「ちょっといい?」
 フェリクスがカロルの部屋を訪れたのはちょうど三人揃って茶を飲んでいる時だった。部屋の主であるカロルとリオン、それにメロールだ。
「あ? なんの用だよ」
「用があるから来たの。だめならだめって言えばいいじゃない」
「だめだたァ言ってねェだろうがよ」
 苦笑してカロルが座れ、とソファを示す。どことなくメロールが苦笑していた。
「で。俺に用なのか?」
 腰の軽い師匠は、弟子に茶を淹れてやる。もっとも、フェリクス自身すでに弟子のいる身だった。ここにはだから、星花宮が誇る最強の魔導師が勢揃いしていることになる。
「カロルにっていうより、カロルとメロール師にね。ちょっと用事。相談、かな?」
 悪戯めかした口調ながらもカロルはさすがだった。弟子の声の中にわずかな緊張を聞き取る。それに少しばかり顔を顰めかけ、強いて戻した。
「だったら――」
 さっさと言いやがれ。そうとでも言うつもりだっただろうカロルをメロールが制した。じっとフェリクスを見つめる。殊勝にもリオンは黙ったまま彼らを見ていた。だからこそフェリクスがよけいに苛つくのだけれど。
「フェリクス。どうしたの?」
「――タイラントのこと」
「あ? あのクソ派手野郎――」
「だからカロリナ、少し黙ってなさい。いいね? それで、フェリクス」
 じっと見つめてくる半エルフの眼差しが居心地悪かった。フェリクスは身じろいで、なぜかリオンを見てしまった。大丈夫ですよ、そんな顔をして微笑んでいる神官。ぷい、と目をそらせばそちらには半エルフ。溜息をついて彼は語りだす。
「タイラントって言うか、僕の弟子たち、が正しいかな」
 実に異例なことに、フェリクスはタイラントと言う弟子を得てはじめて師の名を許された。つまり、一人前の魔術師として認められた。そして一人前になった以上、フェリクスにはもう何人もの弟子がいる。
「そろそろあいつも、それから覚えのいい何人かも、最終試験だよね」
「まだ早ェよ」
「すぐにってわけじゃない。あと数年。そんなところじゃない?」
「まぁな」
 こくりとカロルがうなずく。それにフェリクスは安堵した。自分の目は間違っていないと。普段は決して認めない。だがフェリクスは今でも師を頼りにしていた。自分は正しいのか。間違ってはいないのか。カロルに問いたくなってしまう。
「ねぇ、そこのボケ神官。あなたにも弟子がいるよね。ちょうど僕の子供たちと同じくらいに最後の試験だと思うけど?」
「いますけど。その呼び方、やめてくださいね。うっかり切り殺しちゃいそうです、私」
「それ、笑って言うこと? そのつもりだったら相手はするけど?」
「……テメェら。冗談は後でやれ。いまはそういう話してんじゃねェだろうがよ」
 頭痛をこらえるようなカロルの表情をメロールが笑った。自分は長らくそのような思いをしてきたのだと如実に語るその眼差し。しみじみとカロルは半エルフに同情される我が身を思う。
「で。本題入れ、本題! 弟子どもが卒業する、それになんの問題があるってんだよ、え?」
「問題は卒業そのものじゃない。そんなはずないじゃない。僕だって子供たちに手がかからなくなるのは嬉しいよ。ほんと、面倒で大変だもの」
 嘯くフェリクスをメロールが微笑んで見ていた。口ではどうとでも言える。だが星花宮の魔導師の中、最も弟子を慈しむのはフェリクスだとメロールは知っている。そしてカロルもリオンも。その理由さえ。
「名前だよ」
 ぽつりとフェリクスは言った。唐突なそれにメロールが首をかしげる。カロルが顔を顰め、リオンはわずかに青ざめた。二人顔を見合わせもしや、と目顔で語り合う。カロルが首を振った。
「そこ、何やってるの? 僕に内緒の話でもあるわけ? だったらあとでやって。別に話せとは言わないけど、目障り」
「はいはい。ったく、口うるせェ弟子もいたもんだ」
「そっちが悪いんでしょ。内緒話は人と話すときにするもんじゃないじゃない」
