人の背丈ほどの滝が流れ落ちる滝壺の側、二人は暮らしていた。ファネルは小さな家を遠目から眺めて思わず口許に浮かんだ笑みが抑えきれずにいた。 ゆっくりと歩き進んでいけば、家の中から聞こえる声。それにもまた、笑ってしまう。 「これが歌声ででもあったのならば、ずいぶんと甘いものを」 聞こえるのはきんきんとした怒鳴り声。そして慌てふためき弁解しているのであろうもう一つの声。言うまでもない、フェリクスとタイラントが住み暮らす家だった。 「いいか?」 なんの気なしに扉を開けた、と見えてその実ファネルは緊張している。今のいま喧嘩をしていたからと言って、とんでもない場面に出くわさないとも限らないのがこの二人の恐ろしいところだった。 「別にいいけど。どうしたの、ファネル」 ひょい、とフェリクスが振り返り、そっと微笑む。まるで生前見せることができなかった笑みをたくさん見せることで埋め合わせをしようとでも言うように。 「どう、と言われてもな。用がなくては来てはいけないのか」 「そんなこと言ってないじゃない。タイラント、お茶淹れてくれるよね。もちろん?」 「もうやってるよ! 見ればわかるだろ、見れば!」 笑いながら怒鳴る、と言う器用な真似にファネルも微笑む。タイラントがシェリであったころ、二人の出会いの悲劇を聞き知ってファネルは非常な腹立ちを覚えたものだった。だが、いまはもう済んだこと。フェリクスが幸福ならばそれでいい、そう思うようになっている。 「ここ、遠いでしょ。来るの大変だったんじゃないの、ファネル」 首をかしげるフェリクスにファネルは黙って首を振る。それを見つめるタイラントは微笑んでいた。もしも、とタイラントは思う。フェリクスに魔力がもう少し少なかったならば、彼は成長したことだろう。魔術師は、魔力が強ければ強いほど、成長が止まる。だからこそ、思う。もう少し大人のフェリクスだったならば、彼はとてもファネルに似ていただろうと。二人ともその自覚がどうやらないらしい。それがなぜかタイラントは面白いと思う。 「遠い、と言うほど遠くはないが。お前たちは不便ではないのか」 「別に、大丈夫だよ。用があれば魔法で跳ぶしね。僕らには距離はあんまり意味がない。それに、ここは都合がいいんだよ」 「どんな?」 ファネルには不思議で仕方ない。神人の子である自分は、確かに自然の中にいるのが好みだ。が、彼ら二人は元々定命の子ら。この異世界にも町はある。そちらに暮らしたほうが何かと都合がいいのではないか、と常々考えていた。ここは幻魔界。魔術師を忌避するものなどいはしない。 「僕の研究に、かな。タイラントにとってもそうだけどね。ここ、あの滝があるじゃない? 僕は水系魔術師だからね、あれはもってこいの研究素材なんだよ。色々遊べる」 なるほど、と納得するファネルをフェリクスは頬杖をついて眺めていた。目の前に出てきたタイラントの茶をいい加減な仕種で勧めれば、苦笑しながら口をつけるファネル。 「ねぇ、ファネル。変わったね?」 あるいは自分が変わったのだろうともフェリクスは思う。アルハイドの大地にあったころ、自分は精神の均衡を欠いていた。タイラントと言う魂の欠片を失って、ただ生きて動いているだけだった。ファネルは、そんな自分しか知らない。そして自分もまた、その動く死体のような目を通してしか、ファネルを知らなかった。 「僕が生き返ったからね、こいつがいるからだけど。そのせいかなって思ったの、最初は。でも、なんか違うような気がする」 フェリクスの眼差しにファネルは微笑むだけだった。その笑みもまた、見知っていたものとは違う気がしてフェリクスは疑問に思う。それでも、これが最後の旅を終えた、と言うことなのかもしれない、そうも思った。 「ところでな、フェリクス。頼みがあるのだが、いいか」 まるでフェリクスが疑問に決着をつけるのを待っていたかのよう、ファネルが口を開く。タイラントはそれににやりとしていた。さすがに親子だな、などと納得してしまう。呼吸の読み方が抜群に巧かった。自分ならばあともうしばらくはごちゃごちゃと言い合いをしなければならないだろう。もっとも、それが嫌だ、と言うわけでは決してない。 「いいけど? なに、改まって。そんな面倒事なわけ? だったらタイラントにやらせるけど。