「よう、小鳥ちゃん。雪ん子も一緒か?」
 リィ・サイファに用があって彼の小屋にきたのに、なぜかそこに魔術師の祖がいて二人を出迎えた。しかも、何だと言うのか、その呼び名は。雪ん子、が自分を表しているのはよくわかる、とフェリクスは思う。だがタイラントのそれには納得できない。
「ちょっと、なにそれ」
「シェイティ! それはない、ちょっと待て!」
「なにが?」
「だって! この人って、あれだろ!? 俺たち魔術師の始祖だろ!?」
「だから?」
 取り立てて冷たく言ったわけではなかったけれど、タイラントはそう感じてしまったのかもしれない。ふ、と彼のまとう空気が暗くなる。
「ねぇ……」
 フェリクスにしては慌てて何かを言いかけ、そして気づく。この男は吟遊詩人。世界の歌い手と名高い吟遊詩人。騙されかけてフェリクスはむつりと口をつぐんだ。
「ほんと、嫌になるね。離れてた時間が長いと、僕でも騙されそうになる」
「あ、いや……その。ね?」
「なにか言いたいことがあるならさっさと言ったら?」
 今度こそ氷のように冷ややかな声にタイラントがうつむいた。が、それすらも演技。フェリクスは取り合わない、とばかりにそっぽを向いた。
「おいおい、人の家に来てわざわざ痴話喧嘩か、小鳥ちゃん?」
「ねぇ、それやめてくれない? 物凄く不愉快なんだけど」
 つい、とフェリクスが進み出る。もしもそのままだったならば、リィ・ウォーロックと一戦していたかもしれない。そして無様に地に這っていたかもしれない。
「なにをやっている、二人とも」
 フェリクスの無謀を止めた、あるいは窮地を救ったのは言うまでもなくリィ・サイファだった。
「あなたに用事があったんだけどね、始祖に絡まれたから」
「始祖? あぁ、リィか。あなた、なにしたの」
 リィ・ウォーロックに向けた声は吟遊詩人のように滑らかで柔らかなもの。実のところ、これもフェリクスは不快だった。
「なんだ、あんたたちだったんだ。騒ぎが聞こえたから何かと思ったよ」
 小屋の中からウルフが顔を出す。茶道具を持っているところを見れば外で茶を飲むつもりだったのかもしれない。
「こんにちは」
 ぺこり、と言うよりはいささか勢いよくタイラントが頭を下げる。なぜか一緒になってウルフまで頭を下げた。
「いや、だからな。可愛い俺のサイファ」
「だから、なに? 愛しい私のリィ。話があるならちゃんとして」
 師弟、のはずだ。メロールからそう聞いている。溺愛していた、とは別口からも聞いているけれど、それにしても師弟のはず。
「あぁ、気にしなくっていいよ。はい、お茶。サイファが淹れたから旨いよ。お菓子はお師匠様の手製な」
 まるで疑問の隙をつくよう、ウルフに茶の入った器を渡された。ふんわりと漂う香りに心地良くなってしまう。
「ねぇ……なんて呼んでいいのか僕も戸惑うんだけど。あれ、なんなの?」
「呼ぶ? あぁ、俺? 別に。普通にウルフでいいけど?」
 赤毛の戦士はきょとんと首をかしげていた。やはり、メロールから伝え聞いたカルム王子の伝記は真実だ、とフェリクスは思う。この間の抜けた男がシャルマークの英雄だとは、とても思えない。
「あなた、自覚あるの。一応、僕らの時代にはあなた、英雄なんだけど?」
「俺があっちにいたころもそう言われたけどね」
 あっさり言われてフェリクスは返す言葉をなくした。思わず隣にいるタイラントを見上げてしまう。吟遊詩人はとりあえず座ったら、とでも言いたげに肩をすくめた。
「……それで」
「うん、あれか。ちょっと意外、なのかな?」
 フェリクスの視線の先にまだ口喧嘩をしている師弟がいた。ウルフは小さく笑って自分で注いだ茶を口にする。タイラントが倣うよう、口に運んで歓声を上げた。
「意外……って言うのかな。ねぇ、あなたの恋人なんだよね?」