「えーと、フェリクス? とりあえず本題に戻りませんか。名前がどうしたんです? ここで名前と言うからには、師の名のことですよね。もしかして、あなたの名をタイラントに許すつもりはない、なんてつれないことを言い出すつもりだったり?」
「うるさいなぁ。どうしてそれがつれないのなんのって話になるわけ? そうだよ、僕はタイラントに僕の名前を名乗らせるつもりはこれっぽっちもないね」
 言い放ったフェリクスにリオンが眉を顰めた。カロルが何かを言いかけるのを手で止めて、リオンはフェリクスを覗き込む。
「言いたくないですけど。私、カロルの名をもらうの、これでもすごく楽しみにしてました。あんまりにも例外的すぎるからってもらえなかったの、残念だったんですよ? あなたはタイラントにそれを味わわせるつもりですか?」
 じっと覗き込んでくるリオンの眼差しを、いまのフェリクスは真正面から見つめ返す。鬱陶しいとは思わなかった。
「そうだよ」
 ゆっくりとうなずき、フェリクスはカロルに視線を移す。説明しろ、彼の表情が語っていた。
「そうだね。話があっちこっちじゃ、僕が冷たいみたいだものね」
 じろりとリオンを見やる目の色は、どことなく冗談めいていた。カロルは思う。タイラントにはとことん腹が立つ。可愛い可愛い弟子を泣かせた男をそう簡単に許してやる気はさらさらない。だがしかし、とも思う。タイラントを得て、フェリクスは変わった。何がどうと言えるものではないが、カロルならばこう言う。フェリクスは生きている、と。そのせいかもしれない。ゆっくりと見つめたまま促したのは。
「で?」
「あのね、カロル。というより、メロール師」
「なに、私なの?」
「関係ないわけないじゃない。カロルはもちろん、僕だってあなたの弟子みたいなものなんだから」
 小さく笑い、フェリクスは冷めはじめた茶に手を伸ばす。好きな香りのカロルの茶。それだけでここが自分のいるべき場所だと思う。青臭い感情だとわかってはいたけれど。
「メロール師がカロルを育てているときって、そんなに弟子の数がいなかったよね? カロルが独立してからもそう。爆発的に増えたのは、やっぱりリオンのせい?」
「せい、ではなくて必然、ですよ、フェリクス」
「わかってるよ、そんなの。師匠が三人いるんだ。そりゃ弟子の数も増えるよね。それでいま、僕まで加わった。星花宮の弟子たちはわけわかんなくなるくらい増えてる」
「まぁな」
 フェリクスの言うとおりだった。小さな弟子候補の子供たちまで数に入れれば、ここは一体何なのだ、と言いたくなるほど子供ばかりだ。育った弟子を数えれば、星花宮の部屋が足りなくなる懸念まで浮かぶほど。もっとも、杞憂ではあるが。
「その弟子たちを考えてみて。僕らは誰一人として、自分の弟子って言えないと思う。自分だけの弟子って言ったほうがいいかな? 僕はリオンの子供たちの面倒も見るし、リオンだってそうだ」
 仲の悪い二人にしてからそうだ、とフェリクスは言う。そして無言のうちにもう一人を示唆する。タイラントが最終試験を終えたら、いずれ遠からずこの四人に加わることだろうと。本人がどう思っているかは知らないが、タイラントの才能は弟子たちの中で図抜けている。メロールを除いたこの場の男たちに匹敵するだけの才能が彼にはある。
「クソ派手野郎の弟子まで増えやがったら、それこそわけわかんねェことになるな」
「だよね。だからね、その時のことを僕は考える。その時はたぶん、僕ら全員で分担して、子供たちを育てることになるよね」
 メロールを除いて、とフェリクスは言う。自分たちは半エルフではない。得意分野とでも言うべき属性があると。
「だな」
 カロルがうなずいたのに心強くなったフェリクスはほっと息をついた。それからメロールを窺えば、こちらも微笑んで続きを促している。
「そのとき、その子供たちが卒業したらね、それって誰の弟子だと思う?」
「あん?」
「そりゃね、最終的には本人の属性にあった師匠につくことになるだろうから、その人の弟子、でいいかもしけれないけど」