僕は基本的に面倒くさいのは嫌いだからね」 「ってちょっと待て。君はどうしてそうやって!」 「ねぇ、ちっちゃな可愛い僕のタイラント? よく考えなよ、あなた。僕が何をどう言おうが、あなたに押しつけたことがいったい何度あったと思ってるの?」 「あ……」 「なるほど。一度もない、そういうわけか?」 「だからね、ファネル。あなたも一応は神人の子なんでしょ。どうしてそう言うことをはっきり口に出すわけ。意味がわからないんだけど」 「諦めろ。そう躾けられたような気がするし、そもそも私は闇エルフだからな」 言ってファネルはからりと笑った。おかげで二人とも躾、の言葉に疑問を感じる暇がなかった。口を滑らせたファネルは空咳をして話を戻す。 「それで頼みと言うのはだな。お前は細工物が得意、と聞いた。だから……その、なんと言うのかな。思い出の品を入れておくことができるような、その上で身につけておけるようなものを作ることはできないか」 ほんのりと頬を染め、そっぽを向いたファネルにフェリクスは絶句していた。何が起こったのか、意味がわからない。息を吸えば慌てたのだろう――たぶん――ファネルが振り返る。 「ちなみに、お前の母親の思い出ではない。それは申し訳なく思うが」 「そんなの、言われるまで思い出しもしなかったんだけど、僕も」 「って、君の親ですが」 「あのね、タイラント。そりゃさ、ファネルが僕の父親だって言うのは理解してるけどね、母とファネルが色々とって言うのは、中々想像しにくい事実ってやつじゃない?」 「はっきり言うなぁ、君は」 「息子だからはっきり言えるの。あなただって考えたくないでしょ、そんなの」 「……同感」 深くうなずくタイラントにファネルは若干の殺意を覚える。あるいはそれは嘆きの溜息、とも言うが。ただ疲労を覚えただけなのかもしれない。 「たとえばね、ファネル。首飾りにちょっとしたものを入れておく場所を作る、とかだったら僕でもできるよ。物は何?」 「髪――遺髪、だな」 「ふうん、そっか。だったら、入れておくだけじゃなくて、その遺髪そのもので細工をしようか? ちょっと編むかなんかして、綺麗な形に整えて、それで水晶にでも封じて首飾りにする。どう?」 淡々と、ただ仕事の打ち合わせでもするかのようなフェリクスの声。それがどれほどありがたいことなのか彼は知っているのだろうか。知っているのだろう、とファネルは思う。いまこうして二人で生きている彼ではある。が、タイラントを、その半身を失ったこともあるフェリクスなのだから。 「あぁ、そうしてもらいたい。美しいものにしてくれるとありがたいな」 「任せてよ。水晶だったら細工は得意だしね。すぐできるけど……いま、持ってる? だったらやるけど」 「ここに持っている、と言うより、ずっと持っている」 「肌身離さずってやつだね。意外って言うか、恋人? 僕が逝った後だよね?」 さらりと言うからこそ非道ではない言葉。タイラントは身を縮めるようにして聞いていた。彼ら親子のアルハイドでの話は、痩せ細る思いで聞くしかない。自分の死がきっかけで、どれほどフェリクスが惑乱したかと思えばこそ。 「あぁ、そうだ。――あれが逝って、私も旅に出た」 恋人の死を契機に、ファネルはアルハイドから旅立った、と言う。フェリクスは一瞬だけ瞑目した。知りもしないファネルの恋人。それでもふと思う。ファネルが少なからず変化したのはその恋人のお蔭なのだ、と。内心で小さく感謝する、息子として。その思いにひっそりと口許が笑みを刻んだ。 「ふうん。じゃ、貸して。やるから」 ファネルは黙ってフェリクスの掌の上、愛した人の髪を置く。フェリクスは微動だにしなかった。じっと髪に視線を注いだまま。それから勢いよく息を吸った。 「ちょっと、ファネル。もちろん、説明してくれるんだろうね!」 「なにを、だ?」 「どうしてあなたがうちの子の髪の毛持ってるわけ! それに、さっきのどう言うことなの! まさかあなた、エリィに手を出したんじゃないだろうね! エリィは……エリィは……」 「ライソンが逝った後、しばらくしてエリィは事故で体の自由を失った。それをきっかけにしてイーサウからアリルカに来て、そして私と出逢った。以後は省略させてもらう。いくら親子と言えども口にすべきことではないだろう?」 にやりとするファネルに、フェリクスは知る。