 リィ・サイファは。ウルフは彼を選び、彼もまたウルフを選び。そして二人でここまで旅をしてきたのではないのか。フェリクスの眼差しにこめられた疑問と言うよりは鋭いものにウルフはたじろがない。
「そうだよ。ねぇ、サイファ!」
「なんだ! 私はいま忙しい!」
「うん、だからちょっとだけ。サイファ、お師匠様のこと好き?」
 なんということを問うのか、とタイラントですら思った。秀麗な顔から血の気がなくなっている。そして更に青ざめた。
「なにを馬鹿なことを。愛しているに決まっている。今更なにを問うか、この愚か者!」
「んじゃ、俺は?」
「大っ嫌いだ!」
 言い捨てて、サイファはまたリィ・ウォーロックへと向き直る。それにまったく頓着せず、ウルフは笑っていた。
「ね? こういうこと」
 わかっただろう、と言いたげな笑顔が癇に障る。わかるわけがなかった。ちらりとタイラントを見れば、こちらは不愉快にもうなずいていた。
「タイラント」
「え、なに! 君ってもしかしてわからなか――」
 最後まで、言わせなかった。物も言わずにフェリクスはタイラントに魔法を放つ。首の回りに巻きつけて、タイラントの呼吸を阻害する。
「ねぇ、あなた。僕がなんだって?」
「……あ、悪魔。悪魔が……!」
「ふうん。僕が? この僕が、なに?」
「君じゃない!? 君じゃないですよ!? 君はなんて素敵なんだ。最強の俺のシェイティ!?」
「最強の、字が違うように聞こえたけどね?」
「気のせい気のせい気のせいだからぁぁぁぁぁ」
 悶絶して見せる吟遊詩人をウルフが腹を抱えて笑っていた。そもそも呼吸ができないはずなのに、そちらはとっくに自分で解除したのだろう。そう思えばフェリクスはどこか誇らしい気持ちにもなってしまう。
「だからね、あんたたちと一緒なんだよ、サイファはさ」
「どういうことなの」
「んー。俺、ちょっとわかるかも。ほら、リィ・ウォーロック師のこと、愛してるって言った響きと、ウルフを大嫌いって言った響き、一緒だったし」
 うっかり納得してしまった、フェリクスは。世界の歌い手ならば、声の響きを聞き取るなど、その真意を感じるなど造作もないことだっただろう。
「ウルフは……それでいいの。僕はいやなんだけど」
「俺はいやじゃないよ? あんたとタイラントは二人で一対。俺たちは三人で一揃い。それだけの差だから」
 さらりとウルフは言った。だからこそ、事実だとわかってしまう。とても納得できない、とフェリクスは思う。が、別に納得する必要もないことだとも思った。
「よう、雪ん子、そっちは片付いたか」
「だから、それやめてって言ってるじゃない!」
 リィ・ウォーロックのからかい混じりの声音、その呼び名が癇に障ってどうしようもない。思わず激高したフェリクスをタイラントは止めなかった。
「そう言われてもなぁ」
 にやりと笑いつつ、三人に加わって師弟が座る。ぐるりと、草地の上に円陣でも組んだみたいだった。リィ・サイファが無言で伸ばした手の先に、ウルフが茶器をあてがう。リィ・ウォーロックは勝手に取って飲んでいた。
「フェリクス。リィのなにが気に入らない?」
 刃のようなリィ・サイファの声。思わず身構えそうになってフェリクスは馬鹿馬鹿しいとばかり緊張を解く。
「なにって、その呼び方。僕を呼ぶのも癇に障るけど、タイラントなんか小鳥ちゃんとか呼ぶし。すごく嫌。理由があってしてるなら、それを言ってからにして」
 真実いやで嫌でたまらないのだろう。顔を顰めたフェリクスの片手にタイラントのそれが添えられた。
「おい、若造」
 するりと忍び入るリィ・ウォーロックの声だった。咄嗟に顔を上げたフェリクスは意外なものを目にする。これはやはりシャルマークの英雄だったのだ、とウルフを見て思った。
「お師匠様」