「不満がありそうですねぇ、フェリクス?」
「別に不満じゃない、混乱しそうってだけ。よく考えなよ、馬鹿神官。元々師匠の名を名乗るのはどうして? 魔法が危険になり得る力だから、でしょ。どこの誰で責任はどこにあるのかを明確にしておくためのものが師匠の名前だ。そうだよね、メロール師?」
「そうだね。問題は、どこの誰か、だね」
「だったら、今後、僕らの弟子は誰の弟子ってことにしなくってもいいような気がするの」
 ふっとフェリクスが溜息をついた。カロルは突如として察した。だから今だったのかと。
「なるほどな、あの派手野郎のためか」
「おや、カロル? なにに気づいたんです? 全然わからなくって、私」
「とぼけてんじゃねェよ、ボケ」
 にやりと笑いカロルがリオンの頭を撫でるようにはたく。それから顔をそむけた半エルフ、思い切り嫌な顔をした闇エルフの子。
「なぁ、フェリクス。あの派手野郎は、テメェの名を名乗れねェ。そうだよな?」
「……別に名乗ったっていいとは思うけど。でもやたらと長い名前になるよね、認識効率悪すぎ」
「だな。その場合を仮定すると、あれか。フェリクス・タイラント・カルミナムンディとでもなるのか?」
「たぶんね。面倒すぎるでしょ。……本人は面倒でも名乗ると思う。それは、わかってる。でも、他の人は絶対そうは呼ばない。タイラント・カルミナムンディって呼ぶ」
「それを派手野郎は嘆き悲しむってか?」
 冗談のようカロルが肩をすくめる。けれど内心ではじめてタイラントを心の底から評価した。意外と悪い男ではないと。
「まぁね。だったら最初からもうそれでいいじゃない。だいたいリオンって言う例外がもういるんだ、あいつだってそれでいいって納得させる理由になる。あいつもただの魔術師じゃないしね。呪歌とでも言ったらいいのかな、あの歌は。鍵語魔法だけの使い手じゃない、それが理由になるよね」
「で、もう一つの理由が、師の名を与えないで俺ら全員の弟子にするってやつか」
「まぁね。それでよければ、だけど。あとはあれだね。僕がもらったみたいに一番弟子にだけ名前をあげればいいかな。系統を示す意味でね。どうかな、メロール師?」
 恐る恐る窺う、というフェリクスの表情は見物だった。リオンが少しばかり面白そうな顔をするのにカロルが足を踏みつけてやめさせた。
「言っているだろう? 問題はどこの誰か、であって師の名前ではないよ、フェリクス。だからね」
「うん」
「お前たち全員の弟子、それはいい。だったら全員の弟子ってわかるような名称をつけなくては駄目だ」
「……だよね。それ、なんとかならないかなカロル、考えてよ」
「なんで俺に押しつけんだよ!」
「僕の師匠だからに決まってるじゃない!」
「テメェが言ったんだろうがよ! テメェの師匠は俺だけじゃねェだろうが、メロール師に頼め、メロール師に!」
「なんで嫌がるのさ!」
「案がねェからに決まってんだろうが!」
 正々堂々馬鹿なことを怒鳴ったものだ、とカロルが気づいて頭を抱える。それを密やかにリオンが笑った。
「ちょっと、ボケ神官」
「やめてくださいって言ってるじゃないですか。そんなことするとせっかくいい案があるのに教えてあげませんからね」
「いいよ、聞いてあげるからさっさと吐きなよ、馬鹿神官」
 ちらりとフェリクスが笑う。口喧嘩の最中に、そんな顔をするようになったのはタイラントを得てからだった。大人になった、と言えば魔法が飛んでくるのは決定事項というものだが、とリオンは思う。だが余裕ができてきたのを大人になる、というのならば正にそれだった。
「星花宮の魔術師、と名乗らせればいいんじゃないですかね――」
「なにそれ。タイラントを例に挙げるけど、だったらあいつは星花宮のタイラントとでも名乗るの、変じゃない、それ。名前っぽくない、響きがよくない、僕は嫌!」
「……あのな、フェリクス。あの派手野郎で考えるからじゃねェのか、それ」