冗談でもなんでもないのだと。まさかと思った。けれど掌に乗るエリナードの金髪。そっと包めば彼の苦笑が見える気がした。なんかややこしいことになっちまいましたよ、師匠。そう笑う彼の声さえ聞こえる気がした。 「……よく、わかったな。フェリクス」 「なにがさ」 「それが、誰の髪なのかが、だ」 ほんのひと房の金髪。どこにでもある、当たり前の金髪だ。ファネルにとってだけ、特別な、愛しい人の髪。フェリクスは小さく苦笑してファネルを見上げる。 「ねぇ、ファネル。あなたはもしも僕の髪の毛だけ見たとして、それが誰の髪かわからないの?」 「……なるほど」 「息子の髪だもの。見ればわかるよ、そりゃね」 大勢いた自分の弟子たちの中、エリナードただ一人だった。馬が合うのか肌が合うのか、彼だけは息子、と言う気がした。弟子たちのすべてを我が子のように育てはしたのに、エリナードだけ、息子と呼んだ。彼もまた、照れた暴言ではあったけれど、この自分を父と呼んだのだとフェリクスは思う。 「え……ファネル? エリナードと? え、ほんとに?」 ぽかん、としたタイラントの声にファネルが微笑む。どことなく照れてでもいるような気がしてタイラントこそ照れたくなった。 「ファネル――」 「なんだ」 「あの子は、エリィは幸せだったの。僕は……」 「言うな、フェリクス。わかっている」 ファネルの言葉に。フェリクスは苦く笑って首を振る。それにつれて素直な黒髪がふるふると彼の顔の周りで揺れた。 「――僕はあの有様だったからね。こうやって今、タイラントが僕の手に戻ってきてくれて、ようやくやっと僕も正気に返った。それがね、いまだから、わかるんだよ」 そんなものはけれど言い訳でしかない、フェリクスは言う。タイラントは黙ってそんな彼を見ていた。ただ、見つめていた。自分が原因だとは言わずに。それを言っていい時と場合、それをタイラントは知っている、そんな気がファネルにはした。 「そうだね、僕はエリィを愛してたよ。誰より何より大事だったよ、息子としてね、父親としてね。――それでも、タイラントだけは、別格だった」 「当然だろう。言いたくはないが、タイラントはお前であり、お前はタイラントなのだから」 少しばかり照れたような声音のファネルにフェリクスは小さく笑った。遠くに行きがちな自分を引き戻してくれる人がここにもいた、そんなことを思うのかもしれない。もう一人、いたものを。手の中の髪をただじっと見つめつつ。 「あなたは知ってるじゃない? あの頃の僕がどう生きていたかを。あなたは僕が生きていた間、エリィって言う息子がいるなんて、知りもしなかった。そうでしょ。父親の息子の言いながらね、僕はタイラントを失くして、エリィまで振り捨てた。――こっちに来て、正気になって、エリィのことを誰かに聞きたかったよ、ほんとはね。それでも……どの面下げて誰に聞けるって言うの。可愛い一人息子だって言いながら、捨てた僕なのに。それなのにね……わかるんだよ、ファネル。僕はエリィに許されてる。違うな、許すもなにもない、あの子がそう言ってるのが、わかるんだよ」 長い溜息だった。いままでただの一度も口にされることのなかった息子の名。こちらに来てタイラントを再び得たとはいえ、フェリクスには傷がある。それが生きてきたと言うことかもしれない。じくじくと痛む場所を押さえれば、そこにエリナードがいる。 「え……」 ぽん、と頬を叩かれた。衝撃に顔を上げてはじめてそれと知る。見れば肩をすくめたタイラントと、苦笑するファネル。いまだけは「父親に譲ってあげる」そんな顔をした彼がいた。 「わかっているならば、それでいいだろう。お前がどう思っていたにしろ、エリィもまたお前を愛していたよ。許すもなにもない、正にそのとおり。エリィはただ、お前の助けになりたかった。助けになってたはずと信じていた。ずっとそうして、生きてきた」 「……ほんと、馬鹿な子だよ。こんなだめな父親なんかさっさと見捨てればいいのにね。それができない、優しい子。僕の……大事な息子だったのにね。あの子は……幸せだったのかな。聞いてるんでしょ? ただでさえ色々あった子なのにね。僕までこんなになっちゃってね。苦労ばっかりだっただろうに」 当時は強いて忘れていたエリナードの笑い声。どんな暗がりからでも引き戻してくれる一人息子の声。