 鋭い目が、リィ・ウォーロックを見ている。睨んでいるのではない、けれど眼差しの圧力に気圧されそうになった。
「ねぇ、私のリィ。まさかこの期に及んでまだ私に隠し事がある、とか言わないよね?」
 にっこりと、リィ・サイファが笑った。タイラントが顔を伏せ、小さく呟くのが聞こえてしまってフェリクスは笑いを噛み殺す。彼は言った。悪魔がここにもいる、と。
「いやいや、俺は……まぁ、な?」
「リィ」
 短く名を呼んだだけ。それでもリィ・ウォーロックはたじろいだ。否、そう見せただけ。
「ウルフ」
 仰け反って自分は関係ないとウルフが顔の前で手を振る。心底から怯えた顔。否、そう見せただけ。
「あれ……うん、なんだ。これ?」
 タイラントが不思議そうな顔をした。理解が及ばないのではない、何かに彼は気づいた。気づけないフェリクスはただ唇を噛みしめる。
「なぁ、若造。隠し事はさっさとばらしたほうが被害が少ないぞ」
「そりゃ、お師匠様はいいけどさ。直接被害は俺だよ?」
「そんなもん自業自得だろうがよ」
「自業……え、なに?」
 無邪気な無知を作って見せたウルフにリィ・ウォーロックが笑う。それから諦めろ、と顎の先でリィ・サイファを示した。
「あー、まぁ。その、サイファ。冷静に聞いてくれる?」
「努力はしよう、努力はな」
「あのね、ちょっと待ってくれる? 僕の疑問が先だったはずなんだけど。痴話喧嘩だったら三人まとめて後でやって」
「シェイティー!」
 タイラントの豊かな悲鳴など聞こえた風もなくフェリクスは三人を睨み据える。わからないことが多すぎて、苛々とする。ただでさえ魔術師は知りたがり。疑問を放置されるのは腹が立つ。
「ん、わかってる。て言うか、あんたの疑問にいま答えようとしてるとこ」
 ウルフがへらりと笑った。そしてリィ・サイファを窺う。長い溜息までついて見せるのに、なぜかリィ・サイファは笑顔を見せた。
「まぁ、しようがねぇな。助太刀してやるよ、若造」
「助かるよ、お師匠様。て、だからサイファ! まだ俺なんにもしてない! その手をどけてってば!」
 今にも掴みかかろうとしているリィ・サイファの手をウルフは慎重によける。そしてそのまま悪戯をしないようにね、などとほざいで握り締めた。
「まず雪ん子の疑問の件からにするかな。お前ら、魔術師だからな、こう言えば一番わかりやすいはずだ」
 リィ・ウォーロックが突如として真面目になった。同じ銀髪なのに、どうにもフェリクスは勝手が違ってやりにくくてかなわない。
「真の名だ」
 たった一言。それでフェリクスにはある程度わかってしまった。リィ・ウォーロックは、こちらの真の名がわかるのかもしれないと。
 通常ならばありえないことではあるが、ここは異界。しかも相手は魔術師の祖。魔術師同士ならば精神による会話はごく当たり前のこと。己の意思で繋ぐ精神も、始祖にかかれば筒抜けの可能性。つまり心の奥に秘められた真の名まで知られていないとは言い切れない。瞬時にそこまでフェリクスは想像した。
 けれどタイラントは違う。アルハイド大陸において、世界の歌い手と称された吟遊詩人の耳はリィ・ウォーロックの真意を聞く。
「俺は長年生きてきて、研鑽も積んでる」
「だから? そのために通称があるんだと思うんだけど?」
 真の名を握られるのは生死を握られるも同然。魔術師ならば当たり前の道理だ。だから真の名がわかるのならば、通称を使えばいい。そのためにこそある名だ。
 フェリクスは子供扱いされた気がして不快になる。確かに魔道を歩いてきた時間が違う。距離も違う。けれど自分もまた当代有数の魔術師だったのだ。
「違う、シェイティ。そうじゃない……」
「え?」
「小鳥ちゃんが正解。なぁ、どっちが実験台になる? 実演したほうが早いだろ」
「だったら、僕――」
「俺俺俺! 俺がやります、俺にしてください!」