 ぼそりと呟いたカロルの声はきっぱりと無視された。余裕が出てきた、と思ったはずなのにどうしてこれほどまでに物凄い目で睨まれているのだろう、とリオンは溜息をつきたくなる。
「人の話は最後まで聞きなさいって。それじゃ確かに名前らしくないとは思いますよ、私も。だからメロール師、なんとかしてください」
「どうしてそこで私に持ってくるの?」
「古語は師のほうがお得意かと思って」
 にこりと神官が微笑んだ。それでようやくフェリクスにも納得がいく。つまりリオンは星花宮を古語に直して名乗らせろ、と言っていたわけかと。
「そうは言ってもね……。星花って直しようがないよ、現代語だもの」
「そう、なんですか?」
「そうだよ、知らなかったの? ほら、前庭の花壇に咲いているだろう、薄青い花」
 メロールがまるで見えてでもいるかのよう指し示す。半エルフの感覚を思えば、確実にその方向に咲いているのは確かだった。
「あれっすか。白っぽい青のちっちゃい花、葉っぱもなんか薄ぼんやりとはっきりしない色した」
「花も葉も乳白色めいていて柔らかな印象の、と言うんだよ、カロリナ」
 溜息まじりの半エルフにカロルは動じない。わかっていてやっているのだとリオンは知っている。いくらでもまともな宮廷魔導師の顔もできる人だとリオンは知っていた。
「シャルマークの大穴が塞がった後にようやく南方貿易が再開したのは、知ってるね? そのころ、あちらから入ってきた花だよ、あれは。いまではここの気候に馴染んで普通に咲くけれどね。アレク陛下が殊の外お好きだった花だ」
「あぁ、だからここに?」
 カロルの疑問にメロールがうなずく。星花宮は元をただせばアレクサンダー王が退位したのち住み暮らした離宮だ。王の好みの花があるのは、そういう理由だった。
「意外っすね。もっとド派手な花が似合いそうな顔してんですけど」
 王宮に飾られている歴代国王の肖像をカロルも目にしたことがある。華やかで美しい王だった。女装癖があるのが難と言えば難、だがドレスを着てもさぞかし美しいだろうと思うような王だった。
「そうだね、慎ましやかとか、淑やかなと言う単語とは無縁のお方だったよ」
「一応あれでも野郎ですし?」
「でもね、そういうものを愛でるのはお好きだったよ」
 カロルの暴言を聞かなかったふりをしたメロールが話を続けた。ふとフェリクスは気づく。聞かなかったふりをしたのではない、聞こえなかったのだと。柔軟な耳もあったものだと思えばおかしくなった。
「へぇ、そうなんですか」
「南方の花だから、あちらでも違う名で呼んでいたんだろうしね。発音が面倒だったらしいよ、こちらで星花と呼ぶようになったのは。だからあの花にちなんで、ここは星花宮って言うんだ」
「あの、メロール師? 現代語だっていう話だったと……」
「おいボケ、諦めろ。俺らにとっちゃ二百年以上前のことでも師匠にとっちゃ昨日みたいなもんだ」
「あぁ……そうでした」
 半エルフの時間感覚を思い、リオンは頭を下げた。それは自分たちの上を流れていく時間を半エルフがなにを思い眺めるのか、そう思うゆえだったのかもしれない。
「ちょいと古語風にってわけにゃ行きませんかね?」
「それでいいの?」
「なんだ、できるんだったらそうしてくれりゃ話が早いのに」
「……本当に、人間の言葉はいい加減だね。我が友が言っていた言葉が身に染みるよ、最近は特にね」
「リィ・サイファですか、メロール師?」
「そう。彼はよく言っていたよ、人間の言葉はあまりにも中途半端だってね。繊細さに欠けるから、言いたいことの半分も言えないともね」
 そっと懐かしい友を思い出して微笑むメロールに、カロルは微笑んでいた。あのとき貸してもらった首飾りは、その大事な友が残してくれたもの。ためらいもなく与えてくれた師を思う。
「古語風に、でいいのだったら……そうだね、アイフェイオンとでもなるのかな?」