だからこそ、忘れるよう努めていた。タイラントの復讐、ただそれだけのために。無意味なそれのために、エリナードさえ捨てた自分なのに。呟くフェリクスの傍ら、タイラントが無言で寄り添う。顔を上げもせず、けれどフェリクスはそのぬくもりだけは、感じていた。 「ずっとお前を案じていた。どちらが親かわかったものではないな、あれは。だが……幸福だったと思う。少なくとも、私はとても幸福だった。アルハイドで歩む最後の時間を彼と共に歩けたことはこの上ない幸福だった。だからたぶん、エリィも幸せだった、そう思う」 「――あなたもあの子のこと、エリィって呼ぶんだ。ふうん。あの子から聞いたの?」 ファネルの言葉にフェリクスはそっと笑って顔を上げた。エリナードを捨てた痛みが消えることは断じてない。そうしてよいものでも決してない。あるいはだからこそ、ファネルの言葉を信じたいのかもしれなかった。エリナードは幸福だったと言うただ一言を。 「いや。――物の弾みでそう呼んでしまったら、笑われた。お前がずっと、お前だけはずっとそう呼んだと言ってな。妙なところで親子だと笑われたよ」 「ふうん。ねぇ、ファネル、話したの? 僕があなたの息子なんだって」 「いや? 初対面で見抜かれたぞ。見ただけで親子だとわかった、そう言っていたな。エリィ曰く、目許と声がそっくりだそうだ」 「そっか」 ぽつんとした呟き声。わずかばかりうつむいて、フェリクスは握った掌の中の髪に語りかけているかのよう。 「僕はね、あなたも知っての通り、あの子には会えなかった。どうしても、会えなかった。心配してくれてるのも、気にかけてくれてるのも知ってたよ。知ってたからこそ、なのかな。あの子の顔見たら、僕はなに言いだすか、わからなかったからね」 「――幸福の象徴」 「え?」 「本人が、そう言っていた。自分はフェリクスが持っていた幸福な日常の象徴だ、と。お前の側にタイラントがいて、自分がいる。そうやって当たり前に過ぎて行った星花宮の毎日をいやでも師匠は思い出す。だから、最後まで会えなかった、会わなかった。エリィはそう言っていた」 静かにうつむいたフェリクスをタイラントが黙って抱きよせた。いつもならば文句を言うフェリクスが、いまは無言でされるまま。 「エリナードはね、ファネル。実の息子が弟子になったって言っても誰も疑わなかったと思う。それくらいシェイティの本当の息子だったんだ。血なんて関係ない、エリナードはシェイティの魂を受け継いでる。俺はそんな風に思うんだよ」 「本人もそう言っていたな。大勢いた弟子の中、自分だけを息子と呼んだ、そう誇りにしていたぞ」 タイラントの胸に額を預け、フェリクスはじっとしてた。在りし日のエリナードの姿が瞼に浮かぶ。先に死んだのは自分のはずなのに、こうして彼の死を聞く不思議。喪失感より、切なさより、彼が幸福だった感謝ばかりが浮かんでは溶けて行く。 「なんか、不思議だね、ファネル。シェイティはあなたの息子で、エリナードはシェイティの息子。その二人が出逢って恋をした? なんと言うか、倫理的にどうなのって感じだけど、全然問題ないってところがなぁ。まぁ、あれだよね。全世界が敵に回ってあなたがたを非難しても、俺とシェイティは祝福すると思うけどね」 にこりと笑ったタイラントからファネルは目をそむけた。ここまで率直に言われると何をどう言っていいものかわからなくなってしまう。そして聞こえる小さな笑い声。タイラントの胸から顔を上げたフェリクスだった。 「なにそれ。たとえ血の一滴も繋がってなくても、どう考えてもそれ、近親相姦じゃない。そのあたり、どうなの、ファネル」 「言うな! それを口にするな、まったく。本当に……この似たもの親子が」 「どう言うこと?」 「エリィはよく私をそうやってからかったんだ!」 声を荒らげたファネルにフェリクスとタイラントが顔を見合わせる。そして示し合せたよう吹き出した。 「うん、やるよね。あの子なら絶対やる。だってうちの子だからね」 「あぁ、やるな。間違いなくやる。ほんっと、すっごいお茶目さんで無茶苦茶な、どこをどう切ってもあぁうんシェイティの息子だなって思うような子だったもんな、エリナードってさ」 「それってどう言う意味? 僕のちっちゃな可愛いタイラント?」 