 またタイラントは。フェリクスは苦いものを飲み下す。同時にこの上なく甘いものを。弱いくせに、何度となくこの身を庇いたがるタイラント。一度はそれで死んだと言うのに。
「ほんと、馬鹿は死んでも治らないって真実だったんだね」
 呟けば、眉を下げて情けない顔をしたタイラントがこちらを見ていた。不思議と、ウルフまで似たような顔をしている。あちらにも実感があるのかもしれない。
「だったら小鳥ちゃんな。じゃあ、実験開始だ」
 にんまりとリィ・ウォーロックが笑った。思わずフェリクスは止めたくなってしまう。それを静めたのはリィ・サイファ。大丈夫、と微笑んでいた。
「タイラント、動くなよ?」
 リィ・ウォーロックはそう言っただけだった。これからはじまるのだと、フェリクスはそう思った。いったいなにがはじまるのだろう、と思ったほどに。
「サイファ」
 リィ・ウォーロックが彼の名を呼ぶ。そしてフェリクスは目を奪われた。リィ・サイファがしたこと。タイラントに向けての攻撃。
「ちょっと!」
 逃げろ。タイラント。声にはならない言葉が、けれどタイラントには聞こえなかったのだろうか。タイラントは微動だにせず、攻撃のほうが勝手によけていった。
「ちなみに。わざわざ直前で外した。当てる気はあったがな」
「リィ・サイファ。僕のタイラントになにしてくれるわけ? 理由があるなら、聞くけど。それともこれは何。僕に対する挑戦なの。僕があなたに敵わないことは間違いなくわかってる。そんなこと自明だ。それでも僕は武器をとるけど。それだったらさっさと言って。さぁ早くやろうか」
「違う、シェイティ! そうじゃない、これ実験、実験だって!」
「なにが? ちょっと。大丈夫だったんだろうね。こっち向いて、傷は」
「向けないんだよ! て言うか、動けない!!」
 タイラントの悲鳴は本物だった。なにをされたのか。咄嗟にリィ・ウォーロックを見る。にやにやと笑っているだけだった。
「もういいぞ、動いても」
 言われた途端、くたりとタイラントが草地に手をつく。よほど怖かったのだろう。美貌が青ざめていた。
「つまりな、坊やたち。これが技量の差ってやつだ。お前らの通称、長く使ってるだろう?」
「それは、まぁね」
「だったら俺には真の名も同然ってことだ。そんな危なっかしい名前で呼べるかよ」
 面倒くさい、とばかり顔の前で手を振っている。それから無造作にリィ・サイファを抱き寄せる。
「で、ここからがついでの話だ。若造、どっちがする?」
「……あんたがしてよ。俺は正直、話したくないんだから」
「リィ。やめて。ウルフがしたくない話なら、私は聞きたくない」
 すぐさまだった、リィ・サイファが言ったのは。だからたぶん、彼がウルフに寄せる愛情も本物なのだ、とフェリクスは思う。もっとも、リィ・ウォーロックの腕の中にいるのだから信じられたものではないが。
「まぁ、聞けって。後でうっかり知っちまったらつらいのはお前だ」
「……なに、それ」
「あのな、可愛い俺のサイファ。愛してるよ、お師匠様を信じなさい。いいね?」
 腕の中に抱き込んで、リィ・ウォーロックが言う。こくり、と艶やかな黒髪がうなずいていた。
「お前が受け入れやすいように話そうか。なぁ、サイファ」
 緩く腕をほどき、リィ・ウォーロックが彼の青い目を覗き込んでいるのがフェリクスにも見えた。神人の子のはずなのに、と少しだけ不思議になる。リィ・サイファはこのような姿を平然と人目にさらしていた。
「なぁ、可愛いサイファ。そっちの小鳥ちゃん、お前の好みか?」
 思わずフェリクスは声を上げるところだった。いったいなんの話だ。そもそも脈絡があるのか。けれど上げそうになった声は、なぜかウルフとタイラントに阻まれた。