 首をかしげる半エルフに、フェリクスはほっと息をつく。メロールが懐かしい友の話をするとき、いつも落ち着かない気持ちになるのはなぜだろう。そこに時間を見るせいかもしれない。
「アイフェイオン、いいじゃないですか」
 少し大きなリオンの声にフェリクスははっと唇を噛む。そのような引き戻し方をしていい男はリオンではない。
「とはいえ、いままでの名と区別する意味でももう少しいじったほうがいいかもしれないね」
 フェリクスがリオンに食ってかかるより先にメロールが口を挟む。そんなことができるようになっている半エルフに、カロルはそっと口許だけで微笑んだ。
「なに、カロリナ。言いたいことがあるのだったら言えばいいだろう」
「そう怒らないでくださいって。器用な真似するようになったなと思っただけですよ、師匠」
 にんまりとしたカロルからメロールが目をそらす。どうにも先ほどの報復をされた気がして仕方ない。が、嫌な気分ではい。懐かしい友との会話にどこか似ているせいかもしれない。彼は決してこのような辛辣な口を利くことはなかったが、最低限自分には。小さく笑ったメロールが目顔でまだ言っていないことがあるだろう、とカロルを促せば弟子は意外と真摯にうなずいた。
「そういじらなくってもいいんじゃないかと思いましてね」
「カロル、どういうことです?」
「あのな、ボケ。俺は師匠の名をもらってメロール・カロリナが正式名だ」
「それは重々承知ですけど?」
「だったら新しい名は逆にすればいい」
 珍しく意味がわからなかったのだろうリオンが首をかしげ、変わってフェリクスがにんまりとする。
「タイラントだったら、タイラント・アイフェイオンってことだよね。ふうん、いいんじゃない?」
「いい加減な言葉のわりに響きはいいね、悪くはないと思うよ」
「自分で翻訳しといてなに言ってんですか、師匠」
「だから古語風であって古語――」
 メロールにとっては自明のことでも人間たちにはわかり得ない。それを意を尽くして語ろうかと言うとき、恐る恐ると扉が開く。
「あの、カロル様……ってなんでみんないるんですか!?」
「用があるからに決まってんだろうがよ、このクソ派手野郎が!」
 怒鳴りつけるカロルが冗談半分だと言うのをタイラントが理解する日は来るのだろうか、フェリクスは溜息をつく。
「あぁ、ちょうどいいところにきましたね、タイラント。ちょっと相談です。入っておいでなさい」
 にこりとリオンに微笑まれてしまっては逆らえないタイラントだった。フェリクスを探しにきただけのことだったはずなのに、と目が語っている。泣きそうだった。
「いいから座んなよ、ほら」
 自分の隣に腰かけさせて、見えないように背中に触れてやる。大丈夫とでも言いたげに。ほっとタイラントが緊張を解いた。
「世界の歌い手がきましたからね、ちょうどよかったなぁ。そこでタイラント、質問です」
「あの、リオン様。俺は、いまはシェイティの弟子って言うか、一応魔術師って言うか」
「でも世界の歌い手であることも事実でしょう?」
 容赦なく微笑むリオンにタイラントはしゅんとする。タイラントに代わってだからフェリクスが言い返すことになる。
「それじゃお前は本職の魔術師じゃない、吟遊詩人の遊びだって言ってるように聞こえるんだけど?」
「ンなこたァリオンは言ってねェだろうがよ。どっちでもあるってだけだろって言ってんだ、こいつは」
「でも――」
「二人とも、いい加減にしなさい。惚気なら他でやること。私は聞きたくない!」
「……師匠、言うようになりましたね」
「ほんと、ちょっとびっくり」
「言わなかったら延々と聞き続ける羽目になるからだ!」
 もっともだとカロルとフェリクス、揃って仲良くうなずいて、タイラントが溜息をつく。リオンが花咲くよう嬉しげに笑っていた。
「リオンの趣旨は認める。いいね、タイラント?」
「あ、うん。別に嫌ってわけじゃなくて、その」
「いいみたいだからリオン。本題に戻って。話が面倒くさくなってきた」