「ってだから!? そうやってすぐに魔法飛ばして暴力振るうところなんかの無茶加減がそっくりですよって言ってます!?」 「ふうん?」 くすくすと笑うフェリクスにファネルは呆れていた。肩をすくめて思わず呟く。 「私のエリィはそれほど暴力的ではなかったぞ」 それに反応したのはフェリクス。タイラントを束縛していた魔法をあっさり解き放ち、まじまじとファネルを見やっては溜息をつく。 「よく言うよね、神人の子が。『私のエリィ』だってさ。なんかすごい聞いちゃいけないこと聞いたみたいじゃない。これ以上妙なこと聞かされる前に、仕事するから。タイラント、お茶でも淹れかえて。待っててよ」 ひらりと片手を振って奥に行く。そちらに仕事場があるのだ、とファネルは知っていた。なにをどう作ってくれるつもりだろうか、そんなことでも考えていないと羞恥に身悶えしそうな自分がいる、それを自覚しないファネルではない。そしてフェリクスもまた、照れたのだとファネルは気づく。当然、かもしれない。自分の父と我が子の恋愛譚だ。正気で聞ける、と思うほうがどうかしている。ただ、とファネルは思う。照れるだけでいてくれたことがこんなにもありがたい。タイラント同様、フェリクスもまた、祝福してくれたのだと気づいては、どうしようもない思いに駆られていた。 タイラントはそれを感じているのだろう、当たり障りのない話題を心地よい声で話していた。返事などしなくともかまわない、と態度で語りながら。それでももてなそうと言う心遣いをはっきり感じる。ファネルは内心でそっと思う。エリナードの長年の友であったイメルを。彼が憧れたタイラントがここにいるのだと。懐かしいような、痛むようなそんな思い。エリナードの死には、感じないことだった。 いまはまだ。彼の死は自分の心に近すぎる。決して恋だけでも愛だけでもなかった。傷を舐めあってもいた。それでも、ただ一人愛しく思ったエリナードの死。彼に出逢うため、自分はフェリクスの死後もあの大地に留まっていたのだとすら思った。我が子の死にも最後の旅に出ようとは思わなかったものを。唇だけで呟く、彼の名を。 「――エリナードを幸せにしてくれてありがとう、ファネル。シェイティはきっと照れて言わないと思うから、俺が代わりに。そのぶん、あなたがつらい思いをしたと思うけど」 「つらいな、確かに。だが、エリィとすごした日々がいまもここにある」 じっと自らの胸を押さえたファネルにタイラントは痛みを見た。神人の子である彼の思い出は薄れない。ならば痛みも、また。 「そんな顔をするな。遠からず別れるとわかっていた我々だ。それでも私はエリィが欲しかった――。出逢わなかったより、ずっといい、私は幸福だ」 言い聞かせるようなファネルにタイラントは黙ってうなずく。痛みは続くだろう。それでもいつかは甘く懐かしい思い出になればいい。 もう一度、タイラントは茶を入れ替えに立った。それから彼はそっと歌いだす。ファネルの心に添うような歌が歌えているかはわからない。それでもこれが自分の気持ちだとばかりに。そのタイラントが歌いやめ。喉を潤してまた歌う。 「できたよ」 フェリクスが出てきたのは、そんなときのこと。早いのか遅いのかファネルにはわからない。呆れ顔のタイラントを見る限り異常な早さなのだ、とは感じた。 「どうかな。気に入ってもらえるとは思うんだけど。まぁ、あれだよね。親子だし。感性その他は相通じるものがあると思うんだけど。僕はこれをとても綺麗だと思う。エリィの印象だなって思う。あなたは、どう感じるかわからないけど」 ゆっくりと、ファネルの掌の上、首飾りが乗せられた。エリナードの遺髪が再びファネルの元に戻る。ファネルの口許がほころんだ。 「……エリィだな」 水晶の中に閉じ込められた彼の金髪。形を整えられることなく、散り乱れた金の髪。幾重にも幾重にも重なる鮮やかな金。まるで水晶に抱かれたエリナードだ、とファネルは思う。あるいは、水の申し子と名付けられた彼そのものだ、と。 「気に入ってもらえたみたいだね。よかったよ」 ファネルの手の上、フェリクスがその手を重ねていた。二人の手の間、エリナードの髪が守られている。静かなタイラントの歌声。挽歌ではない。ファネルとエリナードを寿ぎ祝うその歌声。二人の手の間でそっと水晶がぬくもりを帯びて行った。 |