「正直に言っていい? フェリクス、お前を侮辱する意図はない。それを理解してもらえるとありがたいが。正直に言って、タイラントのような軽薄な男は、好みとは言いがたい」
 ならばリィ・ウォーロックは。ウルフはどうなる。たいして知りもしないけれど、タイラントを謗るほど重厚な人格だとはフェリクスには思えない。
「だから、好みの問題だと言っている」
 少し困ったようなリィ・サイファの表情。それにはじめて彼も羞恥を覚えていないわけではないのだとフェリクスは知る。
「だろ、サイファ? お前、こっちに来たばっかのころに俺と喧嘩したな?」
「あれ、喧嘩って言うのかなぁ。俺にはどう見ても痴話喧嘩だったけど」
「喧嘩は喧嘩だろ。黙ってな、若造」
「はいはい」
「若造、返事は一度だと何度言ったら理解する、この鳥頭!」
 リィ・ウォーロックの腕の中にいるリィ・サイファが、ウルフを叱りつける意味のわからなさにフェリクスは少し頭痛がしてきた。
「ねぇ、この会話に僕たちがいる必要ってあるの。ないんだったら席外すけど」
「いや、いてくれないと困る。頼むからいて!」
 フェリクスに意図はわからない。けれどウルフが絶叫まがいに懇願していた。渋々とうなずくフェリクスの手を、タイラントがとる。少し緊張している気がした。
「ねぇ」
「俺だったら大丈夫。あっちの話が聞きたいよ、俺」
「ふうん、そう」
 まるで二人の意思を確かめたかのよう、師弟がまた話し出す。ゆっくりと、師が弟子に言い聞かせるように。恋人に不実は誤解だと説くように。
「あのとき、俺はなんて言った? 若造は、俺と似てるからお前が惹かれたって、言ったよな?」
「言ったけど、ウルフは違うって言った」
「いま、お前はどう思う?」
「違う……と、思う」
 頼りないリィ・サイファの声だった。信じたくて、それでも確信を持てない声だと小声でタイラントがフェリクスに告げていた。
「お師匠様はね、遠い俺の先祖なんだよ」
 こちらもひっそりとウルフが二人に内緒話を仕掛けてくる。もっとも、内密の話題なのではなく、単に二人の会話の邪魔をしないよう声を低めただけなのだろう。
「なにそれ。どういうことなの。事実?」
 なにもどうもない。ウルフは端的なことを言っただけだ。そしてフェリクスの問いにあっさりとうなずく。
「ところでな、サイファ。こっちの小鳥ちゃん、お前好みじゃないって言ったよな?」
「言ったけど、なに。話があるなら早くして」
「ご機嫌なおせよ、可愛いサイファ。まぁ、手短に行こうか。この小鳥ちゃん、俺の子孫だわ」
「……はい?」
 それはリィ・サイファの声であり、フェリクスの声であり、タイラントのそれであった。
「ちょっ、ちょっと待ってください! えーと、その、始祖様!」
「別にリィでかまわんぞ?」
「俺がかまいます! ていうか、いまなんて言いました!? ウルフが、さっき始祖様とウルフが血縁だって言いましたけど!?」
「おぉ、助かる。言っといてくれたか」
「そっちも忙しそうだったからね」
「だからぁ! ちょっと! 待って!」
「一々怒鳴るな、うるさいぞ。なにが聞きたい、あれか? 要するに俺がミルテシアの王族だったか聞きたいって言うのか」
 こくこくとうなずくタイラントをフェリクスは立派だと思う。頭の中が真っ白になって、何も考えられなかった。自分は何も関係ない。まったく関係ない。それなのに。
「あー、タイラントって吟遊詩人だよね。だったら知ってるかも。アデルハイト女王、知ってる?」
「ミルテシアの最初の女王様です、はい。知ってます」
「うん、その女王の父親がこの人」
 あっさりと言ったウルフの言葉にタイラントの銀髪が真っ白になりそうだった。くらくらと眩暈がして、思わず強くフェリクスの手を握り締める。
「僕にもその気持ち、良くわかるよ。タイラント」
