うん、やっぱり可愛いよな」
 それをカロルに言ったら目が悪いとさんざんに罵られたけれど、今になって思う。もしかしたらあれは婉曲すぎて理解できなかっただけで、同意なのではないだろうか。
 シェイティがかがんで薬草の様子を見る。はらりと頬にかかった黒髪を頭を振ってよけていた。
「よし」
 タイラントは意を決して歩き出す。それにあわせるようにしてシェイティが振り返った。
「やっと出てくる気になったの? いつまで付けまわす気かと思ってたよ」
「気がついてたならそう言えよ!」
「どうして? 黙って僕を眺めてるのが趣味かと思ってたんだけど」
「そんなわけないだろ、気持ち悪い」
「うん、そう思う。趣味だって言ったら捨ててた」
「だから捨てるな!」
「窓から放り投げようか、それとも神殿前にする? ちゃんと可愛い箱に入れてあげるから」
 にっこり笑ってシェイティは言った。半分くらいは本気ではないかと思わなくもないがタイラントは笑ってシェイティを抱きしめる。
「きっと俺を捨てたら。君はきっと捨てた先までついてきてくれるんだ」
「馬鹿じゃないの。それじゃ捨てたことにならないじゃない」
「ならないよ。だって、君は俺を捨てたりなんかしないから」
「……やっぱり、馬鹿」
 呟いて、けれどシェイティはタイラントの胸元に顔を埋めた。タイラントのぬくもりに温められた空気を胸いっぱいに吸い込むような仕種。まるでタイラントに包まれているだけでは足りないといわんばかりの仕種など、間違いなくシェイティは意識していないだろう。だからいっそうそれが好きだった、タイラントは。
「シェイティ、君が好きだよ。こんなんじゃ、伝えきれないけど。でも、もらってくれる?」
 顔を上げたシェイティは不満そうだった。ぬくもりから外れたとき、いつも彼はこんな顔をする。
「……何、これ」
 だが、不満げな表情は、あっという間に険悪なそれへと変わった。慌ててシェイティを抱きしめるが、なだめられてはくれなかった。
「ちょっと! この馬鹿! 本気で馬鹿なの!」
 タイラントが差し出した髪留めにシェイティは思い切り彼を睨みつける。確かに趣味はいい。物もいい。華美ではない細工といい、小さな光る石といい、趣味としては悪くはない。だが。
「どういう了見なの! あなた、僕に女物の飾りくれるの、これで何度目!?」
「女物かどうかなんてどうでもいいだろ!? 君に似合いそうだって思ったんだから!」
「それって僕に女物が似合うって意味だよね、タイラント」
「そうじゃない! そうかもしれないけど、そんな意味じゃないんだってば」
「だったら何?」
 冷ややかに言うシェイティの体をメグのケープだけが包んでいた。複雑な半エルフ由来の模様が彼を縛っているように見えてタイラントは顔を顰める。
「……作業中、髪の毛、邪魔そうにしてたから。留めるのにちょうどいいかなって思って。ただ、それだけだったんだ。似合いそうだって、思ったのはほんとだけど。でも」
 言葉の足らない吟遊詩人。垂れ流しすぎて何を考えているのかわからない感情。言いたいことの半分も言えない吟遊詩人。
 だからこそ、わかってしまった。本当は最初から気づいていた。女物がどうのではない。ただこの髪留めが似合いそうだと思っただけ。自分に似合いそうだと思ったから、それだけで贈ってくれた。
「……わかったよ」
 言うべき言葉は違う。わかっていたよ、だ。それでも言えないシェイティはむつりとしたまま髪留めを彼の手から奪う。
「もらっておいてあげる。ちょうど髪の毛、邪魔だったしね」
 言って無造作に前髪を留めた。軽く留めるだけでずいぶんと視界が広がる。もしかしたら伸びすぎかもしれない。
「シェイティ!」
 似合うね、とは言わなかった。口癖のような好きだよ、も出なかった。ただタイラントは名を呼んだ。それだけで喉を詰まらせた。
「なにぼうっとしてるの。来たんだから手伝いなよ。僕一人に薬草の面倒見させる気? だいたいこれは――」
 思わず口走りそうになってシェイティは不自然に口をつぐむ。その間に呼吸を整えたタイラントがにんまりと笑った。
「俺の傷薬と、喉にいいやつだよな」
 思い切りタイラントを睨みつけたシェイティは、無言で背を向ける。それでもタイラントの目には鮮やかに映っていた。
 失言に頬を赤らめたシェイティ。照れて言う言葉を探して、けれど言えなかったシェイティ。背を向ける直前の、満足そうに緩んだ口許を隠さなかったシェイティも。全部タイラントに見えていた。




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