ある時を堺に、ウルフはリィの小屋を訪れることを許されるようになった。無論、リィにではない。サイファに、だ。 ウルフとしては二人の邪魔をしたくない、と思っている。本心だった。嫉妬をしないかといえば嘘になる。だがリィも同じだろう。ならばサイファを挟んで醜い争いはしない。それが二人の暗黙の了解となっていた。 「サイファ、いる?」 リィのところに行く、と言いおいていったから彼がいることは確かなのだが、ウルフはそのような曖昧な言い方をする。 ある意味ではリィへの気遣い、かもしれない。サイファが自分にはすべてを話すのだ、と知ればリィはいい気持ちはしないだろうと思ってのこと。 だが、実のところサイファはウルフの話をリィにしたし、逆も同じだった。 「あぁ、いるぞ」 言われなくとも、見ればわかった。小屋の前、リィの隣に座り込んでサイファは一心に何かを見ていた。 「サイファ。なにしてんの」 「あぁ……。少し……」 「サイファは勉強中だ」 頼りない答えをリィが笑う。手振りでウルフを座らせて、側にあった茶器から茶を注ぐ。 「なに、あんた。いまも勉強するわけ?」 サイファに話しかけたウルフだったが、答えるのはリィだろうと思っている。塔にいたころからそうだった。本に熱中するとサイファは返事もしなくなる。 「勉強なんてもんはいつまででも続くって相場が決まってる」 「ふうん、そんなもんかなぁ」 「お前だってそうじゃないのか?」 「あぁ、そっか。俺も剣の稽古は欠かさないもんな」 「そう言うことだ」 意外と敏いウルフにリィは苦笑していた。サイファが見ていないところならば、ウルフは幾らでも賢い振る舞いができる。 少しばかり血筋、というものを考えてしまう。どうやらミルテシア王家にはずるがしこい血が流れているらしい、と。 「そう言えば――」 不意に話しかけたリィの言葉が宙に消える。本に没入していたサイファも顔を上げた。 「サイファ?」 「お前はなにも感じないのか」 「え? あ、なんか変な感じかも」 これがいま話していたのと同じ男か、とリィは内心で笑いをこらえていた。取り留めのない顔をして首をかしげている様など、どこから見ても子供だった。 「サイファ、なに?」 「……すぐにわかる」 「ん、わかった」 こくりとうなずいてサイファの視線が離れるのを確かめた後、ウルフはリィに向かって片目をつぶる。今度こそは大笑いをしたくてたまらないリィだった。 「きた」 が、サイファの厳しい声音にそれは妨げられた。ウルフが片膝を立て、腰の剣に手を置く。サイファの目がそれを捉えては密やかに微笑んでいた。 「あ――」 がさり、と音を立てて現れたのは二人の半エルフ。敵意はない、との証を立てるためだろう、わざと音を立てたのは。 サイファはそのようなことなどすべて忘れて目を丸くする。思わず彼らに近づいてはその顔を窺っていた。 「メロール? アルディア?」 「はい。リィ・サイファ。お久しぶりです、と言うべきでしょうか」 にこりとしてメロールが言った。ウルフはとっくに剣から手を離し彼らを歓迎している。わけがわからないのはリィだけだった。 「おい、サイファ。説明しろよ」 「ごめん。なんて言ったらいいかな……。とりあえずあなたの紹介をしようか」 くすりと笑うサイファに、半エルフたちのほうが今度は驚いた。彼らが知るサイファはもっと警戒心が強く容易に人を近づけない、そんな存在だった。 「二人とも。彼のことは知ってるはず」 「そう言われても……」 「少なくとも、メロールは知ってる。伝聞だろうがな」 悪戯をするようなサイファの言葉だった。だがそれにメロールと呼ばれたほうがまさか、と唇だけで言葉を形作る。 「彼がリィ・ウォーロック。私の師で、魔術師の祖」 「はじめて……お目にかかります」 神人の子に頭を下げられ、リィはわずかに戸惑った。自分を知っている、しかも伝聞で、と言うことはサイファよりずっと年下なのだろう。