 ぎゅっと握り返されて、タイラントは深く息をした。同じほど、フェリクスも深呼吸を繰り返す。
「リィ……待って。どういうこと。私、まだわからない。あなたが隠してた理由がわからない」
「それは、まぁ。俺じゃなくて若造から」
 戸惑うリィ・サイファの視線がウルフに向けられた。そこには苦い顔をして、けれど詫びるような目をタイラントに向けたウルフ。フェリクスは思考が駆け抜ける音を聞いた気がした。
「あんまり言いたくないんだけどね。タイラント、俺の子孫だと思う。と言うか、確信はある」
「……若造。ちょっと話を聞かせてもらおうか」
「いや、だから! あのね、俺は不本意だけど、王子様だったの! サイファ、知ってるでしょ!」
「知っているが、どうした」
「だから! 俺の意思じゃなくって! 好きでしてたんじゃないけど、夜伽とかいて!」
「ほう、夜伽」
「俺自身顔も知らないけど、子供がいたらしいってのは聞いてるっていうか!」
「ほう、子供。お前の? なぜ、黙っていた。いまのいままで?」
「そんなの簡単じゃん。あんたが悲しい思いをするからに決まってる。俺は言いたくなかった。言わせたのはお師匠様じゃん」
 そこだけは、毅然とウルフは言った。まるで別人だ、とフェリクスは呆気にとられる。タイラントも同じ感想を持ったのだろう、きょとんと彼を見ていた。
「リィ……」
「それで、さっきの疑問に返ってくる。なぁ、サイファ。俺と若造は似てるか? お前には答えられないよな。似てるかもしれない。似てないかもしれない。でも小鳥ちゃんはどうだ? 俺の子孫で若造の子孫だ。お前も小鳥ちゃんは好みじゃないって言ったな?」
「……それが、なに。リィ。あなたは」
「可愛い俺のサイファ。よく考えてご覧。お師匠様、言いたくないんだけどなぁ。若造と小鳥ちゃんは似てるのか? 俺とは?」
「あ――」
 いまの今まで怒り嘆き沈んでいた神人の子とは思えなかった。輝かんばかりに明るくなった表情にフェリクスは唖然とする。
「お前が若造を選んだのは、俺に似てるからじゃないよ、可愛い俺のサイファ」
「似てなくていい。似ててもいい。愛しい私のリィ。ありがとう。私が怖がってるの、あなた――」
「知らないわけがないだろ、可愛い俺のサイファ」
 腕の中に飛び込んだリィ・サイファを、師匠にして師匠ではない男が抱きとめた。フェリクスの頭痛が本格的なものになりはじめる。
「だからな、小鳥ちゃん」
 リィ・ウォーロックが腕の中に弟子にして弟子ではない彼を抱いたままタイラントを見やる。
「お前は俺の子孫だ、こっちの若造もだがな。血の絆ってのは怖いぞ。いやでも真の名を感じる。さすがに遠いから漠然とだがな。それでも感じるぶん、通称でも支配はしやすい」
 だからいままで使ったことのない名で呼ぶ。リィ・ウォーロックはそう言った。理由があるのかと問うたフェリクスへの、それが答えだった。
「ねぇ、ちょっと待って。だったら僕はなに。こっちは嫌がらせだよね、別にいいけど」
「違うぞ? あのな、雪ん子。よく考えろよ? お前は小鳥ちゃんのなんだ?」
「なんだって……それは……」
 少しばかり頬を赤らめて口ごもったフェリクスこそ、神人の子のようだった。師の腕に潜り込んでいるリィ・サイファのあり方が不思議でならなかった。
「小鳥ちゃんはお前の伴侶だろう? たった一人の、魂すら分け合った。だからこそ小鳥ちゃんはお前がこっちにきて、目覚めた。わかるか?」
「それは、わかる。なんとなく、感覚的なものだけど」
「細かい話は後だ、いまはちょっと、無理そうだからな」
 にやりとリィ・ウォーロックが笑った。抱きしめたリィ・サイファの髪にわざとらしくくちづけて見せる。
「まぁな、だからだ。小鳥ちゃんの伴侶なら、俺には同一人物も同然だ。なんなら――。ん、どうした、可愛いサイファ?」