 一刀両断のフェリクスに肩を落として見せるタイラント。非常に嘘くさい演技だ、とカロルもリオンも取り合わない。
「では戻りましょうか。質問ですよ、タイラント。アイフェイオン。どう聞こえます?」
「はい? なんですか、それ」
「いいからどんな感じか言って」
 ぽん、とフェリクスに背中を叩かれた。それでタイラントには理解できる。好きなことを感じたままに言ってもいいのだと。むしろそれを求められているのだと。
「……なんだか、とても穏やかで優しい響きがします。なんだろう。全然穏やかでも優しくもないのに、ここみたいだ。星花宮の根本的な響きに、とても似てるって言うか、俺にはそのものに聞こえます」
 全員が黙った。まじまじとタイラントを見ている。隣に座ったフェリクスですら例外ではなく。
「あの……」
 うろたえるタイラントをさらに突き落としたもの。カロルの長い溜息。
「耳だけはさすがだって褒めとくべきかな?」
「素晴らしい、さすが世界の歌い手ですよ、タイラント」
「お前は世界の歌い手と称されるだけの吟遊詩人だね。まるでこの世界を聞く耳を持っているかのようだ」
「いい耳してるよ」
 一番短いフェリクスの言葉が、タイラントに安堵を与えた。どうやらとんでもない間違いをしでかしたわけではないらしい。
「アイフェイオンって言うのは、星花宮の名の元になった花のことなんですよ、タイラント」
 それをメロールにちょっと古語風にしてもらったのだ、とリオンは笑う。その言葉にようやくタイラントが完全に緊張を解いた。
「そうだったんですか、よかった……」
 ほっとするタイラントだったが、フェリクスは内心で顔を顰めている。リオンは言葉を濁した。当然、アイフェイオンと言うのが今後星花宮の魔術師たちが名乗ることになるだろう名だと言うのは一切伏せたまま。
 それを気遣いだと気づかないフェリクスではなかった。認めたくないと思うほど頑なでもない、昔のようでは。
「ねぇ、タイラント。僕を探しに来たんじゃなかったの」
「あ、うん。別に急用ってわけじゃなかったんだけど……、ちょっと見てほしいことがあって」
「いいよ、わかった。じゃあ、メロール師。それでいいかな?」
「私はかまわないよ」
 大事なことは何かもう言っただろう、と微笑むメロール。フェリクスはわずかに震えた。この自分が、様々なことを変えていく、変えてしまう。その危惧に。
「シェイティ、どうしたの? 大丈夫?」
「平気。ちょっと怖くなっただけ。色々変えていくんだなって思って、この僕が」
「君はすごいじゃないか! 人間が使いやすいようにって魔法理論に手を入れたのも君なら――」
「ガキども、痴話喧嘩は自分の部屋でやれ、耳障りだぜ」
 にんまりと笑うカロルの助けの手。フェリクスはそっと笑う。それでいいのだと師に励まされた気がした。変わっていくのは時代の必然、それをなせる才能と努力に感謝するべきだと無言で告げるカロル。フェリクスは黙ってうなずいた。
「じゃあ、いずれってことで」
 タイラントにはまだ内緒。言わずもがなのことを目で告げてしまった自分の未熟さにフェリクスは顔を顰め、タイラントの腕を取る。語られなかった何かがあると気づかないほど愚かな男ではないはずのタイラント、いまは気づかないふりをしているタイラント。
「さぁ、タイラント。あなたの用事を片付けようか」
 にっこりと笑うフェリクスに、タイラントが震えて見せる。それすらもたぶん間違いなく演技だとフェリクスは気づいている。
 互いについている嘘、演技。それを許容して進んでいく毎日。変わっていくのは星花宮だけでも魔術師だけでもない。ふと気づいた。自分こそが一番変わって行っているのだと。
「ったく成長の遅いガキは嫌だね」
 扉を閉める寸前、カロルが笑って言った言葉がフェリクスの背を追う。少しだけ、褒められた。そんな気がした。




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