そして魔術師であることは確かだった。 「リィ。こっちがアルディア」 そう、魔術師ではないほうをサイファは示した。リィは首をかしげて控えめな歓迎に代える。彼もまた、仄かに微笑んで頭を下げた。 「リィ、ちょっと聞いていい?」 「なんだ、可愛いサイファ」 「それ、やめてって言ってるでしょ」 「そうだったか? お師匠様、お年寄りだからなぁ」 嘯いて笑うリィの姿に二人ともが眩暈をこらえるような顔をしていて、サイファはおかしくなってくる。 「勝手に聞くからね」 実はそのサイファの言葉遣いに眩暈を覚えているのだとは、決して言えない半エルフたちだった。 「あなた、体調はどう。具合悪くない? 心臓がどきどきするとか、頭がくらくらするとか、平気?」 「お前なぁ。年寄りって言ったって、俺はここの生き物だぞ。そんなことがあるもんか」 「そう、よかった」 莞爾としたサイファにリィは不審を覚える。ウルフまで忍び笑いをしているところを見れば、彼はなにが起こるかわかっているのだろう。この若造にわかって自分がわからない、と言うのはいささか沽券に関わる、そんなことをリィは思う。 「こっち。見ればわかるよね。魔術師なの。名前は――」 ふ、とサイファの唇がほころんだ。楽しくてたまらないことが起きる、そんな顔を見たのが妙に久しぶりだという気がリィはする。昔、二人で暮らしていたころにはよく見せた顔だった。 「サリム・メロール。私の友達」 一瞬どころかそれより遥かに長い時間、リィは完全に硬直していた。手に持った茶器もそのままに、ぴたりと動きを止めている。 「リィ?」 喉の奥でサイファが笑った。信じたくない、と言うよりは信じられないことにリィは首を振る。 「念のために聞かせてくれ。別人だよな、可愛いサイファ?」 「メロールの師匠? うん、そうだね、別人かもしれない。あなたの浮気相手で私が大っ嫌いだったサリムって名前の半エルフ――あなたには神人の子って言ったほうがいいね。それがもう一人いるんだったら、別人じゃない?」 「……サイファ。頼む」 「なにを?」 「お師匠様をいじめてくれるなよ」 「いじめてないもの。あなたが悪いんでしょ。今更だけどね、リィ。私は浮気は認めないよ。今度浮気したら、本気で嫌いになるから」 「勘弁してくれって! 何年前の話だと思ってるんだ、お前は!」 「私、神人の子だから。年数ってあんまり意味がないの」 言い放つに至って、ついにウルフが吹き出した。体を折って苦しげに笑い転げている。それを見て、二人の半エルフもだいたいの事情を察した。 眩暈ばかりがひどくなる予感がしていた。この世界にきたばかりで、こんな事態に見舞われるとは、と嘆きたくなってくるメロールの肩、アルディアが静かに自分の手を置く。視線にはたっぷりと同情が含まれていた。 「お師匠様、つらいところだね」 「若造、黙っててくれよ。お前が口挟むとややこしいだろ」 「いいじゃん。サイファ、別に怒ってないよ。もう済んだことだし、違う?」 「お前があってる。別に怒ってはいない。ただ次はない、と言ってるだけのこと」 顔中を笑みにしてサイファは言う。その笑顔に空恐ろしいものを覚えてリィは虚ろに笑った。その姿にサイファは今度は柔らかく笑い、膝をついてはリィの腕に自分のそれを絡める。 半エルフたちが呆然としているのは背中に感じていた。かまわずサイファはリィに心を触れ合わせ、自分の真意を伝える。苦笑と共にリィの同意が返ってきた。 「ウルフ。頼んでいいか?」 「ん、なに」 「彼らに大まかな状況を説明しておいて欲しい。こっちにはきたばかりだろう? ならばお前の説明がいる」 「了解。あ、サイファ」 「なんだ」 「あんたが好きだよ」 「蹴られたいか? 殴られたいか? それとも私もだ、と言って欲しいか?」 「できれば最後がいいなー。全部俺が好きって言ってるように聞こえるけどさ」 なんでもないことのように言うウルフをひと睨みして、サイファはウルフの要求は一切のまず小屋へと入っていってしまった。