 お前でも試してやろうか。言いかけたリィ・ウォーロックの言葉が遮られる。うっとりと神人の子が見上げていた。
「ねぇ、もう話は終わったんじゃないの。まだあるんだったら私、飽きてしまう」
 とろりとした声にフェリクスは頭を抱えて逃げたくなった。タイラントなど上の空になって、おろおろと手元の草をちぎって投げている。
「……意味がわからない」
「ん? なんか変なことあった? 俺でよかったら説明するけど、俺、下手だよ?」
「もういい! あなたがた三人見てると頭痛くなってくるの! それだけ!」
「なんでだろうなぁ。結構よく言われんだよね、それ。あ、タイラント。かなり驚いたと思うけど?」
「お、驚いたなんてもんじゃないですよ!」
「うん、だろうね。俺もお師匠様が先祖だって知ったときは腰抜けるかと思ったから」
 へらへらと笑ってウルフはなんでもないことのように言った。だからたぶん、その程度の認識でいい、と彼は言っているのだろうとフェリクスは思い、思い過ごしだと感じる。そこまで賢いとはやはり、思えなかった。
「話の流れと言うか、サイファが怖いって言うか」
「あ、いいです。別に気にしてませんって言うか。俺があなたの子供だって言うなら、ちょっとくらい恨むべきなんだと思いますけど」
「だよなぁ。何世代後なのかな?」
「ん、と。俺にも、ちょっと……?」
 フェリクスの頭痛が激しくなった。リィ・サイファは何事か悩んでいたようだけれど、フェリクスにしてみれば馬鹿馬鹿しすぎる事実だった。
 指摘されて、見て、はじめてわかる。確かにこの二人は血が繋がっている。あまりにも愚かな態度がよく似ている。似すぎているほどに。だが、なんだと言うのか。
「あなたがたがどうであっても、僕には関係がない」
 突き放すというより更に冷たい、むしろ突き飛ばしたがごとき言葉。それなのにタイラントは笑った。ウルフは困ったような顔をした。だから、それがフェリクスにとっての答えだ。
「ねぇ、あっち。放っておいていいの?」
 師弟が華やかにいちゃついていた。神人の子のはずなのだが、リィ・サイファは。聞きたいことがまた一つ、増えた。それを楽しむことがようやくできる、そんな気がフェリクスはする。
「いいんじゃない?」
「いつまで続くの」
「気が済むまで、かな。そのうち俺も巻き込まれるよ」
「ふうん、そう。僕、リィ・サイファに用事があったんだけど」
「それは諦めてもらったほうがいいかも」
「だよね。後日、日を改めてまたくるって言っておいて」
「了解」
 ひらりとウルフが手を上げた。同時に、見計らってでもいたようリィ・サイファの呼び声。
「行こう、タイラント。あてられて、僕は暑いよ」
「あ、だったらあて返すとかは。どうかなぁって――ちょっと提案しただけだろ!? 痛い痛い痛いって、シェイティ! 本気で痛いからぁぁぁぁ」
 どこまで本気か知れたものではないタイラントの悲鳴に心地良く耳を傾け、フェリクスは立ち上がる。すぐさまタイラントが追随した。
「やっぱり本気じゃないじゃない」
 小さく呟いて笑ったのに、一瞬タイラントの足が止まる。けれどすぐさま追ってきた。そして繋がれる手。
「僕にはこの手だけで充分だけどな」
 聞こえなかったふりをしてタイラントが覗き込んできた。それを睨みつつ、けれど口許がほころぶ。二人の背後から三人分の声が聞こえてきた。言い争っているというよりは、いささか艶かしいそれ。
「確かに、ちょっと暑いかも」
 ぱたぱたと顔を手で扇いで見せるタイラントを睨もうとして、けれどうっかりフェリクスは笑い出してしまっていた。くつくつと笑いあい、寄り添って歩いていく。楽しいかもしれない、ふとフェリクスはそう思った。




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