背後からウルフの笑い声が聞こえている。 説明を任せたはずだった。それなのに、照れくさい説明を、ほとんど自分がさせられてしまった。それでもサイファは怒りはしなかった。かすかに笑って、小屋の中でささやかな用事をしていた。 サイファが、新たな茶の支度をして戻ったとき、四人は車座になって話していた。どうやら和気藹々、とまでは行かないまでも多少の緊張はほぐれているらしいことにサイファは笑みを零す。 「改めて二人とも。よくきたな」 茶を差し出して言えば、揃ってかしこまった顔をするのがサイファにはおかしい。 「どうした?」 「いえ……少し、人間に影響を受けたようです。ずいぶん時間が経ったような気がしてしまって。あなたと別れてから久しいというほどではないはずなのに」 戸惑ったメロールの言葉がサイファに喜びをもたらす。再会を喜んだ言葉に聞こえていた。ウルフもそんな彼らを見て微笑んでいる。それがいっそうサイファの心を温めていた。 「可愛いサイファ」 「嫌いになるよ、リィ」 呼ばれた途端に言い返したサイファにリィが渋面を作る。ウルフが吹き出さない用心か、口許を押さえていた。 「ウルフ……」 戸惑いも露なメロールにウルフはひらりと片手を振った。 「あぁ、気にしなくって平気だよ。二人ともいつもこんな感じだから」 「リィ・サイファの、師でいらっしゃるのだろう?」 「うん、そうみたいだね」 「なんだか……」 とりあえず簡単に説明はしておいたのだけれど、メロールたちにはすぐに納得できないことだろう、とウルフはそれ以上のことを語っていない。 メロールではないけれど。久しぶりに半エルフの考え方に接した、そんな気がウルフはしている。彼らも、サイファもがかつて言った。恋をした半エルフは他の事がどうでもよくなってしまう、と。 そう言った本人たちが自分の種族のことをよくわかっていないのではないかと思えばウルフはなぜとなく楽しい。 笑顔のままウルフは菓子に手を伸ばす。見た目から、リィの作ったものでないのはだいたいわかる。齧ってみて、やはりサイファだと思った。 「サイファのお菓子。久しぶりじゃない? 食べたらいいよ。こっちはちょっとなんか色々違うみたいで、味も不思議な感じだけど。でも旨いよ」 にっこりと言うウルフにメロールたちは黙って手を伸ばした。耳にはいまだ言い合う師弟の声が届いていたけれど、三人ともが聞こえないふりをしていた。 「それにしたってなぁ、サイファ」 少しためらいがちなリィの声にウルフは笑い出しそうだった。やはり頑固に「可愛いサイファ」と言いかけたのを寸前で止めたのがありありとわかる口調だった。 「なに」 「お前なぁ。よくサリムの弟子と……」 「だから? メロールはサリムの弟子であって、サリムじゃないもの。いくら私でもサリムと仲良くなんかできないよ」 わかっているだろうとばかり睨まれて、リィは慌てて肩をすくめる。それから彼の顔色を窺いながら言葉を続けた。 「大人になったな、サイファ」 サリムと関わるすべてを許すまい、と思い込んでいたことにリィは気づく。そうではなかったことを、師としてリィは喜んでいた。 「あなた、自分が死んでからどれくらい経ってるか、わかってる?」 微笑んで言う言葉に険はない。代わりに薄く哀しみが透けて見えた。いまここにリィはいる。それでも彼を失った事実までもが変わるわけではなかった。 「サイファ」 「いいけど。いまここにいるから。ねぇ、リィ。一応、聞いておいたほうがあとのためだと思うの。答えてくれる?」 柔らかな物言いに、リィはわずかにひるんだ。泳いだ視線が不思議とウルフを捉える。 「お師匠様。サイファがこういう言いかたした時には答えたほうがいいよ」 「それは経験上か?」 「そうそう。それこそ後が怖い」 「黙れ、ウルフ。リィ、答えてくれるよね?」 「……答えよう」 心の中でできるだけ、とそっと言い足す。サイファは感づいたのだろう、眉を上げて睨んできた。それにリィは大らかな笑みを向ける。サイファの口許がほころんだ。 「リィ。サリムがこっちにきてるのは私も知ってるけど、あなた居場所は知ってるの」 「なんでそんなことを聞きたがるんだ?」 「私は聞きたくないけど、でもメロールにとっては自分の師だよ。知りたいと思うんだけど?」 「なるほどな」 なんてもっともらしい言い訳か、とリィは頭を抱えたくなってしまった。にやついてこちらを見ているウルフを、本気で殴りたくなってくる。 「まぁ、知らなくはない。一度か二度、あいつんとこで顔は合わせてるな」 「ふうん、そう。顔を、合わせた、だけ?」 「サイファ。お師匠様を信じろ」 「リィ師は信じてるよ、あなたの弟子だもの。でも男としてのあなたほど信用できない人はいない」 「……断言するな」 「だって、あなた節操なしにもほどがあるもの」 ふい、と顔をそむけてサイファはなじる。いったいいつの話をしていると思っているのだろう。リィがこの世界にくるより前、千年以上も昔の話だった。 「なんにもしてない! 信じろ、サイファ」 「ウルフ。質問がある」 「ん、なに」 「リィは、嘘ついてると思うか?」 笑顔だった。満面の笑顔だった。ウルフまでつい、逃げ出したくなるほど楽しそうに笑っていた。必死になって首を振って否定する。 「本当だと思う。俺は、本当のこと言ってるとしか聞こえないよ。サイファ、信じて!」 遠い先祖と子孫が同じことを言うのにサイファは笑った。その声に緊張を解いたのは、リィたちのみならずメロールたちも。サイファの声から棘は消えていた。 「信じろよ、サイファ」 「どうしようかな?」 目許を和ませ、悪戯をするようサイファが笑みを浮かべるのに、リィもまた微笑む。 「可愛い俺のサイファ。愛してるよ。お前もだろう?」 「私の気持ち? あなた、知ってるくせにどうしてそういうこと聞くの」 「だったらなんの問題がある? 信じてくれって、可愛いサイファ。俺とお前の間に入り込めるやつがどこにいる?」 リィはサイファの手をとり、サイファはそんなリィを含羞みつつも見つめていた。そこに震える手が上がった。 「はーい、ここにいまーす」 ウルフが言った途端だった。二人、見つめあったまま言い放ったのは。 「黙れ」 異口同音のその言葉に、ウルフは耐えかねて吹き出す。腹を抱えて笑うウルフに二人はかまうことなく密やかな笑みを交わしていた。 「あの……ウルフ……?」 「いいのいいの。サイファはちゃんと俺のこと好きだから。心配してくれてありがと。でも平気だよ」 「だが……」 理解できないとばかりメロールが二人を見やっていた。頭では、わかっているが感情がついていかれないでいる。アルディアもまた、少し驚いた顔をして彼らを見ていた。 「サイファはお師匠様といちゃいちゃしてんのが好きなんだよ。俺は気にしてないから全然平気」 半エルフたちを安心させようと言った途端、ウルフの頭に物が投げつけられる。 「誰がいちゃいちゃだ!」 「あんたとお師匠様が。俺、そう言ったでしょ。間違ってないよね、お師匠様?」 「間違っちゃいないがな、若造。物の言い方を少し学べ」 「ん、了解」 ウルフとリィが眼差しを交わすのをサイファが呆れ顔で見ては溜息をつく。それからばつの悪そうな顔で肩をすくめ、半エルフたちに向き直った。 「すまないな、なんだか面倒な話になってしまった」 首をかしげて詫びるサイファにメロールたちは揃って首を振る。三人が、自分たちをくつろがせようとしている気遣いを体中に感じていた。若干、それだけとも思いがたい節はあったものの、感じたこともまた嘘ではない。 「リィ・サイファ」 「なんだ」 「あなたを、捜していました。いずれどこかで会えるだろう、とは思っていたんですが」 「私を?」 メロールの言葉にサイファは驚く。捜すほど会いたいと思ってくれたのは嬉しいが、メロールの言葉には多少ではすまない含みがあった。 「メルは、手紙を預かってきてるんです」 困り顔のメロールに代わってアルディアが口を挟んだ。口数の少ないアルディアだからこその、上等な方法で二人の関係をリィに知らせる。了承した、と言うことなのだろう、リィが片目をつぶった。それに突然、照れて赤くなったメロールをサイファは微笑ましげに見ていた。 「手紙?」 「……はい」 恨めしげにアルディアを見やり、そしてサイファに向き直る。ゆっくりと取り出した手紙を持つ手はかすかに震えていた。 「リィ・サイファ。どれほど時間が流れたか――」 「我が友が、もう生者の世界にいないことは、わかってるさ、メロール」 何気なく言いつつ、サイファは目を伏せた。その表情にリィは息を飲む。ウルフはわかっているのだろう。リィは彼に視線を向け、目顔であとで事情を教えろ、と伝える。了解の合図に軽く手が上がった。 「アレクサンダー様は……。素晴らしい方だった。正直、はじめは驚きましたが」 「だろうな」 「治世も、素晴らしいものでした、リィ・サイファ。我々も、心穏やかに過ごすことができた。明賢王とまで、呼ばれましたよ」 「……なんとも、意外だな」 苦いものでも噛みしめたようなサイファの顔に、メロールは晴れやかに笑った。 「あなたに紹介されて、アレク王にお仕えできて、本当に我々は幸福でした。リィ・サイファ。アレク王より、お手紙をお預かりしてまいりました」 まるで王宮の使者のよう、メロールは一通の手紙を差し出す。サイファはかつてのアレクのよう、わずかに瞬いて目に浮かんだものを払っていた。 そっとサイファの指が手紙を撫でた。開けてしまうのが惜しい、とでも言うようなその仕種にウルフはかすかな嫉妬を覚える。 そんな思いすらも、懐かしかった。あのアレクが、いまはもういない。シリルもいない。知っていた人すべてが、とっくにあの世界では死んでしまった。 ウルフはそれをすでに受け入れてはいる。時を数える必要がなくとも、数えてしまうのは人間の習性だった。 いまその、いないはずのアレクから手紙が届く。彼はサイファに何を語り、何を告げるのだろう。サイファが一度手を握りこんだのがウルフには見えていた。 「うわ……」 意を決したサイファが、手紙を開封した途端だった。 「声を上げるな」 わかっていたのだろうか、サイファは動じることなくそれを見ていた。 「金の、蝶。アレクだな」 手紙から、零れだすよう蝶が飛び立つ。一文字一文字が、アレクの思いがこの世界に蝶となって飛び立つ。 「サイファ。あっち」 ウルフが指差した先。冴えない茶色の蝶が、金の蝶を庇うよう、飛んでいた。 「シリルだ」 サイファが一瞬、泣くかとウルフは思った。そっと顔を覗き込めば、彼は微笑んで蝶の群れを見つめていた。 「お前の、友か?」 リィの問いにサイファはこくりとうなずくだけ。二人の半エルフは驚きと共に声もなく蝶を見ている。差し伸べた指先に、触れたかと思えば飛んでいく蝶を。 「そう」 時を置いて、サイファは言った。 「私が友と呼んだ、人間」 「会いたかったな、俺も」 「もう一度――」 かすかにサイファの声が震えた。リィは気づかなかったふりをして彼の手をとる。 「いつか、会えるかもしれないな。この世界に馴染んで、お前の前に姿を現すかもしれない。そうしたら俺も、会えるな」 繋げた心は別のことを語っていた。だからサイファはリィの嘘を受け入れる。心から、会いたかった。もう一度兄弟に会って、あの頃のように過ごせたら。 サイファの視線が無言でウルフに注がれた。サイファは選んだ。友と過ごす平穏より、ウルフを。ウルフもまた、サイファの心を感じ取ったのだろう、何も言わずただ微笑んだ。 その二人の肩に、蝶がとまる。手を伸ばす間もなかった。再び舞い上がった蝶は、異界の空へと吸い込まれるよう消えていく。サイファはいつまでも眺めていた。ひらひらと舞う蝶の金の羽が、アレクの金髪に見えて、たまらなく懐かしかった。 |